ニュージーランド移住計画

November 19 [Mon], 2018, 21:25


さてさて、この秋は色々な流れが動き出しました。
我が家ではニュージーランド移住計画が着々と進行中です。

先日、ニュージーランド在住で、日本からの移住や留学をサポートしている方と個人的に相談する機会があり、いよいよ具体的な方向が見えてきました。


まず、2020年8月8日にはニュージーランドの地に降り立とうという目標が具体化しました。

8月8日の銀河中心からのエネルギーが最大化するライオンズゲートの開門を追い風に、8月生まれの子供が3歳になるのに焦点を合わせて移動。
スチューデントビザで2年間勉強し、卒業してポストスタディワークビザを取って働けるようになる頃には息子は5歳、ドメスティック扱いで向こうの小学校に無料で入れます。
目指す地はロトルアかネルソン。これはまだ検討段階だけど、何度か下見に行って最終的にはフィーリングで決めます。




ブログのような公的な場所で書いた事がないので唐突な話に聞こえますが、昔から感じていていつかやろうと思っていたことではあります。

私事ですが、昨年結婚して子供が生まれ、この2年ばかりそれはもう密度の濃い時間を駆け抜けてきました。
そして気が付くとなんともう40代に入っていたのですね。
おや、いつの間にか人生折り返しちゃったんじゃないのこれ。
まだ何も達成してないぜ俺。

20代の頃、人生で達成する100のリストというのを作り、その中でもかなり上位の計画の中に、海外に拠点を複数持ち活動するというのがありました。

これを本気でやろうとするなら、もうスタートしてないとまずい!と気がついたのです。
先送りにしていた計画を実行しなければ。


かつてハルさん(何故かどうしてもウチの子とか、息子とか呼ぶ気にならず、さん付けで呼ばれている。後から来ただけの古い友人のように思っている)がまだお腹の中にいた頃、「君は何故地球に、僕のところに来ようと思ったんだい?」とチャネリングで尋ねてみたことがありました。
その時ヴィジョンで見聞きした答えはこうでした。


暗いトンネルを手を引かれて、光の出口へと向かって歩いていく

「私はあなたを引き上げにきたの、あなたが自分の道へと戻れるように。
そして私はあなたと一緒に、この星の素敵なものをいっぱい見に行くの」

「そうかい。じゃ一緒に色んな美しいものを見に行こうな」


そんなわけで、僕はこの古い友人との約束を果たすべく動き出すことになったのです。


では何故その最初の目的地がニュージーランドになったのかというと、少し時が遡ります。
まだ僕がヒーリングやカウンセリングのお仕事を始める前、もう15、6年前になりますが、映画のお仕事でニュージーランドに4ヶ月ほど滞在していたことがありました。

ラストサムライという映画のエキストラで、みっちり3ヶ月ほど撮影に参加させて頂いてました。(わりと映ってますので探してみてください)



そして撮影後、最後の1ヶ月はニュープリマスの町を基点に放浪していました。
その時、町のバーで仲良くなったバーオーナーのバンド家族がいたのです。
意気投合してその後2週間ほどそのおうちにホームステイさせてもらいました。

グレッグとケリーという本当に気持ちのいいご夫婦でした。
当時3歳くらいの息子さんと暮らしていて、ケリーは日本でいう小学校の先生をしていました。(実際には幼稚園と小学校が合わさった感じ)
ケリーと息子さんの通う学校にも何度か招待され、向こうの子供たちと疲れ切るまで遊びました。
あり得ないほど可愛くて素直で美しい天使たち。
いったいどうやったらあんなにいい子たちになるのか想像がつかないような清冽な衝撃を伴う経験で、それは深く印象的に記憶されたのを覚えています。
その時、いつか自分が子供を持ち育てることになったら、この国で育ててみたい!と思ったのです。


元々自分自身も帰国子女だったので、海外暮らしには抵抗がなく、日本の何処となく息苦しい空気にずっと違和感を持って生きていました。
そして旅人の樹(屋号)というヒーリングサロンは、僕が在日宇宙人達と呼んでいるこの社会に馴染めないでいる同士達が、自分の居場所やあり方を思い出し、本来の自分を生き直すための場所として生まれました。

多分、一人で生きていくだけなら、それだけでも良かったのかもしれません。
そんなに不自由もなく、そのままでも慎ましく生きていけたでしょう。

でも約束ができたから、ゴマかせなくなってしまったのです。

自分の最高最善の望みを叶えていかない在り方に、それでいいの?と言われているようで、問いかける声は大きくなっていく。

自分の小さな怖れや我を守るために、小さくまとまってしまっていていいのかい?
あなたが願った望みを、全て叶えてみないでいいのかい?

美しい世界を一緒に楽しもうぜと言ったあなたの心が、そんな中途半端な開き方しかしてないままで、本物の美しさなんて味わえるのかい?

面倒くさがりで臆病な重い腰でも、腹括るしかないんだなと悟りました。
楽しそうな道は、だいたい危険な道なのです。




幸いにもうちの奥さんは出来た人で、その決断力や行動力にはいつも救われています。
こういう変わり者と、同じものを見ようとしてくれる奇特な人です。
子供とパートナーに運ばれて、進んでいます。
大概ロクデナシな生き方をしてきた自分を、ウニのトゲを折るように丸くしてくれたのは無条件の愛です。
受け取ったものは、彼等と世界に還元していかないとね。


いつかアナスタシアという本を読みました。
その本のシリーズの中に一族の土地という考え方がありました。
1ヘクタールの土地を、一つの家族、あるいは家族として機能している共同体が持って暮らし、樹々や果実や食べ物を育て、手を加えながら受け継いでいく。
そうすることで自然な命の在り方を取り戻し、真に成熟した人間性と霊性を育むことができるというものです。

