好きと愛するの違い

 

あー、これは分かりやすく書いてあるなぁと思ったので、抜粋します。



昔、宗教学の教育実習で似たようなことをテーマにやりました。

そのときは「おおきな木」という絵本とパウロの言葉についてでしたが。

早い段階で気付けて実践(これが問題)できてたら、人生はとても楽なんでしょうけど。







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好きと愛するの違い







「私はリンゴが好き」



「私はリンゴを愛する」







「好き」は、自分が満たされること。

リンゴは、自分が食べておいしいと思う。

自分が満足する消費者のようなものかもしれない。



「愛する」とは、相手を満たしてあげること。

リンゴに愛情を注いで育て、

みんなにおいしく食べてもらいたいと思うお百姓さんのようなものかもしれない。





好ましい相手から

好まれるのは誰でも嬉しい

しかし、そのうち相手に求めるようになる





こうしてくれたらうれしいのに



「もらう」ことばかりになると、

心が満たされなくなる

求めているから苦しくなる。

もらえないから不安になる。



やがて、相手をも苦しめる。





愛するとは、もっと積極的なもの

相手を満たしてあげたいと思う心。

愛するとは相手に求めずに与える心

愛するとは、心が満たされ、幸せな心。



愛し合うとは、互いに慈しみ与え合うこと。

愛し合うとは、信じ合い、互いに磁石のように心を結び付ける。





愛するとは、決して難しいことではない。



しかし、私には与えるものがないと言うかもしれない。



愛を与えるとは

相手を慈しむほほ笑み相手を励ます優しい言葉

相手にしてもらったことに対する感謝

相手にできることをしてあげること

相手の幸せを祈り見守ること



愛するとは、「笑顔」と、「言葉」と、「行動」で示すこと。



一週間もやって習慣となったら

きっと心が暖かくなって来る。

幸せな心に満たされて来る。



好きという感情が、相手に求める心なら

必ず相手の心は離れて行く。



相手に「求める」ことなく「与える」に心をクラッと変えてみることだ。



与える心は、きっと互いの心を結び付けるだろう。



しかし、



たとえ相手が離れていったとしても

自分の心の中に人を愛した尊い財産ができるあがる。

その財産を投資すればまた新たな愛のリターンがやってくる。









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真の愛は「放つ」こと…執着を絶つ事







あるところに、



恋人を愛する青年がいた。



青年にとって彼女はかけがえのない存在。

青年にとって彼女といる時がもっとも幸せな時だった。



彼女もそうだった。



二人は幸せな時を過ごし、やがて一年の月日が流れた。



その間も、青年の彼女に対する気持ちは変わらなかった。





ところが、彼女は少しずつ彼に窮屈さを感じるようになっていた。

彼といると、心も行動も縛られているようで居心地が悪いのだ。



やがて彼女は、青年に告げた。





「実は、あなたと別れたいの。もう少しいろんな男性をみてみたいし…」





青年は耳を疑った。

もはや、彼女無しの人生は考えられなかった。



「僕はこんなに好きなのに、どうして!?…」



青年は、彼女の申し出を拒否した。



その場で結論は出ず、その日はとりあえず、彼女にもう一度考えてもらうということで落ち着いた。



その日から、青年は目の前の仕事も手につかず、悶々とした生活を送った。





それに気がついた上司は、青年に声をかけた。



「どうした?。最近、元気がないな、悩み事なら相談にのるぞ!」



「…」



青年は、相談する気力も無かった。しかし、最後には豊富な経験のある上司に力になってもらえるかもしれないと思い、今までのことを話してみた。



話を聞いた上司は優しく青年を諭した。





「彼女を好きなのはわかった。しかし、彼女を『愛』しているか?」



「愛している?…」





「お前が彼女を『好き』だという感情は、かわいいからいつまでも手元においておきたいという感情だ。

つまり、彼女は、『籠』の中のインコと同じだよ。

彼女は「お前の『好きだ』という感情の『籠』の中に飼われたインコのようなものだ。

インコは、その『籠』が窮屈になり、青空の広がる草原を自由に飛びまわりたいと言っているんだよ。

インコは、窮屈な『籠』の中と青空広がる草原と、どちらがが幸せだと思う!?…」



しばらく、沈黙が続いて、青年は重い口を開いた。





「…インコは、広い草原を自由に飛びまわった方が幸せだと思います」





「『好き』は、お前の感情。『愛する』は、彼女に視点をあて彼女の幸せを願うということだよ。

青空の下が、彼女の幸せだと思うなら彼女の幸せを願って『籠』の扉を開けて草原に放って、自由にしてあげる事だ」





しかし、青年には『好き』という感情から『愛する』という相手への思いやりに脱皮するにはもう少しの時間が必要だった。





そして一週間後、青年は決心して彼女に告げた。



「僕は、あなたを愛しています。あなたの申し出に最初は、別れなんて考えられませんでした。

悩みました。仕事にも手がつきませんでした。

…しかし、僕はやっぱりあなたを愛しています。いろんな男性を見たいと思うなら、そうしてください。



僕は、あなたがどこに行っても、いつまでもあなたの幸せを願っています。いつまでも、いつまでもあなたが幸せであることを祈っています。今まで本当にありがとう!」



彼女も、青年に礼を言うと二人は別れた。







それから半年が過ぎた時、

青年のもとに一通の手紙が届いた。

それは彼女からのものだった。



中には、こう書いてあった。



「あれから半年が経ちました。あなたと別れてから私は、いろんな男性とも会話を交わしました。お付き合いもしてみました。…しかし私は気がつきました。あなたが私を一番愛していてくれた事に…」



その手紙は、一度は自由を求めて草原に飛び立った彼女が、本当の自由は青年の心の中にあったことに気がつき、再び彼女が青年のもとに戻って来たいと、告げるものだった。



愛は、執着ではない。

愛は放つこと、

愛は自由、

愛は幸福感。



愛と好きは違う。



『籠』に入いれ自由を縛ることが愛ではない。



(これは親子の関係でも言える)






<追伸>



でも「放ちすぎて」そのまま戻って来ない場合もあります。

戻ってくることを期待して言ってもだめですよ。誤用に注意。



あくまで、これは「愛は執着ではなく放つこと」であるということを説明するためのお話です。






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「籠の鳥」関連でもうひとつ。




ある50代の女性社長Tさんが言った。



男は、信じてあげてのびやらせれば、良いのよ。

放しておいて、しかし、信じて見守るような感じかな。

ワシを籠の中にとじ込めたら空を飛べないニワトリになるから気をつけたほうが良いわよ


さすが、つわもの揃いの男性社員を率いるお母さんのような説得あるお言葉。







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これもその通りだなぁとおもいました。

結局男は居心地のいいところに戻ってくるものなのにね。

信頼は信頼することによって生まれるのものですね。

当たり前のことだけど、ちゃんと実践したいものです。

ありがとう。








 

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