陽と月の下で

 


 
すっかり大気が清んできて、いつの間にか透き通った冬です。

今日は温かい日だった。寒気の中に気泡のように入り込んでしまった、こんな暖かな日が、計らずも与えてくれた幸せに感謝。



午前中は上着も着ずに、ベランダの野苺の鉢の茶色くなった葉摘みをしたり、洗濯物をたたんだり、平和を感じて過ごす。

なんでもないことと、お日様と少しの柔らかな風。

大切なものは、いつもほんの少しでいい。



青いボトルにお水を入れて、日光に1時間くらい晒すと、ブルーソーラー・ウォーターというお水ができる。最近のお気に入り。

心や体にたまった負のエネルギーを、クリアにしてくれるお水らしい。

お日様って素晴らしい。

窓を開けて、風を通して、午前中の瞑想とセルフワークを行う。







夕方、親戚宅にてヒーリング整体に呼ばれ、満足の行く仕事をやりきって、帰る道すがら、見上げれば煌々とした月。

大きな橋を渡ったとき、ふと呼ばれたように川面に下りたくなった。



土手に座って、真上から光を投げる月を見る。

そして祈りのような対話。己と話しているのか、宇宙と話しているのか。



深く視野が拡がっていく。

自己のこだわりがなくなっていき、地球を上から見ているような、

あらゆるものが「対等」であるあの感覚を覚える。





唐突に何かが分かった。





生きるって受け止めるってことなんだ。



受け止めること。

受け入れるのでもなく、己が変わるのでもなく。

ただ受け止める。



ただ全て受け止めること。そして己の行動を選ぶこと。





宇宙やこの星の持つ、「愛」を思った。

そう呼ぶには大きすぎて、厳しすぎて、あまりにも制約がないのだけど。

すべて、自分で選んだことを経験させてくれるんだ、ここは。

それがどんなひどいことでも、たとえ生命や、この星や銀河が壊れ、壊滅的で破滅的な結果をもたらすようなものでも。



例えばそれは植物の持つ愛に似て、自身がどんなに傷つけられて、理不尽な破壊や不理解にさらされても、決して失われない愛と信頼。

母が稚児の過ちを微笑んで見るような、優しさと労わり。



どんな過ちも、どんな幸せも望むだけ経験させてあげるよ。

そう、望むだけ。つまり望むことを経験している、その正負を問わず。



神さまって、宇宙って、人智の及ぶすべてを抱して、なおこの宇宙を遊び場にしなさい、すべてあなたの創りたいものを創りだしなさいと言う。

どんなことをしても、それを経験させてくれる。

止めないのだ。罰しもしない。すべて経験させてくれる。

なんと底の見えない懐の深さ、でもそれが「愛」なんだと知って、愕然とする。

それでもすべて、受け止めているのだ、宇宙は。ありのまま。



だからそれに応えよう。

受け止めること。

価値判断やジャッジの外から、それそのものをまず受け止めること。

見ないでいるのでも、拒否するのでもなく、全て感謝して受け止められたら、初めて受け入れるかどうかを選べる。

そのとき初めて、自分にできる最大で向き合えるようになる。





ふと時計を見ると一時間もそうしていた。

心に暖かな確かさを抱いて帰る。きっと今、清んだ目をしていると思った。

月の光が、すぐ傍にあるように感じられた。









※ところで今夜半過ぎには今年最後の満月です。

そして、同時に今年最も地球に近づく満月だそうです。

12/27の最も遠くなる新月と合わせて、潮汐力が最大になります。

人間に与える影響も最大規模のはず。

この機会に自身を振り返り、これからの宣言をするといいみたいです。

(ちなみに14日にはふたご座流星群の極大あり)








 

0 件のコメント :

コメントを投稿