天神祭り

August 21 [Sun], 2005, 23:25

今日は天神様のお祭りでした。

毎年、家の前を大きな御神輿が通るので、
せっかくなので今年は神社まで行って来ました。
思いの他大きなお祭りで、獅子舞や里神楽の奉納もあり、
これは東京都の無形文化財に指定されているそうです。

清められた土俵の上で、天狗と獅子が舞っていました。
鳴り続ける天神囃子、怒濤の如く通り抜ける大神輿。

そのお祭りを一生懸命盛り上げている、
地元の方々の表情が印象に残りました。
特産の梨も美味しい季節になってきたし、
なんだか俄に地元意識が湧いてきてしまうわぁ。


月追い

August 20 [Sat], 2005, 9:33



東雲に月追う路や蛍草



夜半過ぎ、例のごとくふらりと友人Gが現れる。
小さなおみやげを貰った。
素敵なクリスタルガラスでできた花挿し。
重く美しく品がいい。わーい。
この季節だと素朴な野草が似合うだろうか。

明け方まで音で遊ぶ。
先日、訳した曲を試しに歌ったり、新曲を作ってみたり。
彼のピアノは心地よい。
自然に声が引き出されて寄り添える。
お茶を飲みつつ、話などしつつ。

ふと見れば白み始める空にかかって、目を見張るばかりの満月。
このまま散歩に出ようか。
瞬間に合意がなされ、さっそく自転車を繰り出し、未だ明けぬ空の下へ。
向かう先は決めず。ただ月の落ちる方へ。
連なる丘陵の端にかかって、見上げる山吹色の満月。
明け初めぬ夜の道。どこか物語のような風景。
こんな景色には、きっとそう何度もお目にかかれまい。

暁に追われるように月がゆく。
逃がさぬように追いかける。
朝の光に追い立てられて、とうとう月が沈んだ。
霞むように消えていく、薄桃色の月。
橋の上でその姿を見送り、今度は昇り始めた朝日へと振り返る。

早朝の風が清々しく吹き抜けて、
草の揺れる河原の路が、どこまでも続いていた。
路の傍らには、今朝咲いたばかりの露草の群生。
生まれたての深い蒼。

路沿い、不思議な公園を見つけたので上ってみると、
今まさに昇ってくる朝日の正面。圧巻。
逆光を覚悟で何枚か写真を撮ってみた。

心ゆくまで、朝の光と風を受け、
一日の一番美しい部分を味わい尽くす。
近所の神社にお参りして帰ることにした。
美しいものを見せていただいたことに感謝した。

大輪の朝顔が咲いていた。
その他、今朝道々咲いていた花を少し分けてもらい、
水を入れたペットボトルに挿して持ち帰る。
頂いた花挿しに活けてみたら、案の定小気味好い花束になった。

なんかこんなに素晴らしいことばかりでいいんだろうか。
嬉しいなぁ。世界は本当に美しい。


そしてまだ一日は始まったばかり。



今日の掘り出し物

August 18 [Thu], 2005, 18:26



素晴らしい…

釉薬の濃淡で色調統一されたグラデーション。
丹念に浮き彫りされた花模様。
何より目を引く、有田のホタル花彫。
(中身が透けて見えるよう工夫された彫と塗りの細工)
まさしく有田焼の逸品。
急須と合わせ、湯飲み十個の完全一式。
箱が古くてぼろぼろだが、見た所未使用品…


先代の急須が割れてしまったので、新しいのを探していた折、
銀行と郵便局で用事を済ませた帰り道。
いつも立ち寄る古道具屋での出会いでした。
乱雑に折り重なるような箱の下の方、
わずかに見えていた陶器の淡い色。
手にとって見れば、なんとも私好みの色、風合い。


これほどのものが売れずに残っているとは。
これは買いには違いないが、さて、いくらになるものか。
今日の店員は若い。店長は不在のようだ。
交渉するなら今を措いて他にない。

ざっと見たところ、市場売値で少なくとも一万からそれ以上。
リサイクル売値としてもまぁ、二千〜三千五百円あたりが妥当か。
箱と保存状態を持ち出して、千円から上限千五百円程度に交渉できればまず上々…


