冥王星山羊座入り




本日10:13に冥王星がいて座から山羊座に移行したそうです。

うっかり今日をぼーっと過ごしてしまうところでした。

占星術や、世の中の流れを見ている人々の間では、ここが大きな転機になるだろうといわれていた、冥王星の移行が本日成りました。


面白いサイトを教えていただいたので、今日はそこから思ったことをつらつら。


冥王星は「抜本改革の星」と呼ばれているそうですが、文字通りもう後がない惑星が動くというのは、本当にここがベースという部分が、変化していくということだそうです。

ちなみに冥王星のような動きの重い星が、自分の生きている間に同じ場所にくることはもうないそうです。つまり、やり直しのきかない一度きり。







以下転載


『冥王星の影響の出方というのは、非常~に薄い色合いの水彩絵の具で、画用紙全体を静かに塗っていく。そんな感じです。


色が薄くても、一ヶ所だけにポトッと落されるなら、すぐに目につきます。そこだけシミになるし、落ちる衝撃もある。でも冥王星はそうじゃないです。画用紙の地の色とわずかにしか違わないカラーで全体を塗る。だから気づかないことの方が多いはずです。そして、徐々に色が重ねられていって、気がついた時には白かった紙が青くなっている。


で、その上に黄色を乗せたら「緑」になってしまう。紙が白い時と同じように絵具を使っていたのではダメだということです。今までそうだったから、と言ってそれまでのやり方にしがみついていては、思うような絵を描くことは永久にできなくなる。


それが「時代が変わる」ということではないかと思います。



●時代が変わるとはどういうことか●



これからは、絵の中に「黄色い部分」を作り出すことは困難になります。黄色い絵の具で「黄色い絵」を描ける時期は終わったということです。これからは黄色を使って「緑」を描く時期、あるいは赤を使って「紫」を描く時期だ、ということです。


画用紙の上で、もう「黄色」を見ることはできない。それはこれまでの時代の中で充分にやり、完了させておくべきことだったからです。そして、これまでの時代に「黄色」をちゃんと見て理解してこなかった人は、これからの時代にもそれを使うことはできません。なぜなら「それが黄色だと知って、ちゃんと使う」ということができないからで、知らないものは使えない。自分の絵の具箱の中に黄色が存在しない、ということだからです。


そうなると、新しい画用紙の上で「緑色」を作ることもできなくなりますね。そしたら当然、黄色を持ってる人と同じ絵を描くことはできません。それで、結果が違ってくる。受け取るものが違ってくる。それは持ってるものが違うからで、差別とかではないのですが、「同じものを持たずに、同じ結果を受け取りたい」と思う人にとっては、大きな差別、格差になる、ということだと思います。 』






なるほどね~。

時代が変わるって何が変わるのか漠然としていたけど、そういうことなのか。

意識の潮流というか根底のパラダイムシフトなのね。

グループソウル意識のレベルが、一定の臨界を越えるということのように感じていたけれど、単純にそれだけではなく、ステージ自体がもう以前のままではいられなくなっているんだ。

星の波動、場のバイブレーションが変わるというのも、きっとそういうことなんだ。



それで1996年から始まった、個を探求する[冥王星]射手座時代から、それを社会に還元していくこれからの山羊座時代に移っていくわけですか。

たしかにそれまで、オカルトと精神世界の違いも怪しかった認識から、スピリチュアルなんて言葉が生まれだしたのも、それ以後の10年くらいの変化だった。







『つまり、個の殻は突き破ることができる。しかし、それでもやはり限界はある。お互いに自分をさらけ出し合って一体感を共有しても、「お互いが個である」というところの尊厳は踏みにじることはできない。


~中略~

「みんな同じだから一緒だよね!」という一体感から「みんなそれぞれ個だ、という点で一緒だよね!」というところへと変化していったわけです。それで、それぞれが自分の個をもう一度見直してみよう、ということでそこに目が向いていった。みんなが自分の個を追求・探究する時代、それが「いて座・冥王星時代」だったような気がします。


~中略~

しかし、そういった探究の時代はまもなく終わるということです。なぜなら、やぎ座はいて座を締めくくり、いて座の限界性を明らかにして、そこから新しい可能性を探り始めるサインだからです。個人を追及すること、個であることを重要視すること、個でいることにこだわること、言ってみれば「個の限界」を明らかにします。


