カルマ&マインドトレーニング

 

数日前友人の日記に紹介されていたサイトを見ていて、これは紹介した方がいいだろうなぁと思ったので、役に立ちそうな所を抜粋転載してご紹介します。



転載元の原文は13月暦のわいあーさんという方の和訳を参考にしています。

13月暦提唱者のホゼさんが発信している【倫理プロジェクトニュース】というニュースレターの翻訳です。5年前のものですが、タイムリーな情報になっています。



「時間の次元間の窓を開く」

倫理プロジェクト・フェーズII、フェニックスエディション、第4巻第1号





分かりやすく、広く役に立ちそうだと感じた部分のみの抜粋です。

変化の加速している時期を迎えている方に、届き、役立ちますように。

ホ・オポノポノにも通じる概念かなと感じました。

後半の考え方を実践できたら確かに楽になれそうです。

暦の共通理解をベースにしているので、多少分かりにくいところは

あると思いますが、一文でも役に立てばと思います。







「カルマの法則」&「マインドトレーニング」

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【カルマの法則】



「すべての信心の本質は、カルマの法則を観察して、信じることにあります。カルマの法則を信じない人は、信仰上の学びの探求においても熱意を欠くことになるでしょう。もししっかりとカルマの法則を信じる人ならば、3つの低い状態(地獄界、畜生界、飢餓界)の惨めさの思いがその人を恐怖で満たし、菩提を達成したいという最も激しい願望をきっと奮い立たせるでしょう。それゆえ、私はあなたがた全員にしっかりとカルマの法則に対するあなたの信心を確立するように勧めます。」ミラレパ



カルマの法則を正しく理解することは、実際、あらゆる本物のスピリチュアルな悟りの基盤です。これはチベットのヨガ行者で最も有名なミラレパの自叙伝から引用した上の記述の要点です。もし我々が本当にカルマの法則の仔細を理解したならば、可能な限り最もスピリチュアルな生活を送ろうと努力することに躊躇はしないでしょう。



カルマは通常、自分が蒔いたものを自ら刈り取るという原則として、あるいはあらゆる行為にはそれに等しい反応があるものと理解されており、これらの表現は十分正しいとは言うものの、カルマの法則は、実際には、考慮に値する更なる複雑な精妙さを伴います。あなたに生じるすべての思考、そしてあなたが口にするあらゆる一語一語には、カルマ的な結果が伴うのです。



あなたが考えるあらゆることは、実は、あなたの環境の中から生じる思考の波です。その反響は瞬時に起こります。誰であれ自分が思っている、そのままの人になるのです。あらゆる思考は感情の属性を伴っているので、即座にそれはあなたの心の精神的フィールドを染め上げます。あらゆる思考は瞬時にフィードバックされる循環を伴います。従って私たちのキャラクターは私たちの思考の総計なのです。私たちとは私たちがくだしてきた思考と決断の総計にほかならないのです。このことをじっくりと考えてみてください。誰かに対するどんな感覚でも、また悪意や意見でも、実はそれ自体がその人をそのような人だとあなたに思い込ませている判断なのです。私たちが他の人について抱くこうした意見は、本当に私たちのスピリチュアルな実現における最大の障害です。どんなに独善的な思いであったとしても、間違った考えは間違った考えで、良い考えは良い考えです。中立的な考えは中立的な考えです。他人を悪いとする思考は、私たち自身をそのようにさせてしまうような悪い思考です。ネガティブな投影は私たちをネガティブにしてしまいます。



カルマの法則のこうした捉え方は実のところ、個人に責任をとらせる誘因となります。実際、完全にスピリチュアルな人とは、自らのすべての思考や感情に絶対的な責任を引き受ける人のことであり、自分を取り巻くすべての現実に対して責任を取れるのは自分自身しかいないと理解している人のことです。これこそがコーランで、支えきれないほどの重荷を与えられる魂はなく、そして誰も他の人の魂の重荷を担ぐことは出来ないと述べられている理由です。こうした観点は、目の前にある共依存のあらゆる形態に対処するための現実的な助けとなります。というのはカルマ的な魂の悲劇の最大の理由が共依存だからです。他の人の状況について非難したり、その人の責任をあげつらったりすることは共依存です。これは仏陀の最後の言葉、「あなた自身が自らの灯であり、また避難場所であり続けなさい。あなた以外の外的な権威を頼ってはならない。(自灯明、法灯明)」につながります。何らかの形で、また何らかの場面で共依存を経験しない者などいませんが、もし私たちが共依存に対処したならば、そのとき私たちは精神的な自由に到達します。共依存とは本当に、カルマの法則を理解して、適用することの欠如なのです。私たちのあらゆる思考や行為の分析にカルマの法則が適用されなくてはならないということが重要な点です。



