言の葉の庭







とても気持ちのいい季節。

五月の風は心地好くて、どこかふわふわしていて、それを感じながら自分の内側にいるうちに、いつの間にか過ぎてしまった。

素敵な季節が過ぎるのはどうしてこんなに早いのだろう。



それでも藤を見に行ったり、映画を観に行ったり、ワークショップやイベントしたり、そこそこ忙しくはしていたのだけど。

GW明けに観た世界一の藤は、とても美しくて、そのトンネルはキラキラしていて、優しい香りがした。



新緑の葉が濃く色づいて、雨を受け止める姿にしなやかな力強さが増す頃、また微かに季節の色彩が変わる。

春が初夏に変わっていくこの時間は、ふいにどうしたらいいのか分からなくなるような、ほんの少し自分の心の形に戸惑うような、何か見えない大きなものに包まれて、覆われてしまったようになる。



静かな雨が音を吸い込んで、世界の境目をあいまいにしてしまったようで、そんな時、自分の心が世界から少しだけ切り離されて、でもまるでそれは、何かから護られているようでもあって。

だからその雨があがる頃、また世界がはっきりした形で自分とつながりだすのが、少し怖くなるのかもしれない。

それが光射す道を歩くことなのだとしても、人がそれぞれの道を歩き始めていくためには、世界と自分をつなげてくれる誰かがきっと、入り口として理由として必要なのだ。

それはまだ愛ではなく、きっと孤悲(こい)と呼ばれるもの。



新海誠の映像作品、『言の葉の庭』はそんな物語だった。

雨に包まれる世界を、その中に待つお互いを、探し見つけるものがたり。



閉じていた目線が、初めてはっきりと交わり、お互いを見る。

世界が本当に突き抜け、開かれていく。そのとき初めて人は、自分を見ることができる。

人が生きるために必要な理由は、きっと人の中にしかない。

だから「その人」が生きるこの世界は、こんなにも愛しいものになる。



雨があがり陽が射して、光が世界を新しく染め上げるような、そんな美しい作品だった。

機会のある人には是非観てほしい。



六月の優しい雨があなたを守り、素敵な始まりに連れて行ってくれますように。

ありがとう。































 

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