後退する大人の美意識に対する提言

March 31 [Sun], 2019, 0:56

我が意を得た素晴らしい指摘なのでどうしてもシェアしておきたい。

何という美しくも鋭い品位のある指摘だろう。文学の存在しなければならない意義がひしひしと伝わってくる。
この品位を養うための基盤が社会全体で劣化している事をこそ憂う。
言葉は意識の不可欠な栄養素だ。その感受性を育む土を汚染させてはならない。




『後退する大人の美意識


 「幼稚化」と書いて、あわてて、「幼児の方がまだましな意識を持っている」と思い直して「後退する」に書き換えました。
 世も末だと、最近思うことが多かったので、あまり驚きませんでしたが、最近、横浜に作られた「うんこミュージアム」というアミューズメント施設の記事を読んで、ただ嘆息しました。このような状況を喜び、はやし立てるモラルが確固として存在している状況、進んでいった経済至上主義の前には、大人のモラルや美意識も歯止めが利かなくなったということでしょうか。
 幼児が「うんこ」について興味を持つのは、それが大人社会でのタブーとして認識されているからです。大人が嫌がり怒るタブーを敢えて口にすることにより、社会ルールに逆らい、その場では大人と対等の立場を確保できる。そして、それが自分自身の生産物であるという自信と興味から、うんこに対しての愛着となる。いわば彼らの自立の道具としてのうんこの役割があります。
 それはいわば楽しさや探求とは関係のない、本能的な快楽に裏打ちされた興味です。それを大人が「子どもの純真な興味」とはき違え、またビジネスとの道具として、大人がタブーを標榜してしまっている…。
 ミュージアムには、若い女性もたくさん訪れているらしく、オブジェを持って写真を撮る女性たちの写真が載っています。「かわいい!」と思っているのでしょう。でもその姿はいずれ、歴史の教科書にも紹介されるほど滑稽であると本人たちは気づいていないようです。若い彼女たちは、まるで精神的な成熟を拒否し、大人に対しての反抗心を自らが後退することによって満たしているようにも映ります。
? 彼女たちが大人と見出すのは、無感覚で生きざるを得ない大人像や、おそらく社会全体が持つ閉塞感、異常な高齢化社会に対する不勉強や偏見もあるように感じます。弱者が生きにくい世の中をことさら強調するニュースを浴びて成長した彼は当然のように経年に対しての嫌悪感を育てていったことでしょう。そしてそれは、自らの経年に対する拒否にもつながっている。
 経済的に劣る者、生産性のないものが、弱者となるゆがんだ社会の闇を、彼女たちは知らず知らずのうちに血肉にし、自らの美意識をゆがめても体現してしまったのかもしれません。その闇を作り上げたものこそ、最新技術でデコレーションすることにより、タブーも金に換えられると信じている、このゆがんだ社会であると思います。
 おそらくミュージアムは、大人も流れによって楽しむことで、子どもにとっては大人を困らせる道具としての意味を失い、ただの乾いた時代のあだ花的な場所になると思います。


 「うんこ」を使った勉強の本が売れた理由は、タブーに挑戦する子どもの自立心を捉え遊び心を刺激して勉強の負のイメージを隠したためだと思われます。それで勉強をするようになったと喜ぶのであれば、うんこが出てくる構造のドリルを与え続ける必要があります。 
 品のない言葉によってタブーの基準がゆがもうが、「子どもがドリルをする方がよろしい」と、うんこを肯定して喜んで与えてしまった親は、子どもたちが今は表にでなくても様々な感性の弊害を背負ってしまったことには意識が及んでなかったのかもしれません。


? 子どもの美意識などまったく意にも留めず、表現が奇抜で面白い、大先生、とあがめられ多額の印税を手にした絵本作家。斜陽の出版業愛をけん引しているという自信のもとに、莫大な金を儲けて喜んでいる出版社。
? 彼らのなんら歴史的な贖罪も問われることはありませんし、社会的な信用は多くの人に支持されたかれら彼らの側にあります。これから数年以内に本を売り切り、何事もなかったようにまた売り切る絵本を作りつづけ、それがまたヒット作になっていくのでしょう。


 私たちが「美しいもの」にこだわりつつけているのは、彼らから見れば時代遅れなのかもしれません。品のない言葉が児童書業界にさえ氾濫する現状の中では、マイノリティーと言えます。またこの記事を読まれて、少なからず共感されるかたも、おそらく少数派に属されているのでしょう。


 今回の出来事は、そのまま絵本の業界の状況にもあてはまります。
?売れる物を如何に売るかがビジネスの原理ではありますが、扱っている物は、子どもの心を育てる大切な道具であるという認識が決定的に欠けている。
「子どもの為を想って」「子どもが楽しめる」「面白い」その程度を考えるのは、あたかも「平和」を語ると同じく、踏まえておくべき当然の認識で、さらにその上、子どもと親の10年後20年後を見据えて作るのが本来の絵本であると思います。その意味で、あまりにも浅い文学性で、絵本をしたり顔で作っている編集者が多いと言わざるを得ません。
 現在の消費的な絵本を一般化させた大きな責任は、このような職人感覚の摩耗にあると私は思います。


 面白い、楽しい、美しいは、個性によって違うからこそ、可能性もあるものですが、その共通する基準を育てていっている幼児に対して、大人は、先人としての責任があるのではないでしょうか。
 個々の共通点を見極め、全体的にあるべき方向へ導いていくのがこの時期の文学の役目であるのではないでしょうか。それを不勉強なままで、ただ売れることに特化したデザイン性が絵本の意味であるとはき違えている大先生方があまりにも目立っていると、私はメディアの在り方にも疑問を持っています。


