夜用事で外に出て、予定変わり、ぷらっとマックに入り、愛するポテトを食べながら瞑想とホ・オポノポノをしてたら、すごい理解が突き抜けた。
今にして思えば、節分明けの立冬で、エネルギーの動く日でもあったのだろうけど。
そういえば朝、日課のセルフセッション(メンテ)の後に、風呂場で吐いてたし。
どうも、毒出しと組み替え再調整のタイミングみたい。
しかしすごいよこれ、ホ・オポノポノ。
シンプルかつ、強力な真理を含んだメソッドです。今とても楽。
ホ・オポノポノは自分の外側に他者はいない。存在の責任を自らが完全に引き受け癒すという考え方。
ハワイに伝わる伝承的な智慧をもとにした考え方で、先日紹介した、カルマの法則にも通じるかなと私的には感じている。
「完全にスピリチュアルな人とは、自らのすべての思考や感情に絶対的な責任を引き受ける人のことであり、自分を取り巻くすべての現実に対して責任を取れるのは自分自身しかいないと理解している人のことです。」
「わたしたちの行いが世界のクオリティを決定します。誰もが世界を変えることを望みますが、私たちが実際に自分自身に対して責任を持ち自分自身を変えるまでは、何事もなすことはできません。」
ありがとう
ごめんなさい
あいしています
ゆるします
この4つの言葉を唱えるだけという、とてもシンプルな智慧の実践。
それは自分の目に映る世界の現実を、己の内面世界の投影と考え、
内面を癒すことで、世界を変えるということ。(私の理解では)
自分と自分の周りの世界、宇宙は繋がっている。
目に映る自分の影が現実だとして、通常は現実(影)を変えようとして、なかなか変えることが出来ず苦労するが、その影(現実)を作り出している私(因)の形が変われば、影(果)も変わるといえばいいか。
ホ・オポノポノによって、自分を見ていたら、
自分の覆っていた鎧と戦いの理由が唐突にわかった。
理解が訪れたので、これは多分手放せた実感がある。
自分を慈しむことができるということが、どれほどの救いか、
本当に必要な人に届くといいと、心から思う。
どうも私は自分を押し殺してでも、他者の期待を受け止めなきゃいけないと思っていたようだ。
それで戦ってた。もう無理だよ、これ以上いじめないでって外に構えてた。
受け止めなくていい。
ただ相手のありのままを見て、愛せばいいんだと分かった。
自分がいやなこと、できないことを無理にできるように振舞わなくていい。
それで必要以上に構えて、自分にも周りにとげをだしていたんだと分かった。
あるがままの相手をそのまま見て、今の自分でありのまま向き合えばよかったんだね。
あるがままで、自分にできる最大の愛を注げばそれでよかったんだ。
なんか魂の中の小さな僕が、それならもう守らなくていいから、
殻の外に出ても大丈夫って思えたみたい。
なんか肩が楽になった。
ありがとう。ごめんね。あいしています。ゆるします。
みんな傷ついて、それでもがんばって、
生きていて、ここにいてくれてありがとう。
心の奥の小さな僕も、ずっとそこにいて、
ずっと堪えてがんばっててくれてありがとう。
気がついてあげられなくてごめんね。
そのありのままのあなたを、あいします。
いてくれてありがとう。そのままでいいよ。
ちゃんと見てる、知ってる、あいしてるよ。
あなたが傷ついたゆえに、恐がったゆえに、
していたことすべて、ぜんぶゆるします。ゆるしてる。
そのままでぜんぶ、しってる、だいじょうぶ。
もういいよ。がんばったね。だいじょうぶ。あいしてるよ。
いてくれてありがとう。今までごめんね。
あいしてるよ。ぜんぶゆるしてる。
ありがとう。ごめんね。・・・
そうやって、言葉を感じ、こころから味わってイメージして、労わって、慈しんで、
受け取り続けることで、人は純粋に癒されることができる。
本当に心から、自分と、自分の中に映る他者を慈しんで言葉を紡ぎ続けるだけ。
想いが、理解に変わるまで続けると、人は変わる。
もう大丈夫っておもえたら、きっともう歩いていける。
自分を慈しんで愛することができれば、人のことも幸せにしたいと思える。
心の豊かさってきっとそういうことだと思う。
まっすぐ、丁寧に、ひとつひとつ、あいしていけばいい。
仰いで、天に恥じぬ生き方をしたいと願っていた。
隠れずに行けるかな。こわがっている、自分ごと抱えて、
ありのままで、どこまでいけるだろう。やってみようか。
ありがとう。
お友達の、みりあさんの作ったホ・オポノポノのムービー。
これだけでもいやされます。ありがと~。
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