妖精の贈り物


お友達の子の誕生日会が夜あったので、お花を組んでみた。
メインになるお花が手元になかったので、大きくて素敵なお花をくださいと祈って、花材を探しに散歩に出る。
なんと庭裏の森に真赤なベゴニアが自生して、一輪だけ花をつけていた。
白いユリと、花をつけたクマタケランも生えている。
ありがたく頂いて贈り物のお花を作る。

妖精とか精霊とか天使とか、なんと言ってもよいのだけど、そういう見えない存在の位相というのは確かに在って、私たちの声はちゃんと聞こえているのだとおもう。

最近ある方を読んで、妖精ともっと仲良くなろうと思ったので、毎日家に花を飾っている。
もともと花の先生もやってて花卉業界にもいたのだけど、日常的には花の妖精をそれほど強く意識してはいなかった。

だがあると思って聴くと、ちゃんと花の声は聞こえる。
毎朝、花を摘みに散歩に出て呼ばれた気がする方へ進むと、ちゃんと目の合う花に出会う。
それで今日はあなたを家に連れて帰って飾っても良いかを訊ねる。
採ってもよい花や枝は少しオーラが光る。
生命の輝きというか、後光が強くなって喜んでいるのが分かる。
準備の出来た花や枝は、それほど力を入れなくてもきれいに手折ることができる。
抵抗が感じられるような枝は折らない。
それらにはきっと別の役目がある。

連れ帰った花を、あちこちに置いてある花瓶に挿し、命の終わった花は土に還す。
毎日家の花瓶を10個水を換えるのはそれなりの手間だが、それは一日を始めるとても豊かなやり方だと思う。

昨日から玄関前にグラジオラスが花を咲かせている。
誰が植えたわけでもなく自生している。
毎年枯れて、毎年同じ場所に咲く。
見渡すと、なぜか目の合うところに花は咲いている。

こんな話を聞いたことがある。
世界中の花の咲く高さはそれぞれ違うのだけど、それらを平均するとだいたい人間の目の高さになるそうだ。
ひょっとしたら彼らは人を感じて、見られるために咲いている?

私たちはそんな存在の無数のギフトに、最初から囲まれているのかもしれない。
言葉を持たぬ生命達の声、雄弁な色彩と命の輝き。
目を上げて探せば必ず目が合うから、声をかけてみてほしい。









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