今日の観想(theōria)

December 31 [Sat], 2011, 11:23

 
年末の挨拶したのになぁ。
朝の瞑想をしていたら、言葉が降りてきたので、今日の観想(テオリア)載せておきますね。
来年からできるだけ毎朝瞑想して、言葉を書きとめておくというのをやろうと思って、フライング気味に開始。

写真は今朝のサボテン先生。
白い小さな蕾がいっぱい。もうすぐ花が咲きます。



〜・〜・〜・〜・〜・〜

20111231


世界が変わろうとしているときに、抵抗するのはやめなさい。
どんなときも恐れを抱かずに、自分の芯にあるものに従い、真に自分自身で在り続けなさい。

真の自分自身が分からないときは、心を澄ませて、濁った水が清んでいくのをただ見守るように、自分の心を眺め、そこに留まり、感じ続けなさい。
そうすれば、あなたはあなた自身を必ず思い出すだろう。

あなたがあなた自身でなかったことなど、今もこれからも一度たりとも有り得ない。
だから安心してここにいて、自分が世界に存在していることを許しなさい。

あなたは安心してここにいていい。
あなたは望んでここに生まれ、すでに望まれて世界に受け入れられている。
それを自分に許せていないのだとしたら、自分がそれを許していないからだ。

あなたの価値を決めるのは他者ではない。
他者はあなたから受け取ることができるが、あなたの本当の価値はまだ知らない。
あなた自身さえも、その価値の全てなど未だ知ったことはない。

価値とは可能性のこと。あなたの存在のあり方、その純粋さのことだ。
それを決めるのは、今ここに有るものではない。
今ここでどう在るか、何をしているか、何をしようとしているかだ。
何かであろうとする必要はない。ただ自分の自然を生きればいい。

あなたの現在の種の中に、未来の大樹を描き、ただその方向へと、まっすぐに成長させなさい。
それを押し留めてはいけない。
まっすぐに進めさせないように見える障害物の多くは、自分自身が想像し、創造した恐れの影に過ぎない。

何が起こっているかと、それにどんな意味を与えるかは別のことだ。

花の茎や、大樹の苗が風に倒されても、彼らは風のせいにはしない。
そこに意味、無意味を与えず、その是非を問わない。
ただ起こってしまった事実として受け取る。
常にそこから見える最良のものから目を逸らさず、今自分にできる最善の方向へ、もう一度立ち上がる。

花は常に希望を知っている。植物は自分を疑わない。怖れない。
陽の光と自然の恵み、宇宙の理を信頼し、自分の生命の力に従い、ただ生きる。
自ずから在るように在らしめること。自ずから然り。それが自然に生命(イノチ)を生きるということ。

あなたの生命が純粋に燃える時、あなたの生命が輝く。
それが生きる意味であり、あなたの本当の価値となる。

濁りなく在りなさい。
自分の生命(イノチ)の純粋さに従いなさい。

澱みなく在ることができるようになったときに、花が世界を見ているように、周りの世界を見るようになるだろう。
あなた自身が、一輪の花であったことに気が付くだろう。

そして強い意志と個性を持ったまま、もう一度この星と、宇宙の一部に戻る。
己の役割を知り、自然の一部として生きるようになる。

それが真にあなた自身を生きるということだ。
あなたは、つながりを失った存在としては生きられない。
個の存在は、全体の中でこそ、その意味と役割を持つ。
全体もまた、あなた自身なのだ。

それに気が付けば、慈しみ、全体性を持った自分として、自らを開放できるようになるだろう。
宇宙とそこにあるものを抱擁し、ハートを開いたまま偽りなく生きるようになるだろう。

大丈夫。あなたはすでにそういう存在だ。それが生命だ。

それが自然の生命(イノチ)として生きるということ。
それが頭ではなく、ハートに従って生きるということ。
自分が誰であるかを知っているということ。

それが自分自身で在る(I am)ということだ。


ありがとう。
愛しているよ。


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愛するには

November 19 [Sat], 2011, 2:47


なんか秋っぽい映画が観たくなって、「Sweet November」を取り寄せて観た。泣いた。

いろんなテーマが散りばめられていた。愛ってなんなのかとか、人生を生きる意味だとか、そういうことのシンプルではっきりした何かが伝わってくるいい作品だと思う。
ただ、救いのない現実に救いを与えてあげられるのがフィクションの役割だとするなら、一人の人間としての泥臭い気持ちに従って、もっと最後まで足掻いてほしいと思った。
そこから見えるものや、開かれていく別の未来、そこまで見たいと願う。
綺麗な終わり方よりも、傷ついたとしても繋がっていく未来への希望にこそ、本当の価値があるのだと私は信じていたい。

「あなたには 幸せな 私を覚えててほしいから」という言葉が印象に残る。
人の生きる意味は、ひょっとしたら自分の人生にではなく、誰かの中に残り、生き続ける事にあるのだろうか。
一生の終わりに残るものが、自分の満足だけだとしたら、多分やり残したことを思うだろう。
誰かの中に、どれだけのものを残せたかが生きた証で、そうやって与え合い、受け取りあった交流こそが、生きる意味なのだとしたら、多分それは愛と同じものだ。
そんなことを思い、深く響いた。
受け取った人に優しい気持ちを残せるのなら、それは十分価値あることだと思う。
そんな言葉や、交流や、何かの足跡を、日々自分も残せたらと思った。

ありがとう。



ただ寝るのが惜しくて、暗い部屋で祈るように瞑想していたら、
例のごとく言葉が降りてきたのでメモしておく。

〜・〜・〜・〜・〜・〜


神様、どうしたらもっと深く愛せるようになりますか?


あなたの闇を相手に投影するのをやめて、本当の彼等自身を見てあげなさい。
あなたが真に彼等を曇りなく見るとき、そこには美しかあり得ない。
生命は等しく輝きを放ち、どれも代えがたくユニークで素晴らしい存在だ。


なぜ私はそれを忘れずに見続けていられないのでしょうか?


