リーディング・チャネリング講座

February 24 [Fri], 2012, 4:42


お知らせ。
2/27(月)に今月最後のワークショップやります。

今回は『リーディング・チャネリング講座』

ボディワークやエネルギーワークに使えるリーディングと、日常生活で役立つチャネリング。

どのようにしてエネルギーのリーディングをするのか。
チャネリングとリーディングの違いとは。
センタリングとプレゼンス。身体意識の保ち方。
受け取ったものを表現する力を磨く。
実践リーディング 手からエネルギーを読む。
実践ハイアーセルフチャネリング。
(必要と希望に応じて、能力開発のエネルギー調整も行います)

今のところそんな感じの内容で構築予定です。
よろしくおねがいします。


リーディング・チャネリング WS


日時:2/27(月) 10:00〜17:00

場所:旅人の樹
 (お申し込み頂いた方にはメールいたします)

申し込み:メールフォームにて受け付けます。

定員:8名

参加費:15000円


今回参加できなかった方でも、ぜひ受けたいという方がいれば、
 お気軽に別途開催希望日をメール等でオファーください。









 

丹田に意識を下ろして生きる

February 24 [Fri], 2012, 4:35

 
昨日はセルフメンテナンスデー。
友人のきーちゃんところでボディとエネルギーを整えてもらう。
やっぱりボディワークは自分でやるより、やってもらう方が気持ちいい。

ワークを受けながら、この人のやっていることはなんだろうって感じてみてたら、いまいちワーク(仕事)っていう言葉に違和感があった。
なんか自分の身体でも人の身体でも、そこで起きることを観察して楽しんで遊んでいるみたいに思えて、優れた音楽家が楽器を通して演奏しているような印象があった。

「君はワーカー(worker)っていうよりプレーヤー(player)だよね。探求して、遊んで、奏でて、調和を取ることを楽しんでいるよね。ボディプレーヤー(Body Player)って感じ」

そう言ったら、途端にキャッチコピーが降りてきた。

『あなたを奏でます あるべき和音へ』

なかなかいいじゃないか。名刺とかにもなりそうだ。
的を得ていて、きーちゃんの受けもよかったので、その人のキャッチコピーを考えるとか、コンサルティングメニューに加えられないかなとかちょっと真剣に考えてみた。
ご希望があればやるかもしれないので試してみたい方は打診してみてください。



さて、今回の気付きは「丹田に意識を下ろして生きる」ということ。

丹田に意識を降ろすなんて、飽きるほど言われてきたことなのに、ようやくその本当の意味を体感的に理解した。
これはすごいよ。変わる。別の人みたいって言われた。

体の真ん中(丹田)から、ヒトデみたいに手足をはやして、頭は飾り程度に意識して丹田を中心にして身体操作すると、人間の生命としての野生と直観が研ぎ澄まされる。
身体意識とかハイアーセルフとの接続とか、グラウンディングとか姿勢とか、圧倒的にクリアになる。
武道の達人とかの身体意識を理解できた。纏う空気まで変わった。

そしてこれは昔の武士とかの身体感覚だなと思った。
重心が降りて、生きるということのリアリティが増す。
日本人の死生観では、霊魂(生命の実体)は腹に宿るものだった。
だから自らの命を差し出すと言うときに腹を切る。(西洋では頭を撃ち抜く)

たとえば大昔のご先祖様である原生動物は、口と腸しかなかったわけで、要は腸が異物を認識して、身体(カラダ)に必要なものとそうでないものを見分けていた。
つまり腸が考えて、個体の生命維持の指揮をしていたということ。
今でも腸は、人間の身体の中で唯一、脳を経由せずに、反射で異物を拒絶することのできる臓器であり、事実、腸の神経細胞数は、脳のニューロンネットワークに匹敵する。

異物を認識するということは、自分とそうでないものを判断しているということ。
つまりどこからが自分で、どこからが他者なのかということを理解している。
個体存在としてのアイデンティティー、言い換えれば意識を持っているということだ。

ならばそこを主とした生命の在り方はありだ。
脳がサポートすれば、人の生き方として成り立つだろう。

マクロビとかでは、腸は第二の脳なんて云われ方をしているけど、実際は腸が第一の脳なのだ。
脳みそこそ、後付けの第二の脳であって、複雑化する情報処理に特化した臓器として、後日付け加えられたスペックなのだ。
したがって何が言いたいかというと、サバイバル、生命のリアリティ、実在感ということに関しては、圧倒的に腸のインテリジェンスが優位であるということ。

通常の脳みそ優位の意識を、腸(丹田)に降ろして生きるだけで、ものすごい開眼があった。
これは、生きているということの純粋な体験そのものだ。
最近一番コペルニクス的転換だった出来事。腸意識は超意識。

結局、身体(カラダ)を無視しては生きていけないのだ。
人間としてここに肉体を持って存在している以上、心だろうが、魂だろうが、高次の意識だろうが、この身体こそが、その存在を結実する座標なのだ。
ここがぶれていたら、生きていることのリアリティが希薄になるのは当然だ。

軽やかに、今ここだけを、一個の生命として生きることが出来たらなんて美しいのだろうと思う。
余分なことを考えず、あらゆる囚われから自由になって、生きているという体験そのものを味わえたら、それは天国を身体を持って生きているのと同じことだ。