~中略~

世間全体の空気が、自分探し・可能性探しだったここ10年ですが、時代の波は変化するってことですね。ここから先は、ちゃんと探求をして、可能性なり自分自身なりを手にした人だけが進める道なのかもしれません。 なぜなら、それを見つけていないのであれば、この先もまた「引き続き探究する」ことになるし、それでも時代はどんどん進んでいくからです。


黄色を持っているものだけが描ける「緑色の絵」。それは、

自分の個性を世間や他人に還元することができる隠者だけが得られる 「自 分 の 居 場 所 」。


隠者が放浪を終え安住の地を得るには、地域や集団、あるいは社会の中で自分の役割を持つことです。自分の役割ときちんとこなし、他に利すること。そうすることでしか「自分の居場所」は得られない。それがやぎ座というサインです。


これからのやぎ座では「居場所とは、自分の持っているものを与えればおのずと発生する」ということを知っていくように思います。』







「居場所とは、自分の持っているものを与えればおのずと発生する」…

自分でいることに誠実になって、ただありのままの自分でいること。

そうやってできることが、きっと自分の役割だし居場所なのだと私も思います。


そうするとますます、自分にも他人にも嘘やごまかしができなくなっていきますね。

個のレベル、社会、世界全体でもそうなのかな。

自分をごまかし続けて来た人は、今まさに膿出しの真っ最中できついはず。

実際自分も内的な変容の波に乗ってきたし(大変だった…)、周りにもそういった話はたくさん聞いてきました。

今後益々クリアになっていかないと、その責任は全部自分に返ってくるでしょうね。自分が気持ちよく輝いていられるかは、結局どのくらい曇りなくいられるかだから。


外を見ていてもしょうがないのです。

結局自分のあり方だから。と、昨夜ある理解にいたりました。


人は自分の愛したいように愛される


自分が他者に対して感じている思い、与えている気持ち、エネルギーが

結局その人自身の受け取っている現実なのです。

当たり前のことを、当たり前にせず大切に扱うこと。

他者への自分の愛し方が、結局自分の愛され方なのです。


与えたいという思いで愛するなら、与えた以上のものを受け取るでしょう。

それはただ添うこと。

見返りを期待したら、きっと期待した分が、あなたの奪われる余地になるのです。

ただ与える者には、奪われる余地などないのだから。

そこには与えることと受け取ることが一つになった、完全な循環があって、しかもそれは喜びだけの拡大循環になり得る、力強い在り方。


昨夜、岡本敏子さん(岡本太郎氏の養女)の本を読み返していて、それを思い出しました。


これからの世界に、心地好い自分の居場所を見つけたいのなら、そういったことを忘れてはいけないなと思いました。

すべてを自分の責任で引き受けたときに、初めて創造する自由を与えられるし、それが多分私にとっては心地好いあり方につながると思うから。







最後にちょっとお知らせ。



『やぎ座はかに座のオポジション(正対)に当たる場所にあるサインです。

一見すべてが正反対、しかしその本質は同じだったりします。

かに座は4ハウスとも関連があり、母性としての大きな母体を表します。

そのオポジションにあるやぎ座は、母性に対する「父性」を表します。母性を渡って社会に出た子供が、今度は社会人として自立していく。

そこにかかる橋。それがやぎ座です。』




山羊座は父性、男性性が際立ってくるタイミングなのですね。

折りよく、先日企画したイベントがまさにそんな感じです。

女性性の必要が謳われた現代に、かえって埋もれそうな男性性の回復。

男性の持つ力と、その必要性を意識してみようという試みです。

よければ遊びにきてください。








 

1 件のコメント :

  1. はじめまして。いろいろ考えていてたどり着きました。
    世の中も膿だし、真っ最中ですね。
    消費税があがったら本当に必要なものだけ買うようになっていくだろうし、お金をつかわないで『ぶつぶつこうかん』なんて流行っちゃうかもしれませんね。フリーエコノミーを実践している人もいるようです。
    でもやっぱりお金は腐らないし便利だから、お金でもぶつぶつこうかんでもどっちでもいいみたいになったら、みんな気持ちがちょっと楽になるかなと思いました。
    自分のうちで電気をつくる、野菜をつくる、てづくりのものをつくる、こつこつと山羊座っぽく黙してスローダウンして生きていくといい流れにのれそうな気がしました。
    つらいほうばかり考えていましたが、この記事を読んですこし楽になれました。ありがとうございます。また読ませていただきます。

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