あなたが彼等の中に自分の見たいものを見ようとしているからだ。
彼等はあなたと同じように自由な存在なのだから、あなたの期待で相手を枠にはめて見ることを手放しなさい。

川の魚にあるべきを問わぬように、飛ぶ鳥に行方を訊かぬように。
未だ開かぬ蕾の、花の色形を指示したところで、その意図に沿わぬは花の落ち度ではない。

ありのままを見て、それをありのまま受けとめなさい。
あなたが期待を手放して見るとき、そこに現れる存在は常に新鮮で新しい。
己を枠にはめこまなければ、それを相手に求めることもない。
好みやコントロールを他の御霊(生命)に押し付けることで、不自由になるのは己自身だ。

愛であるということは、あるべきを問わないということだ。
相手の中に”べき”を問うのは、己がそこに縛られているからだ。
なにものからも自由でありなさい。
心を開いて愛するというのは、そういうことだ。

自分自身もまた、常に新しく新鮮でありなさい。
過去の経験に従うのではなく、常に今だけに立ち、
未知を友とし、幼子のように世界を味わい、遊びなさい。
そうすればあなたは世界の素晴らしさを知るだろう。
そこに映る己を知るだろう。それを愛するようになるだろう。

自分自身の制限から自由になるとき、あなたは期待や制限なく人を愛する者になる。
怖れないで開いていなさい。あなたが傷つくのは、他者によってではない。
あなた自身が、宇宙から自分を閉ざして切り離すためだ。
自分を罰することを手放しなさい。自分の価値をきちんと受け取りなさい。
何者もあなたより素晴らしい存在はない。
それを理解すれば、同等を外側に見るだろう。

内も外もなく、あなたと私の境もなくなる。それが愛だ。
相手を想うことと、自分の喜びが同じものになることだ。
生命(イノチ)の本質は歓びだ。
だから相手の歓びを感じることは、生命の本質的な交流である。
それをして人は、生を真に生きることを味わう。

それをしにきたのではなかったのか?

忘れずにいなさい。あなたは愛だ。何者にもまして価値ある存在だ。
あなたが素晴らしいのは、あなたが独特で、創造的で、自由な存在だからだ。
ありのままの自分を受容すればいい。
そうすれば、他者のありのままを見ることができる。
本当の彼等を知ることが出来さえすれば、あなたは彼等を愛さずにはいられない。

自分を愛から切り離してはいけない。世界から己を閉ざさぬように。
怖れと無知が、愛を遠ざけ、あなたを孤立させる。
受け取りなさい、宇宙があなたに与えるものを。
心を開いて、そのありのままを見なさい。

闇の中の小さな自分には価値がないと、誰が言おう。
それを言うのもあなた自身だ。
あなたが誰であろうとそれが、そのありのままがあなた自身だ。
そしてそれを受け止めたその時から、あなたは動きだす。
あなたは、あなた自身を生き始める。

愛と感謝と許しが内側から始まるとき、人は生きることの意味を真に知るだろう。
真の交流、真の人生の体験は、実際のところ、そこからしか生まれない。

もう頃合だろう?
待っているよ。


love my son.
愛する子供達へ


〜・〜・〜・〜・〜・〜







 

Amazing Grace

November 03 [Thu], 2011, 2:18


一日何かを読んでいた日。

起きるまで夢だと気が付かなかった、とても居心地のいい世界の明晰夢から醒めて、こちらの世界を生きている自分の現実に戻された。そんな朝の始まり。

そういえば昨夜は自分の中で、なんだかとても腑に落ちる気付きを得た日だった。
今朝あの世界に夢でつながっていたのは、ひょっとしたらそれが関係していたのかもしれない。

それはなんか当たり前すぎて、わざわざ口に出す必要もないようなものだったのだけど、多分僕が受け取る必要のあるものの中でも、とても重要なものなのだと思う。
私が揺れて振り回されてきた自分の中の感情や、葛藤や傾向(パターン)みたいなものが、なぜそこに存在していたのか唐突に分かったのだ。
言葉にすると薄れてしまう気がしてうまく説明しづらい上、あまりに個人の感覚に依存する体感なので、おそらく十分な理解は得られないかもしれないが、敢えて書いてみる。

それはすべてはこの魂があの源につながっている自分として、同時にここに在ることに気付くために存在したブレ(焦点を合わせるまでの)というか揺らぎ(一時的な忘却と離脱)のようなもので、感情体やメンタル体等、肉体により近い層の感受性に引きずられずに、同時にここに、より拡がった存在として、どれだけ自分として深く在るあり方を選べるかということだったのだ。
それは魂や精神の成長や自立と関係している。

あまりにも幼い自身の感情を、どうにも持て余してしまうときに、それがどのようにすれば満たされるのかにきちんと向き合うと、必要のあるプロセスを得て、人は変わり、成長していく。
それはスピリットの成長にもきっと同じことなのだろうと感じる。それをありのまま欲し、ただ受け止めていけばいいのだと分かった。
きちんと愛されていることを受け止められた子供が、もう甘える必要のない自信を得て、自然と自立していくように、スピリットはありのままを受け止められることを望んでいる。
その人と人、人と宇宙の無条件の交流を、何と呼んでも構わないが、きっとそれが愛なのだろうと思う。

夜遅く終電で帰ってきて、なんだか夕涼みしたくなって一つ前の駅で降りて、まだ若い三日月と、明るく透き通った冬の一等星を見上げながらてくてく歩いていたら、とても澄んだ、あの懐かしい感情がふいにやってきた。
肌寒いけれど清々しい風が頬に触れ、吹き抜けて、とてもいい夜だと思った。
秋の夜には時折、こういう心を清ますような風が触れる。
それは決まって、夜気の底でたった一人で居るときにだけ来るのだ。

それを味わっていたら、それに侵され揺さぶられることのない、自分の芯のスピリットの存在と、それに連なる大きな源を意識した。
個でありながら全である事は矛盾しない。それは個が全の一部だとか、全は個の集合だとかいう事ではなく、個と全は「同時」に、そして矛盾せず確かに今ここにある。
これを保ち、かつ同時に個の感じている喜びと意思、願い、愛、情熱に従って、より純粋に生きることが、己の魂をありのまま生き、表現することだ。
自分の中の矛盾や不理解や稚拙を含めて、少しずつでも、もうそれを認めていかなければならない。いずれにせよ今は他の道は見つからない。

スタートには立てたか?間に合ったのか?
空を見上げても、たくさんの出会いと計らい、その恵みと恩寵にただ感謝するほかない。

Amazing Grace.(いと深き、神の恩寵)



そんなわけで、内観の夜と夢の朝を越えた、オフの一日。
どこに出るともなく、ほとんど動くこともなく、ひたすら活字を読んだ日。
漫画、雑誌、実用書、ネット私小説もろもろ5冊分くらい吸収し、感動を蓄積し、修養する。いずれも良作、名作。とても満足した。

そして先ほど、先日書いたメモ日記「10/22 葛藤は何のためにあるのか」に対して、昨年ご縁を頂いたあるクライアントの方から、とても詳細なご自身の理解とシェアを頂いた。
6000字を越える、とても的を得たテキスト。こちらもすごい文才。

こんな私の何かでも、誰かの中にそれぞれの源につながった気付きを促せるものがあるなら、日々ふいに降りてきたりする些細な気付きでも、なるべくアウトプットしていきたいなという励みになる。感謝です。

