つひに自由は彼らのものだ

 

先日高校合唱部のOB会で現役生の歌ってくれた歌が耳を離れず、CDを探して買ってしまった…。

ちなみにこんな感じの歌です。「鴎」(木下牧子作曲 三好達治作詩)







なにかとても内なる琴線に触れたのです。

「つひに自由は彼らのものだ…」



狂おしいほど迸る心の深くからの感情が、呼び水に触れたように甦ってきた。



あぁ、そうだ。ずっと自由になりたかったんだ。

何ものにも縛らせない、完全な魂の自由。風のように自由な魂。

ずっとそこに行きたかった。



求めるほど辿り着けずにいた、完全な魂の聖地。

いつか取巻くこの荊を断って、羽を伸ばせる時が来ると思っていた。

祈るように願い続け、それもいつか忘れていた想いが、呼び起こされて思い出された。



懐かしくて涙が出て、止まらなくなった。

多分、理解はされなくても構わない。

世界と一体になったような、完全な自由が欲しかったのだ。

それをこの体をもって感じたくて、ここに来たような気がする。



うらやましかったのだ。生の輝きが。生命の光が。

どうしてもあの光を体験したくて、ここに降りてきた。

想った通り、太陽の光は降り注ぎ、海は潮の粒を吹き上げて、風は樹々を縫うように世界を吹き抜けていく、ここは素晴らしい世界だった。

たくさんの生命が暮らしていて、交わっていて、互いに繋がり感じあっている。

世界は美しかった。だからここを守りたいし、癒したかったのだ。

いろんなことが深い感情と共に思い出されて、そして涙が止まらなくなった。



こんなにも多くの囚われに身を縛らせて、私は何をしていたのだろう。

囚われを解いて、前に進もう。目を覚まさなければ。荊はもう枯れている。

いつまでも言い訳して、閉じこもるのは終わりにしよう。

ついに自由は彼等のものだ… それは私として関わるということだ。



時間がない。それも実感として思い出した。

偉大なカリスマがこの星を癒そうと言った。

4年で環境破壊を終わらせ、世界を癒すといったマイケル・ジャクソンはおそらく殺されてしまったけど、それでも私たちは摘み取りきれぬほどの芽になって、世界を癒していこう。



人々が、自分が誰であるかを、自らの中に悟れば、今のままの世界を許せるはずがない。

私たちが、何故ここに来たのかを思い出せば、自分の今すべきことは自ずと見えてくる。



私は私のできることで、世界を癒していこう。

自身と人々の中に光を灯していこう。



涙に洗われて、曇っていた眼が晴れた。もう行かなければ。

よい出逢いだった。ありがとう。心から感謝したい。











 

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