自分のための覚え書き
これが自分にとって、ある一つの時代の終わりを示すものだとすれば、僕はそれに対して行くなとは言えない。時の流れに留まることを命じることが出来ないように。
川の流れのように切り取られていくいくつもの場面は、確かにそこにあって、今もまだその流れの底に変わらずに横たわっている。
確かなものは何もなく、すべてが幻のようだったとしても、いつか共有した時の中には、何かの形を成しそうな、そして零れ落ちてしまった水のような手応えが確かに存在した。
それは掴もうとして手に取れば、形の残らない煙のようなもので、一瞬一瞬姿を変えてゆく朝焼けの空の色のようで、本来は形に残そうとしてはいけない大切な瞬間のギフトだったに違いない。
大切な時間が、そこに留まらないもどかしさをどうしても受け入れられなくて、何かの証を創ろうと試みて、決して成功することのない足掻きを繰り返した。
得られたのは、かつてそこには何かがあったという掌の空ろだけだったとしても、その時間はとても大切なものとして記憶されている。
その時は気が付かなくても、僕達はきっとその時何かを得ていたのだろう。
朝焼けに追い立てられる月を追いかけて、振り返った朝日に立ち向かったとき、初めて自分の影の濃さを知る。
確かにそこにあった自分の存在は、それを共有した誰かの中で初めて確かさを得ていたのだと思う。
あの頃あの時、君は何を見ていたのだろうか。
君の中に残ったものを僕は知らないけれど、重なった視線の先が同じものを捉えていたのだとしたら、過ぎ去る時の中に何かの証を残すことに、僕達は成功していたのだろう。
友よ。
君の道がどこへ続くとしても、君の歩みが止まらぬことを信じている。
標ない道のりで迷い道の跡を振り返れば、同じ道の先を見ている者がまだそこにいる。
だから変わることなく怖れず進め。君の健やかな旅路をいつも祈っている。
ありがとう。
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