先日シャワーを浴びてたら降りてきたメモがあったので、せっかくなので載せておくことにする。
なぜかインスピレーションはシャワー中に降りてくることが多い。
記憶や意識の情報は、エネルギーボディの層に蓄積されたり送受信されたりするから、それが水浴びで禊がれて余分がクリアになって、空いたところに入って来やすいのか?興味深い。


*-*-*-*-*

神というものがあるとしたら、なぜ世界の悪や悲惨な現象を許すのかということについて降りてきた気付き。

神(宇宙)の愛は無条件である。
無条件であるということはジャッジや判断がない。
したがって、神というものがあるとしたら、それは現象の善悪を問わない。

個々のスピリットは、その存在のあらゆる側面を体験したいという願いに基づいて生命として生まれてくる。
したがって神の愛は、その存在や現象のあらゆる側面が体現されることを許すという意味でも、無条件の愛である。

重要なのは、個々のスピリットがあらゆる可能性の選択を許された状況の中で、それぞれの意思として何を選ぶかである。
その結果の集積が、我々の体験する世界のあり方のベースを構築している。

故に、世界がどうあるか、私達が何を体験するかは、それぞれ自身の思考と意思と選択の結果である。
そしてそれが、選択の結果である以上、我々はそれぞれの体験する世界も、状況として現れる世界も創造することができる。

*-*-*-*-*


なるほどねぇ。だから自覚的に目醒めて生きるということが、これほど重要だと説かれてきたのね。
この世界のおかれている現在の状態からすればなおさらか。

別に神だのなんだのいつも考えているわけではないけど、他にそれを表す適切な言葉がないし、普遍的なのでつい使ってしまう。もともと宗教的なドグマは持っていない。
たくさんのものの見方があるなら、それぞれ好みのものを使えばいい。
それでも宇宙には人の二元性の持つマインドを越えた理解の仕方や理が、確かにあるのだと思う。
それを解き明かして受け取りたくて、こんなことを20年もやっている。

本当のことと、それを完全には理解し得ないことで生まれるバランスが、人間の生を面白くしているのは確かだろうなぁ。
それでも私は我侭なので、すべて知った上で選びたいのだ。

だんだん生きるって楽しいと思えるようになってきた。
こんなことを考えていることの利点は、日々に埋没して巻き込まれそうになる俗事の中にあっても、人間で居られることの、その体験の貴重さを忘れず思い出せることだ。
見落としがちな日々の中の感動を、一つとして取りこぼすことなく受け取ることが出来たら、この宇宙には、感謝や感動なんて言葉では到底足らない豊かさが溢れている。
ただそれを忘れないための、つまらない理屈なんだ。

だとしたら理屈がいらなくなったときに、本当に受け取れるのかな。
それも楽しみだ。


ありがとう。







 

イノベーション

July 20 [Wed], 2011, 22:51

  
めずらしく早起きだった朝。
まだ外は台風で、雨と風が周期的なリズムで吹きつけている。
早起きはいい。精神と魂が健やかになる。

雨だったので、今日は読書して過ごすことにした。
午後になって緊急連絡が入る。
週末の空気清浄機作りワークショップ用に発注していた圧縮ポンプが手違いでいくつか間に合わない。
ふーむ、なかなかゆったりした休日にはならない。

もう日がないので、不確実な口約束では危険だと感じたので、そのままホームセンターに探しに出る。
最低でも現物を必要数手元に揃えて、WS開催ができるよう保険をかけておこう。

台風の日の外出は億劫だが、豪雨に打たれるのは楽しい。
「ショーシャンクの空に」という大好きな映画の、感動的な解放シーンを思い出す。

買い物ついでに夕食を食べに出たら、カサが風に煽られて裏返った。
続けてきた第二波で決定的に大破した。
なかなかありそうでめったにないことだ。今日はラッキーに違いない。

台風のエネルギーは好きだ。人を変革させるのは常に大きな渦と波だ。

タイミングよく蕎麦屋でジョブスの語録を読んだ。(そのまま読破した)
今思えばそれが計らいとギフトだった。
人間安定していてはだめだと思った。もっと追い込んで飛び込んでいかなければ。

唐突だけど、今日からリズムを変えることにした。今決めた。だから今からやる。
不意に見つけたスティーブ・ジョブス(アップルコンピュータ・NEXT・PIXER等の創始者)の語録を読んでいて初心を思い出したのだ。

彼の言葉にはとてもシンパシーを感じる。とても止まったままではいられない。
いかんね。今まで腐っていた。だからギアを変えていくことにする。

モットーは「有能な怠け者」でよしとしてきたが、それではイノベーションなど望めない。
お前は地球に何をしに来たんだ。

「最善を尽くせ 且つ一流であれ」
学生時代を通して得たものの中で、唯一今まで持ち続けてきた初心に返ろう。
勉強は生き様を学ぶことだ。知識と経験は自分で積まねばならない。

多分ここ数年怠けていたのだ。道理で動きが少ないはずだ。

よし、殺してしまおう。
お前(エゴ)の甘ったれた言い訳などに耳を貸すのはやめよう。


お前はなんのためにここにいる。
お前は誰だ。(Who are You?)

お前はスピリット(魂)だろう。(YES I AM!)

お前(魂)の望みはなんだ。

「イノベーション 意識とライフスタイルの転換 新しい地球の再創造」

それでここで何をしている。最善を尽くしたか?

(………)

今すべきことは何だ?

(今から始めること)

そうだ、あがけ、模索しろ、最善を尽くせ、あきらめるな。


間髪いれずにジョブズの言葉が後を押す。

「すぐれた仕事をできないのは、そう期待されていないからだ」

(「人がすぐれた仕事をできないのは、たいていの場合、彼らがそう期待されていないからだ。誰も本気で彼らのがんばりを期待していないし、『これがここのやり方なんだ』と言ってくれる人もいない。でも、そのお膳立てさえしてやれば、みんな自分で思ってた限界を上回る仕事ができるんだよ。歴史に残るような、本当に素晴らしい仕事がね」)


その通りだ。
だが、少なくとも私は自分自身に期待していたか?