 ある一部のクリエーターがしかけることで、絵本が何万分も売れる。それは奇抜で、一部の有名人の「おもしろい」という軽い言葉に裏打ちされ、ネットで配信される「話題」という文句と共にあたかも万人の支持を得ているように装飾されたコマーシャルを通して本来以上の価値をもった存在になる。
 その一方で、70年前から読み継がれているような幼い心を満たしてくれる宝物のような絵本が次々と絶版になっていく。
 絵本は、小さな人たちと共有できる唯一の文学です。だからこそ、社会の文化度を測る尺度にもなり得ます。この国の文化度を測るとすれば…
 一昔前なら「品がないことをするな」という言葉で一蹴されてきた美意識が、居住まいを正して説明しなければ理解されなくなった世の中。
 危機感を抱いているのは私だけでしょうか。


 小さい人たちが絵本を選ぶ基準はそれぞれです。
「これがいい」「かわいい」と思うその気持ちに対して、「これは品がない」などという権利は誰にもありません。
 それがかけがえのないその子の個性なのですから。
 認め、励ましてあげるのが大人の役目です。ただ、その個性を作っているのは、大人が作り上げ、知らず知らずのうちに子ども影響を与え続けていた「環境」であることも忘れてはいけません。
 大人にはその環境を整えて、個性の形をつくっていく重大な責任があるのです。その責任をテレビや幼稚園に押し付けて、勝手に手にした興味と思うのは、長い目で見ればネグレクトにも等しい怠慢でもあります。その小さな角度の違いが、小学生の高学年になっても「ゾロリかマンガしか読まない」という小さな現象になって表れても、その理由を省みることもなかなかありません。 その時期に、心を動かす文学作品に慣れ親しむことができた環境もたくさん存在したのにもかかわらず。その感覚が生きていくのに役に立っているかどうか、文学とは普段は役には立たないのかもしれませんが、魂を根底で支えていくものです。それすらも問われることもないかもしれません。


 文学を忘れた大人の後退。誰かが言葉を言い続けなくてはならないように思います。それが、私たちが引き継いだ絵本に関わる職人としての誇りでもあります。
 私はまだあきらめてはいません。この小さな絵本屋で何ができるのか。あともう少しだけ、この抵抗を続けていきたいと思います。

                           蓮岡 修』

世界が変わる時

March 21 [Thu], 2019, 18:50



世界中の中高生たちが動き始めた!
時代の変わり目に僕等はいる。これほど大きく希望がうねりを上げて動き始めたのを私は始めて見た。
新しい世代の何という希望に満ちた力強さ。
16歳の環境活動家に動かされ、この星を本当に憂う世代がこんなにも同じ方向を向いている。
右でも左でも過去でもなく、ただ未来を守り、前を向くために声を上げている。

本来ならこれはインディゴ世代の私達の役割なのに、本当に不甲斐ない。
君たちが動かずとも安心できる星を創る仕事に僕等は間に合わなかった。
せめて共に行こう。一緒に歩こう。
自分達のしてきた間違いを認め、新しいこの星の在り方を創り直そう。

僕等はまずこれをするために地球に来たのだから。
そして新しい時代の平和を分かち合うことを始めていこう。



3月15日、116か国の1905か所という空前の規模で、気候変動の危機を訴える子どもや若者によるアクション”FridaysForFuture”が行われた!!#FridaysForFutureで検索してみてください。









以下第24回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP24)演説内容書き起こし



私はグレタ・トゥーンベリといいます。15歳です。スウェーデンから来ました。「クライメート・ジャスティス・ナウ」の代表として演説しています。
スウェーデンは小国なので、私たちが何をしようと問題ではないと言う人がたくさんいます。

でも私は、どんなに小さくても変化をもたらすことができると学びました。

もし、たった数人の子どもが学校へ行かなかっただけで世界中の注目を集めることができるのなら、私たちが真に望めば力を合わせて何ができるかを想像してみてください。しかしそのためには、それがどんなに不快なことであっても、はっきりと発言しなければなりません。

あなた方は人気低落を恐れるあまり、環境に優しい恒久的な経済成長のことしか語りません。非常ブレーキをかけることだけが唯一の理にかなった対策なのに、あなた方は私たちをこの混乱に陥れた、あの悪いアイデアを推進することしか口にしません。

それは大人気のない発言です。その重荷をも、あなた方は私たち子どもに負わせているのです。でも私は人気取りのことは考えません。私は気候の正義と生きている惑星のことを考えます。

私たちの文明は犠牲にされています。ごく少数の人たちが莫大なお金を稼ぎ続ける機会のために。

私たちの生物圏は犠牲にされています。私の国のようにお金持ちの国の人たちがぜいたくな生活をするために。その苦しみは、少数の人のぜいたくのために、多くの人たちが払う代償なのです。

2078年に、私は75歳の誕生日を迎えます。もし私に子どもがいたら、一緒に過ごしているでしょう。子どもたちは私にあなた方のことを尋ねるかもしれません。まだ行動できる時間があるうちに、なぜあなた方は何もしなかったのかと。

あなた方は、自分の子どもたちを何よりも愛していると言いながら、その目の前で、子どもたちの未来を奪っています。

政治的に何が可能かではなく、何をする必要があるのかに目を向けようとしない限り、希望はありません。危機を危機として扱わなければ、解決することはできません。

化石燃料は地中にとどめ、公正さに目を向けなければなりません。この制度の中で解決することがそれほど難しいのであれば、制度そのものを変えるべきなのかもしれません。

私たちは、世界の指導者たちに相手にしてほしいと懇願するためここへ来たのではありません。あなた方はこれまでも私たちを無視してきました。そしてこれからも無視するでしょう。

私たちは言い訳を使い果たし、時間も使い果たそうとしています。

私たちは、あなた方が望もうと望むまいと、変化は訪れると告げるためにやって来ました。真の力は人々のものなのです。

ありがとうございました。









 

シエスタ通信に参加しました

April 04 [Mon], 2016, 0:58





素敵な歌い手、環輝 美帆さんの歌のメルマガ動画、シエスタ通信の最新19号にご一緒しました。
おなじみのお友達ライアー奏者の宮田 美岳さんもご一緒です。



「新年度スタート!!!
どんな流れになるのか?をズバリ、リーディング&アドバイス!!
今回は二度目の登場、旅人の樹のりゅーさん、こと貫山貴雄さんです!!
年末に2016年がどんな一年になるか?というリーディングをしてもらいましたが、今回は新年度始まって、さぁこれからは?というところを聞いています!!
なかなか素晴らしいお話をたくさん聞けました!!