それとなく店員に持っていくと、さほど興味もなさそうに、
「箱がずいぶん傷んでますね、二百円でいいですよ」


まじで!?
湯飲みは正直そんなに必要なかったが、
そこで下手に交渉すると、相手に気づかれる恐れがある。
こちらも何食わぬ顔で。

「じゃぁそれで。消費税は必要ありませんか」

「えぇ、二百円でけっこうです」

「あ、袋はいいですよ。このまま持って帰りますんで」

「ありがとうございましたー」



店から数メートル離れたところで、たまらず押し殺した笑みがこぼれる。
こういうことがあるから、古物漁りはやめられない。
ほくほくしながら、来た道を帰る。ふふふ。

「有田焼急須ゲットだぜ!!」


ああ、今日もいい日だ。
満足。






ちなみに私の買い物ポリシー。

「いいものを破格に安く」(市場の20%以下が目安)
「ただし本当にいいものには出資を惜しまず」
「あってもなくてもいいものは、ない方がいい」
「足るを知る」




,

今日の旅空

August 09 [Tue], 2005, 21:01

海だー。
バス移動中のアクアラインからの風景。

ここ数日、遠出の出張が続いてる。
一昨日は高崎(群馬)、昨日は大網(千葉外房)、今日は君津(千葉内房)。
三日で五人。
いいペースだ。ありがたい。
ヒーリングのお仕事がいつもこういうペースで入るといいなぁ。

ちなみに念のため、出張でするセッションは、どちらかといえばイレギュラーです。
割増になるので、オススメはやっぱり稲城のセッションルームですね。
もうお兄さんは移動だけでつかれたよ。
誰か私のことも癒してくれ。

そんなわけで一昨日は、高崎から大網までそのまま、sosoとゆうこさんのライブイベントに駆け付けたのです。
結果、合わせて6、7時間電車に揺られることになりましたが。
しかし、素晴らしいライブだったので行ってよかった。

天の滴のようなピアノの音と、繊細な色彩の流水に、魂がさらされました。
ただ美しいものに触れ、飲まれ、圧し流され、打ち震えたい。
求めるまま、天の滋養を心に与えたい。
美は聖なる食べ物です。
芸術は魂の滋養です。


終電で帰るつもりでいたら、話がもりあがって、そのまま主催の社長さんのご好意で、会社の別荘に泊めていただきました。
ピアニストのsosoとは会うのは二回目なのに、夜通したくさん話せました。
絵描きのゆうこさんもそうだけど、美しいものを生み出す力は、魂の透明度に比例するんだよな。
二人とも類稀なる純粋な光。
あるいは研磨された結果なのか。
優しいけれどまっすぐな強さ。

いい出会いでした。
毎日美しいなぁ。
ありがとう。



.

Stay hungry, stay foolish.

August 03 [Wed], 2005, 23:23



アップルコンピュータの創立者スティーブ・ジョブスがスタンフォード大の卒業式で行ったスピーチの日本語訳というのが転送されてきました。
これが素晴らしかったので紹介します。

人生万事塞翁が馬。
メメント・モリ。
力を抜いて、人生の与えるものに逆らわずに生きていけたら、楽なことばかりではなくても、きっともっと美しく気持ちよく生きていける気がします。
人生は美しい、そうでないものも含めて。
早く心からそう思えるようになりたいものです。


ちなみに写真は最近買ったお気に入り水晶ランプ




*-*-*-*-*


スティーブ・ジョブスのスタンフォード大学卒業祝賀スピーチ(日本語訳)


PART 1. BIRTH

 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。

 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。

 私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。



 私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。

 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

PART 2. COLLEGE DROP-OUT

 こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。

 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。

 夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。

 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。
 ひとつ具体的な話をしてみましょう。

PART 3. CONNECTING DOTS

 リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。

 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。

 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。

 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。

 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。

 そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。
 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

PART 4. FIRED FROM APPLE

 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。

 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。

 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。

 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。

 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。

 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。

 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。
 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。

 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。

 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。

PART 5. ABOUT DEATH

 3つ目は、死に関するお話です。

 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。

 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。
              
PART 6. DIAGNOSED WITH CANCER

 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。

 医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。

 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。

 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。

 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。

 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだら、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。

 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

PART 7. STAY HUNGRY, STAY FOOLISH

 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。

 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。

 スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。

 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stayfoolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」

 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

Stay hungry, stay foolish.

ご清聴ありがとうございました。

the Stanford University Commencement address by Steve Jobs CEO, Apple Computer CEO, Pixar Animation Studios
翻訳 市村佐登美 






 
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