望みで満たすと空になる


「私はただ、この美しい世界の一部として、日のように波のように樹のように、一つの完璧な祈りで在りたい」


早起き出来た日は夜明けの海に行く。

瞑想って難しいなと思っていた。
人の思考はなかなか空にはならない。

最近まったく逆のアプローチで、これが叶う事に気がついた。
思考を望みで満たすのだ。

望み方にはコツがある。
不足から望まないことだ。
今ここにないものに焦点を当てると、感情は不安や心配、恐れや嫉妬にのまれる。
すると人は自分の中心軸から外れていく。

真っ直ぐに正面から、最高の状態の最高の可能性に触れていく。
すでにそうである自分がいるとしたら、その私は何を感じているかを感じてみる。

夢や願いというのは掴みに行ってはいけない。
そっと触れてみるのだ。
臆病な小動物に触れるように、自分を出来る限りの優しさと愛で満たして、慈しみを持って触れる。
するとその空気は実感を持って自分の周囲に留まる。
最高の可能性を生きているその感覚、優しさや拡がりや気高さや愛や静けさの感覚を身に纏い、留める。
そしてその私自身とともにあることだ。
すると自然に意識は空になっていく。

自分の呼吸に注目してみれば、今自分がどんな状態であるかは分かる。
その息は、天から来て天に還っているか。
呼吸を通して、人は宇宙と同じ軸に繋がっている。
自分の真ん中にいれば、今ここにあるものを全て受容できるようになる。
宇宙と軸が通れば、人は前を向いて真っ直ぐに歩いていける。

空であるとは、まだ形になっていない可能性の全てを纏うことだ。
そして最高のものを信頼すれば、それはやがて人生に現れる。
私にとっての瞑想は、信頼を確かめるためのリセットだ。

文字通りすべてはここにあり、私と宇宙を繋ぐその軸を通して、形になり現れるのを待っている。
迎えてあげなければならない。
疑うことなく、私と宇宙が描こうとしているもののすべてを。
それが真摯に生きるという事だと思う。




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