本当に出来ると信じているか。
理想と現実から目を逸らさずにいるか。
言い訳を求めて、他人や状況のせいにしていないか。

そんなお前を見せていて、他の誰がお前に期待する?
誰かに支えられることを望む前に、お前自身の甘えを払拭しろ。

たった一人でも求め続ける者に、味方はついてくる。


さしあたり時間の使い方を刷新しよう。
できるのにしていなかったことがあるはずだ。

早朝起きれば午前中に時間が取れる。まず歩こう。
ニーチェだったかがたしか、「歩かずに得られた智慧を信用するな」と言っていた。
そこで得たものを午前中にアウトプットできれば、午後に仕事を入れても十分間に合う。

自分と地球に残された時間が惜しいので、もう口だけでないものを残していかなければ。
他の人はどうあれ、まず自分から始めよう。
足跡はいつか辿り着く遠くじゃなくて、常に今ある足の下から生まれる。
今は先が見えなくても、辿り着くには歩きだすしかない。

やれやれ、そうそうこの感覚。久しぶりだ。背筋が伸びる。
常にチャレンジャーだった。錆付いていなければいいが。
まずはこれを維持していこう。

台風すばらしいね。
自分を越えた大きなものに掻き回されて、揺さぶられることは時に必要だ。

ショーシャンクの主人公が、自由を求め続けて、嵐の夜に解放されたように、変化は意思と継続と天の計らいの結果だ。
そして計らいは、求め続ける者を押し上げる。

時計を毎朝5時に鳴るようにセットしなおした。
今日はもう少し、昨日の続きの本を読んで寝よう。

この部屋は朝、暑くて寝苦しいので助かる。
起こされたときに起きてしまうことにしよう。

毎日なにか快い変化がある。
体験こそが、この地球で得られる最大のギフトなのだから、自分から取りに行かなければ。


ありがとう。






イノベーション(innovation)
物事の「新機軸」「新しい切り口」「新しい捉え方」「新しい活用法」(を創造する行為)のこと。新しい技術の発明だけではなく、新しいアイデアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす自発的な人・組織・社会の幅広い変革である。つまり、それまでのモノ、仕組みなどに対して、全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出し、社会的に大きな変化を起こすことを指す。










 

滝にうたれて

June 12 [Sun], 2011, 19:56

 
夏至前、上半期の大祓えの禊ぎに、滝に打たれてきました。
毎年行ってる個人的な聖地です。

雨が降ると言われていたのを覆し、程よい薄曇りで気持ちのいい日でした。
さっき家に着く直前あたりからパラパラ来始めたので、待っていてくれてのかも。

今日はわりと一日、自然な心持ちで過ごせました。
この感じが維持できるといいなぁ。

今年は痣にもならず、すべてが清々しく優しかった。[去年の様子]




しかし昨夜の雨で水量もあり、目の前の滝はなかなか壮観。
まだ季節が浅いからか、生きものの気配は少なめだったけれど、
その場所はいつも時の止まっているように、とても深く澄んでいた。

聖地とはきっと、本当は場所のことではない。
受け取り手の中にそれをリスペクトし、受容するための場所があり、そして時間と空間と何者かの意思、その全ての軸がある一点でかみ合ったときに開かれる、神聖な「体験」のことなのだと思う。

山とそこにあるすべてのもの、気配、生命、意思、時間、すべてに心を開いて敬い、明け渡すと、自分の中に何かが入ってくる場所が生まれる。
それは同時に、すべてのものと自分が対等であるという感覚。

敬い、畏れるからこそ、人は自然の中で対等でいられる。
逆らわないこと。流れに身をゆだねること。

滝の流れには、逆らっても決して勝てない。
勝つのではなくただゆだねること、ただ一体であること。

人はなにものでもない。


いつのまにか合掌していた手もほどけて、ただ体の表面を猛烈な水流が流れていくのにまかせていた。
自分の大きな呼吸だけが聞こえる。

この星のために働けますように、私のすべてを使ってください、と昨年は願った気がする。
しかしそうではないということが分かった。

何かのために働くのではない。ただ大きな自然の一部として生きればいい。
自分が偉大な宇宙、自然の一部であることを、ただ受け入れるということ。
何者でもないけれど、全ての一部であるということ。

そうしたらきっと、誰かのキズを庇うことは、自分の痛みを庇うように自然でいられる。
それがきっと心を開くということだ。

手は手だけれど、身体の一部であることをやめられはしない。
人は考えすぎて、きっと離れすぎただけだ。
手先しか見えなくなって、自分がどこから来たのかを忘れてしまった。
本当の身体は目に見えなくて、そして大きすぎるから。

水中の足が冷えて、今朝ぶつけて出来たばかりの足先の傷が疼いた。
その傷は私の傷で、しかし、より大きな自然の一部でもある傷。
それは今、大きな自然に包まれていて、互いが互いを感じている。

なんだかたくさん優しくしてもらった。
深く深く、頭を垂れてお礼をした。
自分に何もできることがなく、とても感謝が深いとき、
人はただ頭を垂れることしかできない。

顔を上げると、少しだけ明るくなっていた。
「またおいで」といわれた気がした。

同じだけ、誰かに優しくありたいと思った。
自然を見るように、囚われも期待もない眼差しで、ありのまま、誰かと向き合えたらいい。
自分のことではなく、自分と相手の間にあるすべてを同時に感じながら、ただ体験し、味わえばいい。

生きるって、解釈することではなく味わうことだ。

味わったら、それを分かち合えば、互いのことがもっとよく分かりあえる。
お互いに感じているものは、お互いを通して感じているもの。
それもまた一つの自然、より大きな存在としての、同じ一つの体験。


帰りのバスと電車でとても眠くなった。
疲れたらしい。人が自分である日常を保ちながら、より大きな自然と交流することが、もっと当たり前になれたらいいのに。
しかし非日常の中だからこそ、見えてくるものもあるのかな。
都市の中でしか体験できないことって、あとどのくらいあるのだろう。

価値観がシフトしていけば、ライフスタイルや人のあり方も変わっていくだろう。
多分、次に自分のやりたいことは、新しいライフスタイルモデルの提示と表現になると思う。

人が自然や宇宙につながって、自分自身として矛盾なく生きるということを、どうやって現実的に調和したライフスタイルの中で実現していくのか。
そのためにはそのインフラになる社会変革や、社会通念に対する革新みたいなものも必要になっていくだろう。

さて何から始めたら楽しいか。
背負い込むつもりはないけれど、私は宇宙の一部としての自分の自然に従っていくだけ。
もうぶれないでいよう。結局従うものは一つしかない。

今日も一日ありがとう。
天と地と、自然と友人達と私自身に、心から


ありがとう。







 

未来を選ぶ

May 14 [Sat], 2011, 7:47


朝起きると窓を叩くものがある。
見覚えのない、一畳ほどの巨大なビニールのぷちぷちが、ベランダで風とダンスをしている。

朝から不思議な来客。夜の間に迷い込んだのだろうか。
未来はいつも未知に満ちている…。


Yesterday is history.
Tomorrow is a mystery.
Today is a gift.
That's why it is called the present.
(Alice Morse Earle)

[意訳:昨日は歴史、明日は謎、今日という日は贈り物
    だから「今」この時を、「プレゼント」と呼ぶ]


結局、未知なる未来を迎えるためには、今を生きるしかない。

人が死ぬ直前の後悔の殆どは、「あれをやっておけばよかった」だそうだ。
「やらなければよかった」と思うことは、実際は殆どない。
だとすれば、悔いのない人生を生きるためには、結局は出来る限り進むしかない。
「これをやっていいのだろうか」なんて言っている暇はない。

