オノ・ヨーコさんに会った

December 13 [Thu], 2012, 2:42



オノ・ヨーコと平和について語り合うイベントに行ってきました。

J-WAVEのイベント告知に応募してみたら当たったのです。会場には大体40名くらいの参加者。
どのくらいの応募があったのか分からないけど、とてもラッキーでした。(行ける気はしてたけど)
会場で知り合いの子にばったり会って、お互い引きが強いねーって笑いました。

ちなみにこの模様は12月25日の J-WAVE #BeatPlanet の番組内でオンエアされます。
昼過ぎから夕方くらいまでの番組だったかな。ラジオ聞ける方はチェックお願いしまーす。


内容は「平和」をキーワードに、様々な指示(インストラクション)を作り上げるワークショップです。
世界がより良い方向へ向かうよう、「平和」を想像した指示を考え、オノ・ヨーコさんご本人との質疑応答形式で、この「平和」への指示について直接やり取りをします。
このワークショップはジョン・レノンの”Imagine”の楽曲元になった、オノ・ヨーコさんのインストラクション・アート集「Grapefruit」を切り口にして構成されています。


僕がこの本を手に入れた高校生の頃は、まだ「grapefruit juice」という名前でした。
その頃から大事に持っている、想い入れある一冊です。

”道を開けなさい
 風のために”

というページが特に好きだったなぁ。

オノ・ヨーコさんはとても素敵な方で、もう一見普通のおばあちゃんなんだけど、なんだかとてもいい年のとり方をしているなぁと思いました。
はっきりした意思と心のこもった言葉と、周りを輝かせるオーラ。
そういう人々が共通して持っているある種の空気を持っていて、そして愛があった。
僕が年を取ったらああいう人々の中に合流できるだろうか。そうありたいな。


オノ・ヨーコさんの前で読み上げた、僕のインストラクションのメモが手元にあったので残しておきます。
おもえばこういう文体は僕のもっとも得意とするもので、いつも書いている文と変わらない気もする。
ひょっとしたら、彼女のこの本がきっかけだったのかもしれないなと思いました。



”平和へのインストラクション(指示)”



想像しなさい

どんな世界に住みたいか
どんな人々と暮らしたいか

感じなさい

あなたの目に映る世界はどんな場所か
あなた自身はどのような存在か

あらゆる判断やジャッジを排して
ただそのすべてを味わいなさい


あなたが生まれてから今まで
その喜びはどこにあったのか

一つ一つ思い出しなさい

魂がふるえたのはいつだったか
ありのままの自分自身でいられたのは
いつだったか


思い出しなさい

あなたが自分自身でいられた時を
その魂のふるえを

そこにあった本当の声を聴きなさい


そして自分自身が
創造したい宇宙そのものでありなさい



〜・〜・〜・〜・〜・〜









 

天空巡礼

September 14 [Fri], 2012, 6:46


2012年8月28日にエサレンワークショップの受講のため、ハワイ島に出国。先ほど帰国。
飛行機から見た景色を、到着当日の夜にしたためた文章が、ようやく吸い出せたので、とりあえず書き込んでおきます。


〜・〜・〜・〜・〜・〜

飛行機は久しぶり。
なんとはなしに、ぼーっとガイドブックを見ていたら、世界中の天文台の集まるマウナケアの山頂に、満天の星と日の出を見に行くツアーがあるらしい。
ものすごく寒いって書いてあるし、そしてそれを経験上リアルに想像できるので、多分行かないけど。

ふと、飛行機の窓の外を見たら小さな星が見えた。
乗客の大半は眠っている。明かりも必要最低限。
音を立てずに、脇から光が入らないようにして窓にじっと張り付いて、夜空を見あげてみた。
だんだん目が慣れて、凍るような大気の上に、たくさんの星が見え始める。

成層圏では星はまたたかない。
光を揺らす大気さえほとんどない。
どこまでも透明な宇宙の入り口。真っ暗で孤独で純粋な闇。
それは星々の共鳴し合う音さえ聞こえてきそうな、神聖な静寂。

泣きたくなるくらい自分を研ぎ澄ましてくれるこの宇宙の静寂に、どうしようもなく魅了される。
完全さとか、神聖さとか、調和とか、人が求めてやまないものの純粋な世界に、ほんの少しだけ触れる。
たった手の平一枚分の、このガラスの向こう側にある、決して触れ得ぬ世界。

成層圏から見る星空なんて、天文家の夢みたいな出来事なのに、日常を切り取ったまま運ぶこの乗り物の中では、誰もそれに気が付かない。
この日常を守るのは、ほんの薄く小さく儚い殻。
その向こう側にある、気温マイナス50度、高度11000メートルの聖地。
それを窓から眺めることしかできない巡礼者。

やがて地球の形をなぞるように、薄明が水平線を浮かび上がらせ、世界を二つに分ける。
境界線が完成するまでのわずかな時間、世界が見せる変容から、目を離せずにいた。

宇宙の闇から、地球が隔てられる時、空は虹のスペクトルの光に、それぞれ徐々に分かたれて切り離されていくのを知った。
やがて桃色に端をたなびかせ、柔らかな稲穂のように、黄金色に霞む雲海。
世界が生まれる。

