変わり目を感じている。
静かに蕾が開くときを待つような。
見えない世界のうねりが時を押し出すような力で、何かを開こうとしている。
昨夜ウエサクの満月を感じながら祈った。
お釈迦さまが生まれて悟って亡くなった日は、すべて五月の満月だったといわれる。
五月の満月には開こうとする力が乗るのかもしれない。
今朝何かに心を開きたくなって、庭の山桃の樹と交流した。
根元に熊竹蘭の花が一輪咲いていて目が合う。
一輪の花を愛でるのは、世界を愛することよりも容易い。
呼吸をしながらその美しさに触れると、視界や景色の輪郭がはっきりしてくる。
自分と景色が繋がっていく。
彼我の境界がもっと大きな枠の中に含まれていく。
心が開かれると内と外が反転する感じがある。
ただいま。
花の奥や樹の中に、見える物質を纏った見えない生命を視ようと努める。
もし命が物質でないならば、それを構成している要素はいつか宇宙の中でバラバラになってはしまわないのか?
そんな疑問に対してヴィジョンが返された。
"命は虚空に浮いているのではない
命はもっと大きな命の中に浮いている
命で満たされていない場所はない
すべてを満たす母体がある
命はその別な形、別の表れ
花が樹の命の表現であるように、あなたは宇宙の一つの根に連なる花
命の外側(軀)ではなく、そこに在る本質を視なさい
あなたの世界(意識)が外側になければ、わたしたちのイノチは、あまねく宇宙を貫く一つの根に連なる
わたしたちが誰であるかを知ることは、あなたの花の開こうとする意思に他ならない
世界はイノチと意思だけでできている
あなたに触れること
わたしに触れること
世界に美を見つけだそうとすること
そのなんというよろこび
あなたはもう一人のわたし
わたしに連なるすべてのいのち
イノチに連なるすべてのわたし
あなたが咲いていたらわたしは嬉しい
あなたが開く喜びは、わたし自身の咲く喜び
あなたは同じイノチに咲く別の花の名"
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