存在は渦である 我々は穴である


今朝は月蝕のスーパームーン(最も地球に近い月)でさらに巨大な磁気嵐だったそうです。
しかも自分の太陽星座の魚座で蝕が起きたので、なんだか大きなリリースが起きそうな気配がありました。
屋久島では少し早く物事が発現するため、ここ数日の自身の密度変化はとても興味深いプロセスでした。

昨日、なんだか”穴”の中心に噛み合った感じがありました。
理解が腑に落ちたというか、自分の”いる”密度の明確な変化。
自分自身の”いる”場所を受容できたのです。
抗うことなく、ただ本当にどちらでも良いのだと理解する感覚。
あらゆる現実を愛することにズレがない、ニュートラルな受容。
理解とは、ただバイブレーションの変化に過ぎないということが腑に落ちました。

また今朝、明け方家のデッキで瞑想していたらある理解が訪れました。
以下はその時に書いた感覚的覚書です。



「思考は遠心力 直感は求心力

渦巻🌀と穴🕳が存在の摂理である
穴を通ると思考で作ったマトリクスの裏に居られる

直感はマトリクスの裏側から吸い出す求心力で、この世界に本質を実現させる力
だから思考と直感のベクトルは起点の違う同じ向き
存在の本質は穴🕳で、思考の遠心力で創った渦巻🌀に巻き込まれず真ん中にいられる時、私達は存在そのものの渦巻(ボルテックス)全体と一致していられる
台風の中心が最もパワフルで、静寂で満ちているように」



ちょっと説明を試みてみます。

穴というものをなにもない空間に作り出すことはできないので、渦巻きというものが生まれました。
空を知覚するためには、空でないものが必要だからです。

意識(思考)は渦を創り、渦は穴を創出します。
外的世界(渦)と自分自身(穴)は、上記の図のように表裏のない、一続きのトーラスです。
そして自分自身だと思っている存在の焦点(意識・視点)は、渦の中心にある穴です。
あらゆるものがまだ形をとっていない潜在的な現象世界(潜象界)から、この穴を通り現実として体験できる現象世界が現れます。

穴の向こう側からやってくるものが直感です。
それはまだ形をとっていない、これから形を得る潜在的な可能性です。
自身が穴の中心にいてブレがないとき、この解像度は高くラグが少ない状態です。
自身の視点が渦の中心にあるとき、我々は渦全体を見渡すことができます。
このとき穴と渦は、同じものであったと気がつくことができます。
故に世界は私で、私は世界自身であると言えます。

現実を創造する私達の思考は、渦の外側(外的世界)を目指す遠心ベクトルを帯びています。
渦はその勢いが強いほど、存在の中心である穴から離れていく遠心性を持ちます。
(潜象界サイドの裏側からこの渦を見た場合には、穴に向かう求心性を持ちます)
従って思考に強く巻き込まれるほど渦の外側に押し出され、自身の本質である中心から離れます。
渦の中心から離れた思考は台風の目から飛び出し、コントロール出来ない状態に置かれます。

過剰な遠心力(思考)によって失われたバランスを取り戻す力は、求心力(直感)です。
渦の中心に戻り、そこから本質的なガイダンスを受け取る力です。

渦の遠心力と求心力のバランスが取れているとき、渦(存在)の力は最大化します。
その穴は本質の全体につながり、一体の一部として機能します。
一つの銀河が宇宙の完璧な一部として機能しているように。
私達が自身の完璧な渦(ボルテックス)と一致しているとき、私達は全体の一部として創造に参加しています。

これが存在(渦)の健全な状態です。
私達はその渦の目として機能する、一つの穴(視点)です。








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