流れの中でこそ人は守られていく


とても大事なターニングポイントになるであろう2023の秋分点を迎えました。
個人や惑星全体にとっても大きな分岐点になるかと思います。

内側からの萌しを感じていたので、今朝はいつもより早く海に行って、結局一時間半くらい瞑想してきました。
別途後述しようかと思いますが、最近瞑想の仕方を変えました。
多次元の層を貫いている意識の中心軸に焦点を置いて、本来の最高の自分が持っているエネルギーのボルテックス(渦)に同期させていくということをやっています。

そこでこれから私がしていきたいことはなんだろうというビジョンを観てみたのですが、やはり一度海外に出るということをしていきたいようです。
特定の場所というよりは、いくつかの場所を感じながら流れて行きたい。
流れていく中でこそ生まれる完全な調和を創り出したいという思いがあります。
屋久島に来たとき、ここは帰ってくる場所だなと思っていたのを思い出しました。
ここからの数年は特に、次のサイクルの大きな始まりを感じています。


そんなことを考えていたとき、折りしもちょうどよく目に入ってきた、オーストリア在住の著作家さとう(Schuh)ちひろさんのインスパイアリングな文章を以下にシェアさせていただきます。


【流れとともに生きる人々】

熊本にある田中城という城跡は、和仁(ワニ)族という古い豪族が豊臣秀吉に滅ぼされた場所なのだそうだ。それまで肥後の国は、数多くの小さな豪族たちが治める、多極的な社会だった。それを中央集権的に支配しようとしたのが秀吉で、肥後の豪族たちは、それに抵抗して戦った。最後に残ったのが和仁族で、田中城に立て籠もって戦っていた。一万の兵に包囲されながら、たった一千ほどの軍で城を守っていたそうだ。それが、親族の裏切りがあって、倒されてしまった。和仁家は、それで一族滅ぼされてしまったそうだ。

この和仁族の封印を解こうということになったのは、田中城下に実家がある封印解きクラブのメンバーが、どうも和仁族の怨念を引き受けているんじゃないかという話になったからだった。彼女の実家は、もともと京都から和仁族の祈願寺の和尚とともに熊本にやってきて、田中城下で造り酒屋をやっていた。数カ月前に彼女が熊本の実家に戻って以来、まるで呪いでもかかっているかのように、すべてがうまくいかないようなことになっている。こういうときは、何かするべきことがあるときなのだ。それで、皆で和仁一族にアクセスして、封印を解いてみようということになった。

和仁一族というのは、どうやら縄文の海人族の家系らしい。ウガヤフキアエズが生まれた時に、母親の豊玉姫がワニの姿になっていたという話があるけれど、おそらくあれはワニをトーテムにした縄文の民族だということなのだろう。古事記や日本書紀は、大和朝廷の視点から書かれた歴史なので、縄文民族を獣か化物みたいに表現していたりするからだ。

和仁家からは、皇后がたくさん出ているというのだけれど、どういうわけだか大君は一人も出ていないのだという。これは、和仁家が縄文民族の王家のような存在で、大和朝廷と和合のための婚姻をしていたということなのだと思う。卑弥呼の話でもそうだけれど、縄文民族は、呪術的な女性を首長にしていて、物質的な領域をまかなう男性とペアで治めるというやり方をしていた。しかし、大和朝廷は父系制の太陽信仰の民族で、和合のための婚姻をするとなったとき、縄文の呪術的な女性首長と大和の男性の首長とが結婚するということになる。それがイザナミとイザナギの話になるわけなのだけれど、対等な立場で統治するはずが、時代とともに大和朝廷に支配されていく形になる。そして、縄文の皇后は、大和朝廷が命じるままに縄文民族を従わせるための、人質のような存在になっていったのだそうだ。だから、豊臣秀吉による和仁一族の滅亡は、縄文的の多極社会の伝統が、最終的に消滅させられて、一極支配の時代に入っていったことを示している。

田中城の画像から、和仁一族の魂にアクセスしてみると、意外にも怨念のようなドロドロした重さは誰も感じなかった。大きな男たちの姿が現れて、陽気に笑っているように思えた。海を渡っていった強い男たち。彼らは朝鮮半島や中国に渡り、太平洋を渡ってハワイまでも行ったようだ。倭寇と言われたのも彼らのことで、彼らは大陸で「倭の人たち」と呼ばれたらしい。それが「ぅわぁにぃ」というような発音で聞こえていて、それが和仁という名前になったようだ。この「ぅわぁ」という言葉が、小舟に乗って海を自在に渡る人たちを意味していて、海の神々とともに生きる人たちというような意味らしいのだ。

ところが、大和の支配が強くなって、朝鮮半島に略奪支配に行くようになると、もはや海の神々とは相容れなくなり、小舟で自在にどこまでも行くようなことが、できなくなっていってしまったようだった。

和仁の人たちは、一族滅ぼされたことについても、身内に裏切られたことについても、怨んでいるような様子ではなかった。時代の切り換わりだから、しかたがないと意外とあっさりと受け入れているように思えた。どのみち一極支配の世の中に生きる場所はないのだし、支配の時代を人類が経験することもまた定めなのだから、その間は地上から消えていればいい。500年経ったら時代が変わるから、そうしたら戻ってくるつもりだったのかもしれない。中南米ではマヤの人たちがちょうど同じ頃にスペイン王家に滅ぼされたけれど、やはり再び時代が変わったら戻ってくるということなのかもしれない。かつてとは違う形だけれど、同じ魂、同じエネルギーでだ。