ぜひ、今後の参考に聞いてくださいね!!

そしてもう1人のゲストはおなじみ、ライアー奏者のみやたよしたけさん。
今日の一曲は映画「天空の城ラピュタ」のテーマ「君を乗せて」です!!

ご覧ください!!」




2016/04/01 に公開
ラブ・シンガー 環輝美帆  
歌のメルマガ動画「シエスタ通信vol.19」
メルマガ登録フォーム

ゲスト 
旅人の樹主宰 セラピスト ヒーラー
貫山貴雄(りゅー)

ライアー奏者 みやたよしたけ

今日の歌
「君を乗せて」カバー
ライアー みやたよしたけ
ヴォーカル 環輝美帆









 


シェア:『無料ハイアーセルフチャネリングメッセージ』 2

January 16 [Sat], 2016, 16:19


移転記念企画 『無料ハイアーセルフチャネリングメッセージ』
本日もいくつかご質問を頂きましたので、可能な限りお答えせて頂いてます。
本日のシェアはこんな感じです。







ご質問:
声で表現することをしたい、歌いたい、という気持ちが何年もありますが、いつも歌おうとすると怖さが湧いたり、自分の声をジャッジしてしまって、なかなかチャレンジできませんでした。
ですが、ここ数日また湧き上がってきたので、「今だ!」と思い、ドキドキしながらもチャレンジしたいと思っています。
また、楽器も気になっています。(モノリナが気になり始めました)
歌や楽器で表現するということが、私にとってどういう意味を持つのか、
そしてこんな方法でやるといいよ というアドバイスみたいなものが聞けたら嬉しいです。

「光を歌に変えなさい。
あなたは純粋な光として、魂を輝かせる道を求めました。
求めるものが本当に欲しいものだからこそ、人は躊躇し怖れを抱きます。
あなたの本当の恐れは他者からの評価ではありません。
自分の本当の可能性に気がつくこと、自分自身の偉大な光を思い出してしまうことです。
自分自身が持てる最大の可能性に向き合う時に、人は大きな怖れを抱きます。
あなたが作り上げてきた自身の殻が壊れ、まだ見たこともない自分になってしまうことを恐れるのです。
躊躇わず前に進み続けることです。あなたの心を震わすすべてのものが、あなたの楽器に成り得ます。
ですが本当の歌は、あなたの魂そのものが震える音とその声によって奏でられます」



〜・〜・〜・〜・〜・〜


ご質問:
新しい「人の言葉を使わないものたち」との通訳というセッションメニューは、
もっとセッションで家計安定を計ることを考えた時には貴重な収入源なのかもしれないのですが、
前世からのお返しだと思うと、ここは無料(or @\1000/H)で良いのではないかと・・・思う私がいます。
そこで、ヒプノやカウンセリング、他講座の宣伝をして繋がれば良いのでは!?
自分の能力を卑下しているわけではなく、その方が本当に嬉しいと感じるのですが、
それでいいですよね〜♪

「自分が本当に嬉しいと感じることをしてください。
あなたは自分の望みを理解しているので、それについて許可や保証を求める必要はありません。
お金を介在しない仕事は、お金で計れないギフトの循環をもたらします。
あなたの心がそれを受け取りたいと願っているのなら、それが今受け取るべきものです」



〜・〜・〜・〜・〜・〜



ご質問:
私には現在、夫と一人の子供がいます。
私は、さらにもう一人の子供をもうけたいという希望をもっていますが、夫がなかなか賛同しないため、結論が出ないまま時間だけが過ぎていく状況です。
今年4月になったら、子供が幼稚園に通い始めるので、夫の希望もあり、空いた時間を使って仕事を始めることになりそうです。
現実的には、仕事を始めてしまうと、妊娠・出産は難しくなると思います。
年齢的なこともあるので、そろそろ(4〜5月頃をめどに)タイムリミットかと思っています。
なんとなくですが、ずっと、天国に次の赤ちゃんが待っていてくれているような気がしていて、思いを馳せたりしていました。私の思い過ごしでしょうか。このまま諦めてしまうのは、私の人生に寂しさや悲しさを残すことになってしまいそうです。
もし、すっきりと第二子を諦めることができたら、家庭での母という役割以外での使命について、考え実行していく過程に入る時期だとおもっています。
これからの私の人生を、ハイアーセルフや神が望む最善の形に整えることができるよう、正しく進んでいくことができるよう、手がかりをいただけませんか?よろしくお願い致します。


この場合はハイアーセルフの言葉だけだと不十分な感じがしましたので、
セラピストとしての私の見解と両方書きますね。

ハイアーセルフ
「あなた方を見ている、あなた達にご縁のあるスピリット達(親子のご縁を含めて)は存在します。
しかし、定められた最善の形というものはありません。
あなた方の選択があなた方の受け取る体験であり、そこに善悪はありません。
あなたの意志は神やハイアーセルフの意志の一部で、あなたの生においては自身のそれが優先されます。
自分の魂の望む声を、その感情と喜びに沿って選択してください。
大切なのは自分の気持ちに気が付くことです。
ここはあらゆる体験が許された場であり、人々は常に見守られています。
また生命はギフトであり、そこには新たなスピリットの意志も選択と結果に含まれます。
自身の望みと意志を明確にして、天に心を開いて待つことです。
自分の限界を定めず、コントロールを手放してください」

セラピストとしての意見
「あなたの心の言葉やその望みを揉み消さないでください。
自分自身に正直に気持ちを表現する必要があります。
それぞれの本当の望みと怖れを明確に伝え、分かち合ってください。」
嘘やごまかしがないように、丁寧に紐解くことが重要です。
その上で、お互いの望みを満たす創造的な第三の道を見出すことです。
子供そのものではなく、関係性の中に抑圧や、気持ちへの誤魔化しがあることが問題です。
それらがやがて大きな芽に育つ前に、納得できる形で受け止め合い、分かち合ってください。
そうすれば、どんな形になるにせよ、あなた方は前に進めます」



〜・〜・〜・〜・〜・〜



ご質問:
あるツールを使うことに関する自分の迷いの背景、今後のそのツールとの向き合い方、使い方について。
一般に使い方を再び伝えていく時期はやってくるのか、もう私はその役割を終えたのか、ただ自分が自分のために、あるいはそれを希望する他者のために使うことだけならやっていってよいのか。それすらもやはり離れたほうがいいのか?
使う人をやはり選ぶものなのか(色々なことからそう感じるようになったが)、それは時代とともに解禁の方向へと向かうのか。
はたまた、もうそれは必要ない時代に突入したのか? 私はこのツールとどういう関係になっているのか?