人間の問題の大半は、囚われから生じているのだろうと思う。
囚われているのは意識であって、さらに言えば主には左脳的ロジックと感情の起伏に起因するものだ。
心配や不安は、過去の体験から来る反応パターンと、未来への憶測の中にしか存在しない。
つまり脳の作り出す幻影であって、実際に今ここにあるものではない。

ということは、囚われをなくせば問題はなくなる?
脳優位の意識が囚われを生んでいるのであれば、もう一つの脳に意識の中心を降ろせば囚われを手放せるのでは?
だって、腸意識は超意識だから、思考から自由だ。今ここという実在しか認識しない。

その上で必要に応じて脳で処理する必要のあることは処理し生活するとしても、意識と判断の中心を脳から丹田(腸)に移行したとして、問題があるだろうか。

待てよ、これって仏陀が言っていたことそのものだ。
囚われから自由になること、執着を手放すことが中道の真髄だったはず。
陰陽(原因と結果)に偏らず、今ここにありのままあること。
ありのままの全てを、ありのまま認識して体験することができれば、それは悟りであり、完全なプレゼンスを生きるということじゃないか。

腸すごい。

囚われという口(ハコ)から出すことで人になる。
じゃあ、むしろこれが生命として自然なあり方だ。

今年に入ってヤクルトとヨーグルトを多く摂るようにしたら、なんだか腸が活性して腸意識が目覚めてきた。
これからの時代をサバイバルしつつ、プレゼンスを保ったまま軽やかに生きていくためには、必要な身体意識かもしれない。

腹に居て、心で感じて方向を決め、頭で具体化する。
それがバランスの良い生き方の気がする。
今はそんな風に感じる。


ありがとう。




余談:
丹田に意識を降ろして生きるという身体意識にして、エネルギーワークを行ってみたら、かなり違う手ごたえと変化があってとても面白かった。
身体の中枢軸のどの層に意識の中心を置いてワークするかによっても、対応する質が変わるようだ。要研究。楽しみが増えた。









 

自分を生きながら調和して在る

February 20 [Mon], 2012, 17:56


おかげさまで、昨日は素晴らしいバースデーライブとカレーパーティーになりました。

本当に好きなことを妥協なく、力をいれて行うと必ずサポートされます。
楽しんで、採算とか考えずにやってるときほど、きちんとよい結果につながる。
本当にありがたいです。
幸ちゃんと大介くんの歌も、歌ったり踊ったりしてくれたたくさんの友達も、みんなのおかげで、温かくてとても優しい素敵な節目の日になりました。

これからの僕にできることで、受け取ったたくさんのものを、皆と宇宙に返していきたいと思います。
本当にありがとうございました。

今後のイベント企画もいくつか昨日決まってきたし、さー、誕生日越えたら本格的に忙しくなりそう。
心は亡くさないように、毎日感謝して楽しんでいこう。

今日は明け方、真っ赤な朝日と共に目が覚めて、体を動かしたり観想書いたりしていました。
朝早くから活動すると、やはり素晴らしい充実感がある。
朝一の活元運動と瞑想と書きものは習慣にしたい。
できるだけ続けていきたいです。

ありがとう。



さて以下が今日の観想(テオリア)。
今朝起きる前に鮮烈に感じていたこと。

妥協しないで生きる。
自分の中に、僅かでも不合意があれば、それはしない。
自分を生きながら、調和してあるにはどうしたらいいか。

そんなことがテーマです。


〜・〜・〜・〜・〜・〜


(自分を生きながら、調和してあるにはどうしたらいいか。)



おはよう。今朝は早起きだね。
朝は無限のリソースにつながる最もクリエイティブな時間だ。
ぜひ活用するといい。

この時間帯は心身のバランスを取るのに最適だ。
ヨーガや呼吸法等を用いた瞑想をお勧めするよ。
君は一度、体系だった手法をきちんと学ぶといいだろう。
自己流で行うよりももっと早く、自らの内なる気付きに至る助けになる。
呼吸法は朝日と共に行うのがいい。
新鮮なプラーナ(気)を体に取り入れ、生命の根を宇宙へ再接続し直すことができる。


さて、自分を生きながら調和してあるにはどうしたらよいかだったね。

自分の真実を生きるものは、他のあらゆる葛藤から自由になれる。
もはや生きるためのあらゆる妥協から、自分自身を解放して在ることができる。

あなたはあなたの思うように生きていい。
生きるために、自分の真実を曲げる必要はない。
それではあなたの人生の純粋性を損なう。

生命の権利として、生命はそれ自身を生きることを許されている。
ただしそれは保証されているということではない。

勘違いされがちなことだが、生命はこの世に存在する権利なのだ。
そしてそこであらゆる出来事を体験する。そこに良い悪いは存在しない。
それは価値判断であって、出来事とは無関係だ。

価値はあなた方の作り上げた枠組みの基準にすぎない。
それはその中にあって、それに従って振る舞えば、比較的安全に人生を過ごせるという目安にすぎない。

保証がないということは、是非を超えてあらゆる体験を経験する上で不可欠な要素だ。
本来それはスピリットの目的を果たす上で、重要な約束事であり、ギフトだ。
あらゆるすべてを体験することを保証する。それが宇宙の公平さであり愛だ。

だがそれは、安定と不変を望むエゴにとっては残念ながら不安材料でしかない。
だから人々は枠組みを作り上げた。
自分たちが安全に、ある程度の保証を得て人生を過ごすための枠組みだ。