日の出だけは何度見てもいい。
とても深い満足に至った。


余談だが、ニュートンの最大の発見は万有引力ではなく、スペクトル分光の発見だったという説がある。
彼はその技術を用いて、夜空の恒星からやって来る光を分析し、それ等を構成している組成元素を明らかにした。

遠く宇宙の果てで輝いている星々が、地球と同じ炭素や窒素等からできていることを証明したのだ。
これによって彼は、それまで神話の世界の一部だった宇宙の向こう側の世界が、自分たちと同じ世界の一部であることを解き明かした。
それまで小さく閉じていた人類の意識を、より広大な枠組みの中に拓いたのだ。
これは切り離されていた宇宙と世界がつながる、コペルニクスに匹敵する人類の意識の転換だったはずだ。

光は世界を闇から分けて、彼我を隔てて個を明らかにする。
隔てられたものが、やがて光を通して一つにつながり、より拡大されて、その構造と真実を啓く。
物質世界の体験が、分かたれ、統合され昇華し、魂を開いていく過程によく似ていると思った。
そんなもの思う旅の始まりの朝。


ありがとう。









 

無事着きました

August 31 [Fri], 2012, 16:06

 
とりあえず無事目的地には着きましたー。
今日から早速クラスが始まって楽しんでます。
内容は、自分のワークを補完し、大幅に質を深めることに繋がりそうな気がしています。
たくさん吸収して帰ろうと思います。

持って行った国際使用スマホの扱いがやたら難解で、いろいろ試みたにも拘らず、撮った写真をアップロードすることができません。
一日2時間程しかWI-FI接続の出来る時間がないので、かろうじてメールチェックするくらいしかネット環境に触れる機会がなさそうです。
このスマホで文章を打つストレスが想像以上だったので、SNSもたまに見るだけにとどめます。
この文は、ホストのお家のPCを借りて書いています。
そんなわけでブログの更新はおそらく帰ってからまとめてになるとおもいます。
飛行機で見た成層圏の星空の記事を写真付きで書いたのに、ポメラから移したテキストがエンコードできなくて、文字化けしてブログに載せられなくて残念です。あとのお楽しみに。

事実上、電話もパソコンもほとんど使わない状況は久しぶりなので、しばらくは切り離された環境を楽しみたいと思います。

写真がアップロードできなくて残念ですが、ここはとても綺麗なところです。
外は見渡す限り緑で、木の上に住むカエルが、鳥のような声で一日中鳴き交わしています。
今日は午前中散歩に行き、摘んで来た野生の花だけでアレンジを作りました。
カラフルでダイナミックな植生です。虫も思ったよりはいないので過ごしやすいです。
日本より涼しく、毎日、毎晩雨が降ります。お家で使う水は雨水だけで自給できるようです。

鍵のほとんどないお家です。
中央の大きなワークショップスペースには一面壁がありません。窓の在るべきところにはガラスはないので、一年中心地よい風が家の中を吹き抜けてています。
そこでご飯を食べたり、ワークをしたりしています。
結局寝る時にしか戻ってませんが、個室を頂いたので寝室は快適です。
雨が降った時と夜は冷えるので、上着が必要です。

今回はバックパック一つ分だけの荷物で行ったので、上着はホノルルのトランジットでダウンタウンに降りて古着屋で買いました。帰りも古着屋に寄付して帰るつもりです。
ダウンタウンから帰りのバスの勝手が分からず迷いましたが、なんとか空港までたどり着きました。

そんな小さな冒険があった以外は、今まで快適に過ごしています。
食事は近くの自然食を作っているお友達の方が運んできてくれます。
集中した時間と、良い食事で、身体のリズムが整ってきました。

今朝は近くにいる鶏の声で起こされました。
今ちょうど、隣の敷地の馬が嘶いています。さっき見たら庭に馬が3頭やってきて草を食べていました。
灯りが着いているのはこの部屋だけです。
大部屋の(来て直後にその場にあった花を活けた)チューベローズの甘い香りが漂って、夜の空気を甘く満たしています。
聞こえて来るのは、鳥と蛙と時々降る雨音だけの贅沢な夜です。

それでは明日も早いのでもう寝ます。
おやすみなさい。


ありがとう。









 

流星群とUFO

August 16 [Thu], 2012, 14:19


さーて、書くべきことがいろいろたまってきています。
おかげさまでこの「りゅー日記」も、数日内に10万PVを迎えそうです。
(PV[Page View]とは - ブログアクセス数。1PVはブログが1ページ表示されること)
こんな文章が10万回も読まれたのだと思うと、すごい数字だなと思います。
これからも気を引き締めて、アウトプットしていこうと思います。


