夏至のメッセージ

June 23 [Thu], 2016, 22:11



今回の夏至は新しい潮流の重要な分岐点だったようなので、それに伴い昨夜降りてきたメッセージをシェアしておきます。
夏至はカレー作ってたから、ちょっと出遅れちゃった。



【夏至のメッセージ】
〜・〜・〜・〜・〜・〜


もう受け入れて進みましょう。

あなた方がそれをしに来たという、心からの願いを取り戻してください。
そしてその通りに生きてください。
道は別れ、そして乗り込んだ電車はそれぞれの方向へと動き始めました。

もうすべてが動き出しています。
あなたも、あなた自身の内なる力も、あなたを取り巻く環境も。
あなたはそれを選んだのです。選ばされたのではありません。
無自覚を装うことは、誰にとってもよい影響をもたらしません。

選んでしまったことによる喪失感があるでしょう。
慣れ親しんだ場所から、未知の場所へ放り出されたような、迷子な感覚に陥るかもしれません。

欲しがるのをやめることです。
欲すれば、その対象との間に隔たりが生まれます。
あなたはもうそこにいます。常にいました。
欲しいものを外にある対象に投影すれば、自分の中にあるものが見えなくなります。

他者や出来事や物質の中に充足を求めるのではなく、そこにあった純粋な願いと感情の中に、あなたが見出すべき充足の質を受け取ってください。
感情と気持ちこそが「今」ここにある現実です。
自分の感じている、自分を導いている喜びを思い出してください。
不安と不足感に、行くべき道を導かせないでください。

そして本当の気持ちと求めているものに気が付いたら、ただそれを受け取ってください。
和合と癒しによる昇華が行われつつあります。

あなたが与えることの出来るものがあるでしょう。
自分の失敗や、受け取れなかったものを嘆くのではなく、あなたがこれから与えることが出来るものは何かをよく見てください。

あなたは自分の与えることの出来るものを受け取ります。
そして自分を開いた分だけ、風通しがよくなり、世界が広がります。
あなたはもう閉じた場所にはいません。
閉じているのはその目蓋だけです。目を開いて進むのを怖れないでください。

かつてあった良きものを否定する必要はありません。
それは今もあなたの内に、あなたを構成する一部として息づいています。
あなたが生み出すことの出来るものは、今はより大きな可能性に包まれています。
だからより多くを望み、最高の創造をすることに同意してください。

あなたが生み出したい世界はなんですか?
あなたの見ている世界の縁をより遠くまで広げれば、あなたの居たい世界の姿が見えてきます。

世界を小さいままにしているとき、あなたの見ているものは自分の足元だけです。
何に備えていいのかも分からず、不安ばかりが見えるでしょう。
しかし世界の縁を広げるとき、自分は独りではなかったと知るでしょう。

あなたのすべきことがその世界にあります。
与えることと受け取ることは、宇宙との呼吸です。
深呼吸が必要です。
まず深く吐き、吐き切るまで吐き出すと、世界が広がり、宇宙があなたにどっと雪崩れ込んできます。

ひとたび広がれば、その心地よさを受け取れるでしょう。
あとは汽車の車輪が回転していくように、宇宙と呼吸して進んでいけるようになります。

さぁ、踏み出してください。
その足が導いていく遠くへ。



Sincerely yours
りゅー









 

ショートテオリア

December 13 [Thu], 2012, 2:07


自分の内なる神性やハイアーセルフとの対話を観想(テオリア)という名前で呼んで書き残している。
日々の瞑想で降ろした短い言葉達は「short theōria」と呼ぶことにした。

今年、twitterの方で書き残した140文字の小さな観想(theōria)をまとめてみた。
こういうのをたくさん集めるのもいいかもしれないな。



〜・〜・〜・〜・〜・〜


12月9日
今日のショートテオリア
「宇宙はあなたが何を望んでいるかではなく、あなたが本当は何を信じているかを実現する。恐れや心配にリアリティーを与えぬよう注意していなさい。あなたの真の望みを、自分自身の選ぶ在り方に一致させなさい。それが、宇宙は望み通りのものであるという言葉の意味だ」

11月28日
今日のショートテオリア(瞑想中に降りてきたメッセージ)
「感情をコントロールするというのは、それがない振りをするということではない。より広がった視野の中で、自らの感じていることを受け止め、その出来事や状況に対する別の、より調和的で愛のある物の見方を得ることだ」

11月17日
今日のショートテオリア
「かつてティンカーベルは言った。あなたが”妖精なんかいない”というたびに、世界から一人ずつ妖精たちが死んで行くと。 あなたが”そんなことはできない”と自分自身に言うたびに、あなたは自身の内なる、力を持つ存在を殺しているんだよ。自分の声と力を取りもどそう」

11月14日
今日の瞑想で降りてきた言葉
「人は誰も、何かを制限したり、どこかを不足を持って生まれてくる。それは多くの場合、その人がその人生で、体験したい部分そのものであることが多い。これを創造的制限と呼ぶ。それは完璧な人生であることよりも、魂にとって価値あることなのだ」

11月10日
昨夜から足の左親指の腱が痛くて歩くのもちょっと大変だったので、シャワーで温めながらヒーリングしてみた。その時降りてきた言葉
『ヒーリングの目的は症状を消すことではなく、その原因を癒すことだ。見えている氷山を小さくしたければ、水面下の氷塊を溶かさなければならない』

11月9日
セッション中に降りてきた言葉
『あなたが自分のすべてを与え手放しても、あなたは何も損なわれない。失われない。それはあなたを閉じ込めていた心と魂の殻を、内側から破る力となり、あなたを満たすだろう。あなたは蛹のように、花の蕾ように、内からの変容を受け取り、自ら広がる力を得るだろう』

10月31日
「あなたに変わってほしくないと考える身近な人々ほど、あなたの心からの望みに反対するだろう。 あなたの存在の本質にその魂を感じ、それを心から愛する人々だけが、あなたを支え、自由にするだろう」

10月12日
先程瞑想中に降りてきた言葉。
「きちんと自分の感情を感じ、否定せず、その上で高く意思を保つ。己の弱さに流されることを許可しないこと。反応ではなく、意思として生きなさい。義務ではなくあなたの中心から選びなさい。そうすれば、人は自然に、強く生きてゆける」

10月9日
ピアノで遊んでたら降りてきた言葉
「技術とは、降りてきたインスピレーションに寄り添い、その邪魔をせずに表現するためのものだ。最も多くの言葉を知る者が、必ずしも最も優れた詩人ではないように、与えられたスキルの中で、そのインスピレーションを活かしきったものこそが真に偉大なアートだ」

9月16日
「祈りとは自らの在り方を宣言する行為でもある」



〜・〜・〜・〜・〜・〜









 