進む方向は最初から決まっている。ただ喜びの方へ。
魂の願いは喜びが導くから。生命の力とは喜びの力だから。

最初の生命がこの星に生まれて、「生きる」という体験をしたとき、その歓喜の爆発が呼吸となり、原始の海に酸素を生んだ。

今、地上に生きる全ての生き物は、等しく最初の生命の歓びの上に立っている。
そして生命の意図と願いは、その歓びを可能な限り宇宙に遍く拡げていくこと。

では私の喜びはなんだろう。

生きることを味わうこと。
その中で、より歓びのある体験を選んでいくこと。
自分の生きたいあり方、場所を創造していくこと。

それらはつながって、やがて一つの大きな形を創りだす。
この星を廻り、交わり、たくさんの意図と思いが、次の世界を形作るだろう。

誰もがそこに参加している。
今はたとえ、取るに足らない小さな者だと信じていたとしても。

では何を目指せばいい?
どのようにして為せばいい?

尋ねなさい、あなた自身に。
尋ねなさい、すでに知っている者に。

心地良い風、深呼吸できる空気、美しい水、樹々、木漏れ日、音楽、笑い、仲間、家族、愛する人達、つながり、不安のない世界、明日に希望のある毎日、自立、智慧、尊敬、分かち合い、満ちていて、ただ呼吸するだけで完全に静寂と平穏に満ちた幸せな時間…  最初の生命がかつてそうあったように。

私は居心地のいい世界を創りたい。
それを皆と分かち合いたい。

その方法はすでにある。
いくつもの言葉と多くの口を借りて、すでに語られている。

探し、受け取り、始めなさい。
歩き出せば、進みだす。
あなたが始めれば、その創造にもう一つ力が加わる。

小さな始原の生命が、その歓びからこの星を美しい星に創り変えたように。
喜びに導かせて、それぞれが小さな力のままに、大きなことを為しなさい。

生きることの体験は、それを越えてより大きな生命の目的につながる。
そのときに、お前は自分の生まれた理由を知るだろう。


愛してるよ。
ありがとう。



〜・〜・〜・〜・〜・〜



あれ、いつのまにハイアーセルフにつながって、観想(テオリア)になってた。

そういえば先月、上のような疑問に答えるチャネリング交流会@逗子を行った。とても密度の濃い時間。

この交流会は、上の文中で言うと、「何を目指せばいい?」の部分を掘り下げる作業に当たる。 (What,Where,Why)

このWhat(何を)の答えは、自分で見つけなければいけない。
そしてこの部分をサポートするのが、今の自分の仕事だと思っている。

これらの問いは、自分のハートとスピリットに尋ねれば、喜びをその標として導きと理解を得られる。
そしてそれだけは自分で受け止めなくてはいけない。

対して、現実的に未来を創る方法としては、例えばその夜に伺った田中優さんのお話会が「どのようにして為せばいい?」(How)に答える部分。

[参考] 動画【田中優さん緊急講演会】 ブログ【田中優の'持続する志'


「尋ねなさい、すでに知っている者に」
そう、How(どのように)の問いには、求めれば多くの場合、すでに適切な答えがある。

だから私達は焦らなくていい。それほど怖れなくていい。
ただ求めること、手を伸ばすこと。自分の内と外に。

そうすれば求めるところに辿り着ける。
それは内にも外にも、すでに在るのだから。

たくさんの迷いや疑問の中で、自分のもっとも大きな喜びを見つけられたら、そうあるように、そこを目指すように生きたらいい。
でもそれが見つけられないときは、自分の真ん中に降りていくこと。

自分の真ん中は、宇宙の中心につながっているから。
宇宙の源は、それぞれのスピリットを通して叡智を共有している。

私達はそれぞれの心を覗くことで、それを窓として叡智を受け取れる。
より大きな意識の自分が知っていること、受け取っていることの大きさを知れば、人は恐れる必要はなくなる。

人間はとても大きな可能性を秘めている。
人々が自覚して、未来を選ぶようになったら、どんな未来も創造できる。

そのためには動機が重要だ。
恐れではなく、自らの中の最も大きな喜びに従うとき、人は最良のヴィジョンを創造できる。

自分の真ん中にあるものが何かを知ろう。
それを皆と分かち合おう。

皆がそれを分かち合うとき、この星は喜びのネットで網の目のように包まれる。
生命のエネルギーは歓びのエネルギーだ。
始原の生命が歓びでこの星を包んだように、人間の意識は今つながろうとしている。

命の力、意識の力、魂の力が、自覚されて活用されるとき、最良の創造に向かうとき、人類の意識は目覚める。
そしてそれが惑星の意識と同調するとき、この星の夜が明ける。

さて、どのように(How)それを為す?
まずは知り、集めていこう。一つずつ。



〜・〜・〜・〜・〜・〜



ところで前回、地震と原発事故のために実現しなかった幻の企画が、
お蔭様でこの度日の目を見ました。
おそらくこういったことを話すのではないかと思われます。

 5/28(土) 地球・交流会〜2011

葉山にある、海の見える素敵なお部屋を貸してもらえることになりました。
大きく動く世界の中で、ますますハードルは高くなった感じですが、精一杯楽しんでやってきます。
よろしくおねがいします。


ありがとう。







 

カーネーションとの対話

November 22 [Mon], 2010, 0:11

 
ふーむ、先週中に編集に出しますといった、本の目次草稿が進まない。
今週末はそれに当てるつもりだったのに、気がつくともうすぐ日曜日終わっちゃうよ。やれやれ。

今日は明日のカレー用の酵素玄米炊いたり、
洗濯したり瞑想したりしてたら夕方になってしまった。
お米が美味しく炊き上がったので、
特権として「おこげ」をいただきながら夕食をとる。


その後、ブレインストーミングに入るべく、白紙の束を持ってリビングに広げながらセルフチャネリング。

先方(編集さん)は植物や花に関することを書いてほしいらしい。
もうすでに何度か練り直しているんだけど、通らず。
どうしたものか。

先日のお花ワークショップで作ったアレンジが、目の前で気持ちよさそうに咲き誇っている。
ぼんやり愛でながら眺めていたらチャネリングが始まる。

対話していたら、貴重なアドバイスが降りてくる。
これは久々に観想(テオリア)が書けるか?などと考えながらも、とりあえず紙に書き散らす。
[観想(テオリア) : アウトプットの試みとして行っている自分のためのチャネリング対話集]

目の前の真っ赤なカーネーションが無邪気にエネルギーをくれるのだけど、それを変換するのが僕のハイアーセルフなので、出てきた文章はこわもて。ふーむ。



観想(テオリア) 11
*-*-*-*-*

仕切りなおして、どういうものを世に出したいのか、何を残し、表現したいのかというのを突き詰めて感じていたらヴィジョンが降りてきた。

世界樹の庭
静寂に満ちた巨大な光の柱
調和の表現 ただそれだけを連ねたもの
波動を光の波紋のように拡げる etc…


花に聞く 天地をつなぐ
花のあり方から受け取り、伝える?

