自分の生まれてきた目的を教えてくれるという、六十四卦をベースにしたゲームがある。
→(”キミは何しに地球へ来たの?”)
僕のライフテーマは「豊かさ」らしい。
感情、世界、喜怒哀楽、豊かさの頂点…
私にとっての豊かさとは何か、感じていたら天啓が降りてきたのでメモしておく。
これはおそらく自分にとって、揺るがない足場を与えてくれるコンセプトになると思う。
「豊かさの不在もまた豊かさである。
豊かさとは生涯をかけて拡げていく、それを受け取るための器、振幅の幅のことである。
せつなさは豊かさの不在の大きさによって計られるが故、それもまた豊かさの一部である。」
長らくの疑問が腑に落ちて、今とても清々しい。
そうか、せつなさやあらゆる痛みや悲しみも、豊かさの一部だったのだ。
豊かさとは現在の状態のことではない。
それを受け取れるだけの潜在的な可能性の幅だ。
思うにせつなさは、ずっと付いて回ってきたテーマの一つだった。
それは豊かさの一部だったからこそ、目を背けてはいけないものだったのだ。
届かなかった愛は、自分の体験し得る潜在的な愛の振幅の大きさを示していた。
それこそが己の持つ豊かさだ。
その振幅の、どの部分の経験も、等しく豊かさの一部である。
憂うなかれ、備えるなかれ、ただ受け取れば、それは豊かさの河として流れて行く。
持てるものを落としていけば、無限は与えてくれる。
何ものも拒まずに、ただ開いて在ればいい。
構えなくていいというのは最高の福音だ。
ただそのままを示し、その結果を受け取れること。
コントロールを手放すことは恐怖だろうか。
自由でありたいということと、自由であるということの違いはそれだけだ。
腑に落ちたら堂々と歩いていける。
最上の光をあびて成すとは多分そういうことだろう。
いつだって光を覆っていたものは雲ではなく、下ろせなかった傘に過ぎない。
気が付けば、辿り着いた場所が最上の場所となる。
一つの節目の終わりにそれを知れてよかった。
一つのサイクルの終わりは、また次のサイクルの始まり。
蒼天を仰いで歩いていこう。
これを持って次周の抱負とする。
皆様、今年もありがとうございました。


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