〜・〜・〜・〜・〜・〜


立秋を越え、空気が少しずつ澄んで、夜には秋の気配が交じり始めた。
先日はペルセウス座の流星群だったので、河原に観に行ってみた。

毎年、花火やら天体観測やらのイベントをやるのに、今年は直前まですっかり忘れていて、当日動けた内輪の友人だけでひっそりと行った。

夏の夜が好きだ。
全ての季節の中で一番好きかもしれない。

「河原で寝袋敷いて流星観てるよー」という誘いを受けて、あれこれ準備して出かける。
ブルーシートと蚊取り線香は必須。今年は一度もやっていなかったので、コンビニで一番小さな花火を二つ買った。
近所の河原に着くと、すでに何組かの観測者達が、あちこちに点在している。
大学生くらいの子達のはしゃぐ声が近くに聞こえた。

もっとも、こちらのメンタリティーも子供みたいなものなので、とりあえず持ってきた花火を残らずぶちまける。
プロペラが付いた飛び上がる花火を全部一気に着火したら、勢い余って頭にぶつかった。少し焦げた。
残りの手持ち花火で光文字を描こうと踊ったら、思いのほか難しくて面白い。
花火ってのは、たくさんやらなくてもいいのだなと認識を改めた。
少しだけ、思いっきりやった方が密度が濃くて楽しい。

シートに寝転がって見上げていると、静けさが降りてくる。
見えるのは遠くの街の灯と下弦の月。聞こえるのは虫の音だけ。
天の川や昴を久しぶりに見た。空は昔見たままの星空。
いくつか大きな流星が飛んだ。夜空に痕を描いて、強く輝いて消える流れ星。

そういえば、「流星の音」という話をかつて聞いたことがあった。
八ヶ岳の天文台に毎年通っていた学生の頃、その天文台の館長が教えてくれたのだ。

耳を澄まして、星を眺めていると、まれに流星の音を聞く人がいるそうだ。
(本当は光と音は速度が違うので、光と同時に音が聞こえる訳はないのだけど)
たしか、流星が流れるときに、摩擦で光と共に強烈な電磁波を出す。
それが光と同時に、観ている人の長い髪の毛などを震わせて、音として聞こえることがあるという話だった。

宇宙の音。
僕達が耳を澄ませば、星の声はそんなにも近い所にある。

夏の夜に一人空を見上げていると、自分と宇宙はつながっている一つの存在なのだと感じられる。
そしてそれを宇宙の側から、外側からも観ている自分も自然に感じられる。
夜一人空を見上げる時、最も孤独に近い場所にいる時に、なぜか最も外の世界とのつながりを感じられる。
だからずっと、幼い頃から空ばかり見上げてきた。

星を見上げるとき、昔はいつも宇宙側から自分を見ていた。
そしていつからか、地球にいて、地上から空を見上げることが自然に思えるようになったのは、多分、この星で生きていくことに同意したからだと思う。
自分の使命とか、やりたいこととか、地球という星で、この身体でそれを見届けようと同意した頃から、ちゃんと星を見上げられるようになった。

地上にグラウンディングできていない子は結構いるとおもう。
なんとなく自分を異邦人だと感じて生きてきた、そんな思いはよく理解できる。

地に足をつけて生きる(グラウンディング)というのは、実のところそれが出来ないある種の人々にとっては受け入れにくい感覚だ。
僕が感じるところでは、他の惑星にいた頃の魂の記憶とつながりから、今でもこの地上ではなく宇宙にグラウンディングコードが繋がったままのケースがちらほら見受けられる。

秋になったら、いろいろやることを変えていこう。心と体と魂をもっと丁寧に扱って極めていこう。
(ある場所でワーク、セッションをやりませんかというお話を頂いていて、まだ具体的には詰めてないけど、宇宙人スピリットを持った人々のケアとかのワーク機会が増えると思う)

この夏は、いろいろと基本に返ることに焦点を当てている。
内的にも外的にもゆったり大きく動いて整理されていく感じがある。
できるだけ自分の中の純粋さに還って、そこから始め直したいと思う。


明け方、何を思うともなくぼんやりと、ゆっくり夜空を流れる雲を見上げていた。
その時、唐突になんの音もなく、スーッと光の群れが視界を横切っていった。
慌てて、隣で寝息を立てている友人を叩き起こした。

認識する間もなく、高速移動していく光郡。
5機の機体が、雁のようなV字隊列を組んで、真上の空を高速移動していく。
黄色っぽいオレンジの光がそれぞれ3つくらいずつ明滅していた。
カーブをするときに揺らぐ機体の揺れまではっきり見えたから、かなり低い位置を飛んでいたのかもしれない。
雲間に入っていくまでの数秒、僕等はそれを呆然と眺めていた。

流星観測に来ていた他の人がすべていなくなった、朝4時ちょうどだった。
UFOは見せたい人を選んで姿を見せるというから、ひょっとしたら見せに来たのかもしれない。
生きている間に、いつかあれに乗せてもらおうと密かに思った。