始まりの月のメッセージ

November 01 [Thu], 2012, 18:52


久しぶりに何か書こうかと思ってたら、言葉が降りてきました。
なので今日は久しぶりの観想(テオリア)です。
ハイアーセルフや上の人たちが伝えたいことがあるそうなので、覚え書きとしてチャネリングメッセージに残しておきます。



〜・〜・〜・〜・〜・〜


11月になりました。
これまで進めてきた大きな変容のプロセスが、それぞれの立ち位置を再確認し、その先にある真実の願いを捉えるでしょう。
いよいよ時が満ちてきているのを感じます。

私達は今、大きな門の前にいて、その扉が開く時を待っている状態です。
その門を越えるには大きすぎる荷物を整理し、来たるべき越境に備えています。

その門はプリズムのように、あるいは中央ターミナルのように、入ってきたたくさんのスピリット達を、それぞれの道と方向へと振り分けるでしょう。
分かたれた光は、それぞれの色の周波数に合わせて、互いの住むべき世界を見つけ、または走り出した汽車のように、それぞれの線路は別れて、別々の場所へと私達を連れて行きます。

夏至からの大きなエネルギーサポートと、それに伴う変化は、私達をそれぞれのスピリットが選んだ場所へと運びました。
私達は来た道を振り返り、そして行く道を見渡せる丘の上に辿り着きました。
その門は今、開こうとしています。

私達は十分にそれぞれの葛藤を手放せたでしょうか。
あるいはまだ手放せないでいる多くの荷物を抱えたままでしょうか。

いずれにせよ、ここが始まりの時です。
あなたが何を願い、どんな自分であることを選ぶのか、あるいは選ばないのかを宇宙は実現させるでしょう。
あなたの信じるように、あなたは自分自身の映した世界を受け取るでしょう。

これまで覆われ、気付きにくいように隠されてきた宇宙の理は紐解かれ、よりはっきりとあなた方は宇宙の仕組みと理を体験するでしょう。
それは、これまでのプロセスにより純化された意図とエネルギーによって、はっきりと目に分かる形で私達にもたらされます。

私達はもう、自分が自分自身の世界の創造者であることを疑えなくなるでしょう。
それらの現象と現実を通して、私達のうちの幾人かの人々は、この宇宙と現実の仕組みについての理解に至るでしょう。

ブループリント(設計図)はすでに描かれました。
これらは実現と現象化するタイミングを待っています。

私達は、私達の選んだとおりの存在となるでしょう。
それぞれの発している思考や存在の周波数によって、必要な住み分けが行われ、互いに共鳴する者同士が、それぞれの居場所の中に互いを見つけ、共に歩き出すでしょう。

ここが新しい場所です。
私達が立とうとしている場所は、すでに新しい世界の始まりにあります。

冒険することを許された無限の地平を前に、その先に持っていくのに必要なものを整理すべき時です。
多くの人々にとって、これは大きなチャンスとチャレンジを伴います。
全てをギフトとして、自分自身の囚われを手放し、委ねることができれば、私達は大きな飛躍を達成するでしょう。

あなたが誰であり、どのように在ることを選ぶのか、真にそれを今選ぶことが求められています。
目を閉じて選ぶのか、目を開けて選ぶのか。
真に善きものを選ぶために何が必要か、それぞれの意思を覚まして自覚するようにしてください。

あなたは誰ですか?
どんな存在であることを、選びますか?

自分の中心にある芯(心・神・真)と共にいてください。
それを感じてぶれることのないように、自分自身の真実を見てください。

あなたが自分の真実を偽らず、そこにある葛藤をはっきりと自覚し手放すことができれば、無限の地平へと、どこまでも歩き出す自由を得るでしょう。

必要なら助けを求めてください。
あらゆるサポートがすでに与えられています。
気付き、それを許し、受け取るようにしてください。

あなたは常に護られ、導かれています。
限りない祝福と、よき想いと愛がいつも共にあります。

自分を開き、あなたを通して自分から与え、純粋に表現することを恐れないでください。
そうすれば、あなたはそれを受け取るでしょう。

それがあなたの世界を創る確かな方法です。
創造したい宇宙そのものでありなさい。


限りない祝福を。愛を込めて。


〜・〜・〜・〜・〜・〜









 

孤独と愛について

July 10 [Tue], 2012, 4:42


先日、夜の散歩に出てメモした思索。
久しぶりの観想(テオリア)です。

存在の本質的な孤独と、愛についての覚書。



〜・〜・〜・〜・〜・〜

眠れぬ夜は歩く。
淋しさにも似た空白が心に広がって、夜気が空と体を満たしている。
そんな夜は、宇宙に呼ばれるように外に出て、部屋に戻りたくなくなる。
心地好い風に吹かれる夜の道は、どこまでも続いているような気がする。

誰もいないこの時間が好きだ。すれ違う者もない時と場所。
少し高い橋の上から、遠い街の灯を眺めている。
なぜか、これが見慣れた町だろうと、初めて来た異国の景色だろうと、きっと同じ気持ちになっただろうと思った。

あの灯りの一つ一つは、きっとどこかの誰かが関わっている存在の証。
僕らの存在の、本質的な孤独を思う。
普段はわざわざしないのに、ふとここにある何かを残しておきたくなって、書いてみている。

薄く掛かった雲の向こうに、わずかに見えた星がある。
星は、黒いベールに開いた、小さな穴のようだ。
その無数の穴から、向こう側の光が漏れ見えている。

魂は、空から零れた光のようだと思った。
空の向こうは、一つの本質の世界。
僕らの魂は、それらを覗く穴から漏れた、いくつもの小さな光。
互いが離れて光る、同じ源の光。

存在の孤独は、星のように僕らが離れているため。
だから互いの放つ幽かな光を頼りに、その奥深くへ一つに還る道を探している。
お互いを覗き込み、かつて一つであった源へとつながろうとする。

一体を希求する心を何と呼ぼうと、人は心の底からお互いを分かち合うことを求める。
それが乾いた願いとなっても、求め続けるうちには決して辿り着けない場所がある。

愛されることを望み過ぎる者は、愛することが出来ない。
乞い願う心は誰もいない世界に住み、扉が敲かれるのを待っている。

ではどうすればいい?


内から答える声が言う。

「愛は自らを開くこと。
それは与えることによってしか開けない、外開きの扉のようなもの。

そうすることによって、人は自らを宇宙に開き、本質と無限の中心へとつながることが出来る。
そのとき、あなたの中心は宇宙の中心となり、一体となる。

求めることによってではなく、ただ愛することによって愛しなさい。
愛があなたの内から出るに任せて、取引せずに与えなさい。

泉のように湧いて来たものだけを、与えることができる。
無理に汲み出そうとせずに、あなたの本質に問いかけなさい。

心から与えたいと思うもののみを、深く純粋な気持ちから与えなさい。
そうすれば、その心は相手の奥深くへと届くだろう。

己の心に素直でありなさい。
どんなときも、あなた自身でありなさい。

率直にまっすぐでいて、曇りなくありなさい。
誰のためでもなく、あなたの心に誠実でありなさい。

心が曇りを持たず透明なら、あなたの声は、言葉は、誰も傷つけたりしない。
魂の声に忠実であるなら、生命と宇宙の本質はあなたを決して裏切らない。

それが宇宙の理、それが愛だ」


どうしたら愛であれますか?