どういうのを書いたらいいですかね?


(以下” ”内はカーネーションのハイアーセルフの言葉等諸々)


”伝えようとしなくていい。
ただひろっていくこと。
そこにある気付きや言葉を、贈り物のように。
(森にこぼれるドングリのイメージ)

書こうとして書いたら、あなたの言葉ではなくなるよ。

生命(イノチ)はあまねく満ちている。
目的はない。

(宇宙)生命(イノチ)の本質を伝えるのに段取りはいらない。
ただ体験して、満たされればいい。

あなたが満たされて、、それを溢れさせて伝えるのだ。
あなたの中に愛ある言葉を探せなければ、どこにも見つからないよ。

愛、生命(イノチ)、宇宙について書きなさい。
遍くすべてに宿る、生命(イノチ)の働きを表現しなさい。

生命の中にある、真なる生命(イノチ)の輝き、
宇宙の光、真理を表現しなさい。

あなた方は愛の一部であることを。
世界はそれを許容し、学び、参加し、拡げ、伝えるための場なのだ。

生きとし生けるものを愛するために、あなたの内なる生命(イノチ)を愛し、
それを通して大いなる宇宙の源へ、皆が再び還りつながるために、
生(命)の本質を受け取り、それを伝えなさい。

花は最も身近な生命(イノチ)の形だ。
花の生命(イノチ)にふれることは、あなたの生の形にふれることだ。

それは、あなたがなり得た、もう一つの生命(イノチ)の器の姿であり、
宇宙と生命(イノチ)のもう一つの表現に過ぎない。

あなたの中に、花の生命(イノチ)を見なさい。
花の中に、あなたを見い出しなさい。

あなた方は、常に他者の生命(イノチ)とつながっている。

あなたが心を込めて交流するとき、お互いの生命(イノチ)は交わり、
その生命(イノチ)の光が交わって、互いの生命を強く輝かせる。
それを愛という。

(白く熱せられた金属線同士が交わって、明るい火花を散らせるようなイメージ)

宇宙は生命(イノチ)の交わりで彩られ、輝きを放つよう織り込まれ、
デザインされた一つの巨大な織物なのだ。

その織物を紡ぐ織機、あるいは織場がこの星、地球なのだ。
この場でしか、紡ぐことの出来ない模様、デザインがあるのだよ。

あなた方は理解しているだろうか。
自分たちがどれほどの恵みと、愛の中に育まれているのかを。

一つの宇宙が形ある生命(イノチ)を生み出すまでに、
どれほど壮大な愛ある光と意志が働き、見守り、支え、育んできたのかを。

生命(イノチ)を見なさい。
互いの存在を受け取り、交わり、その営みに自らの意思を持って参加しなさい。

その時あなたは、己が誰であるかを知り、生命(イノチ)の意味を知るだろう。

花の生に理由を尋ねてはいけない。
彼らの存在そのものが理由なのだ。

生命(イノチ)の意味は、それを純粋に生ききることの中にしか存在しない。
それを学びなさい。

花の生命(イノチ)を通して、あなたが伝えるべき真実は、
究極的にはそれ以外にはない。

だからあなたは、あなたの言葉で語らなければならない。
人に届くのは人の言葉だ。
あなたの真実であるならば、その言葉は誰かに届くだろう。

あなたの(花との?)交わりを描きなさい。
あなたの真実と交流を描けば、そこには伝えるべき生命(イノチ)の欠片が表現される。
そこにあなたの生命の輝きを写し取り、伝えることが出来るだろう。

毎日問い、毎日語りなさい。
伝える者であろうとするならば、それを恐れずに行いなさい。

愛してるよ。
ありがとう。



*-*-*-*-*



ありがとう。
カーネーションに諭されました。

ハイアーセルフ経由のメッセージを、現実レベルに還元するのは難しくて大変です。さて、ここからどうやって目次にしていくか、再考ですが、もう少しがんばってみます。


ありがとう。







 

ただいま

August 22 [Sun], 2010, 3:59

 
ただいま。
しばらく潜ってましたが、本日朝くらいから浮上して戻ってまいりました。

ここ数日はがっつり内観の日々でした。

しかし、家に籠って動かないでいるとだめだ。
頭でいくら考えてもだめなのよ、こういうときは。
そして頭も心も詰まってる時は特に、なかなかそこから脱せない。
本を読んでも心の奥に潜ろうとしても、どこにも行けなくなる。

でも逃げなかったよ。今回は。
逃げようとする自分をそのままに、留まってどうなるのか見ていた。
観切るまでとことん付き合ってやるつもりで、潜ってみた。

年に何回か自分の奥に潜る時期が訪れる。
それは夜の眠りが生き物に静かな変容をもたらすように、植物が冬に根を伸ばすように、そっと訪れる季節の巡りのような大切な時間。

多分それは内的な熟成と整理と統合のために、私にとって必要な隙間。
宇宙が用意してくれた蛹の繭のようなギフトなのだと受け止めている。
そういうときは、イベントの予定もなく、まとまった空白の時が生まれて、お客さんもぱったり来なくなる。
まったくよくできている。

もういろんな方向から、必要とかタイミングとか、見るべきテーマとかが与えられ、否応なくそうなる。
宇宙のリズムに逆らってもいいことがないので、最近はすっかりそれに乗ることにしている。

ここ数日ずっと眠くて、夜も昼も寝られる時は寝た。
人が寝ている間に、どれほど多くの霊的な統合が行われているのだろう。
それはきっとあらゆる次元にわたって行われている。
漠然と感じる自分の中の何かの跡も、蛹の中の蝶には、自分がなぜどのように変わるのか、知る由もない。
それでもいくつかの夢の中で、たくさんの学びや理解があった。
感情が爆発したりもしていた。
ただ今は、自分の必要と、内なる自然のリズムに従うのみ。

今朝は太陽のリズムで早く起きられた。
せっかくだから、家の仕事を先に全てしてしまうことにした。

酵素玄米を研いで、炊く。
洗濯をして、干す。
植物に水をあげて、部屋を拭く。
シャワーを浴びて、祈る。
一連の静かな朝の営み。

その間、ある音楽だけをずっと流していた。
ひとつの曲だけを空間に満たして、その音と一体になってみた。
とても素敵な音と声。本当に優しい大きな祈りの歌。

自然の中で、大きな腕に抱擁されるような、自分も自然を抱きしめているような、そういう想いが音と声に満ちていて、屋久島の自然の中で感じた想いを思い出した。
祈りがあたたかい光になって胸を満たして、空間と交流していた。