「ツールはツールです。
それらはそれぞれ意思持つ無機生命としての質を持ちますが、あなたの意志に共鳴して働きます。
あなた自身の迷いを反映させる鏡の役割も果たすため、自らを顧みることが大切です。
現実をコントロールしようとする意思を手放してください。
恐れにではなく信頼に身を委ねることです。
あなた自身をツールとして、自分の意志を超えた自己に導かせなさい。
そうして自己に対する信頼が深まった時に、他者の中にもまた完璧さがあり、
それぞれのペースとプロセスがあると知るでしょう。
愛を持ってそれらを受け入れる時、現実に対するコントロールを手放すことができます」








もう一つの移転記念企画、『地の塩 90分/5000円』 も徐々にお申込み頂いてます。
盛り塩みたいな結界の夢だったので地の塩なのです。
「あなた方は地の塩、世の光になりなさい」というイエス様の言葉にも掛けています。









シェア:『無料ハイアーセルフチャネリングメッセージ』

January 15 [Fri], 2016, 14:12


新しい移転記念企画、さっそくご好評いただいています。
『移転記念企画ワーク 地の塩』 90分/5000円も徐々にお申込み頂いてます。
一日最大で3〜4枠しか取れないので、来週分はあと10人程度で締切です。よろしくおねがいします。

『無料ハイアーセルフチャネリングメッセージ』に関していくつかご質問を受け取ったので、これにお答えしました。
やはり140字以内に収めて、質問とお答えを書くのは無理があったので、ブログの方ででシェアしていこうと思います。
まずはこんな感じです。





〜・〜・〜・〜・〜・〜


ご質問:
昨年末起業に向けて一歩踏み出しました。ただやはり不安があります。
それは自分が持ってる商品に関して。メニューやスキルが書面にあげてみると大したことないのではと思えてきます。
お客様のニーズに応えられるかどうか、商売として成り立つのか今そこになかなか向き合うことができません。その辺をメッセージもらえたらと思います。

「愛を持って進んでください。
恐れを土台にした選択はネガティブな結果を引き寄せます。
あなたが何を持っていて、何をするかが重要なのではありません。
どんな時も、あなたがそこに何を込めて与えたかが重要です。
方法や手段より前に、自身がそこに何を与えたいのかを見直してみましょう。
外から求められていると仮定したものを、自身の魂が与えたいものより優先してはいけません。
恐れの言い訳を外側に探さないように。いつでもあなたが選ぶのです。」


〜・〜・〜・〜・〜・〜


ご質問:
今の自分の職場の状態(空気が淀んでいる気がしています)と、自分がその職場を辞めることが自分にとって地球にとって必要かどうか知りたいです。

「あなたはもうその場のエネルギーに繋がっていない、あるいは既に同じ層にいないように思えます。
虹のスペクトルが分光していくとき、違う周波数帯のものは馴染めません。だから違和感を覚えます。
あなた自身の快適さと感受性、自己表現を守る為にはそこから離れる選択をしてもいいでしょう。
あなたや、その果たしていた役割を必要とする人々はまだ職場におられるでしょうが、相手を変えようとしてはいけません。
自身が変化することで、周りに変化をもたらしてください。
それぞれの時、それぞれのペースがあります。誰もが懸命に生に臨んでいます。
また他者によって自分を変えられないために、自分の芯に沿って、自身の責任で選択してください。
それぞれが自身の中心に繋がって何かを選択するとき、それは同時に地上のバランスをもたらします。」


〜・〜・〜・〜・〜・〜


ご質問:
歌の技術向上のために、これまで師事していた先生(男性)に加えて他の方にも師事するかどうか悩んでいます。
同じ女性の先生に習うことで、身体の使い方など参考になる面が多いのではないか?と考えてのことです。
この半年、女性の先生お二人に一回ずつレッスンをしていただく機会がありましたが、発声の方向性の面でしっくりこず、かえって少し不調になったりしました。
現在の先生だけに師事している方が発声で迷いがなく進んでいかれるでしょうか、それとも、女性の先生にも師事した方がさらなる成長が望めるでしょうか。
そして後者の場合、どのような人脈からそうした先生と出会えるでしょうか。

「自分の芯を定めてください。その上で一人に師事する方がよいでしょう。
ただ自分の目指すスタイルが、全て他者の中にあるとは限りません。
受け取ることではなく、与えることの中により得るものがあります。
相手のことを考えながら教えていくということに力を入れると、より深い洞察と成長が見つかります。
自信のなさを超えていくためには、自分を開いて与えていくことが重要です。
外側から補うのではなく、内側に見出したものだけが、あなたの本当の技術になります。
自分の殻を破って外へと踏み出す時です。」









 

心を開く痛みと喜びについて 

September 02 [Wed], 2015, 5:03

痛みに入って行くことが、真実と喜びに出会う方法であるならば、もう先延ばさずにそうするしかないのかもしれない。
私自身は、インドのマスターであった故OSHOに帰依する者ではないのだけど、あぁ、この人は本当にマスターだったんだなと感じた文章でした。
長らくテーマとして持ってきた葛藤についての彼の言葉があったので、自分用にメモしておきます。