「愛は自分自身に率直であること。
ウソがないこと。真実であること。透明であること。

わだかまりがなく、まっすぐに表現すること。
そしてそれを失わずに生きることによって得られる。

もう一度、心から開き、愛したいと願うなら、自分を通して受け取るもの、表現されるものを決して否定しないことだ。

あなたが否定してきたものは、すべてあなた自身の一部だ。
目に映るものの一つ一つは、すべてあなたの心を映している。

一つ一つを手に取って、慈しむように愛することができたら、あなたは自分自身への否定や葛藤から自由になれるだろう。
そうすれば、あなたは心の底から、誰かとお互いを分かち合えるだろう。

お互いの中に真実を見つけたとき、互いの奥にある本質が分かち合われ、そこにバランスが生まれる。
宇宙はそうやって調和を育んできた。

あなたがたはそうやって、お互いを知り、真実を分かち合う。
お互いを通してしか、自分自身と宇宙の本質を知ることはできない。

だから愛を求める。
愛だけが、分離しているそれぞれの存在を、一体へと繋ぎなおす道だからだ。

離れていることが、互いを求めさせ、求めることによって、互いを一体へと還させる。
それが宇宙の呼吸であり、ギフトだ。

どうか悲しみではなく、優しい願いとして、あなたが孤独と愛を受け取れるように。
そこから、あなた自身の本質へと還る道を見つけられるように。

いつもここにある愛に、どうかあなたが気が付き、受け取れるように」


            


静かな川面を風が撫でていく。
気がつけば星は薄明に沈み、虫の音がまた響き始めた。
私達は決して、この世界で孤独ではない。


ありがとう。


〜・〜・〜・〜・〜・〜







 

自分を生きながら調和して在る

February 20 [Mon], 2012, 17:56


おかげさまで、昨日は素晴らしいバースデーライブとカレーパーティーになりました。

本当に好きなことを妥協なく、力をいれて行うと必ずサポートされます。
楽しんで、採算とか考えずにやってるときほど、きちんとよい結果につながる。
本当にありがたいです。
幸ちゃんと大介くんの歌も、歌ったり踊ったりしてくれたたくさんの友達も、みんなのおかげで、温かくてとても優しい素敵な節目の日になりました。

これからの僕にできることで、受け取ったたくさんのものを、皆と宇宙に返していきたいと思います。
本当にありがとうございました。

今後のイベント企画もいくつか昨日決まってきたし、さー、誕生日越えたら本格的に忙しくなりそう。
心は亡くさないように、毎日感謝して楽しんでいこう。

今日は明け方、真っ赤な朝日と共に目が覚めて、体を動かしたり観想書いたりしていました。
朝早くから活動すると、やはり素晴らしい充実感がある。
朝一の活元運動と瞑想と書きものは習慣にしたい。
できるだけ続けていきたいです。

ありがとう。



さて以下が今日の観想(テオリア)。
今朝起きる前に鮮烈に感じていたこと。

妥協しないで生きる。
自分の中に、僅かでも不合意があれば、それはしない。
自分を生きながら、調和してあるにはどうしたらいいか。

そんなことがテーマです。


〜・〜・〜・〜・〜・〜


(自分を生きながら、調和してあるにはどうしたらいいか。)



おはよう。今朝は早起きだね。
朝は無限のリソースにつながる最もクリエイティブな時間だ。
ぜひ活用するといい。

この時間帯は心身のバランスを取るのに最適だ。
ヨーガや呼吸法等を用いた瞑想をお勧めするよ。
君は一度、体系だった手法をきちんと学ぶといいだろう。
自己流で行うよりももっと早く、自らの内なる気付きに至る助けになる。
呼吸法は朝日と共に行うのがいい。
新鮮なプラーナ(気)を体に取り入れ、生命の根を宇宙へ再接続し直すことができる。


さて、自分を生きながら調和してあるにはどうしたらよいかだったね。

自分の真実を生きるものは、他のあらゆる葛藤から自由になれる。
もはや生きるためのあらゆる妥協から、自分自身を解放して在ることができる。

あなたはあなたの思うように生きていい。
生きるために、自分の真実を曲げる必要はない。
それではあなたの人生の純粋性を損なう。

生命の権利として、生命はそれ自身を生きることを許されている。
ただしそれは保証されているということではない。

勘違いされがちなことだが、生命はこの世に存在する権利なのだ。
そしてそこであらゆる出来事を体験する。そこに良い悪いは存在しない。
それは価値判断であって、出来事とは無関係だ。

価値はあなた方の作り上げた枠組みの基準にすぎない。
それはその中にあって、それに従って振る舞えば、比較的安全に人生を過ごせるという目安にすぎない。

保証がないということは、是非を超えてあらゆる体験を経験する上で不可欠な要素だ。
本来それはスピリットの目的を果たす上で、重要な約束事であり、ギフトだ。
あらゆるすべてを体験することを保証する。それが宇宙の公平さであり愛だ。

だがそれは、安定と不変を望むエゴにとっては残念ながら不安材料でしかない。
だから人々は枠組みを作り上げた。
自分たちが安全に、ある程度の保証を得て人生を過ごすための枠組みだ。

生き残ることが最上の目的だった時代に比べれば現代は格段に過ごしやすい。
それは偉大な先人たちの業績だ。
あなた方はその助けの上に、現在の生の体験を積み上げることができる。
社会的、思想的インフラの力は大きい。

だがそれが目的地ではない。
それは手段だ。何の? 魂の。
この場合の魂とは、より本質的なあなたの肉体を超えた生と、自己の個性を保つ枠組みのことだ。
では魂の目的とは何か。

体験を通して味わい、生を通して交流すること。
そして自分自身が何者であるかを知り、それを宇宙へ表現すること。
そのときあなたの生命は宇宙の一部として、この宇宙の豊かさの一部となっている。
それを自分自身を通して、自覚的に味わうことこそ魂の喜びに他ならない。

自覚的に生きるということの意味を、本当にきちんと感じたことがあるだろうか。
言葉通りの意味だが、実際にそれを真に生きるものは、この惑星のこの時代ではまだ少ない。

あなた方が先駆けだ。
どの時代、どの場所にもそれらの役割を担う存在はある程度いたが、今この時代ほどそれらが求められている時はない。

誰かに役割をゆだねるのではなく、あなた方がそれぞれそうなることが必要だ。
本当に必要なのだ。

自覚とは、あなた方がより本質的に生きるということを意味している。
自分自身の本質を理解し、それを損なわず、かつ全体と調和を保ち、全体の一部としての自己の役割を担っている。
それが自覚的に生きるということの意味だ。

