立春に寄せて


庭のミモザの花が咲き始めた。

アカシアの木が庭に欲しくて三年前に植えたけれど、台風に何度も倒されてうまく根付けなかった木。
何本も添え木をして斜めに立っている。
毎年しっかり大きくなっていく。

こうあるべきという型にはめずに、まぁそれもいいかと思いながら見守っていると、不意にこちらの想像を越えた成長を見せてくる。
生き物の持つ生きる力は多分すべてが完璧なのだ。
これでいいのだと受容すると全てが完璧になる。
自ずから然り、故に自然。

纏わずに生きたい。
積み上げてしまった鎧をどれだけ削ぎ落とせるかだけが、後半の課題だ。
積むことに慣れ過ぎている頭を横に置いて、備えを解く。
備えを解くのは恐ろしい。
だが思考から切り離された視座を持たなければ、人は疎か花の一輪とも目が合えない。

本当は汚い色というものはないらしい。
ただ汚い色の組み合わせだけがある。

世界は常に美しい。
汚れているのは常に窓だ。
思考の曇りのない世界を見ていたい。
純粋な経験だけでいい。

日常のセキュリティーとマネージメントは左脳に一任して、やるべき時だけ働いていてもらう。
思考の大半はエゴを肥大させるための不安と心配事だから、これは捨てよう。

備えを解いて今ここを生きる。
花に触れるとき、いつもその感覚に還る。

人が人の本質に還って生きるなら、もうその方向しかないだろうなと思う。
いつか瞑想と芸術と祝祭が人の本道になるのかもしれない。

台風の目に立っていれば星が見える。
自分の身体感覚を通して、人は宇宙に繋がっている。
思考で作り出した嵐が、いつも自分を取り巻いているが、それは自分が源に繋がる穴だったと思い出すためだ。
嵐がなければ台風の目は生まれない。

だから一度は巻き込まれて、そして目を見つけ出すのだ。
深い暗さが、星を見るためには必要だから。






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