これに自分の今まで自分がしてきたことを加え、人がその本来のありのままの自然なスピリットと生きる力を回復し、霊性を修養していくことのできるヒーリングセンターを作りたいなと思っています。
そしてそれが無理なく可能なのだという、ライフスタイルモデルを作りたい。

付け加えるなら、それをしている自分達がいる場所は、とにかく広い空間と、圧倒的な自然の生命力のある場所で、そのイメージに比較的近い場所がニュージーランドだったのです。
最終的には、必ずしも答えは一つでなくてもよいのだけど、まずはそこから。

日本人としてだけではなく、地球人として生きたい。
世界が変わっていくこの過渡期に、後から地球にやってきた友人たちが目指すことのできる、旅人たちの導標(しるべ)の樹となるものを育てたい。


そんなことを考えています。



(次回はそれに向けた具体的な資金作りのお話です)









 

花遊びin Christmas♪

December 27 [Wed], 2017, 20:30


【注意・写真多数】

クリスマスイブにお花を使ったダイナミックな遊びをしてみました。
花人間という頭や体にお花を飾って写真を撮るという企画があるのですが、それをおうちで自分達流にアレンジして遊べないかという試みです。なかなか楽しかったよ。


 ←《花人間》


画像をいじるような技術はないので、写真はカメラで撮った画質のまま、一切修正なしです。
ちなみにモデルはうちの奥さんと生後4ヵ月の息子。
お花の先生だけどヘアスタイリストではないので髪に花を留めるのに苦労しました。
午前中の光で撮りたかったので朝五時から起きて活動して、終わったら午後になってました。
(写真はクリックすると多分大きく表示できます)


開始前こんな感じ



頭だけ (横から)



全景



母子像




















with 花束


















































おまけ



使った花材はアレンジに再加工しました










 

2017年11月01日に感じたこと

November 02 [Thu], 2017, 0:00
  • 解ってきた気がする。愛は相手の今ここにそのまま寄り添うことだ。形を変え続けるものを否定せず、コントロールせず、穏やかに、昂らず、そして答えと到達点を求めない。だから今ここの全てがそのまま答えになる。雲の行くまま、水の流れるまま、あるべき形を求めず、自らも変わり続けることが答えだ。 Posted at 02:56 AM
  • 明け方の僅か二時間の間に、物凄く怒り狂う夢と限界まで嘆き悲しむ夢を見た。鮮やかに荒れ狂う大地と空と海。起きたら力を込め過ぎた両膝と両肘が強張ってて歩けなかった。 時の再生する夜、深い感情の解放が起きたらしい。超すっきりした。ちなみにダンブルドア校長が亡くなったことを悲しんでいた。 Posted at 07:34 AM
  • 選ばされるような気持ちで選ぶのではなく、自ら選ぶとき人は本当に自由になれる。どんなものであれ選んだ結果を引き受ける小さな勇気があれば、実際はどこにだっていける、何にだってなれる。そして引き受けたものを受け入れて愛することができたら、人生が次の展開に進み始める。ずっとその繰り返し。 Posted at 10:06 AM
  • https://twitter.com/Takao_Nukiyama

白山登山記

July 17 [Sun], 2016, 22:37



ねぇ、ぼくらのいる世界は なんて美しいんだろうね。
それを思い出すために、人は時々雲の上まで登ろうとするのかもしれないね。



白山に登ってきました。
すごい旅だった。

金沢に着いたら雨が降ってくるし、一緒に行くはずだった人はどんどん減っていくし、一時はどうなることかと思ったけど、すべては辻褄が合うように導かれている。

さすがに当日雨じゃ登り辛いよねってことで、金沢に着いて早々、白山比盗_社までご挨拶に行った。
北陸鎮護の大社 白山本宮 加賀一ノ宮。三千以上ある白山神社の総本宮。
何年か前に金沢にイベントに呼ばれて来たことがあって、その時以来。
菊理媛尊(ククリヒメノミコト)を祭るこの神社は、なにか特別なシンパシーがあって、すごく居心地がよくて好きな場所。

神社に行って、久しぶりにその前に立って、ククリ姫とお話した。
あんまり外からは分からないようにしてたけど、心は大好きーってはしゃぐ子供みたいになっていた。
春風みたいに鮮やかで華やかな空気で迎えてもらえて、あぁこれはウェルカムなんだな、大丈夫だなって確信する。
ひとしきり心の抱擁を交わして、よろしくおねがいしますねって挨拶したら
「山頂で待ってます」って一言返ってきて、面会終わり みたいな空気になった。
山頂って何のこと?とは思ったけど、とりあえず登って来いっていうことは分かった。

そのままゲストハウスに向かい、せっかくなので金沢の町を少し歩き、夜にヒーラーの子の家に人が集まるというので会いに行く。
ここ多分、あとでつながるご縁の伏線だなって分かるようになってきた。
その人とはその時あまり話せなかったけど、きっといずれ分かることだから今はそのまま置いておくことにして帰る。

ゲストハウスに戻っていざ寝るぞって段になって、いよいよドバァーっと雨がさらに降ってきた。
これもう無理なんじゃないの?っていうくらい降ってきて、当初10人以上いた参加予定者が結局当日朝には5人になっていた。

根がものぐさなので実際自分も心折れかける。
でもまぁいい、こういうのは慣れてる。
ウェルカムな空気にそぐわないこの雨は、選別みたいなものでしょう?
本気で来たい意思のある者だけが来いってことでしょう?
そのやり方はよく知ってる。
本当に行っちゃいけない時は、もっと分かりやすくストップしてくれる。
だから本当に行くべき人だけが導かれる。

来いって言われたからね。きっとちゃんとサポートしてくれるよね。頼むよ。
祈るような気持ちで、実際祈りながら山のふもとまで行き、入り口に着いた。

登山口の鳥居を見つめても、止めろっていう感じのサインは来なかったので、行けるところまで行くつもりで踏み出す。

あとはもう粛々と、聖者の行進のように、ただ霧と雨の山を登る。登る。ひたすら登る。
前日に千円で買った雨合羽はもうほとんど役に立たないから、上はTシャツだけ。
同じく500円で買った、濡れてもすぐ乾く化繊のTシャツはかなり使えた。