興奮冷めやらぬうちに、夜が白み始める。
ああ、夜が終わってしまった。
新しい世界が始まるこの境目の時間には、言葉にならないたくさんのものが確かに存在している。

可能性のままのあらゆる何かと、光と形を与えられて存在を確かにした実体と。
光と影、陰と陽、表と裏。そういうあらゆる宇宙の呼吸が、僕達の認識を隔てて世界を切り取る、その直前の境界。
その瞬間にたった一人、自分の中の宇宙に繋がった一なる部分を感じ、共に在ると、この世界の本質にほんの少し触れることが出来る気がする。

その本質は常に限りなく美しい。
明けてゆく空が、ギフトのように世界を染めるわずかな時間、その幸運にどれだけの人が立ち会うことができるのだろう。

毎日生まれ変わるというこの星の奇跡。美しい出来事に魂を洗えば、人もまた生まれ変わることができる。
世界の本質は真・善・美にしか還らないことを思い出せば、前を向いていられる。
今はそう思えなくても、諦めなければ、それはより大きな善きことの一部であったと知ることが出来る。
どうか大きな視点を、保ち続ける勇気を持つことができますように。


ありがとう。







 

道志〜富士 かんながらの旅

June 21 [Thu], 2012, 11:24


昨日はここのところ毎年の恒例の夏至の大祓え滝行に行ってきた。
台風一過の翌日。空気が清んできれいな朝。

今年は内的にも社会的にも特に動きが大きそうなので、しっかり準備してこようと思ったのだけど。
さすがに台風直後で水量も多く、ダム放水中で川に入れる感じではない。
上流に残土を入れている場所があるらしく、今日は水に混じって土の塊が濁流と共に落ちてくる可能性があるので、さすがにプラン変更。

道志川を遡り、同行の宮田さん等のお勧めの川まで移動。
川の中に所々できている、小さい滝でプチ滝行してきた。
川に入るだけでとても気持ちよく、皆こどもに戻って探検。
Boysはさらに上流まで探検し、広い中州のような空間を見つけて全裸で吼えてたりしてた。

それぞれてんでばらばらに、好きな方向を向き、好きに過ごしている。
誰も同じものを見ていないのに、同じ空間にいて、なんだかまとまっている。
上の一枚は今回のパーティー(一行)の様子をよく表している写真だなと思った。

それぞれがそれぞれの歓びの中心にいて、矛盾なく素直でいれば、周りや全体と最も調和していられる。
中心にいる、センタリングする、率直に生きるとはきっとそういうことだ。

名古屋の方から来て先日までうちに泊まり、クラニオワークしていった剣太郎さんが、今日は河口湖方面に夕方から向かうと言うので、そのまま送って行こうということになった。

他のメンバーと剣太郎さんは今回初対面。
不思議なご縁が導いたこの流れが、ちょっとした大きな旅の始まり。

道志でおすすめのお蕎麦をいただき、アゲの大きさに驚き、
途中で富士洞穴を見つけては、立ち寄り寒さに凍え、
浅間神社があるといってはお参り散策し、
ようやく河口湖駅に着く。

すると剣太郎さんが乗るバスは1時間後だという。
1時間あったら目的地の本栖湖まで行けちゃうのでは?
行く?
行っちゃう?
行こうか。

そんな感じでそのまま全員で本栖湖まで移動。
これが正解。旅はいつもかむながら(神ナガラ)。
流れに任せて導かれて行けば、最良のギフトが与えられる。

素敵そうな湖畔の景色を見つけては降りて遊び、
5千円札の富士の写真のスポットを見つけて降りて写真を撮る。
本栖湖の水や風がとてもきれいだったので、夏にまた来ようと約束をする。

龍のように山間に横たわる雲の上に、
傘を脱いでいく富士の影。
雲が開き始めた夕景の色彩の中で、
世界が神様のパレットを覗くように変化していく。
なんかもうおなかいっぱい。

彼を目的地に下ろし(夏至から4日間かけて、南米のシャーマンと富士を旅するワークショップの通訳をするそうだ)、帰りにホウトウでも食べて帰ろうかというところで日が暮れる。

充実した一日だった。
きっとこれからもっともっと手放した生き方になる。
与えられたギフトをありのまま受け取り、流れのまま行こう。


ありがとう。









 

無駄と本気で生きる

May 09 [Wed], 2012, 17:41
 写真はチョーさん

先日久しぶりに、珍しくふっと飲みたくなって、ワインカクテルとチーズを買ってきて、ショーン・コネリーの映画を観た。ああいう年のとり方をしたいものだ。

なんか大人っぽい雰囲気に酔ってみたかっただけなんだけど、翌朝案の定蕁麻疹が出た。
缶カクテル一本だけだったんだけどなぁ。昔からアルコール摂ると出てたけど。
大人になれば変わる体質とかではなかったらしい。体は大事にしようと思った。
やっぱりお酒ももういらないんだなぁ。年々必要ないものが増えていく。
もっとそういう人生の無駄も楽しみたいんだけど。

と思ったら、こんな言葉見つけた。


『何やってんだろ、今の私(俺)、とか言って自分を責めたり、情けなく思わなくていいからね。人生なんか90%は無駄なんだから。あとの10%でカバーしているだけなんだ。だから、大いに無駄していいよ。』 (志茂田景樹)