この四半分のルーン「人々の道」には「すべての点が行ないに統一される」とあり、それはあなたの振る舞いがあなたのカルマ的な傾向の総和の表現であることを意味します。あなたの心のあらゆる点は、あなたの行ないのあらゆる面となって表れます。あなたの振る舞いがずさんであるならば、それはあなたの心がずさんであるからです。カルマ的な怠惰は、ずさんな振る舞いの原因です。カルマ的な怠惰は、身体スペースの機構を見過ごした短慮であり、世界に対処すべく、近道をします。誰も、何らかの形でカルマ的な怠惰、カルマ的な執着またはカルマ的な忘れっぽさの被害から逃れられません。これらのカルマ的な傾向のどれか一つでさえ克服するためには、精神的な努力を要します。これは、誰もが例外なく精神的な努力を必要とすることを意味します。



カルマ的な傾向を克服することに関する最も大きい障害のうちの1つは、あなたが何でも知っていると考えていることです。ひとたび何かを知っているとあなたが考えると、あなたはメンタルブロックまたは執着を創り出してしまいます。それはパラドックスのように感じられるかもしれませんが、ひとたびあなたが何かを知っていると考えると、実際にはあなたは傲慢さを増長させてしまうのです。あなたは何がしかを知っているかもしれませんが、常にこう考えなくてはいけません。私が何を知っていようと、もっと知っている誰かがいる。たとえその誰かが神だとしても。要するに私たちの誰もがそれぞれの世界の創造に関わっているひとり一人の役割に対して責任があるということです。わたしたちの行いが世界のクオリティを決定します。誰もが世界を変えることを望みますが、私たちが実際に自分自身に対して責任を持ち自分自身を変えるまでは、何事もなすことはできません。問題は、誰もが自分自身の思考と行動を評価するための見識を十分に持ち合わせていないことです。-スピリチュアルな生活はスピリチュアルな努力を意味します、そして、スピリチュアルな努力はスピリチュアルな鍛錬を意味します。もしあなたが自分のことを本当に知り、意のままにしたいのなら、マインドトレーニングを学ぶべきです。







【マインドトレーニング】



私たちをとりまく世界における行為や出来事に充満している混沌、誤認そして自己中心主義について余りに深く考え込むと、ほとんどの人は絶望し、きっとしりごみして、さらに深く自省したります。確かに、早急で軽率な行為、むしろ反応というべきものを返すことは、すでに黒く渦巻いている困惑をさらに増すだけでしょう。神に任せるしかすべがない?そう、高次の力、あるいは完全なる存在に身をゆだねることは必須です。とは言っても、私たちは無意識のうちにほとんどの言動を行っていると思われます。私たちはさらに努力しなければいけません。私たちは瞑想しなくてはいけません。実際、瞑想、すなわちマインドフルネストレーニングを通じてのみ、私たちはカルマの実態を理解し、自己変容のためのポテンシャルを引き出し、神のマインドとの一体を保ち続けるための方法を真に見つけ出すことが出来るのです。私たちが育ってきたこの複雑な世界においては、自分たちのマインドを知る努力をすること以外に、すべてのエゴの巧妙な罠に対処する道はないのです。



マナーとマインドフルネストレーニングは、密接に結びついています。マインドフルネストレーニングは、真の精神健康法です。マナーとは他者との境界を尊重することを意味しており、また、すべての他の人たちが実際には自分たちの体験に興味があるとは限らないことをわきまえて、経験から意見を差し挟まないことを意味しています。カルマの法則を理解することがスピリチュアルな目覚めのための基本的な必要条件であるならば、マインドトレーニングは私たちがスピリチュアリティに目覚めた状態を維持していくための練習方法といえます。2012年への道のりがいかに真剣を要する一大事かを覚えておきましょう。もしあなたが自らの魂を磨くことなく鈍らせているならば、それ以外にどんなに努力をしたとしても、それらがいかに高い、あるいはすばらしい意図があったとしても、何らかのよりよい精神健康法を持ち合わせていなければ、あなたはたちまちどろどろとしたカルマの渦中に戻ることになるでしょう。