こんなに何時間も雨を浴び続けたのは初めてなんじゃないかってくらい浴びて、途中から濡れずに行くのは諦めてサレンダーしたら、いろいろ軽やかになった。あぁ、禊ぎだったんだなこれはと悟った。

頂上が近づくに連れて雨が小降りになり、高山限界を超えて高い木が見当たらなくなった辺りからとても快適になる。
ようやく宿泊予定の山小屋が見えて、ついに辿り着いた。翌朝はそこから出て頂上の日の出を目指す。

夕飯を17時に食べ、しばらくすると眠くなる。
翌朝午前3時に起床して出立予定なので、一緒に来た仲間はみんな先に寝てた。
自分はなんとなくもったいなくて起きていたら、19時前くらいに空が急に晴れだした。

外に飛び出したら、雲の覆われていた白山の頂上が見えた!
振り返ると、圧倒的な雲海の上に、信じられないくらい美しい金色の空が広がっていた。
これが地上の景色なんだろうか。それは圧倒的で、どうしていいか分からないくらい心の奥にまっすぐ入りこんできた。

空の真ん中へと続く、この本当に深く青いグラデーションは、きっと宇宙の真ん中までつながっているのだろう。
眼下にどこまでも広がる雲海を見渡すように、一つだけそびえるこの山は、なんだか本当に天上の世界を想起させた。

我に返って、すでに寝ていた仲間たちを起こし、連れて来る。
これを分かち合うために、ぼくらは登ってきたのだ。

誰もがそこに立ち、この世界を眺めていた。
言葉はとても少なかった。

世界はとても大きくて、僕はとても小さく、そしてその小ささになぜかとても安心した。
細胞が震えて、この透明な空と同じ透明な空気が自分の内側を満たしていた。
外と内の密度がつながり、そのとき多分、僕は宇宙と同じ静けさを見ていた。
静けさは完全な調和とともに意識を満たして、幸福とか愛とか、そう呼ばれている純粋な何かが確かにそこにはあった。
それはきっと、こんなにも透明で静かなものなのだと思う。






寒さで心の集中が切れるまで、ぼくらはそこにいた。
山小屋の部屋には電灯のようなものはほとんどないので、その後は出来るだけ早く寝る。

不意に夜中に目が覚めた。
まだ2時だった。起床までまだ少し時間があったが、少し外に出たくなって出る。

誰も見てはいなかったのに、圧倒的な夕暮れと同じように、星の空が広がっていた。
透き通るように静かで冷たくて、降るような、鳴る音の聞こえてきそうな銀河。
抱えきれずに時々星がこぼれて流れていた。
プレアデスの淡い輝きを見ていたら、なぜか心が安らいだ。

部屋に戻ってもまだ30分はあったので、寝ないで瞑想することにする。
前日無理をして登ってきたので、偏頭痛があったのだがまだ治っていなかった。
このままだと今日の行程はもたないので、痛みと身体のバランスに対してただ瞑想していた。
心が静かだったので、自分の体の中で、何がどうなってなぜ痛みになっているかがよく見えた。
一つ一つの固まった筋肉や組織に意識を向けて、それが解かれていくのを見ていた。
しばらくすると、ほとんど痛みが抜けている。
偏頭痛が出ると歩くのもしんどく死活問題だったので、期待以上の効果に感謝した。

ヒーリングの質は瞑想の深さに従う。
体とその叡智が必要なことを行うのを、ただ逆らわずにあるがまま寄り添う。
多分純粋な交流に必要なのはそれだけだ。
内に対しても、外に対しても、僕等はただ、そうであればいいのだと思う。

人々が起き出したので、日の出を目指し、山頂までの最後の道を登る。
空気が薄いからか、前半の500メートルがとてもきつかった。
しかし、山頂が見えてからの、後半の500メートルはあきれるほど早かった。
人間の意志と能力との見えざる力関係の不思議。
何かの加護でもあったかのようにとても軽やかに感じた。

そして辿り着いた。
ここが山頂。

そして初めて理解した。
白山神社の奥の宮は本当にここにあったのだ。
てっきり山小屋から登る入り口の横にあった立派な社がそれだと思っていた。

「山頂で待ってます」

そういうことか。
石垣に囲まれて風を避けるように、小さなお社が建っていた。

ようやく来たよ。
なんとなく明るく温かい風が迎えてくれたような気がした。

朝日を臨む方角に、風を遮る大きな岩の下、ちょうどよく窪んだ岩があったので、そこで座って朝日を待った。
一緒に登ったソウルブラザーのギョカンは、チベットのシンギングボウルを取り出し、隣で静かに奏で始めた。





その横で僕は、この大地、山の下にポータルがあるというシャンバラの人々や、ここまで励ましてくれた菊理媛のことを思った。
ククリヒメは日本書紀に一度だけ出て来るとても不思議な神様。
イザナギとイザナミが黄泉の国まで行って喧嘩したときに出て来て、それを諌めて仲裁した人。
天の神も地の神も、人も世界も、ほとんどその後に生まれて来る。
彼女がいなかったら世界は混沌としたまま、今の様にはなってなかったかもしれないというとても大事な人。
統合と和合の神様。

朝日を待ちながらククリヒメの意識層につながってみた。
彼女のそれは、日本神界のそれを大きく超えているように感じた。
もっと大きくて、ひょっとしたらガイア意識よりも大きな領域。銀河磁界意識とか、すごく大きく根源的な智性。
こういう宇宙的な意識はとても馴染み深い。