だよね。
志茂田景樹って奇抜な格好で知られるけど、本当はすごく優しい人だと思う。
自分に率直に素直に生きて、好きなことを本気でしているだけだ。
そういう人のほうが好きだな。友達になれると思う。

読売ニュースにこんな記事が出ていた。
就活失敗して自殺しちゃう子が増えているんだって。4年で2・5倍だそうだ。

そういうのって本当にもどかしい。
人生にはいくらでも他の生き方があるって教えてやりたい。

そんなことで死ぬな。
お前達を否定するような、価値観の偏った社会に否定されるままでいるな。
オルタナティブ(代替案)は常にある。
生きるって、働くって、与えられるだけじゃなくて創り出すものなんだよ。
柔軟に楽観的にひたむきでいれば、今すでに持っているものと、心が歓びを感じている方向性の中に必ず次の答えがあるんだよ。

本気でやれば大抵なんとかなる。少なくても次の行き先は見つかる。
死ぬ覚悟があるなら、とことんやればいいのに。
自分が守っている小さなプライドや世間体なんか、生きる歓びと可能性を味わい尽くすことに比べたら、秤にかけるのも馬鹿げた小さなものだ。

自信に理由なんかいらない。もっと自惚れろ。
自分にしか出来ないことがあると信じろ。必ずある。

自分は宇宙にあって、たった一つの代わりの利かないピースなんだから、自分が今ここにいることの意味をきちんと見つけろ。
意味なんて、与えられるんじゃなくて創りだすものだ。
自分の魂の喜びに従って感じる方向を目指して歩けば、それが意味で目標だ。

どうせ逃げたって逃げ切れないんだよ。
自分の決めたことが自分の人生のバランスを決める。
ある場合に何を選ぶかっていう、その人の決定のあり方は、その人の辿る人生の質になる。
だから、妥協していると生き損じるよ。

それは間違っているとか、こうあるべきだっていうことじゃなく、自分が得られたであろうあらゆる可能性をみすみす見送ることになるよっていうこと。
それがもどかしい。

どうやったら、本来持っているその人自身の可能性と質を、思いっきり開いてそれが活かしあえる世界になるんだろう。
どうして誰も、君はそのままでいいって言ってやらないんだ。

そういうことを言ってやれる大人になりたい。
そういう生きやすい世界を創りたい。
待ってたって、文句だけ言って人のせいにしてたって、何も変わらないんだから行動できるようになりたい。

とりあえず方向を教えてくれるモデルを学びに、今月から勉強してきます。
ちゃんとした形で何かを提案できるスキルが欲しいし、インプットやアウトプットの効果的な仕方と、それを表現する手段、方法、まだまだ足りない。

どちらにせよ、出来るかどうかという問いかけには意味がない。
選べるのは、やるかどうかだけだから。
無駄を楽しみつつ、やりたいことをやろう。


ありがとう。









 

そして時は動き出す

April 28 [Sat], 2012, 3:35


気が付けば桜の季節も過ぎて、遅かった春はもう新緑を迎えつつある。
しばらく書くという作業から遠ざかって、最近はもっぱら、歌うとか作るとかに興じてた。
(写真は今盛りの近所の八重桜)

なんかここ数日もやもやしていて、そういえば最近文章を書いていないなと思い至った。今日はちょっと出てくるままに書いてみる。

書きたい書きたいと言いながら最近何も書いていないので、だんだん宇宙からプレッシャーが掛かってきたんだろうね。
そういうときは内省する機会と、テーマと、それにまつわる感情と、まとめる時間と、必要なものが全て用意される。
ようするに暇になる。それでたくさん考える。
でも最低限生活を維持するだけの収入は入る。(それをちょうど与えてくれるのは見事だけど)

いかんいかん、このお膳立てで何もしないでいたら本当に仕事干されちまうぜ。
お前は言葉屋で何かを為したいんだろ、しっかりしろよっていうことなんだろうな。ラジャ(了解)
幸いにも暇になると、フラストレーションや感情やなんやで心的内圧は高まる。
何かを表現したくなるのはそういう時。
それが出きって、濾過されて残った透明な言葉を集めて束ねたら、多分自分の作りたいものになる。
少しずつ、少しずつ。


実は前回の新月前後に大きな気付きと手放しがあった。
ちょうどアースデーの直前辺り。
(おかげで野原の真ん中で気持ちよく歌ってこれたわけだけど。
野外ライブは開放的で素敵だった。音楽って素晴らしい)

眠れない夜中には、時々ソファーに座って瞑想する。
その時かかっている音楽はわりと重要で、それが気付きの質を決めることは多い。
その時は、”さよならを知るための旅”がテーマの映画のサントラだった。

18年ものの囚われを自分の中に発見して、とても懐かしく、そして未だそれがそこにあったことに少なからず驚き、感謝し、愛し、手放すという作業をした。
それは作業というよりは、大切なものを見送るための、自分のためだけの儀式だったのだけど。
自分の中に止まっていた時を動かすための、とても大切で神聖な時間だった。