〜・〜・〜・〜・〜・〜

質問

私達は関係性の喜びに対して、また痛みに対して

どうすればもっとオープンになれるかを知りたいのですが。


osho

いくつかのことがある・・

ひとつは、正直であること、真実であることから始めるといい。

偽りや、仮面や、表面を取り繕うのをやめ始めなさい。

そういうものはごく、ごく習慣になりやすい。

だから必死でやめない限り、決してなくならない。

すると、たくさんの痛みがやって来るだろう。

たとえば、あなたが愛する人と一緒に歩いていて、美しい女性を見かけ、

彼女に自分がその女性と彼女の美しさに惹かれる、と言うとする。

その女性を自分のものにしたいという強い欲望が起こった・・

その女性を手に入れるつもりだというのではないが、

そういう欲望が起こっている、と。

通常あなた達は、そういうことは自分の女性には言わない方がいいと感じる。

たとえ彼女が、あなたのその現場を捕らえたとしても・・

だが、あなたの目がそれを表す以上、彼女は何度も現場を見つけるだろう・・。

美しくて魅力的なよその女性を見て、

あなたの中に突然欲望が沸き起こったら・・

しかも、それは無意識のことだ。

今のところ、あなたにはどうしようもない。

それは、起こるなら起こる。

何か出来るとしても、それが起こってからで、その前ではない。

だがそれが起こったのだから、それは起こったのだ。

抑圧することは出来ても、他に出来ることはない。

たとえその女性に見つかっても、あなたはそうではないという振りをしたい。

そうじゃない・・自分は他のものを見ていたんだと。

偽るのをやめなさい。

そうすれば、あなたは痛みに対して傷つきやすくなる。

そして、痛みに対して感じやすくなることから始めなさい・・

というのは、誰もが喜びに対して開きたがって、

痛みに対しては開きたがらないからだ。

ところが算術は、痛みに対して開いて初めて、

喜びに対しても開くことが出来るということだ。

痛みに対して開いていないのに、喜びに対して開くことはあり得ない。

この世で実に多くの人々が、それぞれ喜びを追い求めているのに、

みんな苦痛の中にいるのはその為だ。

それは、その人達が最初から誤った一歩を踏み出してしまったからだ。

そして、彼女にも本当のことを言わせてあげなさい。

彼女の真実を許してあげなさい。

彼女に抑圧を強制してはいけない。

自由を許してあげなさい。

少しずつ、あなた達はそのことの苦い甘さを学ぶだろう。

それは苦くもあり、また甘くもある。

そして、あなたが痛みに対して自分を開くことが出来たら、

誰も、あなたが喜びに対して開くのを妨げることは出来ない。

あなたはそれを自分で稼いだのだ。

痛みの中に入って行くことで、

人は喜びの中にいる方法を稼ぎ、そして覚える。

だから、少しずつ開くことから始めてごらん。

そして、それを全部一挙にやり過ぎる必要はない。

ん?

それでは関係性を壊してしまいかねないからだ。

同種療法(ホメオパシー)で進むといい。

ゆっくりとだ。

自分の本当の顔の小さな一部を見せるだけでいい・・

一度に全部の顔を見せることはない。

少しずつ仮面をずらして行きなさい。

仮面がゆるくなるようにしなさい。

そうすれば、少しずつ彼女の方も非常に幸せを感じるようになるだろう。

それは、あなたがオープンになり始めると、

彼女がオープンになるのも手伝うからだ。

それは相互に働きかける。

彼女がオープンになり、あなたは一層勇敢になる。

そして、この開口が痛みをもたらす時、

あなたは痛みに新しい質があるのが分かるだろう・・

それは非常にリフレッシュするような質だ。

それは、痛みに満ちてはいるが清めるような、

痛みに満ちてはいてもそれだけの価値のあるものだ。

それは何かを・・何らかの統合、何らかの明晰性をもたらす。

あなたをより意識的にする。

痛みは常に人を意識的にする。

この真摯さは、結婚したカップルの通常の親密さとは違う、

ある親密さをもたらす。

だから私が言っているのは、痛みに入って行きなさいということだ。

それは骨の折れる危険なことだ。何が起こるか分からないが、

ひとつだけは確かだ・・痛みの中に入って行くことが出来れば、

痛みがあなたからたくさんの不純なものを、あなたの中にある、

たくさんの粗雑な要素を洗い流してくれるということ・・

あなたをより繊細にし、あなたをより意識的にするということだ。

そして痛みを通じて、あなたは喜びに対しても開くようになる。

人が痛みを苦しむ準備が出来ている時、喜びを抑圧する必要はなくなる。

私達が喜びを抑圧するのは、喜びに全面的に自分を占領することを許したら、

それと共に痛みも入って来ると恐れているからだ。

それはもう片側の部分だ・・同じコインのもう一方の側面、それがやって来る。

だから、人々は喜びの中に全面的には入って行かない。

彼らはごくごくゆっくりと入って行く。

愛し合っている時でさえ、人々は自分を捨てない。

コントロールの中に留まる。微妙な制御であり、

遠隔操作ではあるが、彼らはそれを続ける。

彼らは自分の手の中のどこかに、そのボタンを持ち続ける。

何かがあまり遠くに行き過ぎて、

境界を超えようとしていたら、彼らはそれを切る。

彼らは決して最後の最後までは行かない。

自分があまりにも喜びの中に入ってしまったら、

痛みという禁止された領域に入ってしまうのではないかという恐怖・・

それがそこにある。

だから痛みから始めなさい。

そして、もしあなたが痛みに対して開くことが出来たら・・

だから泣きたいと思う時があったら、泣いたらいい!

自分の女性の前で泣くことが出来ないとしたら、他のどこで泣くというのかね?