言葉を超えた感覚的な対話だった。
菩薩のような、この世界のすべてを慈しむ祈りのような意識を感じていた。
朝日を待ちながら、あぁそうか、お日様みたいだなって思った。
この世界は、生きとし生けるすべてのものは、とても大きな愛と慈しみに常に包まれている。
僕等の意識を超えた枠組みの中で、世界を形作るあらゆる存在達が、本当に深い慈しみと愛を注いで世界に寄り添っている。
僕等はその一部としてここにある。
僕等はその一部だから、僕等の中にもその中心を通して一つにつながる宇宙がある。
クラインの壺のように、それらは内と外ではなく、内も外も一つのものだ。
世界が、ククリヒメが僕に示したのは、あなたもまたそのようでありなさいということだった。
純粋な密度を保ちながら、内も外も分けることなく、ただ世界を己の中に持ち、己を世界の中に開いて居続けなさいということだった。

それは、世界を切り分けずに、己をもって一つに統合する(ククル)こと。
多分愛は、その純粋な在り方そのもののこと。





夜が明けた。
静かで厳かな夜明け。

世界は本当にきれいだった。
少しだけ泣いた。

僕の中で何かがククられたのだろうか。
それを知るのは、多分もう少し後のこと。
でも外に何かを求めて、時々迷子になっていた小さな子は、自分のいていい場所、いるべき場所を見つけられたのかもしれない。
今日受け取った静かな心がいつもここにあるのなら、きっとそれを見失わずにいられる。


ギョカンが言っていた。
『あんな死ぬような思いをして丸一日かけて山を登って、ハイライトはたった40分の夜明けだった』
「あなたにとってこの大変だった一日は、それに見合う価値があったかい?」
『あれを見るためだったら、僕は三日山を登り続けたって構わない』

旅の理由はそれぞれ。
でも何か同じものを同じ時に分かち合うなら、きっとそこに意味はある。


しかし本当に辛いのはこの朝日を見た帰り、下りの山道だったのだけど。
僕等の膝と腿は、その後のハードな山道の下りで、もうほとんどギリギリのプルプルになるまで追い込まれた。
復路は往路と違う、景観はよいけどハードな方の道だったので、本当にこれが行きの道でなくて良かったと心底思った。
初日の雨の中、あの道だったら心折れて頂上までは辿り着けなかったと確信できる。
だからそれもまた計らいだったのかもしれないけれど。


余談だけど、今日はもうどうにも足が動かず、横向きに一段ずつしか階段を降りれなくなっている。
よくできたもので、今朝の夜行バスで家に戻ってきたところに、ものすごく久しぶりの友人から連絡があった。
普段は遠くの島に住んでいるのだけど、ちょうど今日近くに泊まっているので会えないかと。
ちょっと困った状況になっているようだったので、会いに行ってひとしきり話を聞いて、私もそれが本業なので相応しいアドバイスと方向性を示したら、とても喜んでもらえた。
そしたらお礼にしっかりマッサージをしてくれることになって、今日自分が一番欲しいものだったのでありがたく受け取らせて頂いた。ほんと助かった。
神様ってアフターケアまでほんと万全。

さて、これからまたしっかり働かせていただきます。
かみさま、どうか私の心と御心が、透明な同じもので満ちたあの領域の中で、共鳴し続けることが出来ますように。
そしてそれを分かち合うことが出来ますように。


ここまで読んでくれてありがとう。









 

霊感ってなんだろう

March 30 [Wed], 2016, 3:03


先日「りゅーさんて霊感ありますか?」って訊かれてなんだかとても新鮮だった。

霊感があるってどういうことだろうね。
そういう問い掛けに対して、いかに分かりやすく深く面白く答えられるかがプロフェッショナルの本領であろうと身を正す。
12年以上スピリチュアルカウンセラーみたいなことをやっているけど、そういう素朴な問いかけみたいなものに、真面目にちゃんと答えようとする大人でありたいなと思う。

なので答え忘れてしまう前に書いておこう。
霊感があるってどういうことだろうって問いは、今の自分だったらこう答えるかなぁ。



たとえばカエルって生き物がいて、水中と水の上(空気中)とを同時に見ることのできる目を持っているとする。
で、それらは本来位相の違う、ステージの違う世界なのだけど、両生類っていうのはその両方にまたがって存在している生き物。
本来交じり合わない世界の境界が水面で、カエルはそのどっちもを行き来することができる。
そしてカエルはどちらの世界も存在していることに疑いがなく、そこに適応している一つの個性。
一方で魚や蝶は、もう一方の世界が存在していることに、カエルほど認識を広く持っていない。

水中と空気中っていうのは同じ物理的な世界の中での境界なのだけど、別の縮尺で見るとそういう境界線は他にもたくさんある。
たとえば微生物の世界と人間の世界は、人間の感覚と認識の中では交じり合っていないけれど、実際には認識している位相(レイヤー)が違うだけで、とても深く交じり合っているし同じ世界に同居している。

だから人間の意識できる世界というのは焦点を当てているレイヤー(層)がある。
レイヤーっていうのは、たとえば一枚の絵の背景と人物を別々に描いて、あとで二枚の絵を重ねると一つの統合した絵になるっていうあれ。一枚一枚がその焦点を当てている層(レイヤー)になっていて別れている。
で、僕たちは知らず知らずのうちに、認識できるレイヤーをできるだけ細かく分けて、自分が見たいもの、信じたいものだけを注目するように、訓練させられてきた。
だから知覚していても認識できないものというのはたくさんある。
子供はまだレイヤーがそれほど分かれていないから、感じたものをそのまま見ることが出来る場合が多い。

霊感があるっていうのは、認識しているレイヤー間の区別が少ないか、あるいは意識してフォーカスできるレイヤーの数が多いということ。
それらの可能性に対して、できるだけクリアにありのまま見ようとしているということ。
そしてよくフォーカスすることの多い周波数帯は、ピントを合わせやすくなっている。
使いこんでいる道具は使いやすい。認識も同じ。

