祝福の雫


うぉぉ、それだ。
作家の田口ランディさんの文章の中に心の揮える一節を見つけた。
This is it!

彼女の文章は真っ直ぐに響いて心地好い。
それは曇りなく降りて行くため、丁寧に丁寧に草を分けて、心の心奥まで真っ直ぐに降りて来た者の持つ真摯な視線だからだ。

共鳴する。私もずっとその音を探している。
あの意識空間に自分が集中している時にだけ響く、透明な音。
いつだったか20年くらい前、「自分の残りの命は、この星(あなた)を癒すために使います。どうかあなたの手として使ってください」と願ったことがあった。
今はそれとは少し違うものを感じている。
それが何だろうなと思って来たけれど、ようやく腑に落ちた。

私は愛したかったんだ。この星を、この世界を。
祝福に満ちた世界をただ、それだけの願いを携えてここにいる。
多分祝福だけが、人が他者に、世界に対してできることだ。
今はそう思える、ようやくだよ。

学生の頃に書いた論文のテーマは「癒しとエコロジー」だった。
たしかサクラメンタリズム( 霊魂に与えられる恩寵を見える形で表したしるし)を通して世界を受け取り直すことがこの星を癒すことにつながるといった内容だったかと思う。
あの頃、専攻はトランスパーソナル心理学とか宗教教育学とかだったけど、それは何でも良くて、ただ本当のことを見ることのできる目が欲しかったのだ。
ずっとその切り口を探していた。
その時お世話になった坂口教授には、「君が30年後に書く論文が見たい」と言って頂いた。
今ならばその何かを伝えられるだろうか。

永遠につながる一瞬のすべて、0と無限がつながる場所。
全ての間の中に、聖なるものが宿っている。
きらめく、美しいもの。自分を、世界を満たす本当のものの雫。
それを出来るだけ取り零さないように運ぶ、透明な器でありたい。
それは表現者や作家に共通する願いなんじゃないかと思う。



以下は田口ランディさんの文章より転載
〜・〜・〜・〜・〜

彫刻家の安藤栄作さんが、ご自身の投稿で「作家活動は世界に認められるためにしてるんじゃなくて、世界を愛し続けるためにしてるんだという認識に変わった」と書いていた。

そうだ、ほんとうにそうだ。私にもそういう瞬間があって今に至る。でも言葉に出来なかったけど、まさにそうなんだよ〜と、時空の扉を激しく叩く。そうなんだよ、そうなんだよ、そういうことなんだよ。ガンガンガン!

毎日、毎日書き続けるのは世界を愛し続けるため。この吐き出されることばは世界を愛し続けるために、そのために書いているんだ。そうなんだよ。えーん、安藤さん、そうなんだよ。

言葉で世界を祝福する為に書いているんだ、この日常をことほぐために書いている。愛しているんだ。ここにあるまるごとすべてを。それを確認するために書いている。それだけなんだ。デビューする前も、今も。そういうことなんだ。

ああ、なんかすんげえすっきりした。

でもって、私はいま鍼灸学校に通って、日々、ペンのかわりに鍼を持っているんだけれど、鍼と書くことは似てる……っていうか同じなんだよなあ。

うまく言えないけど、別の意識状態に入れる。しーんとしたところに行ける。でもって、これも世界を愛し続けるためにやっている。他には言いようがない。

私のやってることすべて、世界を愛し続けるための儀式みたいなものなんだ〜。わーい!わーい!わーい!あー、なんかめっちゃ幸せで嬉しい気分になってきた。最高だ。

鍼を打つのか……鍼を刺すのか……迷う。どちらの言葉もフィットしない。適切な言葉が見つからない。私は、鍼で何をしているんだろう。打つとか刺すという動詞で、自分と鍼との関係を言い表せない。乱暴すぎるのだ。あまりにも乱暴だ。

物理的には刺しているのだけど……、刺してはいない。決して。そういう感覚で鍼を持っていない。

あえて……近い言葉を探すとしたら、鍼を奏でている……に近いかなあ。振動する細い鍼を水面にそっとつけて波紋を見ている。その波紋を感じているし、その波紋と呼応しているような……そんな感覚になる時が一番気持ちいい。

それは、書いている時の状態と似ている。ほとんど同じだ。

共鳴し振動するものに触れて、その感触を味わいながら音を聞いているんだ。自分のなかの音だ。世界と共振している内的な音楽だ。そうやって世界に耳を傾けていると、世界は満ちてきて、えもいわれぬ。かけがえなく、すばらしく、いいものなんだ。






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