簡単な方法として、アティーシャによるマインドトレーニングの7つのポイントを取り上げてみたいと思います。ここではあなたが、背筋を伸ばした状態で静かに座り、息を吐きながら自分の思考を手放していく方法を基本的に理解していると仮定した上で進めます。それらが十分に出来ていて、本当にカルマの法則を理解し取り組んでいきたい、「行ないの道」の中にあってよい惑星キンでありたいと思うのであれば、熟慮すべき7つのポイントがあります。「行ないの道」の本質は、スピリチュアルな鍛錬による魂の向上であり、これこそがマインドトレーニングの7つのポイントが示していることです。





1.あらゆる現象を空想として捉える



自分のしていることが世界でもっとも重要なことであるとすべての人は考えます。そしてある程度はそのように考えることも必要です。しかしもし誰もが日頃からそのようにばかり考えて行動しているとしたら、それはかなり問題を生じさせることでしょう。皆の行為が等しく重要であるならば、あらゆることは同じレベルに集約され、実際のところ、あらゆることが等しく重要ではなくなります。すべては私たちが築き上げている空想なのです。実際あらゆる空想や記憶や知覚はまさしく、つかのまの夢に過ぎません。執着することなく、またそれを手放すためには、すべての事象を空想として考えることが必要です。自分の思考形式を固定すべきではないということがポイントです。なぜなら、あなたは自分が考えているとおりの自分になるからです。すべてを手放し、自由を体験しましょう。すべての現象を空想として捉え、世界を救うことを誓い続けておくことこそが、本当のスピリチュアルな鍛錬なのです。





2. 誰に対しても感謝すること



これは本当に重要です。なぜなら、どんな人も何らかの敵を抱えているからです。憤りや憎しみ、ぞっとするような嫉妬といったことから自由になるために、あなたはカルマから自由にならなくてはいけません。その代りに誰に対しても感謝しなさい。あなたに忍耐、寛容性、さらには創造力さえ養うための試練を与えているそういったものに感謝しましょう。私たちの人生におけるすべての出会いには意味があります。それは私たちの持って生まれた性質を光の方向へと導くための手助けをしてくれているのです。スピリチュアルに目覚め、仕打ちを耐え忍ぶためのよいきっかけを与えてくれたあなたの敵に感謝しましょう。イン・ラケチ!あなたの敵は啓発されていない所からやってくるのだと考え、それゆえ情を受けるに値するとさえ考えることが出来るようになるでしょう。思いやりのレベルを万物へと引き上げることは、誰に対しても感謝することへの至高の計画です。思いやりなくして、どうして世界を救えるのでしょう?





3. 外的な状況に左右されないこと



スピリチュアルな鍛錬を積むに当たっての大きな難題は、外的な状況、とりわけ積み重ねた鍛錬を損なわせるような外的状況がもたらす予測できない影響です。スピリチュアルな鍛錬のすべての側面に寛容が関わっており、それはすべての人たちや状況に対してありのままに受容することを意味します。何が外で起こっても内面での冷静さを失わないようにすることができるとき、私たちは自分の鍛錬を完全なものとしており、外的な状況に反応しないことで、私たち自身や他の人たちに対するネガティブなカルマの創造を少なくしているのです。アパートのとなりのドアから大音量のビートが聞こえて来ても座って瞑想し続けることは素晴らしいことです。大音量のビートに対して感情を揺さぶられることなく、単に精神構成の別の一部として精神的に中和することは、スピリチュアルな努力の極みです。





4. 他の人の欠点をあれこれ考えないこと



典型的な共依存の状態では、他の人の欠点について考えたり話をし、それに興じる時間を過ごすことはよくありがちなことです。私たちがそうしたことをするとき、本当に優位に立った気がします。でも何に対して、誰に対して、そしてなぜ?誰かの欠点をあれこれ考えることは、非難の矛先を自分以外に投影し、実際に自分自身の人生に責任を負うことを避けるための最も大きな誘惑なのです。このタイプの行為は常にとても無害で内輪的で、非常に心地よく感じられます。しかしそれはそのような行為をエサとして成長するエゴにとってのみ心地よいのです。実際そのようなタイプの考えや話にふけることで、同じような欠点を持つ存在に自らを変えてしまっているだけなのです。私たちは態度をこわばらせ、相手は決して変わらないだろうと決めてかかり、さらに自らの意見を正当化します。しかし、決して変わろうとしていないのは私たちの方なのです。あらゆる種類のネガティブな考えに費やす時間とは、私たちが時間をネガティブに過ごしている-それについて考えている-ことを意味しています。