だから人が、自分の扱える最大幅の知覚力を、なんの制約や制限もかけずに、身体のスペックを行使したら多分今とは全く違う世界が見えている。
そういう意味では霊感というのは認識できるレイヤーの1チャンネルにすぎない。
しかしそれがどういうことなのか、体験から理解に落とし込む過程で、ものすごく大きく情報が失われ、かつ歪められる。だから実際には私達は、ありのままの世界など殆ど知ることはできない。
それに近い世界を感じられるとしたら多分、左脳の機能が失われた状態の人か、薬物によってものの意味を認識しようとする機能を、著しく制限されている場合とかになると思う。

だからありのままの感覚を、ありのまま否定しないというのは一種の霊感で才能。
インスピレーション(霊が入る)ってそういうこと。
さらに言えば、霊っていうのは空間そのものに遍く偏在する意識のレイヤー。
個別化された霊魂っていうのも確かにあるのだけれど、その根っこまで辿れば多分全部一つのものの別の形だと思う。

こういう、霊感があるとかないとかみたいな話題だと、多分知りたいのは実際にそれを視覚的に認識することができるかというようなところかと思う。
これは認識の得手不得手は確かにある。”視える”というのは視覚優位の人の場合の情報処理パターンで、受け取った情報(エネルギー)を視覚的ヴィジョン的に処理、再構築した場合の認識の仕方だから。
僕の知り合いは、霊的におかしな場や存在を感じるときは”臭い”と言っていた。
あと僕の場合は霊的な位相でのコンタクトを受けたときには、耳鳴りがする。
言葉として情報を受け取る場合も、基本的にはエネルギーを言語的に再構築して翻訳しているということ。

また見えているという場合も、僕の場合は目で見ているのと同じように見えているわけではない。
目で見ている画面に、もう一つの、強いて言うなら霊的視野みたいなレイヤーを重ねて見ている感じ。
この視野は多分第三の眼ってやつで、身体の外側の霊魂のフィールド自体の持っている知覚じゃないかな。
だから目を瞑っていても、ある程度感じられるし、遠隔視やサイコメトリや前世やオーラを視たりするときも、多分同じ所を使っている。

だから使おうと認識すれば、機能的には誰でも持っている。
一般的に普段使ったことがないと思っているから、使い方がよく分からないってことだと思う。

また一般に怖がられている幽霊みたいなものというのは、実際には魂(直霊)そのものではなく、魂魄(こんぱく)でいうところの魄(はく)の部分で、魂の抜け殻みたいな、残された部分。
生命の本質の残滓みたいなところだと思うから、ぶっちゃけ物理的な焦点(肉体)を持って存在している生命体にはそれほど影響はない。
残り香みたいなものだとおもう。いずれ消えていくから恐れなくてもいいと個人的には思ってる。
いたずらに恐れるから、恐れなくてはならないような現実体験の創造に力を与え、それに巻き込まれていく。

ただものすごく臭い残り香は、その中に入ったら確かに不快な影響を受けることはある。
そういうものは身体感覚にしたがって、なんとなく嫌な感じを避けていれば避けられる。
だから頭でっかちな認識に頼るのじゃなくて、体の感じるなんとなくの好き嫌いに従って生きればいい。

霊感ていうのは、そういうものに身をゆだねて、殉じることも厭わず、受け入れて生きている在り方みたいなものだ。
人より世界を分けて捉えようとする境界の数が少ないか、人よりも多くの認識を受け入れるための棚の数が多いかだけだから、本当にただの個性の形だと思う。

付け加えるのならば霊感て、見ようとしなければそこにあったと気が付くような、そんな種類の知覚の仕方のことじゃないかな。
体の疲れや考え事ばかりに囚われていたら、自分を取り巻く竹林に降り注ぐ蝉しぐれが聞こえなくなっていたとか。
海を見ていたら、気が付くと波の音が聞こえなくなっていたみたいな、マインド優位になっていると体験し損ねる現実の別の位相。

自分の思い込みと囚われに沿って展開していく、マインドストーリーを手放したら、もっと世界のありのままの形を体験できるようになるのだと思う。
マインドに流れている思考っていうのは、スクリーンの中に流れている映画みたいなもので、しかも私達はそれぞれ見たいような視点から、その話に感情移入して見ている。
だから本当にここで、生命を持って体験している現実を、実際にはほとんど見過ごしているのではないかな。
マインドの映画よりも、面白いライブ(生)を見に来たのを思い出せたらいい。

そうしたら非日常と日常は逆転する。
それがスピリット(霊)として生きるということで、それが僕らの元々の意図の形のはずなのだから。



とりとめなく書いてみたけど、今日はこんなところかな。
問に答えると自分でもいい訓練になるので、何かあればご質問等お待ちしています。
それではまた。









 

春分点のギフト

March 20 [Sun], 2016, 0:00



2016年の春分点です。
宇宙的に一年の始まりの場所。

僕たちの過ごしている時間とは、宇宙の空間的な場所のことです。
地球が太陽との関係でその位置に来た時、また廻りの始まりが完了します。
それらは太陽に対して地球の描く螺旋の基点で、その太陽はまた銀河中心に、銀河は銀河団中心に対して螺旋を描き、一時たりとも止まっていることはありません。
私達は、宇宙の中を、決して繰り返すことのない新しい場所をいつも旅し続けているのです。

私達の地球が太陽中心からの光を、もっとも均衡を持って受け取る場所、それが春分点。
太陽の恵みを受けて生かされている、地球の生きとし生けるすべてのものが、バランスの起点としてデザインされている場所に、今日私達は立っています。

今年は何か厳かな気持ちでこの通過点を迎えてみようと思い、地球の生命のもっとも親しい仲間であるお花達とともに、祈りと祝福を分かち合ってみようと思いました。
これは地球の今のエネルギーと、植物たちの声とともに、それをアレンジメント(花束)にしたものです。
この次の廻りの輪の中で、地球に注がれているエネルギーと、それの導く方向性はなにか。
彼等から受け取ってみたいと思います。