そうしたら、からだが自然に動き出した。

ハートを考えて探したらだめなんだ。
ハートは感じなければ見つからない。
そんなことも忘れてしまっていた。

胸の真ん中にあるものにしたがって、それが動くにまかせる。
いろんな想いがあふれて、自分を動かしているものに身体を満たさせた。

動きがしなやかな変化をともなって、舞踊のような動きになる。
きっと最初の舞はこうやって生まれたんだ。
自然と交流していた祈りが、動きをもって顕れたものが舞だとすれば、内なる光が音になって広がれば、歌になる。
きっと人は言葉よりも先に、歌を持っていただろう。

しばらく舞うにまかせていたら、何かに自分が呼ばれた気がした。
あぁ、そうだ。どうして忘れていたのだろう、君のことを。
「よろこび」と言う名の歌う楽器。

このディジュリドゥは私にとって特に特別なひとつ。
命を終えたリュウゼツランからその身をいただいて、喜びを歌うために新たな生命を吹き込まれた、大切な相棒。

命あったものには、たとえ形を変えても生命が宿る。
そこに本当に真摯に接すれば、友になれる。
だからその音色には、優しくて深い声が宿る。

しばらく共に、音を合わせて、曲と音と声を和合していたら、とても優しい気持ちになれた。

・・・ありがとう。

何かが終わった気がしたので立ち上がったら、鏡に映った自分の目に、優しくて親しみやすい光があった。
おかえり。ようやく戻ってきたかな。

あとは仕上げだな。
夢や体感の中で受け取ってきたものを、理解に落とし込んでアウトプットできるようにしなければ。

この段階に来て、ようやく本や知性が役にたつ。
誰かの知的な遺産や経験が、自分の中の理解と共鳴して、身体と心で受け取れるようになる。
そうしてそこから、自分だけの真実を導き出せるようになる。

宇宙の計らいが素晴らしいのは、こういうことが全て同時平行で進行していること。
数日前から読んでいる本が、よりリアルに意味を持ってくる。
僕にとって、今回のメッセンジャーはゲリー・ボーネルだった。
彼の体験的自伝が、今朝はタイムリーに自分に響いた。

よしよし、これを追いかけていけば、見つけられそうだ。
形にするにはもう少し時間がかかりそうだけど、収穫が大きそうなので今回はじっくりいこう。
次に何を読むべきかも、ハイアーセルフに示唆された。
昨日から自己の内的対話もすべりがいい。

いつだって、人と本と音楽に救われてきた。
アップダウンがあるのも精神にリズムが伴なうのも分かっている。
そんなときに、どうすればいいのか知っているのはありがたい。
自然のリズムは抵抗さえしなければ、とても大きな恵みをもたらしてくれる。

今日はいい日だ。
午後に友人の個展とライブに行って、久しぶりの人々と再会した。


毎日何かが、変わっていく。
すべてが何かの恵みのかたち。
信頼して行こう。


ありがとう。




♪今回の瞑想使用曲
えま&慧奏「あめつちのうた(3rd)」よりNO'6. ”YURAI”(3'04'')
試聴URL



あ、告知忘れてた。
復活したので、来週からイベント盛りだくさんです。
よろしくおねがいしまーす。

8/24(火) Ryu's Cafe@恵比寿

8/25(水) バックギャモン夜会

8/27(金) Ryu's Cafe@森のテラス

8/31(火) 花WS -フリースタイル-

9/4(土) Ryu's Cafe@目黒

9/11(土) カレー&ライブ@旅人の樹

9/23(木・秋分) シャーウッド” vol.8

*-*-*-*-*







 

彼誰刻の空

July 17 [Sat], 2010, 7:52

 
暑かったので、ベランダで星を見ながら瞑想してたら夜が明けてしまった。
明け方の街を感じに外へ出て、金色の朝の光に染まる世界の底を歩いていたら、唐突に思い出した。

あー、世界はこんなにも美しかったんだ。
この惑星が大好きで、これを感じて味わいに来て、だから守りたいんだなーと思いだした。
時々、定期的にこんなことを体験しては、自分のここにいる理由を確認する。

この殆ど誰も歩いていない時間が好きだ。
(歩いていても誰だか分からないので彼誰刻[かわたれどき]というらしい)

毎瞬変わり行く空の、どの瞬間も美しくて、目が離せなくて、見上げたまま歩く。
世界のどの一時も完璧さの顕れで、世界はその連続でできている。
自分の内側ばかりではなく、宇宙のあらゆる有り様に目を向ければ、
世界にはなんの不足もなく完全であると信じられるのに。

夏の夜が更けていく様子も、明け初めていく様も、世界に光が満ちていく瞬間も、
その境界のない溢れるような連続も、みんな目に焼き付けておきたい。
自分がどんな場所にいるのか、忘れないでいたい。
これが身体を持って生きる歓び。生きるってそういうことだ。

宮沢賢治が「あなたのすきとおったほんとうのたべもの」と呼んだ、
きれいにすきとおった風も、桃色のうつくしい朝の日光も、すべてここにある。
毎朝、与えられている。なんて恵みに満ちた世界。

ありがたくて、清々しくて、胸いっぱいに歩いていたら、お日様が昇って来た。
この金色の光が、世界を毎朝新しく染め上げて、今日が始まる。

思わず写真を撮ったら、太陽の中にまたUFOがいた。無粋な。(下写真)
でも美しいものを愛する心は、宇宙中どこでも一緒なんだと思ったら、やっぱり宇宙も美しいんだなと思えた。

大切にしよう、いろんなことを。


ありがとう。











 

鶏が先か卵が先か *観想10

July 16 [Fri], 2010, 6:32


 
鶏が先か卵が先かという命題に、鶏が先らしいと、英国の科学者チームが結論を出したそうな。
では、その鶏は卵から生まれたのでは?という疑問は意地悪なのかな。

というか、この研究は、Ovocledidin−17(OC−17)という蛋白質が、卵の殻の素になる炭酸カルシウムの方解石結晶の生成を促進するっていうだけのことなのだと思う。
鶏の雌は方解石結晶を作る能力が他の動物に比べて極めて早いから、鶏がいないと卵が出来ない。だから鶏が卵より先って、論理としてはかなり乱暴だ。

理屈っぽいところを突かれたので、ちょっと物申すよ。
理屈っぽいの嫌いな人は読まないでね。

これはそもそも原因(陰)と結果(陽)の陰陽論の話。

鶏と卵は、生物の個体としてみれば、卵が原因(先)で鶏が結果(後)。
種として見れば、子供は種の目的なわけだから、子が結果。 つまり鶏が先で卵が後。

生物の個体としてみるか、社会的生物的方向性で見るかで、陰陽(原因と結果)は変わってくるのだから、土俵を整理しないで検討する意味がない。

一つの視野で見えないことを、多角的に見ることで、本質を浮き上がらせて理解させるのが、本来の科学の役割なのだと思う。
そもそも問題が派生したのと、同じ次元の視野から、その問題を解決することはできないのだから、理解も視野も飛躍しないもので一方的な結論を出して、独善的なつまらないパワーゲームにしないで欲しい。


あれ、なんかいらついてるのかな今夜は。
些細なことなのに、結論を一方的に押し付けられることに対して、妙な抵抗があったみたい。
というかそもそも議論好きなので、つい反駁したくなったのか。
闘って打ち倒さないと気がすまないなら、それもパワーゲームだなぁ。

陰陽を極(きょく)ではなくて、玉(ぎょく)にしたら、調和が実現するのかな。
そういうのなんていうんだっけ、えっとアウフヘーベン?