それから、大和朝廷が出てくる前、和仁一族が何の妨げもなく栄えていた頃の時代にアクセスしてみることにした。すると、大きな流れの中に生きている人たちのイメージが見えてきた。それは、海流に流されながら海を渡っていく人たちのようでもあり、時の流れに逆らわないで生きていく人を表しているようでもある。それは、流れの中でこそ人は守られていくのだという、今日にはあまりないような感覚だった。しかし、当時の人たちはそちらの方が当たり前だったようなのだ。

縄文人は、海人族も山人族も、定住するのではなく、海から海へ、山から山へと移動しながら生きていった。流れとともに移動していくからこそ、守られ養われるのだ。アラブの人たちも、砂漠を旅することで生活している。移動していく生活は、不安定なように思えるけれど、実は定住して生きるよりもずっと守られているのかもしれない。定住する生き方は、土地を所有し、家や家畜を所有して、それを守らなくてはならない。一極支配の世界は、所有を原理としているので、所有権を守るために、絶えず戦わなくてはならないことになる。ところが移動していく生活では、所有したり所有を守ったりすることで生きていくのではなく、流れにまかせ、流れを信頼して生きるのだ。アラブのイスラムの人たちは、「インシャ・アッラー(もし神が望むのならば)」という言葉を何かにつけて言う。所有に頼らずに流れとともに生きていく人たちは、物理次元ではなくて、宇宙の流れだとか神だとか、そういう次元の力に頼って生きていくのだ。そして実際、その方がお金や土地や役職みたいなものよりも、実はずっと確実だ。

こうした流れの中で流れとともに生きていく生き方は、もともと世界中どこでも普通の生き方だった。それが定住するようになり、土地を所有するようになり、支配の社会ができていった。それが500年ほど前から、移動する生き方がほとんど不可能な世界に変わっていき、流れとともに生きていく人たちは、絶滅させられていった。それが今、所有と権力の争いの極みまで来て、再び流れとともに生きていくあり方に世界が変わっていくときが来ているのかもしれない。

それで、この流れとともに生きるあり方を解放するために、田中城の和仁族の封じ込めを解いて流れを作り、その流れを広げていって、世界中を流れの中に入れてみることにした。そのときに、たった一つの大きな流れの中に世界を入れるのではなくて、世界中のあちこちに巨大な世界樹のようなトーラス状の流れがいくつもあって、それが互いに繋がり合い、全体として調和しているというような、多極的な流れをイメージすることにした。

ルートチャクラを開いて、大地に根を下ろす木のように大地と繋がりを作るワークはよくやっていたけれど、流れの中に生きていくには、大地ではなくて、流れの中にグラウンディングしないといけないようだ。そしてそれが、第2チャクラなのだということに気がついた。流れの中で守られることとは、母なる海に抱かれることでもある。まさにそれこそは、第2チャクラの子宮の力なのだ。養い養われる、守り守られる力。おそらく和仁族は、この第2チャクラの力で海の神々と繋がっていたのだろう。その繋がりこそは、支配の世界の中で失われていったものだったのだろう。

すると、歌を歌うことで流れが広がっていくというイメージを受け取った人が何人かいた。ビートルズのLet it beが流れ続けていたと言った人、「ええじゃないか」が聞こえていたと言った人がいた。どちらも、イスラムのインシャ・アッラーみたいな、流れとともにあればいい、という意味の歌だ。

それで最後に、Let it beでも「ええじゃないか」でも、インシャ・アッラーでも何でもいいから、流れを作れそうな歌をそれぞれ頭の中で流して、世界中の人々を流れの中に入れるというのをやることにした。すると、それぞれの国の人たちが、それぞれの民族楽器を弾いて、歌い踊るイメージが現れた。それが全体としてオーケストラみたいに調和していて、葉っぱや風の音なども一緒になって、すべてが波動で共振して増幅していった。

世界中どこに行っても、それぞれの民族には必ず民族の楽器があり、歌があり、踊りがある。祭りの時にも歌い踊るし、日常的にも皆で歌い踊るのが、かつては普通だった。あれはまさに、第2チャクラを流れに繋ぐためのものだったのだ。皆が歌い踊ることにより、世界の大きな流れの中で支えられ守られていることを確かめ合うのだ。

日本は、流れにまかせるあり方は、まともではないという意識が強くあって、なかなか流れに入っていけないようだったのだけれど、南の方から阿波踊りみたいな陽気な踊りをする人たちの群が北上していって、しまいには日本全体が歌い踊る流れの中に入ってしまった。すると、日本列島が赤く輝いて脈動し始めた。これが日の丸に表された日本の赤の本来の姿であるらしい。もともと流れの中で生きることを最も得意としていた日本の民族が、その力を奪われて長いこと支配されていた。それが息を吹き返したように思えた。流れとともに生きるなんて、まともではない、ふざけた生き方だと長いこと思わされてきた。だけどそれは、私たちが本当はその生き方を最もよく知る民族だったからなのかもしれない。

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