この写真からは、植物と地球からのエッセンスのエネルギーが、これを持つ人に流れていくようにしておきました。
彼等の想いやエールが、皆さまの魂に寄り添う、ギフトとして届きますように。
これらのたくさんの祈りの幾きれかが、かつて宮沢賢治がそう呼んだような”あなたの透き通った本当の食べ物”になることを、どうか心から願います。(注文の多い料理店 序文より)

待ち受けにしたり、シェアしたり、どうぞご自由にお使いください。
受け取ってくださってありがとうございます。




春分のメッセージ

「今、大切なことは、”信頼する 育む 創造する” ということです。
新しいめぐりの時が明けました。また光は強く輝き始めるでしょう。

私たちは、ここにないものに意識を向けてはいけません。
どんなときも生命は今を生きています。
あなたの中に、今あるものだけが、あなたの生を創りだします。

種子は自分の中に、何が眠っているのかを知りません。
新しいめぐり、新しい季節の中で、宇宙の絶え間ない恵みを信頼し、
生命は自らを育み、創造していくだけです。

落としてきた葉を嘆くのではなく、生まれてくる芽を慈しんでください。
目を向けるならば、あなたはすでに十分に受け取っています。

陽の光は遍く注がれて、大地と命を温め続けています。
信頼して天を仰ぐとき、空はあなたの声を聞いています。
どんなときも、あなたはいつも無限の可能性に満ちた空間にいるのです。

私たちの間に境界はなく、そこに本質的分離はありません。
それぞれの命の形を、それぞれのやり方でただ表現しているだけです。

私たちを生かしめている力は、同じ源から来て、同じ源へと辿ります。
ただ咲くときに咲き、還るときに還ることを受け入れるとき、
あなたの握りしめていた手は、怖れを手放すことができるでしょう。
それはあなたの種子の殻を軟らかく緩め、あなたの発芽へと誘うでしょう。

光は満ちました。変わるべきものは、もうあなたの後ろです。
たとえそこが何も見えない光の中であっても、あなたの足を進ませましょう。

自由に創造をするとき、そこには何も定められたものはありません。
あなたの生命の形を決めるのは、あなた自身です。

ただ自分のあるがままに咲くとき、あなたのその在り方が、愛そのものなのです。

何かをしようとするのでもなく、何かであろうとするのでもなく。
ただ在るということ。それが自然のタイミングであなたを咲かせるでしょう。

あなたの種子が伸ばしていく根は、あなたの暗闇に根差しています。
でもその暗闇の奥に、源の光の入り口はあります。
どうか本当の声を受け入れてください。

源の光は、あなたを育む陽の光となるために、あなたの中心に与えられた光なのです」





〜・〜・〜・〜・〜・〜





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春分特別企画で、先着5名様まで特別価格のイヤーリーディングメッセージを承ります。


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覚醒

February 09 [Tue], 2016, 15:16




うぉぉ。すごい! 分かっちゃった。
なんてことだ、うまく言葉に出来ない。

あぁ、どうしよう。
僕は今まで、世界がそこに「ある」って本当には知らなかったんだ。

自分の「内側」だと思っている場所のスクリーンに、「世界」だと思っている「外側」の何かを映して、それを「経験」や「認識」って呼んでいただけなんだ。

「内側」なんて最初からないんだ!! だから「外側」もない。
あぁ、そうか。だから「直接体験」ってこういうことだ。聞いたことあるぞそれ。

つまり自分の「中」とか「内側」とか呼んでいるものって、ただの思考なんだ。
世界には「内」も「外」もないとしたら、一体どうしたらいいんだ。
今までの認識パターンの処理ルートから外れすぎていて、理解が追い付かない。

あぁ、なるほど。だからただ「ある」のか。ただあればいいんだ。
「認識」する必要はなくて、ただ「体験」すれば、感じればいいんだ。

こりゃすげぇ。世界がまるで違うものに見える。
「生命」とか「物質」とかの境目もないんだ。
全部同じもので出来ている、振動と在り方が違うだけ。
全部最初からただ「いのちのそれぞれのありかた」の顕れなんだ。

どうしよう。世界のすべてが愛おしく見えるよ。
なんて世界は美しいんだ。私は最初からこんなところにいたのか。知らなかった。
意味もなく、ありてあるすべてのものに向けて、愛していると叫びたい。
「愛」でないものはないんだ。ぜんぶそれの別な形。
だから「意味」なんてくっつける必要も、用意する必要もないんだよ。
ただここにいればいいんだよ。考えるな、感じろ!俺。ただ、世界は美しい。

よく見ておけ、これがお前のいる本当の「世界」だ。
今この瞬間、この位置に、ただ「ある」ことを選択しているだけなんだ。

あぁもう!分かっちゃった人達が、どこか頭おかしい人に見える理由が分かった。
でも、醒めているって実はこういうことなんだ。
分かったとしても、実は何も変わらない。知ったまま生きていける。
でも世界に対する見方は、多分永久に変わる。疑いようがない。


ああ、うまく言えない。
あなた(自分)だと思っている場所、あなただと認識している何かは最初からないんだ。

すべては呼吸し、振動し、それぞれの形をとる、一つだった何かの色々な様相。
粒だったり、形だったり、スペースだったりするけど、全部一つのものの別な姿。

もう世界が曼陀羅のようだ。見えるものは見えないもので出来ている。
このただの壁に見える部屋の壁紙さえ、明滅する粒子の結びつきであってただの愛の形の一つ。

あなたが「いた」ことはかつて一度もない。
そして同時にあなたがいなかったことはなく、いなかった場所もない。
すべては「認識」と「体験」があっただけ。
移り変わる一なるもののそれぞれの形。

