幸せって、本当にものの見方と受け取り方の問題だよなー、と考えていたら、タイムリーな記事を、知人のブログで見つけました。
幸福になるとは、自分のものの見方が広がって、どんなものでも受け止められる大きさへ、成長していくことなのかもしれないなと思いました。
ことあるごとに思い出す詩があります。
「100年前ぼくはここにいなかった
100年後ぼくはここにいないだろう
あたり前な所のようでいて
地上はきっと思いがけない場所なんだ」
谷川俊太郎 『いまぼくに』より
自分を宇宙から眺めたら、あるいはここにいない時間から眺めたら、きっとその自分の抱えている問題も、とても小さくなるのでしょう。
だって世の中の大抵の問題は、視野が狭いか、無知に起因している事なのだと思うし、小さな自分の部屋で、自分の事ばかり見ているから、小さな考えや感情が大きなことに見えるのだろうし。
深呼吸して空を眺めたら、この星だって、銀河の砂粒みたいなものだから。
深刻になりすぎているときには、あえて力を抜くのもいいかもしれません。
なんか、いつのまにか力入っていたのかも。
遊びに満ちて生きることができないなんて、つまらないから戻ってこよう。
まっすぐ見た上で、笑い飛ばしてやろう。
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■この世に不幸はない?
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先日、アフリカで数年暮らした女性のお話を聞きました。
その国は一夫多妻制。ですから女性同士でこんな会話があったりするそうです。
「うちのダンナは、すごい素敵だから嫁に来たほうがいいよ」と。
日本で生まれた僕らは、彼氏や彼女が浮気したら、それこそ不幸だって感じますよね。
でも、その国では親友同士で
「私の彼は素晴らしいから、ぜひあなたも嫁になりなよ。
彼は優しいし、これから隣の家に住んで、一緒にご飯つくって、一緒に子どもを育てることができるからね」
というような会話が普通に行われていたりするんです。
そう思うと、「不幸って、なに?」って思いませんか?
例えば僕らは目がふたつありますが、周りの人の目がみんなひとつだったら、
僕らは目がふたつあることで、一瞬にして不幸のドン底に落ちます。
“なんで俺は目がふたつもあるんだろう”って、嘆き悲しむと思います。
そう思うと、不幸って、なに?
不幸って実はないんじゃないか?
不幸だと思う心があるだけなんじゃないか?
という気がします。
漢字には反対の意味が必ずあります。
善→悪
吉→凶
生→死
では幸せ……幸の反対の言葉はなんでしょう?
不幸ですよね。
「不幸」って「幸せじゃない」って意味です。
じゃあ「不幸」を表す漢字一文字は?
答えは……。「不幸」って意味の漢字は存在しないことに、気づいたんです。
英語でもunhappyはあっても、不幸っていう単語自体は存在しない。
この世界に不幸はないのかもしれない。
つまり、こういうことです。あなたがいまどんな状況でも、
一瞬で幸せになることもできるということです。
不幸の「正体」は現象ではなく「考え方」なんですから。
考え方、見方を変えれば一瞬で幸せを感じることができるということです。
「見方」を変えれば一瞬で人生は「味方」になるのです。
一方、「幸せ」という漢字をひっくり返して見てみて下さい。
上から見ても、下から見ても「幸」は変わらず「幸」でしょ?
幸せって、逆さになっても転んでも、どうやったって変わらずに、いまここにあるものなんです。
人生の「当たり」は、「前」にあるんです。だから「当たり前」。
目が見える。友達とごはんが食べられる。
歩ける。仕事がある。家族がいる。そんな当たり前の中にこそ、幸せの本質があります。
いま一緒にいる、目の前にいる人のおかげで、すべての出来事は起こっています。
あなたの目の前にいる人。
すべてが、あなたの当たりなんです。
幸せは、なるものではなく感じるもの。
この本は、漢字から幸せに生きる法則を見出した世界一楽しい漢字本です。
漢字で幸せをカンジてください。
「漢字セラピー 五つ星のしあわせ」(ソニーマガジンズ)
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