教え込まれたナンセンスなど、すべて忘れなさい・・

男は決して泣かないものだ、などと。

もし男が決して泣かなかったら、彼は人間ではない。

彼は非人間か、あるいは超人間かだろう。

ただひとつ、人間ではないことだけは確かだ。

時には声を出して泣くといい。

自分の悲しみを、悲しさを分かち合いなさい。

子供のように涙を流しなさい。

そして、同じことを私はあなたのパートナーにも言っている。

彼女も同じことをしなければならない。

そうすれば少しずつ、あなた達は大いなる

親密さが起こって来るのに気がつくだろう。

それは社会とは何の関係もない。

そして、その親密さの中でたくさんの幸せが起こる。

あなた達は幸福の中に爆発するだろう。

〜・〜・〜・〜・〜・〜









 

「美しき緑の星」 

May 13 [Wed], 2015, 3:18


「美しき緑の星」 ようやく観られました。
ネットで話題になってますが、上がった先から次々削除されていきます。
EUでは一時期発禁状態になっていたとか。
人を目覚めさせてしまう映画なので、それが不都合な人たちがいるのでしょう。
体制がいやがるものは、本物だと証明しているようなものなので是非観てほしいです。
魂が懐かしささえ覚える、優しく美しい映画でしたよ。

しかしこの映画のなんという既視感。
この人たちのいる惑星をすでに知っていた感じ。
多分、同じ所からインスピレーションを受け取った人々によって作られた映画なのでしょうね。
地球がこれから向かう先と、今私たちの必要性がどこにあるのか見つかります。
自分が思い込まされている概念から切断され、自分で考え感じることを見失っていた人々が、それぞれの感受性と魂を取り戻していくのは、なんて美しい発見なのだろうか。

自分が向かいたいところも、与えたいものも分かりやすく示された、そんな映画でした。



今、ネット上で話題騒然となっている映画「美しき緑の星」
動画サイトだと長尺ですぐに消されてしまうので、2分割ファイルアップロードしてくれた方がいました。



「美しき緑の星(1)」
https://www.facebook.com/lightworker0201/videos/806888996074560/


「美しき緑の星(2)」
https://www.facebook.com/lightworker0201/videos/806899262740200/









 

岸を見失う勇気を持たぬ者は、大洋を渡ることは出来ない

January 18 [Sun], 2015, 23:37

「岸を見失う勇気を持たぬ者は、大洋を渡ることは出来ない」


さっきお問い合わせに対してお返事した文章ですが、きっと他の人にも当てはまるかもしれないなと思ったので、ご相談者に許可を得てシェアします。


〜・〜・〜・〜・〜・〜

様々な問題があると思いますが、そういった症状は気にしないで、とにかくするべきことを強い意志で集中してやっていくうちに、いつの間にか影響がなくなり、気が付くと乗り越えていて忘れてしまうということが多いようですね。

いかなるエネルギーも、自分が存在のどこかのレベルで許可しないものは勝手に出入りしたりは出来ません。
人間という存在は本来とても精緻で強靭なものです。

葛藤の多くは自分を守ろうとするときに起きますが、問題に対して立ち向かう意志を固めて、そこに向き合い踏み出すことで解消されることが多いです。

自分自身を変化成長させていくことに関して、勇気を持って取り組んでください。
自分が守ろうとしてきたものに執着しているうちは、人は中々変化することは出来ないし、問題の本質から無意識に目を反らそうとしがちです。

この場合の問題の本質は、自分自身に対する愛や信頼の欠乏とそれを自分自身ではなく外部の代替者によって埋めてもらいたいという、基本的なアイデンティティの形成に関わることのように思います。

霊的な危機のように思えることは起きるかもしれませんが、それも実際には本質ではありません。
自分の管理できる範囲を超えた、大きな枠組みの中で自分の責任を超えた何かに問題を預けることで、本質に直接向き合うことから避けようとしている可能性もあります。

問題をできるだけシンプルに整理してください。
今置かれている事実と、それに対する選択を自分の責任で行うことだけが選べることです。

客観的な事実と、主観的な現実は別なものです。
そして問題の多くは、事実に対する自分自身の反応という現実の中で起きています。
その反応パターンを自覚して選び直すことが出来れば、問題はなくなるか、扱いやすいものに変化します。

誰もが自分の感じる主観の世界の中で生き、それぞれが他者には共有しきれない世界を体験しています。
あまり多くの人が経験しない現実というものも確かに存在しますが、それは質の違いであって、実際のところどんなものも他者と完全には共有できません。
従ってあまり主観的な現実を、他者に説明し理解を求めることに力を注ぐことには意味がありません。
それぞれが体験したいと選んできたテーマが違えば、人生における体験の質や、主観的な現実を体験し構成するレイヤーが異なるからです。

例えば過去世は無数に存在しますし、私たちはつねにそれらの影響を引き継いで 今を生きているので、それらは消すこともコントロールすることも本来は必要ありません。
ただの今生の状況として、配られたカードの内容の一つです。
配られたカードは変更できないので、それらを使ってどう幸せな目的に達することを選べるのかというのが人生のゲームですので、私たちは与えられた 状況の中でどれだけ創造的で囚われなく自由でいられるのかが大切です。

霊的次元にまつわることは、世界の構成や構造に関する事柄で、それは興味深いテーマですが、自分の問題の枠組みを拡大しすぎると、処理しきれなくなって対処が難しくなります。

したいことが思うようにできないという葛藤があるなら、自分の体験したい感情や幸福、喜びの質を明らかにし、そこにフォーカスすることで他者や状況をコントロールしたりする必要のない、あるいはそれらの外的状況に依存しない自己の喜びを実現する現実的な方法を模索してください。

魂の喜ぶことがなんなのかということがもし感じられないとしたら、あなたは自分自身の感覚にきちんとフォーカス出来ていない可能性があります。
感覚と思考は別のものです。

たとえば自分が他者にどう思われ、どう評価されているかを気にしてしまうというのは思考です。
それらの恐れは過去の痛みや、それが引き起こすであろう未来に対する不安につながっています。
いずれも、今ここにないもので、それら思考に連なるものは常に過去か未来に属しています。

感覚とは今ここにあるものです。
今ここに属していないものは感覚ではありません。
それらはあらゆる評価やジャッジから独立しています。
ただ単に感じるということ、味わうということ、それらの感覚を体験として100%味わうということ以外に、感覚を十分に知覚し認識する方法はありません。

