以下はオーストリア在住の著作家さとう(Schuh)ちひろさんの記事より転載します。
(Facebookからの元記事です
何故かうまくリンクが貼れなかったので、後ほど貼り方が分かり次第リンクします)
これは非常に興味深い重要な示唆だと思う。
時代の変わり目とはこういうことだ。
人を呪わば穴二つとか、黒魔術は破られると自分に跳ね返るとかもこういう原理なのだろう。
いよいよ嘘の通らない時代になった。
自分の魂についている嘘が一番自分を傷つけている。
これら無意識に隠されてきた私達のエゴ防御パターンを超えて、目覚めよとか悔い改めよとか覚者達が説いてきた本当の理由に、私達は手が届く地点までやって来たのだ。
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【嘘と魔法の違い】
魔法の使い方のセミナーで、過去を書き換えるのをやっていたときに、かつて虚言癖があった人が、どうも虚言癖だったときの意識の使い方と似ているから、嫌な気がすると言ったことがある。過去の事実を自分が思いたいように勝手に変えて、人に語るのが虚言癖だけれど、あれはやっているうちに、自分でもどれが本当でどれが自分の作り話なのかがわからなくなってしまうのだそうだ。彼女はその癖を治すのに、ずいぶん苦労したので、またあのときみたいになるんじゃないかと嫌な気がすると言っていた。
私が魔法の使い方と言っているのは、意識を変えることで、現実を変えるメソッドのことだ。これは、私たちの意識が現実を作り出しているという原理を使ったもので、だから、現実を望むように変えるために、意識を自分が望むように書き換えてしまうわけだ。その点では、虚言癖の意識の使い方と似ていると言えば似ている。
ところで、意識の魔法を使う際に重要なことは、顕在意識ではなくて、無意識の方が現実化してしまうということなのだ。虚言癖のある人は、嘘をついていないと、自分は人に好かれない、嫌われてしまう、という意識が潜在意識の中にあることが多い。何かの原因から、自分は悪い人間だとか、人に嫌われるような人間だという風に思い込んでいて、その意識が無意識に排除されている。
だから、嘘を語ることで、まわりの人に信用されたり、人気者になれたりするかもしれないけれど、いつかは嘘がばれて、皆から嫌われることになる。つまり、無意識にあった「自分は人に嫌われるような人間だ」という意識の方が、現実化してしまうのだ。
意識的に嘘を騙っているわけではなくても、無意識に事実と違うことを思い込んでいることも多い。こうしたことは、ほとんどの人が無自覚にやっている。無意識に自分はダメな人間だと思い込んで、現実にそうした状況を作り出していることもあるし、自分に都合よく、問題を誰かのせいにしていることもある。いずれにしても、客観的に事実かどうかということよりも、無意識にあることの方が、現実化する。
この領域になると、何が事実なのかということも、実はそれほどはっきりとあるわけではないことがわかると思う。過去のできごとにしても、いろいろな事象があり、どこを見るかで変わってくるからだ。だから、事実というものも、実は自在に変えることができるのだけれど、しかしいずれにしても、自分の無意識にあることの方が現実化することには変わりがない。ここが、魔法で嘘がつけないところなのだ。
かなり前のことだけれど、声楽の学生とセッションしていて、コンサートの前なのに、伴奏者が合わせてくれないので困っているという話になったことがある。リーディングしてみると、伴奏者は何だか混乱して困っているようで、実力が発揮できない心理状態になっているようだった。これではコンサートはうまく行かないだろうと思い、伴奏者に遠隔でヒーリングのエネルギーを送ってみた。
コンサートの当日になると、伴奏者は元気を取り戻している様子だったので、これでうまくいくだろうと思っていた。実際、伴奏者は実に見事な演奏をした。伴奏としては、ちょっとないくらいにすばらしい演奏だった。ところで、それで歌手は満足して、思う存分歌えたのかといったら、そうではなかったのだ。伴奏があまりにすばらしくて、歌手を食ってしまっていた。彼女の歌の方がみすぼらしく見えてしまうくらいだった。
この声楽の学生は、うまくいかないのが実は自分の中の問題だというのを認めたくなかったのだ。それで、伴奏者のせいにして、伴奏者になんだかんだといつも文句を言っていた。それで伴奏者の方は、もうどうしたらいいのかわからなくなってしまい、混乱して落ち込んでいたらしい。そこにヒーリングのエネルギーが来たので、彼女は自信を取り戻して、もう歌手が何と言おうが、自分は自分の演奏をする、と肚を決めてしまったようなのだ。それで、主役である歌手を喰ってしまうほどのすばらしい演奏をしてしまった。