生き残ることが最上の目的だった時代に比べれば現代は格段に過ごしやすい。
それは偉大な先人たちの業績だ。
あなた方はその助けの上に、現在の生の体験を積み上げることができる。
社会的、思想的インフラの力は大きい。

だがそれが目的地ではない。
それは手段だ。何の? 魂の。
この場合の魂とは、より本質的なあなたの肉体を超えた生と、自己の個性を保つ枠組みのことだ。
では魂の目的とは何か。

体験を通して味わい、生を通して交流すること。
そして自分自身が何者であるかを知り、それを宇宙へ表現すること。
そのときあなたの生命は宇宙の一部として、この宇宙の豊かさの一部となっている。
それを自分自身を通して、自覚的に味わうことこそ魂の喜びに他ならない。

自覚的に生きるということの意味を、本当にきちんと感じたことがあるだろうか。
言葉通りの意味だが、実際にそれを真に生きるものは、この惑星のこの時代ではまだ少ない。

あなた方が先駆けだ。
どの時代、どの場所にもそれらの役割を担う存在はある程度いたが、今この時代ほどそれらが求められている時はない。

誰かに役割をゆだねるのではなく、あなた方がそれぞれそうなることが必要だ。
本当に必要なのだ。

自覚とは、あなた方がより本質的に生きるということを意味している。
自分自身の本質を理解し、それを損なわず、かつ全体と調和を保ち、全体の一部としての自己の役割を担っている。
それが自覚的に生きるということの意味だ。

あなたは全体の一部であることから切り離されてはいられない。
だから、自分の本質に気が付けば、調和を損なうことは有り得ない。

ではなぜ、自分らしく生きようとすると、生きづらく感じることがあるのだろう。
まずそれは自分の本質と、自分の性質をごっちゃにしている場合に起きやすい。

自分の性質は、本質の一部ではあるがすべてではない。
虹の赤の一色が、光の本質のすべてを示すものではないように。

自分のある性質に固執し、それが自分自身そのものであると囚われ、押し通そうとする場合に調和を損なう。

どんな場合にも、あなたが自分自身の枠組みを決めている。
あなたのどの面を表現するのか、あなたは常に選ぶことができる。

過去の体験とパターンから反応していることに自覚がないと、人は自分が選択しているという自覚を失う。
すると、自己の反応パターンを自分自身だと思い込む。
たとえばそれは性格だから仕方がないだとか。
だがそれは、あなたの性質の一部でしかない。

今ここに、プレゼンスを持って生きることが重要だと言われてきたのはそのためだ。
今、ここで、感じていることをきちんと感じてみる。
判断するのではなく、ただ感じる。
そうすれば、自分が何に反応し、どういうパターンを持っているかが分かる。
それは今ここにあるものではないからだ。

さらに感じていくと、自分の本当の望みが分かる。

繰り返すが、感じるということは、頭で考えることではない。
主にはハートで感情を感じとることができるが、それもすべてではない。
細胞のひとつひとつ、肉体とエネルギー体、感情体、あなたの自己の総体、存在のすべてで、今ここを味わうことだ。

瞑想とは、今ここを100パーセント、ジャッジなく感じきろうとする試みだ。
それはとてもパワフルな覚醒をもたらし得る。
自覚的に生きようとするものには、プレゼンスを身につけるよい訓練になる。
そしてプレゼンスを持って生きることが瞑想なら、それは特別なことではなく、人生のあらゆる側面の中にある。

深く今ここにあるものを感じ、自分の本当の望みを感じとることができたら、それが少なくとも今ここにあるあなたの本質だ。
それにしたがって生きることが、自覚的に生きるということだ。

そのために行う、自分自身の率直な感覚の表現が、誰かにとって、意に沿わないものであるかもしれない。
だけどあなたは、自らの人生に妥協せず、忠実に生きるためには、時にはそこに向き合わなければならないだろう。

人は自分の見るように相手もものを見るだろうと考える。
だから、あなたが人生を生きるためには妥協や我慢が必要だと信じていれば、あなたは自分自身の本質を生きることの正当性を疑う。
そしてその負い目故に、自分の真実を曲げることも仕方ないと諦める。
事実、とても多くの人が、自分自身の真の人生を生きることを半ば諦めてきた。

だがあなたが自覚的に生きることを選べば、自分の素直で率直な感覚を、相手に伝えることに大きな躊躇いを覚えずに、真実を伝えることができるようになる。
相手もまた、そうできる可能性を持つと信じられるようになるからだ。
そしてその方が、自分たちの命とスピリットにとって、真に価値ある生き方だと本当に思えるからだ。

自分自身の真実を生きることをどうか怖れないでほしい。
生きることは、こなすべき作業ではなく、体験すべき神秘だ。
すべてを知り得ず、結末が決まっていないからこそ、挑戦し、味わう価値のある冒険なのだ。
そのシナリオは、あなたが心の真実から選択したように創造される。
それが宇宙の約束であり、ギフトだ。

この対話の最初に伝えた言葉をもう一度繰り返そうか。

自分の真実を生きるものは、他のあらゆる葛藤から自由になれる。
もはや生きるためのあらゆる妥協から、自分自身を解放して在ることができる。
あなたはあなたの思うように生きていい。
生きるために、自分の真実を曲げる必要はない。

私の伝えたことの意味を、受け取ってもらえただろうか。
あなたが真にそのようであることを、選んでくれることを信じている。


ありがとう。
愛しているよ。









 

自分の本質とは?

