雨が降ったりやんだり、なんだか空にも動きが出てきた。
まだ遠くだけど、春の姿が少しずつ見え始めている。
ずっと乾燥していたので、この2、3日の湿気はなんだか久しぶり。
空の青さにも、薄く水の気配があって、いつもよりしっとりしてる。
いつも通る近くのスズカケの木に、銀の鈴みたいな実がなってて、ずっと気になってた。
冬の乾いた風の中で、ずっと耳を澄ましていたら鈴の音が聞こえそうで、人が通る交差点の側なんだけど、つい立ち止まって見上げてしまう。
青い空と銀の実は、寂しいけれどとてもよく似合っていて、冬は枯れてしまった季節なのではなく、何かを待っている優しい季節なのだと知る。
東京の冬の美しさは見えにくい美しさだから、春を待つ枝の中で、ほんの少しずつ力を蓄えていく桜の蕾のように、日々を丁寧に過ごして見つめていないと見落としてしまう。
水たまりに張った薄い氷みたいに、叩いたら小さな音を立てて割れてしまいそうな、透き通った朝の空気や、窓の向こうの風の冷たさに、だからこそ感じられる守られた部屋の暖かさ。
いつもより少しだけ距離があって、みんな少しだけ自分の奥に入っていて遠くなる感じとか、それぞれの隙間がちょっとずつ開いて、自分が誰だか、輪郭がはっきりしてくる。
きっと冬は、一人になって成長するための季節。
それはもう一度つながるのが待ち遠しくなるための、少しだけ焦らせた贈り物。
翌年の若葉が冬を越えて一回り大きく枝を覆うように、潜行して日々を紡ぎ、力を蓄える時間が生きものには必要だ。
生のリズムは螺旋のように幾重にも重なる波で、人は生きものだから、自然のリズムを無視しては生きられない。
自然のリズムを見失わなずにいるには、よく観ること。
内なる自然と、外なる自然のなかに、尺度の違う、同じリズムがあることを。
見つけたら分かち合う、まずは自分自身と。
そして自分の言葉になって出てきたら、きっともうすぐ春になる。
目が覚めて、季節が少し明るくなっていたら、それは春の萌しなのだ。
今日は虹を見た。
雨の降る地上と、その遥か上空に、羽毛のように伸びやかで柔らかな雲。
暗い地上と明るい空をつないで、
まっすぐに立ち上がる大きな虹。
写真には写らないもの。
虹は神様の約束だから、約束を写しとったりしてはいけない。
形に残さなくても疑わないものが、信じているってことだ。
この空のどこかには、いつも虹が隠されている。
それを忘れないでいることが、僕の約束。
ありがとう。
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