だから思考はあなたではない。
思考はただのスクリーンに過ぎない。そこには実体はなく、本質もない。

空の空、一切は空。



〜・〜・〜・〜・〜・〜


いやぁ、すごい理解と体験だった。
興奮にまかせて、出てくるまま書いちゃったので、乱文失礼。

なんでこんなことになったかっていうと、今朝起きて、瞑想していたら活元運動が始まったの。
活元運動っていうのは、思考を一切介在させずに、身体の叡智にしたがって、身体が動きたいように動かしていくことで生まれる、自律的な調整運動のこと。寝がえりとかあくびも活元運動の一種。
僕の変わり目の時には、よく大きな活元が現れるのだけど。

瞑想してたら、お、何か来たぞと思って、体が動き出したので、それに乗っていけるところまでやろうって感じでどんどん動くに任せてた。
一時間くらいやってたかな。そしたら何か調ったらしく、身体の真ん中にまっすぐな軸が立って、いい感じに座れたので、そのまま瞑想に移行することにした。

で、瞑想してると、体の中とか「内側」に目を向けるのだけど、そのときは体の中に大きなスペースを感じていたの。
そのスペースは体の外側の部屋の空間と、それを取り巻いて広がっていく「外側」の世界のすべてに広がっていくように感じていた。

で、それをただ「観て」いたら気がついちゃったの。
この広がりは、僕が「外側」にあるスペースにつながって、ただそれを感じているだけなんじゃないかな、と。

「内側」だと思っているものって、「外側」のすべてを感じ取って、ただ映し取っているだけなんだな、と。
ただのスクリーンなんだ、これ。

「内側」の空間と、「外側」の空間って実は同じものだ。本当は内も外もないんだ。
あれ、じゃぁ「私」ってなんだ?境界がなければ「私」もいないじゃん。
スクリーンに映っているものを見ているうちは、私は世界を本当には見ていなくて、そしてそれを思考と呼ぶんだ。
あとはもう理解が芋蔓式に紐解けていって、洪水みたいになった。

神は無限の観点(Viewing point)を持ち、人は無限の見地(Point of view)を持つ。
無限の観点を持つということは、神はどこにでもいる。
だから多分、僕たちがいる白い紙(空間)が神で、そこに描かれている黒い点(見地)が僕たち。
その黒い点をのぞき穴にして見ているのが、僕らの意識。のぞいているのは神自身。


空間っていうのが多分、カギなんだと思う。
空っていうのはすべてで、本質。だから、空間を感じることが大切。
神社でも教会でも山の聖域でも、聖なる場所は必ず、その奥の無限の空間の広がりに繋がれるようにデザインされている。

見えるものを支えているのは、その後ろ側に広がる見えないもののすべて。空間。
それがこの世界の秘密。


もう、どれだけ言葉にしても足りない。

この体験的な理解をどうやったら伝えられるのかって考えてみたら、やっぱり体験してもらうしかないんだと分かった。
昔の人もきっと、言葉にならないものを、言葉にならない密のまま、エッセンスを伝えようとしたんだろう。
だから密なる教え密教とか、神秘主義とかが生まれてきたんだなと思う。
ああいうのはよくできてるなと思うけど、きっとそうするしか方法がなかったんだろうな。

私的には、世界の真理の探究以上におもしろいことなんてあるのかなと思ってるけど、こういうのもっと分かりやすく、出来るだけやさしく深くおもしろく伝えるにはどうしたらいいのかなぁ。

実はこういう分かっちゃった体験って初めてじゃなくて、度々訪れてきた。
今回のは本当に圧倒的で疑いようがなかったけど。
そういう、波間の息継ぎのように、水の中から空の世界に顔を出して、その度に太陽の輝きを直接見るみたいなことって、時々おこる。
多分理解していたはずのことを忘れてまた寝そうなときに、文字通り目覚し的に叩き起こされる。
魂の目覚し時計には、スヌーズ機能がついているらしい。

以前、圧倒的な叡智みたいなところに一体化したと感じたとき、どうしたらこの理解を分かち合うことが出来ますかって、その叡智に訊いてみたことがある。

そうしたら特に何もする必要はないって返ってきた。
ただ「ある」こと。「ある」の質を深めていくことが大事みたい。

思考を通してじゃなく、本当に醒めたまま、あなたが世界を見て、触れて、生きていること。
そうすれば、自然にみんな目が覚めてくるよって伝えられた。

同じ部屋で皆寝ていて、一人が起きてもぞもぞし始めたら、だんだんみんな起きてくるでしょって。
起きたくない人には、部屋でもぞもぞされると最初は煩くて不快に感じられるかもしれないけど、いずれみんな目を覚まして、それぞれの魂の形を体験し始める。
地球は転換点を超えて、窓の外に日は昇っちゃったから、部屋はだんだん明るくなってくるし、周りがみんな起きてきたら、目を覚まさざるを得ない。


だから、自分は自分らしく、ただあればいい。
無理せずに、自然体でいよう。

心の感じている叡智に沿って、ただそれにしたがって進んでいけばいい。
求めらるものと、与えていきたいことの間で、あるがまま愛していこう。
あとは人間らしくばたばたしながら、もう少しこの世界を味わっていよう。
んー、結局それだけだな。
そうなんだ、結局観点が変わってもありかたってのはそんなに変わらない。
依然として、人には無限の見地を持つことが許されていて、そのどちら側にもいることができる。

生きることって、本当に壮大なギフトだなぁ。
返せないものを受け取るとき、感謝しか出てこない。

ありがたい。みんな愛してる。
ありがとう。

今日はここまで。









 