これらは瞑想やヨガ等、様々なメソッドで研磨継承されてきたものが無数にあるので、自分に合うものを探すとよいと思います。
するといずれは自分の問題とその境界を理解し、切り分けることができるようになると思います。

〜・〜・〜・〜・〜・〜









 

痛みに対するセルフケアワーク

September 25 [Thu], 2014, 17:00


ここ一月ほど、坐骨神経痛的な痛みがずっと身体の左側にあって、どうしたものかと自分の体でいろいろ実験しているところ。
どうも梨状筋周辺(仙骨の脇あたり)が固まって冷たいので、おそらくこれが原因なんだけど、影響でふくらはぎとか腰とかも固くなっちゃってるのでなかなか一筋縄ではいきません。
せっかくなので今後人のも治せるように、梨状筋症候群のエキスパートになる練習の機会にしてます。
(そういうの治すの得意って人も募集〜♪)

とりあえず歩き方とか姿勢とか徹底見直し中。
内転筋等の姿勢筋群で身体の構造を使って真っ直ぐ立って歩くと楽です。
うちももの内転筋を鍛えるのに電車で座るとき意図的に膝を閉じるようにしています。
爪先ではなく踵に体重を乗せて、移動の基軸にして、丹田に重心をおいて、遠くに目線をおいたまま、鳩尾をその場所へ引っ張らせるように歩いていきます。古武術家や、昔の武士みたいな歩き方になります。
そうすると身体のエネルギーのセンターラインが地球の重力ラインと整列するので、自分のエネルギーフィールドを広く保ったまま、余分な思考にぶらされずに歩いていられる実感があります。
このやり方はプレゼンスが維持しやすく、歩くことがそのまま瞑想となります。
一人でお散歩しているとき、実はこんなことを実験してたりします。

塗り物系では、ハワイのお友達のマナさんからもらったノニジェル(ノニという植物の成分をとかしたジェル)と、DOTERAのエッセンシャルオイルのDEEPBLUEが、鎮痛と抗炎症効果を体感できました。おすすめ。
どちらももらいものなので、持つべきものは良き友です。

まぁ、それでもずっと痛いのは嫌なので、ちょこちょこ痛みを外すワークをしたり、してもらったりしています。
だいぶ楽にはなっているけれど、慢性化すると困るので、ここらでぼちぼち完治させちゃおうと思います。

せっかくなので、痛みに対して困ってる人に、誰にでもできるセルフヒーリングワークをシェアしておきますね。
僕のクラニオメイトの孝太郎さんが以前書いていた記事が、大変分かりやすかったので、そのまま転記します。

痛みを敵にせず、大切なメッセージとして受け取れますように。
そしてそこから解放されることができますように。




〜・〜・〜・〜・〜・〜

扇谷 孝太郎

以前ぎっくり腰で動けないクライアントさんのために書いた「痛みに対するセルフケアワーク」がその後も好評なので、リライトしてみました。せっかくなのでシェアします。
===========================

1、静かな落ち着ける場所に楽な姿勢で座るか、寝るかします。椅子に座る場合には、床に足が着いて支えられているというサポートを感じられる方がいいでしょう。
深呼吸をしてから、ゆっくり周囲を見回して、部屋の中の様子や、置いてあるモノ、外の景色を見てみましょう。柔らかく眼球を動かします。そして、改めて自分がいる空間を感じてみます。

2、準備ができたら、まず、痛みは無視して、「からだの中で一番リラックスして心地よい感じ」、または「元気なエネルギーを感じられる場所」を探します。
(例)
・クッションに包まれている背中のほっとする感じ…
・太腿や手の平の温かさ…
・座面に支えれているお尻のサポート感…

3、心地よさに意識を向け、しばらくそれを感じてみてからだの中で起きてくる変化を観察します。痛みの部位に関係のある変化かも知れないし、関係のない部位の変化かも知れません。何も起こらなければ、その「起こらない感じ」を感じていればそれでかまいません。
からだを感じることで、自律的な調整が始まることに気づいたら、それらをただ観察します。
(調整のサインの例)
・呼吸が深くなる…
・温かさや心地よさが広がる…
・どこかの力が抜ける…
・どこかの緊張に気づく…
・背筋を伸ばしたなる…など

4、次に、痛みのあるところをイメージの輪郭線で囲います。

5、先ほどの心地よさと一緒に(←ここ重要です)、その輪郭線の外側は「痛くない」ということを意識して、その「痛くなさ」を感じるようにします。

6、痛みの質や輪郭の形、位置などが変化してきたら、2〜5を繰り返します。
もしも痛みが増すように感じたら、すぐに中断して、外側の世界に意識を向けます。意識をリセットするつもりで再び部屋の様子や外の景色を眺めてみましょう。深呼吸をするのも良いでしょう。

7、ここまでの過程で、どこかにふるえや不随意の動き、熱感、呼吸の変化などが出てきたら、それはため込まれた緊張の解放です。それらをただあるがままに観察します。
からだが自然に行う以上に解放を進めようとして「手伝う」ことはしないでください。いつまでも動きが止まらないときは、うごきを追いかけて余計な「手伝い」をしています。力みに気づいて力を抜いてみましょう。

8、解放が起こって楽なところが生まれたら、またそこの「楽になった感じ」に意識を向けて感じていると、次の変化がやってくることもあります。
ただし、一度にすべての痛みを消し去ろうとは思わないように。痛みを追い出そうとすると、そこに余計な緊張が生まれます。

9、終えるときは、新しく感じられるようになった「心地良さ」や「痛くなさ」とともに、目を外の空間や物、人に向けて、外側の世界に意識のベクトルをシフトします。

※ 最初は15分〜30分を目安に試してみてください。長くても45分程度で一度終了して、時間を置いてまたやってみる方がいいでしょう。
※ もしも、痛みがひどくなるようなときはすぐに中止しましょう。外を見たり歩いたりして、外側の世界に意識を向けてみてください。ゆっくり深呼吸してみましょう。
※ ポイントは、痛みに注意を向けるのではなく、快適に感じるところに自分を癒したり、調整してくれるポテンシャルがねむっているということです。
※ 外側の世界とのつながりを感じられる方が上手く行きやすいので、できれば目を閉じないで行うのがオススメです。