February 10 [Fri], 2012, 17:23

 
 
徐々に春の足音が近づいてくる感じ。
遠くから、隠れながら、まだその姿は見えないけれど。

球根から育てたヒヤシンスの花が満開になりました。とても綺麗。
ヒヤシンスの香りはすごく春をイメージさせます。
部屋の中にいても、何かを後押しされる力強い意思の強い香り。
たおやかで優しく強い花です。

最近は日々内観しながら何かを練り上げている感じ。今は外ではなく内側から。
やがて、蕾が枝を破り、その内から花が芽吹くように。春待つ冬の陽だまりのような日々。

今日の観想(テオリア)です。お付き合いください。

ありがとう。



〜・〜・〜・〜・〜・〜

120209 自分の本質とは?


(前回の話しで、自分の深い部分につながって話しなさいっていうのがありましたが、自分の本質を生きるということに関して、どうしたらいいのか教えてください。)


そうだね。自分の中心に繋がるということに関して少し話そう。

まずあなたは自分をもっと信頼しなければならない。
あなた自身にあらゆる力と権限を与え、それを信頼することだ。

人はあまりに自分自身を批判し、自らの力を否定することに慣れすぎている。
あなた自身の価値を、他者に決めさせることにあまりに無抵抗だ。
他者はあなたの信じる程あなたのことを理解しているわけではない。
あなた自身でさえ気が付いていない価値、可能性が山ほどある。

自分を愛しなさいと、歴史の始まりから説かれているのはそのためだ。
自分の価値を決めるのは自分自身なのだ。他者ではない。
それを信じることができたときに、あなたはそれを文字通り実現するだろう。

あなた自身を措いて他に、だれもあなたが誰であるのかを知る者はいない。
それはつまりあなた自身があなたのあり方を決めているということに他ならない。

あなたが望むように生きていいのだ。
常に調和に意識を保って生きれば、我侭ではなく自由に生きるということの意味を本当に体験できる。
そのときあなたは、自身の持つ可能性を思う存分試し味わうだろう。
あなたの喜びに従い、魂がふるえる方向へと踏み出せばいい。それがあなたの目指すべき方向だ。

人には本来その力が備わっている。
あなた方の知覚は、今此処という現実をあらゆる尺度で捉えることが出来る。
人がなんの判断も評価も持たずに存在することを選ぶとしたら、そこで体験し得るのは、純粋なエネルギーと共にあるマトリクス(存在の母体)だ。
そこには純粋に意識とエネルギーだけが存在している。
あなたは自分自身の枠組みさえ解け出してしまう至福と愛と調和の世界(涅槃)の中にその身をおいている。

その中で自己という枠組みを保っているために、過去現在未来、此処と其処、あなたと私という境界を生み出した。
それが3次元的な時間と空間であり、それを人は主に左脳で処理して認知することで、このエネルギーの大海に融けだしてしまわないように自己と世界の枠組みとを形作っている。

だが仮に、自分の意識をひろげ、自己の領域の一番外側を感じ、さらにそれを越えてみる。
すると限界は実際にはないことに気が付くだろう。
つまり自己とは、自分自身の設定した、その時々の枠組みの幅のことだ。

だからあなたは常に有限で、なお無限の潜在力を持つ存在なのだ。

自己の幅が小さく感じ始めたら、それを拡げてみることに、恐れやためらいを感じる必要はない。
あなたの設定した自己イメージを拡げてみればいい。

あまりにも長く、かつての自己のイメージに囚われていると、その枠組みは選べないのではないかと思うかもしれない。
だが、自己の枠組みは常に変化が可能だ。自分の本質を思い出し、選び直すことだ。

あなたは自らの存在しているレイヤーを選ぶことが出来る。
意識の焦点をどこに当てるかによって、愛であることも、自らを知ることも、それを見失うことも自分で選んでいる。

あなたは常に何者にもなれる。どのようにあるかを選ぶ。
それが人や物質やあらゆる生命が、自己と他者として分かれて存在しているように見える理由だ。それは進化と成長のプロセスでもある。

生命は意志を持っている。それは宇宙の方向性だ。
生命は宇宙の意志の分け御霊である。
だからそれらがそれぞれの意志を持っているのは、宇宙の構造の一部だ。

そしてそれらのあり方を、生命はそれ自身で選んでいる。
自由意志ということの本当の意味が分かったかな?

あなたは常に何者にもなれる。
それは生命に与えられた本質的なパワーだ。

目覚めて生きるとはそういうことだ。
自分自身が何者であるか、常に意識的に創造して生きるということだ。

あなたが誰であるのかを知りなさい。
そしてそれを意識的に創造しなさい。


愛しているよ。
ありがとう




〜・〜・〜・〜・〜・〜


追加
悦月さんのブログで紹介されていた動画。
人間の、自らの力とその可能性についての本当のお話。
すごいな、これは。人間て本当にすごい。
諦めなければ、本当にどんなことでも可能になるのだと教わりました。ありがとうございます。


(一つ目は音声なし字幕のみ。二つ目は音楽と映像のみのイメージ動画です)













 

伝えるということ

February 09 [Thu], 2012, 0:01

 
今日は森のテラスを借り切って、一人書斎代わりに使う。
読書と創作。飽きたらグランドピアノで遊び、お茶を飲む。
ゆっくり落ちる冬の陽。火のはぜる薪ストーブ。横で眠る黒猫。
贅沢な一日。