移転記念企画&セッションについて

January 15 [Fri], 2016, 10:24


ちょうど一月ほど前、何かが大きく開いて、全てが調ったと感じた日の朝。不思議な夢を見た。
何か感じるものがあったので、それについて簡単なメモをした。

深い森に隠された風の通る場所を抜けると、その奥にとても大きな畑が広がっている。
柔らかい豊かな土が盛られて、遠くまで畝を作っているのだけれど、まだ何の芽も出ていない。
その縁に沿って、何かを護るための盛り塩の結界のように、等間隔で五千円札が置かれていた。
千円札五枚の場合もあって、なぜかそれらは一律に五千円だった。
私は不思議に思い、その畑の周りをゆっくりと歩く。
その畑はなにか特別なものが植わっていて、見たこともないものを育てているような気がした。
断片的に覚えているのはそんな場面。

信頼してる人が夢解くには、私は何か大切なものを育てているらしい。
そしてそれを育むには時間がかかるのだろうと。
あなたはその大切なものを、時が来るまで十分に守り育てなければならない。
その結界はあなた自身が自らの畑を耕し、守るために与えられたものだ。
十分に自らを養い、そしてそこから生まれる最上のものを育てなさい、と。
実際的には、五千円単位の仕事を作ることになるのだとも言った。


この数日、新しい部屋に引きこもって作業している。
なんというか、すこぶる快適だ。
前の部屋も快適だったけれど、大きすぎて割とだらけてしまいやすかった。
今度の家はどちらかというちこじんまりした部屋なのだけど、その分、自分の密度が濃くて、だらけているとそういう空気が四方から跳ね返ってきて、そうじゃないだろ?と居心地悪くなって自覚を促される。適度に快適で厳しいのだ。

今回の部屋はストイックに、しかし快適さを追求した造りにしたから何かを生み出すのにはちょうどいいかもしれない。海もあるし、煮詰まったらお散歩するところもたくさんある。
ニーチェは、歩かずに得た知恵を信頼するなと言った。智慧はきっと足を伝ってやって来る。
だから今度のデスクには椅子がない。あえて立ち机として基本作業をするようにデザインした。
長時間だらだら作業できないし、集中できるのでいいんじゃないかと思っている。





そんなわけで、だらけていそうだったら喝を入れてください。
ご協力方法として、今回新規移転企画の一つ。


『無料ハイアーセルフチャネリングメッセージ』 をやります。


Twitterやブログ等で公開させていただくことを条件に、頂いたご質問にどんどんお答えしていく企画です。
Twitterの入力上限140字以内で、簡潔にメッセージをお伝えします。
出来る限りお答えしたいと思っていますが、沢山質問が集まり過ぎちゃったら抽選になります。悪しからず。

アウトプットに際し当然個人名、固有名詞は伏せます。
必要でしたら詳しい状況を送っていただいても大丈夫です。
質問のコツとして、具体的に訊けば具体的な、抽象的に訊けば抽象的な答えが返ってきます。
問いと答えは同じものの裏と表です。その状況から本当に受け取りたいことは何か?
自分に問い直し、掘り下げてから尋ねると、あなたにとってより良い答えを導く良い質問になります。

最近ヤフーモバイルの何かに登録したら、新しいアドレスをもらったのでこの企画専用にします。

tabibitonoki@yahoo.ne.jp

こちらまで訊いてみたいご質問を送って下さいませ。
お待ちしています。



〜・〜・〜・〜・〜・〜



そして件の夢のお告げで始まった新メニューも始めます。
移転特別企画、五千円メニュー。
試みとして行うので、まずは春分あたりまで。全体で100名くらいまでにしようかな。
いろんなバランスとかを見て、悪くなさそうなら調整して正規メニュー化も考えます。


『移転記念企画ワーク 地の塩』
◆90分 5000円 カウンセリングまたは必要なエネルギーワークを行います


こちらのメニューのお申込み先は以下です。
mail@tabibitonoki.org

スケジュールをご確認の上、何もないところはご予約可能です。
ある程度融通が利きますので時間等はご相談下さい。



〜・〜・〜・〜・〜・〜









 

「シエスタ通信」に参加しました

December 21 [Mon], 2015, 0:21

ラブ・シンガー 環輝美帆さんのメルマガ動画に参加させて頂きました。
先日、榛名神社に皆で遊びに行ったときに収録したやつです。
先日お引越しを手伝ってくれた、お友達のライアー奏者宮田さんも一緒です。
来年の動きについて少し話しました。



「環輝美帆のシエスタ通信vol.12「大祓音霊」2016年の展望 」












 

旅人の樹 サロン移転のお知らせ

December 14 [Mon], 2015, 0:00


この度、長らくご愛顧頂いてきた「旅人の樹 稲城サロン」は12周年の節目を持って閉じ、移転の運びとなりました。
『旅人の樹』 のメインヒーリングスペースは、横浜市元町へと移転いたしました。

この歴史ある元町は、清々しい解放感に溢れた街です。
まるで海外の港街を歩いた時のような、広がりと活気ある空気に惹かれて決めました。
これから訪れるであろう多くの魂の旅人たちの、門出に相応しい場所だと思います。

2015年12月14日は新しい旅人の樹の始まりの日です。
年内は準備しながらプレオープン。2016年年始より本格稼働予定です。

これからたくさんのご縁が繋がり、この星とこの世界に溢れるほどの光と感謝を増やすことが出来ますように。
皆さま今後とも御指導よろしくおねがいいたします。


旅人の樹は今月でちょうど12周年。一回りして次の廻りの始まり。
そして本日2015年12月14日は、天赦日と一粒万倍日と甲子日が重なるとても縁起のよい日。
この美しい日に、皆さまに新規移転のお知らせをお送りさせて頂けることをありがたくおもいます。

とはいってもサロンは現在まだ大規模リフォームの真最中。
図らずも12月22日の冬至が工事完了引き渡し日です。
陰が陽に転ずるこの新しい日に、始まりを迎えることが出来てとても嬉しいです。
すべて天の計らいの上にあるなぁと先ほど気が付きました。

年末には改めて皆さまをお迎えできると思います。
いま丁寧に心を込めて準備していますので、あとほんのしばらくお待ちください。


2015年12月 吉日









 
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