あなたは全体の一部であることから切り離されてはいられない。
だから、自分の本質に気が付けば、調和を損なうことは有り得ない。

ではなぜ、自分らしく生きようとすると、生きづらく感じることがあるのだろう。
まずそれは自分の本質と、自分の性質をごっちゃにしている場合に起きやすい。

自分の性質は、本質の一部ではあるがすべてではない。
虹の赤の一色が、光の本質のすべてを示すものではないように。

自分のある性質に固執し、それが自分自身そのものであると囚われ、押し通そうとする場合に調和を損なう。

どんな場合にも、あなたが自分自身の枠組みを決めている。
あなたのどの面を表現するのか、あなたは常に選ぶことができる。

過去の体験とパターンから反応していることに自覚がないと、人は自分が選択しているという自覚を失う。
すると、自己の反応パターンを自分自身だと思い込む。
たとえばそれは性格だから仕方がないだとか。
だがそれは、あなたの性質の一部でしかない。

今ここに、プレゼンスを持って生きることが重要だと言われてきたのはそのためだ。
今、ここで、感じていることをきちんと感じてみる。
判断するのではなく、ただ感じる。
そうすれば、自分が何に反応し、どういうパターンを持っているかが分かる。
それは今ここにあるものではないからだ。

さらに感じていくと、自分の本当の望みが分かる。

繰り返すが、感じるということは、頭で考えることではない。
主にはハートで感情を感じとることができるが、それもすべてではない。
細胞のひとつひとつ、肉体とエネルギー体、感情体、あなたの自己の総体、存在のすべてで、今ここを味わうことだ。

瞑想とは、今ここを100パーセント、ジャッジなく感じきろうとする試みだ。
それはとてもパワフルな覚醒をもたらし得る。
自覚的に生きようとするものには、プレゼンスを身につけるよい訓練になる。
そしてプレゼンスを持って生きることが瞑想なら、それは特別なことではなく、人生のあらゆる側面の中にある。

深く今ここにあるものを感じ、自分の本当の望みを感じとることができたら、それが少なくとも今ここにあるあなたの本質だ。
それにしたがって生きることが、自覚的に生きるということだ。

そのために行う、自分自身の率直な感覚の表現が、誰かにとって、意に沿わないものであるかもしれない。
だけどあなたは、自らの人生に妥協せず、忠実に生きるためには、時にはそこに向き合わなければならないだろう。

人は自分の見るように相手もものを見るだろうと考える。
だから、あなたが人生を生きるためには妥協や我慢が必要だと信じていれば、あなたは自分自身の本質を生きることの正当性を疑う。
そしてその負い目故に、自分の真実を曲げることも仕方ないと諦める。
事実、とても多くの人が、自分自身の真の人生を生きることを半ば諦めてきた。

だがあなたが自覚的に生きることを選べば、自分の素直で率直な感覚を、相手に伝えることに大きな躊躇いを覚えずに、真実を伝えることができるようになる。
相手もまた、そうできる可能性を持つと信じられるようになるからだ。
そしてその方が、自分たちの命とスピリットにとって、真に価値ある生き方だと本当に思えるからだ。

自分自身の真実を生きることをどうか怖れないでほしい。
生きることは、こなすべき作業ではなく、体験すべき神秘だ。
すべてを知り得ず、結末が決まっていないからこそ、挑戦し、味わう価値のある冒険なのだ。
そのシナリオは、あなたが心の真実から選択したように創造される。
それが宇宙の約束であり、ギフトだ。

この対話の最初に伝えた言葉をもう一度繰り返そうか。

自分の真実を生きるものは、他のあらゆる葛藤から自由になれる。
もはや生きるためのあらゆる妥協から、自分自身を解放して在ることができる。
あなたはあなたの思うように生きていい。
生きるために、自分の真実を曲げる必要はない。

私の伝えたことの意味を、受け取ってもらえただろうか。
あなたが真にそのようであることを、選んでくれることを信じている。


ありがとう。
愛しているよ。









 

自分の本質とは?

February 10 [Fri], 2012, 17:23

 
 
徐々に春の足音が近づいてくる感じ。
遠くから、隠れながら、まだその姿は見えないけれど。

球根から育てたヒヤシンスの花が満開になりました。とても綺麗。
ヒヤシンスの香りはすごく春をイメージさせます。
部屋の中にいても、何かを後押しされる力強い意思の強い香り。
たおやかで優しく強い花です。

最近は日々内観しながら何かを練り上げている感じ。今は外ではなく内側から。
やがて、蕾が枝を破り、その内から花が芽吹くように。春待つ冬の陽だまりのような日々。

今日の観想(テオリア)です。お付き合いください。

ありがとう。



〜・〜・〜・〜・〜・〜

120209 自分の本質とは?


(前回の話しで、自分の深い部分につながって話しなさいっていうのがありましたが、自分の本質を生きるということに関して、どうしたらいいのか教えてください。)


そうだね。自分の中心に繋がるということに関して少し話そう。

まずあなたは自分をもっと信頼しなければならない。
あなた自身にあらゆる力と権限を与え、それを信頼することだ。

人はあまりに自分自身を批判し、自らの力を否定することに慣れすぎている。
あなた自身の価値を、他者に決めさせることにあまりに無抵抗だ。
他者はあなたの信じる程あなたのことを理解しているわけではない。
あなた自身でさえ気が付いていない価値、可能性が山ほどある。

自分を愛しなさいと、歴史の始まりから説かれているのはそのためだ。
自分の価値を決めるのは自分自身なのだ。他者ではない。
それを信じることができたときに、あなたはそれを文字通り実現するだろう。

あなた自身を措いて他に、だれもあなたが誰であるのかを知る者はいない。
それはつまりあなた自身があなたのあり方を決めているということに他ならない。

あなたが望むように生きていいのだ。
常に調和に意識を保って生きれば、我侭ではなく自由に生きるということの意味を本当に体験できる。
そのときあなたは、自身の持つ可能性を思う存分試し味わうだろう。
あなたの喜びに従い、魂がふるえる方向へと踏み出せばいい。それがあなたの目指すべき方向だ。

人には本来その力が備わっている。
あなた方の知覚は、今此処という現実をあらゆる尺度で捉えることが出来る。
人がなんの判断も評価も持たずに存在することを選ぶとしたら、そこで体験し得るのは、純粋なエネルギーと共にあるマトリクス(存在の母体)だ。
そこには純粋に意識とエネルギーだけが存在している。
あなたは自分自身の枠組みさえ解け出してしまう至福と愛と調和の世界(涅槃)の中にその身をおいている。

その中で自己という枠組みを保っているために、過去現在未来、此処と其処、あなたと私という境界を生み出した。
それが3次元的な時間と空間であり、それを人は主に左脳で処理して認知することで、このエネルギーの大海に融けだしてしまわないように自己と世界の枠組みとを形作っている。

