美しいものを見た。
ハッブル宇宙望遠鏡からの映像
生命は宇宙で生まれ、いのちはそれ自体が宇宙の似姿であり相事象だということが分かる。
ヒーリングセッションをやっていて、人の存在の深くにある、明らかな体以上の厚みや深さに触れ、そこが宇宙につながっていると感じることがある。
完璧さと無秩序さと、畏れを抱かせる何かとてつもない深み。
その存在の境界の曖昧さ。
非生物と生物の境の無意味さ。
この呼吸している風が空へと続き、やがてゆるやかに宇宙へとつながっていくことに、少し似ている気がした。
知ることの叶わない、根源的な神聖さのようなものが、私たちの中には常にある。
それはなんだか神に触れる事にも似た畏れを伴って、それでいておそらくは辿り着かない旅ではない。
いつも隣にある生命の危うさのようなもの。
あるいはそれを支える、それこそが存在の本質のようなもの。
結局言葉では辿り着けないところにそれはあって、だからこそ人は彼岸に恐れとともに憧れを抱くのだ。
メメント・モリ(汝、死を忘るることなかれ)は限られた命を慈しみ味わうための言葉ではなくて、ひょっとしたら生命の本質へ続く、隠された扉なのかもしれない。
今夜はいつもよりも暖かい。
物思いの快い初春の夜。
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