5. まだ生まれていない気づきの本質を探る



創られた存在としての知覚を越えた何かと自己同一化すること、またその自己同一化を継続することは、エゴの関心とカルマ的な識別によって打ちつけるうねり、つまり熱望、不満、誤認の衝突といった人の苦しみと痛みの全てを越えたところに自らを引き上げるためのもっとも重要なステップといえます。瞑想状態のまさしく真髄であるまだ生まれてない気づきの状態を育み探索することは、もっとも気高く、純粋な視点に到達することです。創られた存在の知覚を越えたもの-まだ生まれていない、時を超えた気づき-と同一化した観点に立ってはじめて人は自らを見つめることができ、いかに人が自らの苦しみを生み出しているのかに気づきはじめ、そうして自分という世界に対してより深く責任を引き受けはじめることが出来るようになります。また同時に、人は本当の思いやりを養い始めることができるのです。





6. どんなときも喜びの思いに信頼を置くこと



スピリチュアルな鍛錬を積む上では、真にポジティブな態度を養成することが不可欠です。常に喜びの思いがあることに信頼を置くことは本物のスピリチュアルな鍛錬の特質の一つです。確かに、誰も理解してくれないし世界はままならないものだと考えて、落胆してしまいがちですし、それゆえ怒りや落ち込み、あるいは自滅的な考えに負けてしまうこともよくありますし、さらにはそうしたことがもっともなことだとされてもいます。そしてもちろん、感情の爆発は時として避けがたいことです。そうではありませんか?常に喜びの思いに信頼を置くことは、あなたが現象を空想だと理解していることを意味しており、それは災難に思えることや否定的な予測が本当は大いなる精神的な訓練や、そのための洞察あるいは鍛錬の誘因でもありうるという、いわゆる瞑想的な安定(平静心)を達成したことを意味します。そして、他人に起こる善きことを常に楽しむことこそが、真の喜びなのです!





7. 拍手喝采を期待しないこと



人が平和の使者、世界の利益を目指す改革者としての道に一歩を踏み出したとき、その人は何かの活動家になります。一般的に人は行動に際して、反応を予想します。人は実は称賛(行動を褒めてもらうこと)を期待しているのです。例えば、ある人が13の月の暦を広めようとすると、誰かに時間の法則について話したり、水晶の日の円卓会議を準備したり、あるいは改暦に関するレクチャーやセミナーをやりさえします。しかし、参加者が誰もいなかったり、議論好きな人がその場を支配して、暦に反対したり、あるいはあなたから去っていく人が出てきたりするかもしれません。でも心配はいりません。なぜならあなたが本当に最善を尽くしているのならば、そうしたことのすべては意味のあることだからです。あなたが称賛を望んで何かしているのならば、あなたは実は、あなたがしていることの純粋さを損なっています。ですから、大切なのは、拍手喝采を期待しないことです。無欲にただ与えることこそ本当の愛なのです。





2012年への道は、魂の旅です。周期のとじめの本当の意味は、人のカルマ的なツケを清算するタイミングだということです。2012年が始まるときまでに、あなたのカルマ的な預金口座を、「ゼロ」にしておいて欲しいのです。自己実現は、苦しみとわがままに対する治療です。慈悲(Maitri )、すなわち自愛(ナルシシズムとしてのそれでなく、誰かあるいは何かに影響されることなく生まれつき備わっている長所への本来の評価としての自愛)は、自らのカルマを受け入れ、これ以上の悪いカルマをつくらないようにスピリチュアリティを発揮しようと決心することの核心です。自己評価と自己信頼があなた本来の資質としてしっかりと確立されたら、真の思いやりを実践することができるようになります。そのような思いやりは、自らの利己心に影響されることなく、物事の内面を見抜き、何が相手の性質や行動の根源であるのかを理解しようと努力し、それに応じて動きます。そのような思いやりのある洞察と行動を継続するためには、平静心が求められ、外的な状況に左右されないこと、一方に味方したり他人の欠点をあれこれ考えたりしないこと、拍手喝采を期待しないこと、しかしどんなときも喜びとともにあることが必要です。私たちが新しい時間のときに精神的に生き残っているためには、マインドトレーニングの7つのポイントのようなものを習慣づけ、達成しようと努力することが必要なのです。









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