だが仮に、自分の意識をひろげ、自己の領域の一番外側を感じ、さらにそれを越えてみる。
すると限界は実際にはないことに気が付くだろう。
つまり自己とは、自分自身の設定した、その時々の枠組みの幅のことだ。

だからあなたは常に有限で、なお無限の潜在力を持つ存在なのだ。

自己の幅が小さく感じ始めたら、それを拡げてみることに、恐れやためらいを感じる必要はない。
あなたの設定した自己イメージを拡げてみればいい。

あまりにも長く、かつての自己のイメージに囚われていると、その枠組みは選べないのではないかと思うかもしれない。
だが、自己の枠組みは常に変化が可能だ。自分の本質を思い出し、選び直すことだ。

あなたは自らの存在しているレイヤーを選ぶことが出来る。
意識の焦点をどこに当てるかによって、愛であることも、自らを知ることも、それを見失うことも自分で選んでいる。

あなたは常に何者にもなれる。どのようにあるかを選ぶ。
それが人や物質やあらゆる生命が、自己と他者として分かれて存在しているように見える理由だ。それは進化と成長のプロセスでもある。

生命は意志を持っている。それは宇宙の方向性だ。
生命は宇宙の意志の分け御霊である。
だからそれらがそれぞれの意志を持っているのは、宇宙の構造の一部だ。

そしてそれらのあり方を、生命はそれ自身で選んでいる。
自由意志ということの本当の意味が分かったかな?

あなたは常に何者にもなれる。
それは生命に与えられた本質的なパワーだ。

目覚めて生きるとはそういうことだ。
自分自身が何者であるか、常に意識的に創造して生きるということだ。

あなたが誰であるのかを知りなさい。
そしてそれを意識的に創造しなさい。


愛しているよ。
ありがとう




〜・〜・〜・〜・〜・〜


追加
悦月さんのブログで紹介されていた動画。
人間の、自らの力とその可能性についての本当のお話。
すごいな、これは。人間て本当にすごい。
諦めなければ、本当にどんなことでも可能になるのだと教わりました。ありがとうございます。


(一つ目は音声なし字幕のみ。二つ目は音楽と映像のみのイメージ動画です)













 

伝えるということ

February 09 [Thu], 2012, 0:01

 
今日は森のテラスを借り切って、一人書斎代わりに使う。
読書と創作。飽きたらグランドピアノで遊び、お茶を飲む。
ゆっくり落ちる冬の陽。火のはぜる薪ストーブ。横で眠る黒猫。
贅沢な一日。

今日の観想(テオリア)


120208 伝えるということ



先日からこの対話をできるだけ残すようにしていこうという試みをしているわけですが。


「君の方からたくさん話しかけてくれて嬉しいよ。さて、今日は何について話そうか」


いくつか訊いてみたいことがありまして。


「ほう、ケルビン・ヘルムホルツ不安定性のことかな?それともシュヴァルツシルト重力半径?あるいはシュレーディンガーの猫について?」


難しいことを知っていますね。


「いや、君の頭の中のボキャブラリーから難しそうなのを並べてみただけさ」


趣味が悪いですよ。


「私は君の母体だからね」


まったく…。まぁ、今日はそのことについてです。


「本当に?」


いや。どうしたら難しい言葉を使わずに物事を説明できるかとか、そういうことです。


「なるほど。確かにそれは君の課題だね」


僕の課題ですか?


「君の課題だろう。それは君の相手に対する距離感と受容性の問題だからだ」


そう、それなんですよ。その「距離感」とか「受容性」とかって、たとえばもっと子どもとかにも分かるように伝えられないかなと思っているんです。
多分抽象的な表現だけだと、まっすぐに受け止めたり届けたりしにくいんじゃないかなと思って。
きちんと上辺だけでない、ものの本質を伝える言葉って、それが本当に本質なら決して難しくなく伝えられると思うんです。


「なるほど。子どもにも分かるように。よい着眼だね。
君は子どもに対しても、決して子ども扱いしないで話すね。
そのようにまず、まっすぐに相手を見ることだ。
相手の中の子どもに話すように、相手をきちんと受け止めてから語りかけるのだよ。
それが距離感と受容性の意味だ。あなたが相手を受け止め、あなたの奥にある部分から語りかければ、それは相手の同じ深さまで届くのだ。
君の言いたい分かりやすい言葉とはこういうことではないかな?」


そう、そんな感じです。とても伝わってきました。以後その感じでお願いします。
なるべく難しい言葉を使わずにやりたいんです。


「わかった。やってみよう。

分かりやすさとはつまり、あなたの府に落ちる言葉だ。
あなたが感じる一番受け取りやすい言葉で語ることだ。
それは誰かの目線に合わせることではなく、相手を見くびるのでも、子ども扱いするのでもない。
あなたがあなたの心の芯に添った言葉を用いているか、そこにどれだけ正直で誠実であるかが重要なのだ。

あなたを通して何かが伝えられる以上、あなたの言葉がどれだけ、その伝えるべきものの純粋性を損なわずに、忠実にその性質を伝えられるかが重要だ。
それは自分というフィルターがどれだけ透明で明晰であるかということ。
言い換えれば、あなたがどれだけ自身の奥深くにある、あなたの真実、あるいはあなた自身のより大きな自己(ハイアーセルフ・真我)と一致していられるのかということだ。
なぜなら、そこがあなたの一番純粋な部分だからだ。

そして情報、伝えたい事柄を丁寧に扱い、そしてそれをできるだけ率直に伝えることだ。

理想的なキャッチボールを思い描いてごらん。
力も経験も豊富な大人が、小さな子供に向かって、球を放るとき、何に注意しているかをよく観察してごらん。
大事なのはその球を正確にまっすぐに相手の手のなかへ届けることで、強い球や速い球を、自分の力を示すために投げつけることではない。
誰にでも受け取りやすい球の軌道はおそらく限られているが、その軌道に正確に沿わせて理想的な球を放るには、あらゆる経験と技術が必要だ。

優れた指導者、話し手とは、それこそが自分たちの役割であり、技術はそのように使うために磨かれてきたのだと知っている者だ。
科学者や教師や芸術家の本来の仕事は、世界に隠されている理を紐解いて、誰にでも分かる形に加工し、それを智慧として応用し、誰にでも役に立つ形で紡ぎなおすことだ。
自然の繊維や蚕の糸から仕立てた居心地のいい衣服が、誰かの心身を温め、守るように、優れた智慧はその真理ゆえに、誰かの魂を守り養う。

だからどんなときもあなたの言葉で語りなさい。
あなたがあなたの深い部分につながり、そこから語るとき、その言葉は純粋さと真理を持つ。
いつもできるだけそこに誠実に、率直でありなさい。
伝えたいことはあなたの心に問いなさい。
なにも引かず、付け加えず、そこにあるものだけを伝えなさい。