今日の観想(テオリア)


120208 伝えるということ



先日からこの対話をできるだけ残すようにしていこうという試みをしているわけですが。


「君の方からたくさん話しかけてくれて嬉しいよ。さて、今日は何について話そうか」


いくつか訊いてみたいことがありまして。


「ほう、ケルビン・ヘルムホルツ不安定性のことかな?それともシュヴァルツシルト重力半径?あるいはシュレーディンガーの猫について?」


難しいことを知っていますね。


「いや、君の頭の中のボキャブラリーから難しそうなのを並べてみただけさ」


趣味が悪いですよ。


「私は君の母体だからね」


まったく…。まぁ、今日はそのことについてです。


「本当に?」


いや。どうしたら難しい言葉を使わずに物事を説明できるかとか、そういうことです。


「なるほど。確かにそれは君の課題だね」


僕の課題ですか?


「君の課題だろう。それは君の相手に対する距離感と受容性の問題だからだ」


そう、それなんですよ。その「距離感」とか「受容性」とかって、たとえばもっと子どもとかにも分かるように伝えられないかなと思っているんです。
多分抽象的な表現だけだと、まっすぐに受け止めたり届けたりしにくいんじゃないかなと思って。
きちんと上辺だけでない、ものの本質を伝える言葉って、それが本当に本質なら決して難しくなく伝えられると思うんです。


「なるほど。子どもにも分かるように。よい着眼だね。
君は子どもに対しても、決して子ども扱いしないで話すね。
そのようにまず、まっすぐに相手を見ることだ。
相手の中の子どもに話すように、相手をきちんと受け止めてから語りかけるのだよ。
それが距離感と受容性の意味だ。あなたが相手を受け止め、あなたの奥にある部分から語りかければ、それは相手の同じ深さまで届くのだ。
君の言いたい分かりやすい言葉とはこういうことではないかな?」


そう、そんな感じです。とても伝わってきました。以後その感じでお願いします。
なるべく難しい言葉を使わずにやりたいんです。


「わかった。やってみよう。

分かりやすさとはつまり、あなたの府に落ちる言葉だ。
あなたが感じる一番受け取りやすい言葉で語ることだ。
それは誰かの目線に合わせることではなく、相手を見くびるのでも、子ども扱いするのでもない。
あなたがあなたの心の芯に添った言葉を用いているか、そこにどれだけ正直で誠実であるかが重要なのだ。

あなたを通して何かが伝えられる以上、あなたの言葉がどれだけ、その伝えるべきものの純粋性を損なわずに、忠実にその性質を伝えられるかが重要だ。
それは自分というフィルターがどれだけ透明で明晰であるかということ。
言い換えれば、あなたがどれだけ自身の奥深くにある、あなたの真実、あるいはあなた自身のより大きな自己(ハイアーセルフ・真我)と一致していられるのかということだ。
なぜなら、そこがあなたの一番純粋な部分だからだ。

そして情報、伝えたい事柄を丁寧に扱い、そしてそれをできるだけ率直に伝えることだ。

理想的なキャッチボールを思い描いてごらん。
力も経験も豊富な大人が、小さな子供に向かって、球を放るとき、何に注意しているかをよく観察してごらん。
大事なのはその球を正確にまっすぐに相手の手のなかへ届けることで、強い球や速い球を、自分の力を示すために投げつけることではない。
誰にでも受け取りやすい球の軌道はおそらく限られているが、その軌道に正確に沿わせて理想的な球を放るには、あらゆる経験と技術が必要だ。

優れた指導者、話し手とは、それこそが自分たちの役割であり、技術はそのように使うために磨かれてきたのだと知っている者だ。
科学者や教師や芸術家の本来の仕事は、世界に隠されている理を紐解いて、誰にでも分かる形に加工し、それを智慧として応用し、誰にでも役に立つ形で紡ぎなおすことだ。
自然の繊維や蚕の糸から仕立てた居心地のいい衣服が、誰かの心身を温め、守るように、優れた智慧はその真理ゆえに、誰かの魂を守り養う。

だからどんなときもあなたの言葉で語りなさい。
あなたがあなたの深い部分につながり、そこから語るとき、その言葉は純粋さと真理を持つ。
いつもできるだけそこに誠実に、率直でありなさい。
伝えたいことはあなたの心に問いなさい。
なにも引かず、付け加えず、そこにあるものだけを伝えなさい。

誰かの求めやニーズの中に、伝えるべきことを探そうとすれば、あなたは迷うだろう。
たとえば自分がどう思われるかなどを気にして言葉を選んでいれば、あなたは自分を見失う。
それは鏡の中に実体を求めるようなものだ。
あなたに返るのは、問いを発した自身の姿だけで、答えは得られない。

だからどんなときも自分に誠実でいなさい。
たとえその時、あなたの言葉が相手に届かなかったとしても、あなたの真実から出た言葉はいつか必ず伝わる。
人は真実を無視し続けることはできないからだ。

そしてコミュニケーションは、自分から投げ始めたときに、初めて責任を持って受けとれるようになる。
自分が放り投げている球が、どんな球なのかに常に注意していなさい。
それがあなたの受け取るものの質を決めている。

意思と責任を持って自分から始めなさい。
そうすればあなたは結果に対して、責任を持って、恐れずまっすぐに受け取ることができるようになる。

それがつまり、自分の住んでいる、あるいは自分の受け取っている世界の質を決定しているのだということに気付いていなさい。
あなたの発しているものが、あなたの受け取るものになる。