「時」は「解き」。それはどんなに留めておきたくても、いつか動き出さなければならない。
ちょうど、古い書類や本類をいっせいに整理した直後で、思えばそれも必然だった。

凍っていた時間を動かすということ。それは想像以上にとても大切なこと。
ヒーリングやセラピーの世界は、その閉じ込められた「時」を扱う分野だ。
正確には身体や、生命エネルギー場の中に閉じ込められた「時」、つまりその時の思いや、感情のエネルギーのことだけれど。

「科学は空間を扱い、宗教は時間を扱う」
先日書類整理するときに処分した、古い大学時代のルーズリーフにメモされた言葉。(宗教科専攻だったので)
そして空間と時間は同じ一つの世界の性質を表す言葉だ。
どちらも一方だけでは存在できない。同じ宇宙の別の側面だから。

調和して、全てのレベルで一致して生きるということは、そこに蓋をされたものがあってはいけないのだ。
私達はどんなときも今を生きなければならない。
そうでなければ、今ここに生きるということのリアリティーが失われる。
それは本当に、生きるというこの貴重な体験の大きな損失なのだ。

目を閉じて何も見ず、感じようとしなくても、日常は過ぎていく。
そして実際に目覚めてみるまでは、自分が生きていた世界が、自分の作り上げたバーチャルリアリティーだったということには気が付かない。

動き出す許可を与えるまで、その閉じ込められたものはずっとそこにある。
つまり自分が、自分の意思で動き出すことを決めるまで。

神、宇宙(なんと呼んでもいいけど)が人に与えた自由意志とは、何かをするかしないかの自由ではない。
その自分自身の真実を、いつ体験するのかという自由だ。

だから必ずそれに向き合う時が来る。
時が傷を癒し、自分が向き合うことが出来るときまで、宇宙は待ってくれる。
それはきっと、宇宙が与えてくれる優しさなんだと思う。


僕の好きな映画『ドンファン(主演:ジョニー・デップ)の中に、出てくる好きな言葉がある。


『人生で大切な問題は4つしかない。
 神聖とは何か
 魂とは何か
 命の意味は
 死の意味は
 答えはすべて同じ。「愛だ」』


愛なんだよきっと。
詰まるところ、結局どの道を辿ってもそこに行き着いてしまうんだ。
そうでない言葉をどんなに探してみても、どんな言い訳を見つけようとしても、その感情と体験を表す言葉は一つしかない。

凍っていた自分の時を動かすことを決めたとき、そこに生まれたものはただ愛と感謝だった。

本当に一つの体験の輪が閉じるとき、そこには膨大な時間や想いやエネルギーが存在し、それが昇華して一なる根源に還るときに、とても美しいエネルギーに変わる。
それは純粋な混じり気のない、宇宙に起こる出来事の全てを構成している
源とでも言うべき何かだ。
だから何かを手放すとき、そこに愛がなければそれは本当に手放したことにはならない。それが真実だと思う。

ある出来事は、それに関わった全ての魂たちが、創り上げた壮大な物語。
それを体験させてもらったんだよ。ただ私一人だけのために。
それらの無数の物語が織り成して、宇宙に遍くたくさんの気持ちや体験を生み出して、紡いで与え合って、それが愛でなくてなんなのだ。

たとえその時はそう思えないものでも、それを手放し、体験の輪を閉じるときにはすべて愛になる。
そう考えたら、すべてが温かで、愛おしいものになる。
たとえ時間は掛かっても、そう思えるために生きるのなら悪くない。

だから、もっと自由に生きていいんじゃないかなと思う。
自分の可能性を押し込めずに、最大限に、愛を持って表現する方法があるはずだ。

閉じ込めているのも、動き出すのも、自分で決めることだから。
理由はいつも外側ではなく内側にあるものだから。

本当の魂の形を、自由に描いて、その通りに生きていい。
それが容易だとは思わないけれど、もうチャレンジしない生き方には意味がないから。

そんなことを思った夜。


ありがとう。




〜・〜・〜・〜・〜・〜


 〜ネルソン・マンデラのスピーチ〜 


私達のもっとも恐れていることは、
自分の力のなさではありません。

私達がもっとも恐れているのは、
自分に計り知れないほどの力があるということなのです。

私達をもっとも怯えさせているのは、
私達の中の闇ではなく、私達の光なのです。

私達は自問自答します。

「自分が、卓越して優れ、魅力に溢れ、才能があり、素晴らしいなんてことがあるだろうか?」と。

でも、そうでないあなたとは、一体何者なのでしょうか?