誰かの求めやニーズの中に、伝えるべきことを探そうとすれば、あなたは迷うだろう。
たとえば自分がどう思われるかなどを気にして言葉を選んでいれば、あなたは自分を見失う。
それは鏡の中に実体を求めるようなものだ。
あなたに返るのは、問いを発した自身の姿だけで、答えは得られない。

だからどんなときも自分に誠実でいなさい。
たとえその時、あなたの言葉が相手に届かなかったとしても、あなたの真実から出た言葉はいつか必ず伝わる。
人は真実を無視し続けることはできないからだ。

そしてコミュニケーションは、自分から投げ始めたときに、初めて責任を持って受けとれるようになる。
自分が放り投げている球が、どんな球なのかに常に注意していなさい。
それがあなたの受け取るものの質を決めている。

意思と責任を持って自分から始めなさい。
そうすればあなたは結果に対して、責任を持って、恐れずまっすぐに受け取ることができるようになる。

それがつまり、自分の住んでいる、あるいは自分の受け取っている世界の質を決定しているのだということに気付いていなさい。
あなたの発しているものが、あなたの受け取るものになる。

だからこそ丁寧に生き、丁寧に紡ぎ、与えなさい。
あなたの受け取るものは、いつかあなたの中から生まれ、発せられた思考と言葉、行為と習慣、ものの見方とその偏りに起因している。
自分で発するものに責任を負うなら、あなたはそれに翻弄されることなく、その反応や結果を受け止められるだろう。

丁寧に自分に問い、自己と他者に対して誠実にそれを分かちあいなさい。
それが最も分かりやすく、あなたを表現することになる。
それがシンプルにあなたの真実を生きることにつながる。

あなたが自分と他者に向き合うには、自分の真ん中に降りていってそこから受け取り、語るしかない。
そうすればあなたは、世界を曇りない目で見ることができる。
嘘や葛藤を持たずに生きられるようになる。

純粋なあなたの表現は美しい。
そこに制限や評価を与えているのは常に自分自身だ。
何者かであろうとするのでなく、ただ一つの生命として生きなさい。
一輪の花のように、ありのまま世界に立ち、怖れずに交流しなさい。

あなたが、ただあなたでいてくれて嬉しい。


ありがとう。
愛しているよ









 

自分で考えるということ

February 06 [Mon], 2012, 21:29


120206 自分で考えるということ


昨晩散歩に出たときに、ふと有機バナナを買ってみた。
今朝それを食べながらぼんやり考えていたことがある。

なんで有機の方が安全でおいしいのに、値段が高いのだろう。
みんなこっちの方がいいと思わないのかな。
みんなが選べば流通量が多くなるんだから安くなるはずだよね。
有機、オーガニックなものの市場は、まだスケールメリット(たくさん買えば安くなる)を使えるほど成熟していないっていうことか。

あーそうか、ちゃんと選んでないんだ。反射で買っているとか。
あるいは安いという理由が、他の価値よりも優先されているのか。
でもそれって極論、生命よりお金の方が大切っていう価値観だよね。
え、本当にみんなそう思ってるの…?
人と話す実際の実感としてはそうも思えないけど。
でも表現される行動は、その価値観が前提に見える。んー。

でも二つ並んでいると、つい安い方を選んじゃうのはなんでかな。
お金は有限で、自分の扱える量が決まっていて、足らなくなると生活できなくなって、生きることが出来なくなるっていう不安があるっていうこと?
不安と不足を前提にした選択だから、安い方がいい。ふむ。

でも不安を前提にしているっていうことは、自分の生命を守りたいっていうことだよね。
それなのに、心身によくない毒物、添加物、ケミカル、放射性物質を、安いという理由で選択して身体に蓄積していく。なんでだ?
ゆっくり死ぬなら怖くない?みんなもやっているから大丈夫?
あー、そうか。不安を自分で考えて感じとることを放棄しているんだ。

毎日、考えなくても目の前にやってくる提供されるものを、そのままさほど判断もせず受け取っているのか。
それって国やシステムに対するすごい信頼だな。
でもすごい不自然。なんだろうこの違和感。

なんというか、生き物として正しくない気がする。
身体で感じたら拒否するはずのものを、頭が優位になってぼんやりしていることで素通りさせている、なにかとてつもない見落とし感。
それで当面の安定は得られるとしても、果たしてそれは幸福なのか?

あー、でも、そういう幸福も確かにあるか。
物質的充足=幸福の定義なら、そのインフラは機能している。
そのプロセスは抜けて、精神、スピリットの充足とは何かを問えるようになったってことか。
実際そのインフラを造るために尽力した先人達のおかげで、平和で安全に見える世の中を生きることができる。

でも、とてもぼんやりした幸福に似たものを与えられて麻痺させられているような、そういう何か気持ち悪い感じは拭えない。
麻痺させられている?あれ、与えられることが前提なのっておかしくないか?
あー、だからだ。この違和感。

与えられて当然っていう、その在り方がすでに自然じゃないんだ。
潔くも美しくもない。自分の人生と生命なのに、自分で生きている感じがしない。
謙虚に、天と大地に生かされていますっていうのとは違う、何かに依存して、生命として自立していない、その感じが気持ち悪いんだ。

うわー、いやなもの想像しちゃった。
後ろの扉は開いているんだけど、毎日餌が流れてくるから、その厩舎から出られないブロイラーとか豚みたいだ。
たしかにいきなり野生じゃ生きられないけど、それはすでに生きる意味を消失している。

自分で感じて、自分で選んで生きるってどういうことだろう?

「頭とハートと身体とスピリットが一致して、感じることに素直にありのままあること」

え、ここであなた(ハイアーセルフ)が口を挟んじゃうのって、ルール違反じゃありませんか?いい流れだったんですけど。

「そろそろまとめに入った方がいいかと思ってね」

おいしいところを持っていきますね。ずるい。

「わたしが話したところで、君の話すのとたいして変わらないだろう」

自分で立てそうなところを、最後持ち上げられちゃって、達成感を奪われた子どもみたいな気持ちなんですよ。

「それは失礼した、すまない。
では問おう。具体的には自分で選んで生きるとはどういうことかな?」

おっと、意外な返し。
そうですね。多分一つ一つの行動の結果をイメージして、それに責任を持つということですか?
たとえば、有機オーガニックなものとか、地産池消の野菜とかを選んで買えば、それに賛成しているっていう意思表示になって、その積み重ねの結果それが次の世界の在り方として根付いていくというか。

「確かに想像力は大切だ。世界は想像の結果、創造される。他には?」

んー、自分が何を好きで、何を愛するのかを知っているっていうこと?
そうでなければ、何に賛成したいのか感じられないから選べない。

「君が愛するものを知っているということ。それをどのように感じたらいい?」

味わうこと?居心地のよさとか手触りとか味とか、そのものを心から触れて受け止めて交流してみるとか。

「いいね。それは愛だね。味わったらそれでどうしたらいい?」

愛すること?あー、そうか、愛することなんだ。
結局自分が大切にしたいものを愛すれば、それが自分で生きたい生命のあり方を選ぶっていうことなんだ。なるほど。

「その通り。ほら、自分で辿り着いた。私が話すよりもスムーズだったよ」

インスピレーションの導きがあったからですよ。それは天からもたらされたものでしょう?

