あるサボテンの生き方


いつもの火曜の花講座で、急遽キャンセルがでたので、今日はその花材でお花を組んでみました。



今回のお花はシンビジューム(蘭)が中心。蘭は本当に扱う人の個性が表れるお花です。さっき作ってみて、優しい感じに仕上がったので、きっと今の自分の状態は悪くないのでしょう。

通常ワークショップだと、個々の作品からリーディングして、その人の状態や必要なメッセージを受け取るのですが、今日は意外なところから別なメッセージをいただきました。



今や、我が家最大の植物にまで成長した、大サボテン(ジャコバ)があります。

サボテンはもともと異種間コミュニケーションに長けた、非常にオープンな存在です。彼からは、チャネリングでも何度も素晴らしいメッセージを頂きました。



今日は彼が不思議な振る舞いをしていました。

このサボテンは、僕の節目にあたるようなときに、時々はっとさせるメッセージをくれるのです。

チャネリングが始まり、旅人の樹と僕の仕事が本格的に始まったときにも、それを祝うかのように一斉に満開の花を咲かせてくれました。



今日サボテンを見てみたら、通常まず折れたりしないような感じの、肘から下くらいはあるような太い枝が、ぽろっと取れていました。

窓(光源)と反対側の太い枝でした。

でもどこが取れたのか分からないくらい、残された全体の形は綺麗に整っていました。

彼は自分から、その枝を切り離したのでしょう。以前にもこういうことはありました。







アポトーシスと云われる細胞の自発的な死は、生命のプロセスとして自然に組み込まれています。

例えば紅葉した葉が自然に落ちるように、生物は自らの一部を殺したり、切り離したりすることで、命の自然な変化に従います。

人間も羊水の中にいた頃には指に水かきがありました。

曖昧な体の形が、よりはっきりとした境界と個性の創造のために、生命のデザインを彫刻していくように、自らの体の一部を死滅させ、形を上書きしていくのです。



サボテンは、より光の方向に体を向け、より活き活きと変化成長していくためには、この方向の枝はもういらないと認識したのでしょう。

それにしても、彼の変化へのなんという潔さか。

大きさの問題ではないけれど、その枝は彼の全体の大きさの数パーセントは確実にありました。

人間ならこの腕の肘から下はもういらないと、あっさり捨てたような感じです。



自分自身への、驚くほどのこだわりのなさ。そして尚、失われない輝きと個性。

何も持たずとも、もっとも強く、もっとも美しく生きていくことができるということ。

与えられた環境を受け入れ、自らを開き変化を厭わず成長し、どんな時、どんな場所でも、輝き、歓びを失わずまっすぐ天を見ていること。



それはきっと、ただ純粋に光を目指す在り方。

大切なことはみんな植物に教わりました。



後に何も残さない。清々しい。そして後悔もない。

それは人の心とは違う在り様かもしれないけれど、ただ突き抜けた蒼天のように、曇りのない姿。

名前すら持たない命の、ただ命そのものの有様。

形ではない、純粋な流れである生命そのもの。



形は、きっと生命が一時的にあずかった存在のあり方だから、その本質はきっと、何か大きな流れそのものなのでしょう。

一時的にここにきて、その形をもらい、そして可能な限りその可能性を表現し体現すること。

それは一粒の種から大樹が育ち、色鮮やかな花が、未だ見ぬ蕾に息づいているということ。



生命の本質が流れならば、変化は生命の根源的な性質です。

植物も昆虫も動物も、多くの命はそのあり方に疑問すら持っていない。

人間だけが、自身ではなく、与えられた環境を変えることで何かを得られると思っている。



自分が変わることを厭わないこと。

自分にとってどんなに大きなものでも、もう不要になったのなら、潔く手放し、より清々しく美しいあり方に、自身を飛び込ませること。たとえそこに何の保障がなくとも。

そして変化は必ず実る。たとえそれが最初に意図した形ではなかったとしても、その時その場で、最善の美しさを伴なう調和が実現される。

それが、自身である生命と、宇宙の計らいを信頼するということ。委ねるということ。



彼は何も失わなかった。

サボテンの美しさはより増して、失われたかに見える枝は、離れてより新しい芽を延ばそうとしている。

もし私が気付かずに、その枝が自然に枯れていたとしても、それもまた自然の最善。

ただそうであるということ。そこにはどんな不自然もなく、ただ完璧な調和があるだけ。



コントロールをしないこと。自らを開いて生命の大きな流れにゆだねること。

それが自然なもっとも調和したあり方だと、彼に教わりました。



潔く、清々しく、仰いで天に恥じぬように。

重荷のように背負ってきた、身を守るための多くのものを、そろそろ手放す時が来たのでしょう。

新しい始まりのために、しばらく自身に向き合ってみたいと思います。



ありがとう。








 

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