あなたは神の子なのです。
あなたが取るに足らないものとして謙遜していることは
この世界のためにはなりません。

周りの人が不安がらないように縮こまっていることは、
全く賢明ではないのです。

私達は誰もが輝くためにいるのです、子供達のように。

私達は内なる神の栄光を顕現するために生まれてきたのです。

それは私達の何人かにしかないものではありません。
誰の中にもあるのです。

そして、私達が自分に輝くことを許すとき、
意識していなくても、それが他の人達にも同じように輝くことを許していくのです。

私達が自分の恐れから自由になるとき、
私達の存在そのものが、自然に他の人達も自由にするのです。






ルイ・アームストロング〜What a Wonderful World












『GAGA(ガガ)』 レポート

April 09 [Mon], 2012, 13:07


イスラエル発祥の動きのメソッド、『GAGA(ガガ)』のクラスに行って来た。

舞踏家が創ったメソッドなので、身体表現や動きの中での内観を多用する。
身体の内と外にイメージを創り、それを感じ味わい表現する。

「背骨がパンの生地のようにどこまでも伸び縮みして・・・」
「足が重くなり、水の中を動くように・・・」
「自分の中を満たす赤インクが、その水に一瞬で溶けて・・・」

身体の前を閉じるのではなく、背中側を開いていくと考える。
目の前の人を正面から見て、動きと表情の中で言葉を使わずに感情を伝える。

自分は一つ一つのイメージをゆっくり味わいたいので、少し展開が速くて戸惑ったが、メソッドとしては身体意識を開くのに有効だと感じた。
家で一人か少人数で、自分のペースで試してみたい。多分自分なりにもっと使いやすくアレンジできそう。

個人的な印象としては、ヴィジョンと音楽に導かせる活元って感じだった。
歓びと楽しさに焦点を当てて、生命力を鼓舞している感じは素晴らしい。

イスラエル発祥ならフェルデンクライス等の影響は多分に入っているのだろう。
OSHO系のアクティブ瞑想(個人的には一気に出したいときはこっちがお勧めだけど)よりも比較的穏やかで扱いやすい印象。
ボディワークとの相性もよさそう。野口整体の体癖の考え方や、ロルフィング等の動きとつながりの解剖学の理解があれば、もっと深い体験ができそう。

終わったあとの意識状態がかなり拡がっていて面白かった。
ハートの、特に背中側が開いていてスペースを感じ、自分の領域が大きくなっていた。
その場の空間にいる人々の存在とエネルギーを、全て拡がりの中で知覚していて無理がない。視野が大きくなっている。

この状態は心地よい。だけど空間にある全ての存在やエネルギーを知覚してしまうと、人込みの街並みの中では情報過多になって疲れそうだと思った。
高速バスやトラックの運転手等、高い位置と広い視野の中でたくさんの情報処理を行う人にありがちな疲れ方をしそうだ。

ハートセンターが開いて多感になっていると思うし、この拡がった状態を維持して過ごすには、きちんとしたグラウンディング、センタリングの指導が必要だと思う。
そこに関しては注意が向けられてはいないようだったが、舞台表現由来のメソッドなので、多分心身を開くということに関して主眼を置いているのだろう。
セラピーとして扱うには注意が必要かも。
この意識を日常生活で維持できたら、相当心地良く過ごせると思うから、ただ踊って帰すのはもったいないなと思う。
扱うにはまだ要研究か。まずは一人でいろいろ試してみよう。 


とりあえず明後日水曜日は森のテラスを一日借り切ってあるので、セッション予約のない時間はテラスで桜と風を感じながら踊っていると思います。一緒に遊びたい方はどうぞー。
(複数お部屋があるので、セッション中同じ場所にいなければいても大丈夫です)


ありがとう。



〜・〜・〜・〜・〜・〜

4/11(水) 『さくらニオ』day

桜の木の下、あたたかい風と光と花霞む空を見上げながら、クラニオセイクラルのボディワークを受けられる今年最後の機会。個人的には超お勧めな企画です。今まさに満開

午前枠(10:00〜12:00)と
午後第2枠(14:00〜16:00)はまだ空いてます。
お申込み 









 

無題

April 04 [Wed], 2012, 6:42



彼誰時の雫は世界をあらい
呼び声は語りかける

残照の名残は位相をずらし
また見えなくなるだろう

眠りの美しさを保つ夜明けが
彼方に光を携え始まりを待つ頃

少年は未だ光了を唇に閉ざし
何を想うや 何を想うや










 

丹田に意識を下ろして生きる

February 24 [Fri], 2012, 4:35

 
昨日はセルフメンテナンスデー。
友人のきーちゃんところでボディとエネルギーを整えてもらう。
やっぱりボディワークは自分でやるより、やってもらう方が気持ちいい。

ワークを受けながら、この人のやっていることはなんだろうって感じてみてたら、いまいちワーク(仕事)っていう言葉に違和感があった。
なんか自分の身体でも人の身体でも、そこで起きることを観察して楽しんで遊んでいるみたいに思えて、優れた音楽家が楽器を通して演奏しているような印象があった。

「君はワーカー(worker)っていうよりプレーヤー(player)だよね。探求して、遊んで、奏でて、調和を取ることを楽しんでいるよね。ボディプレーヤー(Body Player)って感じ」

そう言ったら、途端にキャッチコピーが降りてきた。

『あなたを奏でます あるべき和音へ』

なかなかいいじゃないか。名刺とかにもなりそうだ。
的を得ていて、きーちゃんの受けもよかったので、その人のキャッチコピーを考えるとか、コンサルティングメニューに加えられないかなとかちょっと真剣に考えてみた。
ご希望があればやるかもしれないので試してみたい方は打診してみてください。