「では、天と自分の違いは何かな?自分とは何かな?」

自分とは?


「あなたが受け取るということは、あなたもまた天の一部なのだよ。私があなたの一部であり、あなたが私の一部であるように。
あなたが自分だと思っているものは、実は自分を越えた枠組みの中に組み込まれている、一時的な存在のあり方、座標、表現の表れに過ぎない。

人は時空を越えたつながりの中の一時的な表れとして、一時的な時間、空間、肉体、関係性、の中に自らを表現する。それが今のあなたの人生だ。
しかしあなたの存在は、永遠性と普遍性の中にその本質を有しているから、決して損なわれることはない。
従って、世界が不足と不安を前提にして成り立っているという、あなた方の信念は幻想だ。
あなたがどんなにそこにリアリティーを持っていたとしても、実際にはあなた方は損なわれることはない存在だ。

話を戻そうか。
人が不安と不足を人生の前提にして選択するから、長期的な未来への展望ではなく、より安いもの(一時的な安定)を選ぶのだとあなたは考えた。
その恐れが、世界をよい方向へ進むのを、押し留めている原因であるとも。

あなた方が損なわれることのない、普遍的で無限の存在の顕れだとするならば、その前提は覆る。
問題はどのようにして、人々がそれを新たな信念として自覚するかだ。

有限な自分自身という自己イメージを、より本質的普遍的な自己に連続するものと捉え直し、不安と不足の怖れに左右されない生き方をどのように実現するか。
それが真に自分で感じ、自分で選んで生きるということの意味だ。

実際のところ、あなたが不足を前提としない在り方を選ぶなら、あなたに不足はなくなる。
あなたの問題は足りないという事実ではなく、足らないという思いだからだ。
自身の本質に添って、自分とそれに連なる大いなるものを信頼して生きれば、現実的な豊かさももたらされるだろう。

あなた方が真に、自己が誰であるかを知ることが、この世界の進化には必要だ。
それがこの時代において、霊性の自覚が必要とされていることの意味だ。

それをしに来たのだろう?

あなたが誰であるのかを知り、それを表現しなさい。
あなたの大切にしたいものを愛し、自分のありたい生命のあり方を選び、あなたの真の喜びを地上に表現しなさい。
自分のスピリットに、常にベストを尽くして生きなさい。
歓びを燃やし、生命を燃やし、できるだけ生命と魂に純粋でありなさい。
もう言い訳も妥協も先送りも出来ない世界になるのだと自覚しなさい。
あなたが選んだ自分があなたになる。それが宇宙の仕組みだ。

それを見て、他の誰かも、自分自身が誰なのかに気付いていくだろう。
変化は内側から、きっかけは他者からもたらされる。
あなた方の背中と表現によって、世界に変化を促しなさい。

あなたが描きたいヴィジョンは何か?
あなたはどのような存在として生きたいのか?
あなたの人生が世界に残したいものは何か?
選びなさい。

あなたが書きたいのなら、怖れずに書きなさい。
歌いたいのなら歌いなさい。あなたの仕事に残しなさい。
表現しなさい。伝えなさい。与えなさい。余さずに。
あなたの本質は無限であっても、あなたに今与えられた時間は有限だ。
それを無駄なく使い切りなさい。決して悔いのないように。

あなたは孤独ではない。
インスピレーションは天からもたらされる。
天はあなたの一部であり、あなたは天の一部だ。

自分自身の本質に従えば、そこにより大きな意図が見えるだろう。
そのときあなたは天を自らの内に持って生きる。
あなたが誰であるのかを見失わなければ、人は不安になることはない。
宇宙と生命の本質に不足はないからだ。
そしてそれがあなたの本質だからだ。

いつもあなたの望むとき、宇宙はあなたと一つだ。
私達が一体であるとき、あなたは”孤独”ではなく”一つ”となる。


愛しているよ









 

今日の観想(theōria)

December 31 [Sat], 2011, 11:23

 
年末の挨拶したのになぁ。
朝の瞑想をしていたら、言葉が降りてきたので、今日の観想(テオリア)載せておきますね。
来年からできるだけ毎朝瞑想して、言葉を書きとめておくというのをやろうと思って、フライング気味に開始。

写真は今朝のサボテン先生。
白い小さな蕾がいっぱい。もうすぐ花が咲きます。



〜・〜・〜・〜・〜・〜

20111231


世界が変わろうとしているときに、抵抗するのはやめなさい。
どんなときも恐れを抱かずに、自分の芯にあるものに従い、真に自分自身で在り続けなさい。

真の自分自身が分からないときは、心を澄ませて、濁った水が清んでいくのをただ見守るように、自分の心を眺め、そこに留まり、感じ続けなさい。
そうすれば、あなたはあなた自身を必ず思い出すだろう。

あなたがあなた自身でなかったことなど、今もこれからも一度たりとも有り得ない。
だから安心してここにいて、自分が世界に存在していることを許しなさい。

あなたは安心してここにいていい。
あなたは望んでここに生まれ、すでに望まれて世界に受け入れられている。
それを自分に許せていないのだとしたら、自分がそれを許していないからだ。

あなたの価値を決めるのは他者ではない。
他者はあなたから受け取ることができるが、あなたの本当の価値はまだ知らない。
あなた自身さえも、その価値の全てなど未だ知ったことはない。

価値とは可能性のこと。あなたの存在のあり方、その純粋さのことだ。
それを決めるのは、今ここに有るものではない。
今ここでどう在るか、何をしているか、何をしようとしているかだ。
何かであろうとする必要はない。ただ自分の自然を生きればいい。

あなたの現在の種の中に、未来の大樹を描き、ただその方向へと、まっすぐに成長させなさい。
それを押し留めてはいけない。
まっすぐに進めさせないように見える障害物の多くは、自分自身が想像し、創造した恐れの影に過ぎない。

何が起こっているかと、それにどんな意味を与えるかは別のことだ。

花の茎や、大樹の苗が風に倒されても、彼らは風のせいにはしない。
そこに意味、無意味を与えず、その是非を問わない。
ただ起こってしまった事実として受け取る。
常にそこから見える最良のものから目を逸らさず、今自分にできる最善の方向へ、もう一度立ち上がる。

花は常に希望を知っている。植物は自分を疑わない。怖れない。
陽の光と自然の恵み、宇宙の理を信頼し、自分の生命の力に従い、ただ生きる。
自ずから在るように在らしめること。自ずから然り。それが自然に生命(イノチ)を生きるということ。