だからこそ丁寧に生き、丁寧に紡ぎ、与えなさい。
あなたの受け取るものは、いつかあなたの中から生まれ、発せられた思考と言葉、行為と習慣、ものの見方とその偏りに起因している。
自分で発するものに責任を負うなら、あなたはそれに翻弄されることなく、その反応や結果を受け止められるだろう。

丁寧に自分に問い、自己と他者に対して誠実にそれを分かちあいなさい。
それが最も分かりやすく、あなたを表現することになる。
それがシンプルにあなたの真実を生きることにつながる。

あなたが自分と他者に向き合うには、自分の真ん中に降りていってそこから受け取り、語るしかない。
そうすればあなたは、世界を曇りない目で見ることができる。
嘘や葛藤を持たずに生きられるようになる。

純粋なあなたの表現は美しい。
そこに制限や評価を与えているのは常に自分自身だ。
何者かであろうとするのでなく、ただ一つの生命として生きなさい。
一輪の花のように、ありのまま世界に立ち、怖れずに交流しなさい。

あなたが、ただあなたでいてくれて嬉しい。


ありがとう。
愛しているよ









 

自分で考えるということ

February 06 [Mon], 2012, 21:29


120206 自分で考えるということ


昨晩散歩に出たときに、ふと有機バナナを買ってみた。
今朝それを食べながらぼんやり考えていたことがある。

なんで有機の方が安全でおいしいのに、値段が高いのだろう。
みんなこっちの方がいいと思わないのかな。
みんなが選べば流通量が多くなるんだから安くなるはずだよね。
有機、オーガニックなものの市場は、まだスケールメリット(たくさん買えば安くなる)を使えるほど成熟していないっていうことか。

あーそうか、ちゃんと選んでないんだ。反射で買っているとか。
あるいは安いという理由が、他の価値よりも優先されているのか。
でもそれって極論、生命よりお金の方が大切っていう価値観だよね。
え、本当にみんなそう思ってるの…?
人と話す実際の実感としてはそうも思えないけど。
でも表現される行動は、その価値観が前提に見える。んー。

でも二つ並んでいると、つい安い方を選んじゃうのはなんでかな。
お金は有限で、自分の扱える量が決まっていて、足らなくなると生活できなくなって、生きることが出来なくなるっていう不安があるっていうこと?
不安と不足を前提にした選択だから、安い方がいい。ふむ。

でも不安を前提にしているっていうことは、自分の生命を守りたいっていうことだよね。
それなのに、心身によくない毒物、添加物、ケミカル、放射性物質を、安いという理由で選択して身体に蓄積していく。なんでだ?
ゆっくり死ぬなら怖くない?みんなもやっているから大丈夫?
あー、そうか。不安を自分で考えて感じとることを放棄しているんだ。

毎日、考えなくても目の前にやってくる提供されるものを、そのままさほど判断もせず受け取っているのか。
それって国やシステムに対するすごい信頼だな。
でもすごい不自然。なんだろうこの違和感。

なんというか、生き物として正しくない気がする。
身体で感じたら拒否するはずのものを、頭が優位になってぼんやりしていることで素通りさせている、なにかとてつもない見落とし感。
それで当面の安定は得られるとしても、果たしてそれは幸福なのか?

あー、でも、そういう幸福も確かにあるか。
物質的充足=幸福の定義なら、そのインフラは機能している。
そのプロセスは抜けて、精神、スピリットの充足とは何かを問えるようになったってことか。
実際そのインフラを造るために尽力した先人達のおかげで、平和で安全に見える世の中を生きることができる。

でも、とてもぼんやりした幸福に似たものを与えられて麻痺させられているような、そういう何か気持ち悪い感じは拭えない。
麻痺させられている?あれ、与えられることが前提なのっておかしくないか?
あー、だからだ。この違和感。

与えられて当然っていう、その在り方がすでに自然じゃないんだ。
潔くも美しくもない。自分の人生と生命なのに、自分で生きている感じがしない。
謙虚に、天と大地に生かされていますっていうのとは違う、何かに依存して、生命として自立していない、その感じが気持ち悪いんだ。

うわー、いやなもの想像しちゃった。
後ろの扉は開いているんだけど、毎日餌が流れてくるから、その厩舎から出られないブロイラーとか豚みたいだ。
たしかにいきなり野生じゃ生きられないけど、それはすでに生きる意味を消失している。

自分で感じて、自分で選んで生きるってどういうことだろう?

「頭とハートと身体とスピリットが一致して、感じることに素直にありのままあること」

え、ここであなた(ハイアーセルフ)が口を挟んじゃうのって、ルール違反じゃありませんか?いい流れだったんですけど。

「そろそろまとめに入った方がいいかと思ってね」

おいしいところを持っていきますね。ずるい。

「わたしが話したところで、君の話すのとたいして変わらないだろう」

自分で立てそうなところを、最後持ち上げられちゃって、達成感を奪われた子どもみたいな気持ちなんですよ。

「それは失礼した、すまない。
では問おう。具体的には自分で選んで生きるとはどういうことかな?」

おっと、意外な返し。
そうですね。多分一つ一つの行動の結果をイメージして、それに責任を持つということですか?
たとえば、有機オーガニックなものとか、地産池消の野菜とかを選んで買えば、それに賛成しているっていう意思表示になって、その積み重ねの結果それが次の世界の在り方として根付いていくというか。

