ピアノ予報20260125 「惑うちからに 軸を見つける 一片の落ちる までの完璧さ」


🔹Reading vibrations of the day with Piano & Channeling messages.
 (その日の世界の振動数をピアノ即興曲に落とし込み解説しています)

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1月25日
本日のピアノ予報

「惑うちからに
   軸を見つける
 一片の落ちる
   までの完璧さ」



0:00 サマリー
0:59 今日のピアノ即興曲
9:07 バイブレーション解説



【AI要約】
1月25日のピアノ予報

テーマ
本日のピアノ予報は、一見無秩序に見える事象もより大きな秩序の一部であるという概念を探求します。物事の意味は視点によって変わり、意識の視野を拡大することで、その中に完璧さを見出すことができます。人生とは、他者の評価ではなく、自分自身の判断で「これでいいのだ」と心から肯定できるまで、自分の軸を探し、選択し続けるプロセスです。この自己肯定の境地は仏教の奥義にも通じ、すべての選択に意味を与えるのは自分自身であると結論づけています。

要点
1. 無秩序に見えるものも、より大きな秩序の一部である。
2. 物事の意味は、自分がどこから見ているかという視点の差によって変わる。
3. 自分の意識や意思の視野を拡大することが一つのテーマである。
4. 自分の軸がどこにあるのかを、角度を変えながら確認し、何度も選択し直すことが試される。
5. 「これでいいのだ」と自分自身が言えるまで、ある種の試練は続く。
6. 「これでいいのだ」という感覚は仏教の奥義であり、すべてをあるがままに受け入れること。
7. 自分の視座を一つ大きくすることで、入れ子の中の完璧さが見えるようになる。
8. 正解は他者や権威に決められるのではなく、自分自身が選び取って決め切るものである。
9. 全ての選択や意志には意図と意味があり、それに意味を与えるのは自分自身である。
10. 全てのものを肯定し、葛藤のない場所に行けた時に、自身の中心を見つけることができる。


ハイライト
• "惑うことによって完璧さって見えるようになっていくんですよね。"

• "単純に何かが違うから、それは価値の否定でも存在の否定でもないということ。その見え方の違いから見えてくる本質に手を伸ばす力を、どうか今日は信じてみてほしいなと思います。"

• "人生のすべて、宇宙のすべて、選択のすべて、意志のすべてには意図があって意味がある。そこに意味を与えるのも、それを良しとするのも、そして、それで良かったってするのも、全部自分が決めていくことなんですよね。"

• "私たちは直感的に、内的に、本質や自分の内側の中心、宇宙の中心ですね、何と呼んでもいいけれども、その場所から本当につながって、直感的に世界を見る力っていうものを受け取っていって、それらは見えるものと見えないものの間で、本当に完璧さを作っているっていうこと。そこに完璧さを見出せないものは、私たちの視座、視点が低いからであって、それを高みに持っていくために、私たちはこうやって文明というか智慧というか、そういうものを発展させて手を伸ばしてきたということ。"

• "正解かどうかは分からなくても、そして正解っていうのを他者とか権威によって決められるのではなく、自分自身が選び取ることによって,決め切っていくこと、これでいいのだということ。"



「惑い」から完璧さを見出すプロセス:自己肯定と視座の転換による本質への到達

本稿は、一見すると無秩序で混乱しているように見える事象の中に、実は完璧な秩序が隠されているという深遠なテーマを掘り下げる。散りゆく花びらや天体の「惑う星」(惑星)といった比喩を用いながら、自己の視座を高め、あらゆる出来事を「これでいいのだ」と肯定することの重要性を説く。最終的に、人生における迷いや心の揺らぎこそが、より高い次元の調和と自己の本質に至るための貴重なヒントであると結論付けている。


序論:無秩序に見える事象と、その奥にある大いなる秩序

話者は、その日の「バイブレーション」を、着地点を探して落ちていく花びらに喩えることから語り始める。この花びらは、風に乗るなど様々な動きを見せつつ、釣り合う場所を探しているように見える。この様子は、個人がより大きな動きや流れの中に存在しながらも、自己の存在感が揺らぐ感覚を象徴している。一見すると無秩序で混乱しているように見える事象でさえ、実は目に見えない軸を中心とした、より大きな秩序の一部であるという印象が提示される。花びらがヒラヒラと落ちていく様に特定の規則性があるのか、あるいは全体の一部であることが秩序なのかという問いそのものよりも、物事をどこから見るかという「視点の差」によって、その意味は大きく変わってくるという根源的な問題提起がなされる。


