賢者の墓碑銘



友人のサイトで紹介されていたちょっと素敵な話。



「米国皇帝」





アメリカ市民の持つ、こういう懐の深さは大好きです。

その外交政策や支配層の人間性の欠如には辟易しますが。

某大統領の墓標には何と書かれるのでしょうか。

皇帝も、それを受け入れ愛した市民も、なんとも優しく美しい。

かくありたいものです。



私の好きなある言葉を思い出しました。



「一生の終わりに残るものは、我々が集めたものではなく、

 我々が与えたものである」

             (ジェラール・シャンドリー) 









ところで、今日は念願のクラニオセミナーの最終日でした。

とうとう完結です。やー、すばらしい。

二年以上かけてようやく、BASIC修了。

それでも一生探求には変わりませんが。

ともかくも一区切りです。

今後のヴィジョンや計画について、有意義な話し合いも

存分に出来ました。



楽しくなるぞー。忙しくもなりそうです。

さらに研鑽と発展の年になるよ今年は。

すでにお仕事いっぱい。ありがたいです。

Always Welcome.

来るものは可能な限り受け入れることにしました。

そしたらいろんなものが流れ出しました。

不思議と、使命とか自分のしたいこととか自覚すると、

ほしいものしかやってこなくなります。

強化月間が終わったらまた、新たな視座が啓けているといいなぁ。

どうなることやら。楽しみです。





写真は新宿御苑の桜です。

今回はセミナー会場が新宿だったので何度か観にいけました。



冬を超え、時満ちて咲き誇るも、花を手放し新たな芽抱くも、

軽やかに桜の如くありたいものです。

ありがとう。








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