さて、今回の気付きは「丹田に意識を下ろして生きる」ということ。

丹田に意識を降ろすなんて、飽きるほど言われてきたことなのに、ようやくその本当の意味を体感的に理解した。
これはすごいよ。変わる。別の人みたいって言われた。

体の真ん中(丹田)から、ヒトデみたいに手足をはやして、頭は飾り程度に意識して丹田を中心にして身体操作すると、人間の生命としての野生と直観が研ぎ澄まされる。
身体意識とかハイアーセルフとの接続とか、グラウンディングとか姿勢とか、圧倒的にクリアになる。
武道の達人とかの身体意識を理解できた。纏う空気まで変わった。

そしてこれは昔の武士とかの身体感覚だなと思った。
重心が降りて、生きるということのリアリティが増す。
日本人の死生観では、霊魂(生命の実体)は腹に宿るものだった。
だから自らの命を差し出すと言うときに腹を切る。(西洋では頭を撃ち抜く)

たとえば大昔のご先祖様である原生動物は、口と腸しかなかったわけで、要は腸が異物を認識して、身体(カラダ)に必要なものとそうでないものを見分けていた。
つまり腸が考えて、個体の生命維持の指揮をしていたということ。
今でも腸は、人間の身体の中で唯一、脳を経由せずに、反射で異物を拒絶することのできる臓器であり、事実、腸の神経細胞数は、脳のニューロンネットワークに匹敵する。

異物を認識するということは、自分とそうでないものを判断しているということ。
つまりどこからが自分で、どこからが他者なのかということを理解している。
個体存在としてのアイデンティティー、言い換えれば意識を持っているということだ。

ならばそこを主とした生命の在り方はありだ。
脳がサポートすれば、人の生き方として成り立つだろう。

マクロビとかでは、腸は第二の脳なんて云われ方をしているけど、実際は腸が第一の脳なのだ。
脳みそこそ、後付けの第二の脳であって、複雑化する情報処理に特化した臓器として、後日付け加えられたスペックなのだ。
したがって何が言いたいかというと、サバイバル、生命のリアリティ、実在感ということに関しては、圧倒的に腸のインテリジェンスが優位であるということ。

通常の脳みそ優位の意識を、腸(丹田)に降ろして生きるだけで、ものすごい開眼があった。
これは、生きているということの純粋な体験そのものだ。
最近一番コペルニクス的転換だった出来事。腸意識は超意識。

結局、身体(カラダ)を無視しては生きていけないのだ。
人間としてここに肉体を持って存在している以上、心だろうが、魂だろうが、高次の意識だろうが、この身体こそが、その存在を結実する座標なのだ。
ここがぶれていたら、生きていることのリアリティが希薄になるのは当然だ。

軽やかに、今ここだけを、一個の生命として生きることが出来たらなんて美しいのだろうと思う。
余分なことを考えず、あらゆる囚われから自由になって、生きているという体験そのものを味わえたら、それは天国を身体を持って生きているのと同じことだ。

人間の問題の大半は、囚われから生じているのだろうと思う。
囚われているのは意識であって、さらに言えば主には左脳的ロジックと感情の起伏に起因するものだ。
心配や不安は、過去の体験から来る反応パターンと、未来への憶測の中にしか存在しない。
つまり脳の作り出す幻影であって、実際に今ここにあるものではない。

ということは、囚われをなくせば問題はなくなる?
脳優位の意識が囚われを生んでいるのであれば、もう一つの脳に意識の中心を降ろせば囚われを手放せるのでは?
だって、腸意識は超意識だから、思考から自由だ。今ここという実在しか認識しない。

その上で必要に応じて脳で処理する必要のあることは処理し生活するとしても、意識と判断の中心を脳から丹田(腸)に移行したとして、問題があるだろうか。

待てよ、これって仏陀が言っていたことそのものだ。
囚われから自由になること、執着を手放すことが中道の真髄だったはず。
陰陽(原因と結果)に偏らず、今ここにありのままあること。
ありのままの全てを、ありのまま認識して体験することができれば、それは悟りであり、完全なプレゼンスを生きるということじゃないか。

腸すごい。

囚われという口(ハコ)から出すことで人になる。
じゃあ、むしろこれが生命として自然なあり方だ。

今年に入ってヤクルトとヨーグルトを多く摂るようにしたら、なんだか腸が活性して腸意識が目覚めてきた。
これからの時代をサバイバルしつつ、プレゼンスを保ったまま軽やかに生きていくためには、必要な身体意識かもしれない。

腹に居て、心で感じて方向を決め、頭で具体化する。
それがバランスの良い生き方の気がする。
今はそんな風に感じる。


ありがとう。




余談:
丹田に意識を降ろして生きるという身体意識にして、エネルギーワークを行ってみたら、かなり違う手ごたえと変化があってとても面白かった。
身体の中枢軸のどの層に意識の中心を置いてワークするかによっても、対応する質が変わるようだ。要研究。楽しみが増えた。









 
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