その声楽の学生は、自分に学ぶべきものがあるのを認めまいとして、いつも誰か他の人のせいにしていたのだ。何かのせいにしていないと、自分がダメなのがわかってしまう、という意識が無意識の中にあった。それで、そちらの方が現実化してしまったのだ。伴奏は完璧だったのだから、もう何かのせいにすることができない。逆に、彼女の歌が弱いのが、丸見えになってしまったわけだった。
自分の中に嘘があるときに、魔法に頼ろうとすると、こういう具合にしっぺ返しが来ることがある。利己的な目的で魔術を使うと、しっぺ返しが来るというようなことが、よく言われるけれど、それはまさに、こうした原理からなのだ。利己的と言っても、結局のところ、自分にとっていいことを望むのには違いないのだから、その点で利己的なのは問題ない。しかし、人を犠牲にして自分だけが得をしようと思っていると、「与えたものが自分に返ってくる」ということになる。それは、人を犠牲にしてはいけないというような道徳的な話ではなくて、「人を犠牲にしなければ、自分は幸せになれない」という意識が無意識の中にあるからなのだ。そして、まさにそれが現実化してしまうので、しっぺ返しを食らうことになる。
依存的な性質で、誰かに話を聞いてもらい、認めてもらいたくて、ヒーラーのところに来る人もいる。こういう人は、本当には自分を変える気はなくて、ただ同情してもらえたり、過去生だとか霊障だとか幼児期の体験だかのせいにしてもらえるのが心地よくて、お金を払っているだけだったりする。
こういう人に、望み通りに現実を変えてあげると、その人が困る事態になることもよくある。それは、その現実が変わってしまったら、もうその問題のせいにできなくなってしまうからなのだ。そうなったとき、実はその人がその問題を必要としていて、自分で引き寄せていたことがわかってしまう。
前に、ある霊能者からエネルギーコードを結ばれてしまって困っている、と言ってきた人がいて、そのエネルギーコードを遠隔で切断してあげたことがある。するとその人は翌日、エネルギーが来なくなってしまった、と文句を言ってきた。まさか本当に切断できると思わなかったというのだ。実はその人は、そのエネルギーが心地よかったのに、それが辛い苦しいと訴えることで、人に関心を向けてもらいたかっただけらしい。
だから、意識の魔法を使うと、結局のところ、魂の真実がどんどん表に出てくることになる。自分の魂の中に嘘があると、嘘が表に出て、浄化されていくわけだ。どっちに出るにしても、魂が嘘から解放されていく方向になる。そこが、嘘と魔法との決定的な違いだ。
今年の1月21日から、冥王星が再び水瓶座に戻ったのだそうだ。これは、嘘が自己破壊的に作用してしまう時なのだそうだ。これまでの200年くらいの世界は、「どんな手を使おうが騙した方が勝ち」というような嘘だらけの時代だった。これまでは、とにかく見せかけだけで成功してしまったりしていたわけだけれど、それがもう効かなくなるということらしい。そればかりか、そういうことをやっていると、破滅していくような時代に入ったということになる。
実際、この頃は世界で起こっていることを見ていても、もう嘘が通らなくなり、破滅的に作用し始めているのがわかる。やっていることがもうあまりにあからさまで、どんなに信じやすい人でも、さすがにこれはもうおかしいと思うようなレベルだからだ。虚言癖のある人の言うことを、皆が信じていても、あるときから話があまりに大げさになり、やはりどうもおかしいと人が気づいてしまうようにだ。
水瓶座の時代になって、意識の魔法を使う人が増えていけば、必然的に嘘が通らなくなり、それぞれが魂の真実に向き合わされることになるのだろう。だから、自分の魂に正直な人は、どんどん解放されて自在に力を使えるようになっていくけれど、自分をごまかして生きていこうとする人は、どんどん追い詰められていくことになる。
ところで、この破滅から救われようと思ったら、ただ自分の魂に正直になればいいだけなのだ。自分をごまかすのを止めさえすれば、意識の力を使って、現実をどのようにでも変えることができる。
いろいろな宗教が、「悔い改める」と言っているのは、おそらくはまさにそうしたことなのだろう。冥王星が水瓶座に入った時代になって、それがますます必要になってきているような気がする。
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