===========================
以上









 

自然の理 社会の意味

August 05 [Tue], 2014, 15:14
この記事はとても面白かったので、覚書を兼ねてご紹介しておきます。

社会的な自己、種としての自己、個体としての自己、それぞれの視点や観点によって、生きる目的や意味は常に変化し得るということ。
自己という存在は、連続した巨大な生命の流れの中のほんの一部の体験でしかないということ。
エゴとスピリットと集合意識、種の意識、惑星意識とは何かということにまで思いを馳せてしまう記事でした。
自分は果たして何を残せるのだろうかと考えさせられます。(はい、もっと自分の記事も書くようにします)




〜・〜・〜・〜・〜・〜

参加者同士で質問、回答するサービス“Yahoo!知恵袋”で、質問者からの「弱者が生き残れない自然界に対して、弱者を税金などで保護する人間社会は理にかなっていないのでは?」というインパクトのある質問に対して、ある回答者の回答がとても興味深いとネットで話題になっていまいしたので紹介します。


※原文そのままを引用

質問

弱者を抹殺する。 不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思い…


弱者を抹殺する。

不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思います。
自然界では弱肉強食という単語通り、弱い者が強い者に捕食される。

でも人間の社会では何故それが行われないのでしょうか?
文明が開かれた頃は、種族同士の争いが行われ、弱い者は殺されて行きました。

ですが、今日の社会では弱者を税金だのなんだので、生かしてます。
優れた遺伝子が生き残るのが自然の摂理ではないのですか。
今の人間社会は理に適ってないのではないでしょうか。

人権などの話を出すのは今回はお控え頂ければと思います。





ベストアンサーに選ばれた回答


え〜っと、、、よくある勘違いなんですが、自然界は「弱肉強食」ではありません

弱いからといって喰われるとは限らないし、強いからといって食えるとも限りません

虎は兎より掛け値なしに強いですが、兎は世界中で繁栄し、虎は絶滅の危機に瀕しています

***

自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」です

個体レベルでは、最終的に全ての個体が「喰われ」ます
全ての個体は、多少の寿命の差こそあれ、必ず死にます
個体間の寿命の違いは、自然界全体で観れば意味はありません
ある犬が2年生き、別の犬が10年生きたとしても、それはほとんど大した違いは無く、どっちでもいいことです

種レベルでは「適者生存」です
この言葉は誤解されて広まってますが、決して「弱肉強食」の意味ではありません
「強い者」が残るのではなく、「適した者」が残るんです
(「残る」という意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味であることに注意)


そして自然というものの特徴は、「無限と言っていいほどの環境適応のやり方がある」ということです

必ずしも活発なものが残るとは限らず、ナマケモノや深海生物のように極端に代謝を落とした生存戦略もあります
多産なもの少産なもの、速いもの遅いもの、強いもの弱いもの、大きいもの小さいもの、、、、
あらゆる形態の生物が存在することは御存じの通り

「適応」してさえいれば、強かろうが弱かろうが関係無いんです

そして「適者生存」の意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味である以上、ある特定の個体が外敵に喰われようがどうしようが関係ないんです

10年生き延びて子を1匹しか生まなかった個体と、1年しか生きられなかったが子を10匹生んだ個体とでは、後者の方がより「適者」として「生存」したことになります


「生存」が「子孫を残すこと」であり、「適応」の仕方が無数に可能性のあるものである以上、どのように「適応」するかはその生物の生存戦略次第ということになります

人間の生存戦略は、、、、「社会性」

高度に機能的な社会を作り、その互助作用でもって個体を保護する
個別的には長期の生存が不可能な個体(=つまり、質問主さんがおっしゃる”弱者”です)も生き延びさせることで、子孫の繁栄の可能性を最大化する、、、、という戦略です

どれだけの個体が生き延びられるか、どの程度の”弱者”を生かすことが出来るかは、その社会の持つ力に比例します
人類は文明を発展させることで、前時代では生かすことが出来なかった個体も生かすことができるようになりました

生物の生存戦略としては大成功でしょう
(生物が子孫を増やすのは本源的なものであり、そのこと自体の価値を問うてもそれは無意味です。「こんなに数を増やす必要があるのか?」という疑問は、自然界に立脚して論ずる限り意味を成しません)

「優秀な遺伝子」ってものは無いんですよ
あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」です

遺伝子によって発現されるどういう”形質”が、どういう環境で生存に有利に働くかは計算不可能です
例えば、現代社会の人類にとって「障害」としかみなされない形質も、将来は「有効な形質」になってるかもしれません
だから、可能であるならばできる限り多くのパターンの「障害(=つまるところ形質的イレギュラーですが)」を抱えておく方が、生存戦略上の「保険」となるんです

(「生まれつき目が見えないことが、どういう状況で有利になるのか?」という質問をしないでくださいね。それこそ誰にも読めないことなんです。自然とは、無数の可能性の塊であって、全てを計算しきるのは神ならぬ人間には不可能ですから)


アマゾンのジャングルに一人で放置されて生き延びられる現代人はいませんね
ということは、「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」だということです

その「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なんです

だから社会科学では、「闘争」も「協働」も人間社会の構成要素だが、どちらがより「人間社会」の本質かといえば「協働」である、と答えるんです
「闘争」がどれほど活発化しようが、最後は「協働」しないと人間は生き延びられないからです


我々全員が「弱者」であり、「弱者」を生かすのがホモ・サピエンスの生存戦略だということです


〜・〜・〜・〜・〜・〜









 
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:りゅー
  • アイコン画像 誕生日:2月21日
  • アイコン画像 現住所:神奈川県
読者になる
ヒーリングスペース 旅人の樹 主宰
Inspiring People to There Authenticity

旅人の樹ホームページ

http://tabibitonoki.org/


月別アーカイブ
メールフォーム

TITLE


MESSAGE