「確かに想像力は大切だ。世界は想像の結果、創造される。他には?」

んー、自分が何を好きで、何を愛するのかを知っているっていうこと?
そうでなければ、何に賛成したいのか感じられないから選べない。

「君が愛するものを知っているということ。それをどのように感じたらいい?」

味わうこと?居心地のよさとか手触りとか味とか、そのものを心から触れて受け止めて交流してみるとか。

「いいね。それは愛だね。味わったらそれでどうしたらいい?」

愛すること?あー、そうか、愛することなんだ。
結局自分が大切にしたいものを愛すれば、それが自分で生きたい生命のあり方を選ぶっていうことなんだ。なるほど。

「その通り。ほら、自分で辿り着いた。私が話すよりもスムーズだったよ」

インスピレーションの導きがあったからですよ。それは天からもたらされたものでしょう?

「では、天と自分の違いは何かな?自分とは何かな?」

自分とは?


「あなたが受け取るということは、あなたもまた天の一部なのだよ。私があなたの一部であり、あなたが私の一部であるように。
あなたが自分だと思っているものは、実は自分を越えた枠組みの中に組み込まれている、一時的な存在のあり方、座標、表現の表れに過ぎない。

人は時空を越えたつながりの中の一時的な表れとして、一時的な時間、空間、肉体、関係性、の中に自らを表現する。それが今のあなたの人生だ。
しかしあなたの存在は、永遠性と普遍性の中にその本質を有しているから、決して損なわれることはない。
従って、世界が不足と不安を前提にして成り立っているという、あなた方の信念は幻想だ。
あなたがどんなにそこにリアリティーを持っていたとしても、実際にはあなた方は損なわれることはない存在だ。

話を戻そうか。
人が不安と不足を人生の前提にして選択するから、長期的な未来への展望ではなく、より安いもの(一時的な安定)を選ぶのだとあなたは考えた。
その恐れが、世界をよい方向へ進むのを、押し留めている原因であるとも。

あなた方が損なわれることのない、普遍的で無限の存在の顕れだとするならば、その前提は覆る。
問題はどのようにして、人々がそれを新たな信念として自覚するかだ。

有限な自分自身という自己イメージを、より本質的普遍的な自己に連続するものと捉え直し、不安と不足の怖れに左右されない生き方をどのように実現するか。
それが真に自分で感じ、自分で選んで生きるということの意味だ。

実際のところ、あなたが不足を前提としない在り方を選ぶなら、あなたに不足はなくなる。
あなたの問題は足りないという事実ではなく、足らないという思いだからだ。
自身の本質に添って、自分とそれに連なる大いなるものを信頼して生きれば、現実的な豊かさももたらされるだろう。

あなた方が真に、自己が誰であるかを知ることが、この世界の進化には必要だ。
それがこの時代において、霊性の自覚が必要とされていることの意味だ。

それをしに来たのだろう?

あなたが誰であるのかを知り、それを表現しなさい。
あなたの大切にしたいものを愛し、自分のありたい生命のあり方を選び、あなたの真の喜びを地上に表現しなさい。
自分のスピリットに、常にベストを尽くして生きなさい。
歓びを燃やし、生命を燃やし、できるだけ生命と魂に純粋でありなさい。
もう言い訳も妥協も先送りも出来ない世界になるのだと自覚しなさい。
あなたが選んだ自分があなたになる。それが宇宙の仕組みだ。

それを見て、他の誰かも、自分自身が誰なのかに気付いていくだろう。
変化は内側から、きっかけは他者からもたらされる。
あなた方の背中と表現によって、世界に変化を促しなさい。

あなたが描きたいヴィジョンは何か?
あなたはどのような存在として生きたいのか?
あなたの人生が世界に残したいものは何か?
選びなさい。

あなたが書きたいのなら、怖れずに書きなさい。
歌いたいのなら歌いなさい。あなたの仕事に残しなさい。
表現しなさい。伝えなさい。与えなさい。余さずに。
あなたの本質は無限であっても、あなたに今与えられた時間は有限だ。
それを無駄なく使い切りなさい。決して悔いのないように。

あなたは孤独ではない。
インスピレーションは天からもたらされる。
天はあなたの一部であり、あなたは天の一部だ。

自分自身の本質に従えば、そこにより大きな意図が見えるだろう。
そのときあなたは天を自らの内に持って生きる。
あなたが誰であるのかを見失わなければ、人は不安になることはない。
宇宙と生命の本質に不足はないからだ。
そしてそれがあなたの本質だからだ。

いつもあなたの望むとき、宇宙はあなたと一つだ。
私達が一体であるとき、あなたは”孤独”ではなく”一つ”となる。


愛しているよ









 

立春過ぎて

February 06 [Mon], 2012, 21:04

 
さーて、いよいよ立春過ぎて、本格的に春と新年の始まり。
一月はなんかわたわたと準備するように過ぎてしまったので、個人的にはここからが本番な感じ。
海王星が魚座に入って、なぜかいよいよ俺(魚座)の時代が来た感を個人的に感じています。


新年の抱負として考えていたことがありました。
毎週、観想(テオリア)を書くっていうことを自分に課してみようと思いました。
できるだけ、短くてもいいから、毎日何かを書くということに向き合ってみるということ。
観想(テオリア)っていうのは、自分の中のハイアーセルフとの対話みたいな覚え書き記事です。