本論①:「これでいいのだ」という究極の肯定と螺旋的成長

無秩序に見える世界に完璧さを見出すためには、自己の意識の視野を拡大し、物事に意味を与えられる視座へと自らを昇華させることが不可欠である。その境地に至れば、世界はもはや混乱ではなく、一つの意志に基づき動く完璧な調和の現れとして認識できるようになる。この核心的な考えは、アニメ『天才バカボン』の「これでいいのだ」という言葉に集約される。話者はこれを「仏教の奥義」とまで評し、すべてをあるがままに受け入れ、肯定する究極の状態だと説明する。

この境地への道筋は、まっすぐではなく「螺旋」を上るように進む。私たちは、自らが定めた「軸」が本当に自分に沿っているかを確認するため、角度を変えながら何度も選択をし直し、試されるような経験を繰り返す。このプロセスは他者から強制されるものではなく、自分自身が「これでいいのだ」と心から腑に落ちるまで続く自己との対話である。すべての物事を肯定し、葛藤のない境地に至ったとき、人は天と地を貫く自己の中心軸を見出すことができる。その軸に沿って生きることで、あらゆる意識が統合された調和の状態が生まれ、最大のバランスの中で最高のパフォーマンスを発揮できるようになるのだ。


本論②:「惑う星」の比喩に学ぶ、不完全さの中の完璧さ

議論は、天文学史における「惑う星(惑星)」の発見を比喩として用いることで、さらに深められる。かつて人々は、地球が宇宙の中心であり、天が完璧な秩序をもって動いている(天動説)と信じていた。しかし、木星や土星といった惑星が時折、逆行するという一見「無秩序」な動きを観測した。この「惑い」こそが、「神が作った完璧な世界になぜこのような動きが存在するのか」という根源的な問いを生んだ。そして、それは「天が動いているのではなく、我々が動いているのではないか」という劇的な視座の転換を促し、結果として、より完璧な宇宙モデルである地動説への到達を可能にした。

この歴史的プロセスが示すように、真実や本質は、しばしば不条理や不完全さ、そうは見えないものの内に隠されている。日常で経験する迷いや心の揺らぎも同様に、より高い次元の完璧さを理解するためのきっかけであり、ヒントなのである。現代はAIが論理的思考を担う時代だからこそ、人間は直感を通じて内なる中心と繋がり、目に見えない世界の完璧さを見出す役割を担っていくという予感が示される。


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【貫山貴雄・Nukiyama Takao】
ヒーリングスペース 旅人の樹 主宰
屋久島在住 サイキックヒーラー・シャーマン

専門は音楽家ではなく神秘家。
屋久島を中心にカウンセラーと整体師と魔法使いの間みたいなことをしています。

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「テオリア: 屋久島のシャーマンが描くスピリチュアルエッセイ」
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■ピアノ予報について

二十世紀最大のチェリストと評されたパブロ・カザルスという演奏家がいた。
彼は著作の中で、毎朝起きると必ずピアノでバッハを二曲だけ弾くという。
それ以上の朝の始め方はないと彼は言った。

それに倣って大人になってからピアノを始めた。
独学でほぼ黒鍵だけで弾く奏法を創り、毎朝弾くようになった。
いまだに楽譜は読めない。

実は私が毎朝弾いている曲は、同じ曲の別バージョンだ。
「こもれびの詩」と名付けたこの曲の左手はあまり変わらない。
右手はその日の即興を感じて奏でている。
だからこのルーティーンは定点観測に近い作業だ。

ほぼ同じコードしか使わなくても、毎朝生まれてくる音色は変わる。
それでその日の自分が、どのくらい世界と調和しているかが分かる。
即興演奏は、楽器を通して自分と調和すること。
自分と調和することは、宇宙と調和して在ること。

ある日妻が、この朝の儀式をシェアしてみたらどうかと言った。
本来自分のためだけの音だったので、人に聞かせるようなものでもない。
が、面白そうなので乗ってみた。
ついでにその日の朝のバイブレーションに解説をつけることにした。
そんなわけで、このチャンネルが生まれた。

末長く皆に楽しんで貰えたら嬉しい。






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