1.5モッチョム


今週は三日間をかけて、庭仕事を行った。
といってもうちの庭ですらないのだが。
お隣のおばあちゃんのお家と我が家の間にある割と広大なスペースに、風の通り道を作る作業だ。

お隣には温室もあるので、その中の草刈りも含めて、膨大な量の草を刈り、ゴミを拾い、もしくは半分埋没したゴミを掘り起こす。
庭仕事というか開拓と発掘に近い。
大家さんなのか前の使用者なのかは分からないが、目に余るゴミが、うちから見える隣の敷地の随所に落ちているのが、越してきて一年近く気になっていた。
今回は許可を得てこれらを徹底的に掃除する。
ここに風が通るとうちの庭が気持ちよくなるので無償労働。
拓いたスペースに子供が駆け回るのに、ガラス片やら何やら放置しておけない。

しかし途中から腹が立って来る程のゴミ量だ。
自分の庭だからといって、あまりに自然にリスペクトがない。
まぁそういう大家だから自分では掃除するまい。
(もちろん捨て散らかしたのは今住んでいるおばあちゃんではない。そしていかんせん広大な敷地なので彼女の手には余る)
朽ち方や錆び方から鑑みるに、20年以上は放置されていたような佇まいだ。
底の抜けたポリバケツの底は貝塚のようだった。
最終的に約20大袋分の簡易粗大ゴミと、袋に入らないサイズの粗大ゴミが6個になった。
ラインナップは車椅子、乾燥機、手押し車、4m大の錆びた鉄パイプ、アイロン台、割れた姿見、温室の割れたガラス多数、巨大な朽ちたポリバケツ複数、何が入っていたのだか分からない薬品容器類。大量の肥料袋ゴミ、及び生活ゴミ各種。

なんというか、美を護るから護美(ゴミ)なのだなと実感した。
人工物のノイズのない美しい空間。
スペースとはそれそのものがギフトである。
神性は常に空を伴う。

そこからさらに草払い作業。
背丈より高く育ったセンダングサやススキやカカランの森を斬り払う。
もう一気に薙ぎ払いたい、頭の隅で巨神兵が欲しいと願う。
環境再生のプロの奥さんが細かいところは整えてくれるので、私は薙刀のような大鎌と鎌鋸を持って草刈り無双する。
今日斬り払った温室内外の草の山だけで、牧場サイロ傍の藁束スケールになった。
空気中に薄く散った草汁でもう目が痛い。

その甲斐あって、シュロの森と温室と、風の抜けるフィールドが蘇った。
狸に盗まれた見覚えのあるサンダルがいくつか発見されるも、鼻緒は噛み切られていた。
これで子供達も夜行性小動物達も心置きなく駆け回れるだろう。
たとえまた一年放置すれば同じ状態になるとしても、まずは頑張ったと言えそうだ。

ところで屋久島には山岳信仰があり、各集落には信奉する山が存在する。⛰
そして毎年、岳参りと呼ばれる登山礼拝が行われている。
うちから見える雄大に切り立ったモッチョム岳はこの辺りの霊山で、私も五月に登ってきた。
この数日は、あの時の疲れ方を思い出していた。
八時間険しい登山をした疲れ方を1モッチョムとすると、今回は全部で1.5モッチョム位かな。
斯くして新しい単位がここに生まれた。







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