あなたの生命が純粋に燃える時、あなたの生命が輝く。
それが生きる意味であり、あなたの本当の価値となる。

濁りなく在りなさい。
自分の生命(イノチ)の純粋さに従いなさい。

澱みなく在ることができるようになったときに、花が世界を見ているように、周りの世界を見るようになるだろう。
あなた自身が、一輪の花であったことに気が付くだろう。

そして強い意志と個性を持ったまま、もう一度この星と、宇宙の一部に戻る。
己の役割を知り、自然の一部として生きるようになる。

それが真にあなた自身を生きるということだ。
あなたは、つながりを失った存在としては生きられない。
個の存在は、全体の中でこそ、その意味と役割を持つ。
全体もまた、あなた自身なのだ。

それに気が付けば、慈しみ、全体性を持った自分として、自らを開放できるようになるだろう。
宇宙とそこにあるものを抱擁し、ハートを開いたまま偽りなく生きるようになるだろう。

大丈夫。あなたはすでにそういう存在だ。それが生命だ。

それが自然の生命(イノチ)として生きるということ。
それが頭ではなく、ハートに従って生きるということ。
自分が誰であるかを知っているということ。

それが自分自身で在る(I am)ということだ。


ありがとう。
愛しているよ。


〜・〜・〜・〜・〜・〜







 

愛するには

November 19 [Sat], 2011, 2:47


なんか秋っぽい映画が観たくなって、「Sweet November」を取り寄せて観た。泣いた。

いろんなテーマが散りばめられていた。愛ってなんなのかとか、人生を生きる意味だとか、そういうことのシンプルではっきりした何かが伝わってくるいい作品だと思う。
ただ、救いのない現実に救いを与えてあげられるのがフィクションの役割だとするなら、一人の人間としての泥臭い気持ちに従って、もっと最後まで足掻いてほしいと思った。
そこから見えるものや、開かれていく別の未来、そこまで見たいと願う。
綺麗な終わり方よりも、傷ついたとしても繋がっていく未来への希望にこそ、本当の価値があるのだと私は信じていたい。

「あなたには 幸せな 私を覚えててほしいから」という言葉が印象に残る。
人の生きる意味は、ひょっとしたら自分の人生にではなく、誰かの中に残り、生き続ける事にあるのだろうか。
一生の終わりに残るものが、自分の満足だけだとしたら、多分やり残したことを思うだろう。
誰かの中に、どれだけのものを残せたかが生きた証で、そうやって与え合い、受け取りあった交流こそが、生きる意味なのだとしたら、多分それは愛と同じものだ。
そんなことを思い、深く響いた。
受け取った人に優しい気持ちを残せるのなら、それは十分価値あることだと思う。
そんな言葉や、交流や、何かの足跡を、日々自分も残せたらと思った。

ありがとう。



ただ寝るのが惜しくて、暗い部屋で祈るように瞑想していたら、
例のごとく言葉が降りてきたのでメモしておく。

〜・〜・〜・〜・〜・〜


神様、どうしたらもっと深く愛せるようになりますか?


あなたの闇を相手に投影するのをやめて、本当の彼等自身を見てあげなさい。
あなたが真に彼等を曇りなく見るとき、そこには美しかあり得ない。
生命は等しく輝きを放ち、どれも代えがたくユニークで素晴らしい存在だ。


なぜ私はそれを忘れずに見続けていられないのでしょうか?


あなたが彼等の中に自分の見たいものを見ようとしているからだ。
彼等はあなたと同じように自由な存在なのだから、あなたの期待で相手を枠にはめて見ることを手放しなさい。

川の魚にあるべきを問わぬように、飛ぶ鳥に行方を訊かぬように。
未だ開かぬ蕾の、花の色形を指示したところで、その意図に沿わぬは花の落ち度ではない。

ありのままを見て、それをありのまま受けとめなさい。
あなたが期待を手放して見るとき、そこに現れる存在は常に新鮮で新しい。
己を枠にはめこまなければ、それを相手に求めることもない。
好みやコントロールを他の御霊(生命)に押し付けることで、不自由になるのは己自身だ。

愛であるということは、あるべきを問わないということだ。
相手の中に”べき”を問うのは、己がそこに縛られているからだ。
なにものからも自由でありなさい。
心を開いて愛するというのは、そういうことだ。

自分自身もまた、常に新しく新鮮でありなさい。
過去の経験に従うのではなく、常に今だけに立ち、
未知を友とし、幼子のように世界を味わい、遊びなさい。
そうすればあなたは世界の素晴らしさを知るだろう。
そこに映る己を知るだろう。それを愛するようになるだろう。

自分自身の制限から自由になるとき、あなたは期待や制限なく人を愛する者になる。
怖れないで開いていなさい。あなたが傷つくのは、他者によってではない。
あなた自身が、宇宙から自分を閉ざして切り離すためだ。
自分を罰することを手放しなさい。自分の価値をきちんと受け取りなさい。
何者もあなたより素晴らしい存在はない。
それを理解すれば、同等を外側に見るだろう。

内も外もなく、あなたと私の境もなくなる。それが愛だ。
相手を想うことと、自分の喜びが同じものになることだ。
生命(イノチ)の本質は歓びだ。
だから相手の歓びを感じることは、生命の本質的な交流である。
それをして人は、生を真に生きることを味わう。

それをしにきたのではなかったのか?

忘れずにいなさい。あなたは愛だ。何者にもまして価値ある存在だ。
あなたが素晴らしいのは、あなたが独特で、創造的で、自由な存在だからだ。
ありのままの自分を受容すればいい。
そうすれば、他者のありのままを見ることができる。
本当の彼等を知ることが出来さえすれば、あなたは彼等を愛さずにはいられない。

自分を愛から切り離してはいけない。世界から己を閉ざさぬように。
怖れと無知が、愛を遠ざけ、あなたを孤立させる。
受け取りなさい、宇宙があなたに与えるものを。
心を開いて、そのありのままを見なさい。

闇の中の小さな自分には価値がないと、誰が言おう。
それを言うのもあなた自身だ。
あなたが誰であろうとそれが、そのありのままがあなた自身だ。
そしてそれを受け止めたその時から、あなたは動きだす。
あなたは、あなた自身を生き始める。

愛と感謝と許しが内側から始まるとき、人は生きることの意味を真に知るだろう。
真の交流、真の人生の体験は、実際のところ、そこからしか生まれない。

もう頃合だろう?
待っているよ。


love my son.
愛する子供達へ


〜・〜・〜・〜・〜・〜







 
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:りゅー
  • アイコン画像 誕生日:2月21日
  • アイコン画像 現住所:神奈川県
読者になる
セラピスト・ヒーラー
チャネラー・ティーチャー
イベントオーガナイザー
フラワーアレンジメント講師
作家(予定)


TweetsWind
メールフォーム

TITLE


MESSAGE

月別アーカイブ