あ、そうそう。 止揚(独: aufheben アウフヘーベン)。
二つの極を統合して、より高い方向性と結果へと昇華していくこと。

そうすると、それぞれの一つの極への、拘りや執着から離れていくことは可能なんだろうね。
こだわってるとしたら満たされないエゴの部分であって、それは本来の問題そのものとは無関係なもの。
でもなかなかそれを切り離して、直視できないから、人のせいにしてばかりなのかな。

問答形式の疑問昇華タイム久しぶりですな。
長くなっちゃうけど、ちょっとやってみますか。



******************
観想(テオリア)10
******************


なんでいつまでたってもエゴに振り回され続けるのですか?


”なんでかな” (※ ” ” 部分はハイアーセルフの言葉)


どうやったら、このことをいい加減学べるのか教えてください。


”まず、正直になることだね。あなたの中のありのままをはっきりと見ない限り、それは手放すことはできない”


なにを見たらいいんですか?


”あなたが見たくないものだよ。あなたの中にある、見ると不快になるものだ。
大切なアラート(警報)ほど不快さを伴なう。痛みや不快さは必要な機能なのだ。
もしそれが心地よかったら放置して、誰もそれを改めようとは思わないだろう”


それは見たくないですね。


”そうだろうね。だから、あなたは人のせいにする。
目に映るものが不快なら、その対象が悪いのだと決め付ける。
それを映す自分の目が汚れているのでは?とは顧みない。

あなたは、見たもの、体験したもの全てを、受け取っているわけではないのだよ。
必ずその体験を、自分の世界に合うように切り取って受け取っている。

あなたの中に同じものがあるとき、それは響き合う。
体験の中に不快が伴なうなら、あなたの中にある同質の不快さが共鳴しているからだ。
外に見える体験は、あなたの内側の世界を知るための鏡でしかない。
そうやって自分を探求しながら、一つずつ手放していくのだよ”

誰かの傲慢が気に入らないなら、あなたの中にも同じものがあるからだ。
誰かが、自分を縛り付けるように思うのなら、あなたもまた誰かを同じように縛り付けている。
あなたの内なる世界のルールが、あなたの外に感じられるルールになるだろう。

真の意味では他者などいない。
そこに意味を与えるのは常にあなただ。

ただの棒が鉄格子に見えるのは、あなたがそこに役割を与えたからだ。
出られないのではなく、出られない理由を設けるから、出ない理由になる。

人生が、生まれる前の空(くう)から、死後の空への旅だとしたら、その間にあるものに、どうしていちいち理由が必要なのだね。
本当にあなたが選び、創造し続けるなら、どのようにでも生きられる。

だから、あなたがしない理由、出来ない理由、あらゆる自分のせいではないという言い訳には、あなたを自ら縛る以上の意味はない。
本当に自分がどのように生きたいのか、何を選びたいのかをよく受け取ってごらん。
そこにあるものを本当に見極め、きちんと受け取り、選び、宣言した時、あなたは本当にそうなるだろう。

大切なのは、あなたが誰であるのかを知ることだ。
今、あなたがどうであるかではない。
本当のあなたはどうであるかを思い出すことだ。

今のあなたは、あなたの持てる可能性の最大の表現であるか。
あなたは本当はどうありたかったのか。

そんなエゴの欲求ばかりを追いかけるあなたで在り続けることが、あなたの本当の願いなのか?

エゴは不安や恐れを動機にあなたを動かす。
常に足りない、必要だ、という。
乾き続けることで、自らが独自の分離した存在であることを確認することこそ、エゴの願いだ。
だからあなたの感情の浮き沈み、プラスマイナスにはエゴは興味がない。
ただ、自分という枠組み(エゴ)が特別で、切り離されていて、全体から分離しているという感覚を強化することだけが、エゴの願いだ。
従って、恐れと渇望はもっとも有効に作用するエゴのツールになる。

真の意味では、あなたは切り離されていることなどあり得ない。
あなたの存在はスピリットであり、それは常に宇宙と一体である。

たとえば、あなたが一本の大樹であるとき、あなたは独立しているが、その根は大地に根ざし、大いなる水の循環の一部であり、天と地を結ぶ一つのエネルギーの架け橋である。
人もまた、同じように生命の役割を持つ、宇宙の一部だ。

エゴがあなたを支配しているとき、あなたは大樹の種のようになっている。
エゴは種の殻にすぎない。これは前回のときにも伝えた。
殻を強化し、種の可能性を守ることは、ある時期までは必要だが、あなたが自らの可能性に気付き、それを表現しようとするなら、いつかは種は殻を脱がなくてはならない。

その時期をいつ選ぶかが、あなたが今生どう生きるのかと、あなた自身の在り方の質を決める。

エゴを手放すのは通常容易ではない。
常に醒めている意識と、公平で偏りのない精神と、強い意思が必要だ。

手放すというのは手放した振りをして我慢するということではない。
文字通り、ただ自分を手放し(Let Go)、超えて行くことだ。
蛹が蝶に変容するように、もう決して同じところには戻らないという、決定的な自己受容と信頼だ。

一度、それを受け入れたなら、そこに大きな違いが生まれる。
それが分からないうちは、自分自身を顧みる前に、他者を責めるだろう。

あなたの本当の望み、魂の願いはなんなのか、もう一度思い出して、紙に書き出すといい。
それは必ず、今ここにあり、あなたのスピリットの真なる喜びに根ざしている。

もう一度、そこからエゴを超えていきなさい。
あなたが望む最良の姿、最高の自己であることを選びなさい。
エゴの望む喜びよりも、もっと大きな喜びを求めなさい。

その為に、自分自身とより多く対話しなさい。
いずれ、エゴの望むよりも大きな喜びに気がついたなら、それを選びなさい。

待っているよ。


ありがとう  ”
 

*-*-*-*-*







 
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