たいそうなもの


たいそうなものを求めたくなるのは我の投影という感じ分かるな。
たいそうな自分に相応しい、たいそうなものと扱いとを無意識に外に求めている。
我が小さくなると、反比例して今ここにあるものが既にたいそうなものだったと気がつける。

謙虚さ、感謝。ただ静かに咲く小さな花の美しさ。
我を落とすのって難しい。つい闘ってしまいそうになる。
子供に何されても大らかな、うちの猫を見習いたい。


〜・〜・〜・〜・〜・〜


たいそうな体験など
必要ないのだ。
愚か者だけが
たいそうな体験をする。
そして
たいそうな体験などというものは
みなどこか自我指向だ。
たいそうなという、
まさしく
その観念からして
自我の投影にほかならない。

本物の体験というのは
ただのあたり前の体験、
ごくあたり前の体験だ。
人はそういうものを
無視しがちだ。
だが、
そういうものこそ
本当の体験なのだ。
ちょっと
シャワーを浴びていると、
平和な感じになる。
庭で働いていると、
雲が晴れて太陽が顔をのぞかせ、
気分が良くなる。
何もしないで
ただすわっていると、
その一瞬今ここにいる。
人は天国にいる。
楽園が出現した。
だが、
そんなのは
たいした体験じゃないし、
人に話すような物でもない。
話しても
「何を言っているのかね。
 そんなものは
 話したってしょうがない。」
と馬鹿にされるだけだろう。

しかし、
実はそういうものこそ
本当の体験なのだ。
そこにこそ、
本物の
スピリチュアルな体験がある。
ごく当たり前だ。
人々が口にするような
並はずれた体験は、
何かの自我の投影にすぎない。
それに気をつけなさい。
あたり前でいるがいい。
そうすれば、
けっして
不幸せにはなるまい。
そんな
だいそれた体験や、
だいそれた悲劇も
味わうことにならない。

バランスの取れた
地面の上を歩く。
けっして
絶頂はないが、
谷間もない。
だから、
とても良い。
ただ
自分の静かな体験を
楽しむがいい。

Osho - Dance Your Way To God








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