できないとかやらない理由とか、そういうのはあってもやり通すっていうのをやってみたくて、アウトプットは時系列順でなくても、ともかく毎日何か書いてためていくっていうことが、自分の訓練と今後の準備になると思い、書いていくうちに見えてくる何かがあると思うのでまずはやってみようと。
それである程度まとまったら、記事にしてブログとかに載せていこうかな。

正月からやったのは3日で終わってしまったので、途切れても毎週アウトプットを続けることを目指そう。


「なせば為る 成さねば為らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」  上杉鷹山
(やればできるだろう?できないなんてのはやらないだけだ)

元になった武田信玄の言葉も好きです。
「為せば成る、為さねば成らぬ成る業を、成らぬと捨つる人のはかなき」 
(やればできたのに。やり通す意思が足らない奴ばかりだよ)


そう。言い訳している時間は終わったのです。
結局、できるかできないかは、やるかやらないかだけだから。
敢闘賞はいらないから結果で示そう。

大学時代、教わったことはほとんど役に立たず忘れてしまったけど、唯一心に残っている言葉が、大学所縁の人で、清里の父と云われているポール・ラッシュさんの言葉でした。

「 do your best and it must be first class 」
(最善を尽くせ、且つその仕事は一流であれ)


肝に銘じます。初心を思い出して襟を正そう。(襟の付いた服なんて持ってないけど)
自分の感情や気分に左右される続けるのも、なんか美しくない生き方に見えるし、やるといったことをやる、仕事で表現する、そういう人の方を私は選びたいと思うから。

言葉には人を動かす力がある。
自分のツールを意識的に使えるように研ぎ澄まそう。
それが私の仕事だ。役割を果たそう。

そんな思いを固めた立春でした。



さて、立春当日は、高校合唱部の恩師が定年で退職されるので、在校生とOBでオリジナルの合唱曲を贈る音楽会に参加していました。
そこで贈る花束の作成を依頼されました。

「言葉では言い尽くせない想いを伝えられるようなアレンジ」をというご指定です。ふむ、なかなか粋な後輩達だ。
応えてやるのが大人の器量ってもんだろ?ってことで前日から仕入れと作成で一日がかり。
通常のアレンジの3倍以上の量の花材を使い、ありったけ盛り込み、デザインを整え、ぎりぎり抱えられるくらいの大作に仕上げました。(隣は比較用の文庫本)

作り上げてからふと我に返り、いやこれでかすぎない?と思いなおし、一応演出上、そのアレンジで難しいケースになったらまずいのでということで、アレンジのほかにもう一作、予備の花束も作成。
やっぱりラッピングの講座も受けておけばよかったと後悔しながら、当日午前中に何度もリボンを巻いては失敗を繰り返し、なんとか完成。
結局両方渡せて、喜んでもらえました。よかったよかった。


それを企画した若い後輩や高校生達と話したのですが、これもとてもいい刺激になりました。
なんかもうさ、キラキラなの。
いろんな不安とか思いとかもあるんだろうけど、まっすぐに全力で自分のしたいことやってるの。
そういうの忘れているつもりなかったんだけど、自分の限界とか分からないまま、まっすぐに情熱持っている感じとか、熱くて眩しかった。

これよこれ。そうだよ。
大人になって自営業とかだと、自分に出来ることの範囲で無意識に計画立てちゃったりするから、枠を超えて限界に挑戦する機会とかがほとんどなくなっちゃうんだよね。
意識的にハードルを下げちゃうから成長しなくなっちゃう。これはいかん。
そんなわけで、いい刺激をもらい、人生で自分が何を残したいのかというテーマで、最善を尽くして生き直していこうと思ったのです。

さ、やるよ。
ちょっとずつとか言ってられないので、全力でやって、全力で休んで、全力で遊んで、笑って生きるよ。
その結果何かを残せたら、それで判断してもらえればいい。
全力でやった人だけが、言い訳しない潔さを得られるのだ。

あとは動きながら考えよう。
とりあえず今日言いたかったのはそんなところです。


ありがとう。






 



2月のWS&イベント

February 03 [Fri], 2012, 0:29


 寒い日が続きますね。あっという間に2月です。
先日うちのサボテン先生が満開になりました。
生命の息吹、いのちの力には、澱みがなくて圧倒されます。
ますます日々を丁寧に、大切に過ごしていきたいと思います。


さて、今月の旅人の樹イベントはこんな感じでやります。 (以下参照)

来週水曜日、足裏ワークショップまたやります。
リーディング・チャネリング ワークショップも月末に久々開催。

バースデーイベントの旅人の音楽会では、友人のアーティスト
幸+福のさっちゃんも来てくれて、併せてお祝いする予定。
(誕生日が同じ2/21なのです♪)
まったり投げ銭ライブやります。参加者も募集中。


いよいよ立春越えて、本当に新しい流れの始まりです。
楽しんでいきます。 


ありがとう。



〜・〜・〜・〜・〜・〜


2012年2月のワークショップ&イベント情報一覧


 2/8(水) 足つぼ整体講座

 2/14(火) 花ワークショップ -Object-

 2/18(土) ヘナ会

 2/19(日) 旅人の音楽会&カレーナイト

 2/21(火) 花ワークショップ -ひなまつり-

 2/27(月) リーディング・チャネリングWS


〜・〜・〜・〜・〜・〜







 
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