春露





新年ですねぇ。

今日は旧正月です。そして新月でした。

お願い事や宣言をして、これからのビジョンや希望を抱くのに相応しい始まり日です。

旧いものを洗い流す浄化の雨が過ぎて、午後からとても美しい空が見えました。



夜明けに始まりの瞬間があるように、季節が移り変わる瞬間というものが、ある気がします。


動物や植物が春の訪れを知るのは、単に日照時間や気温の変化だけではなく、生命のどこかの層のレベルで、これから春だという、一斉の合図を受け取るからだと、散歩しながら直感しました。

生命の底の、私達がつながっているどこかの層で、誰かあるいは何かが、その始まりを告げるのです。


風の中に、土の中に、目に見えぬ広がりと、耳で拾えぬ音の中に、生命は敏感なものからその合図を受け取り、そして己を変化させるため動き出すのだと。

自然の中にいて孤独を感じないのは、私達がその底のつながりを、きっと知らずに意識するから。



近所の梅林がきれいでした。

その香りの中に立って、枝越しに見上げた真っ青な空が、すでに春の色をしていることに気付きました。

あぁ、今日から春なんだと思って、足元を見ると、小さな青い蕾がたくさん、もうすぐ開きそうになっていました。

私の好きな、オオイヌノフグリの、小さな小さな絨毯。

あの花が咲き誇る頃、本当の春がやってきます。



たくさんのギフトをいただいて、生かされている。

お日さまの光のような、当たり前の無限の優しさに満ちて、意味や目的無くとも、生命それ自体に与えられている生の自由。


光も影も、一瞬で通り過ぎていく。

永遠には続かない一瞬の輝きを、これから先もどれだけ拾っていけるのだろうか。


ちょうど若い葉ボタンの上に、消えずに残っていた天露が、空の光を受けて輝いていました。

数分ごとに色を変えていく午後の光が、露を照らして気付かせてくれた、これもまた瞬間のギフト。

ありがたくいただいて帰りました。



新しい季節の始まりが、あなたにとっても豊かなものとなりますように。

ありがとう。









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