桜の頃過ぎて




 

大切に過ごしたい大好きな季節も、いつの間にか移り過ぎて、こんなに寒くて冷たい雨の中にも、手加減にも似た温かさが混じっています。



雨に半分以上を流された、最後の桜の花に今年もお別れを言って、今日も深夜の帰り道を歩いて帰ってきました。



毎日が忙しく過ぎていってしまうとしても、過ぎ行く大切なものを、きちんと受け止めて見送る気持ちは、忘れないでいたい。



それでも今回はずいぶん長く、その姿を見せていてくれました。ありがとう。

毎年逢いに行く桜に、今年もなんとか間に合いました。



必ず過ぎていってしまう大切な時間を、あと何度見送れるのだろうかと思うときほど、与えられた時間の有限さを強く感じます。

この花にあとどのくらい出会い、見送れるのだろうかと。



人の命も、樹の生命も、花のイノチも、究極的には同じ目的で、ただ在るのだとしても、それでもその出会いの中で動いた何かは、私達の交わした確かな軌跡として、宇宙のどこかに刻まれていく。



水の波紋の中には、それまで交わった全ての波の情報が含まれているそうです。

言葉なく交わした気持ちだとしても、誰に知られることなく過ごした時間だとしても、いつか自分の受け取ったものや、与えたものが、この宇宙のどこかに残されていくとしたら、日々感じる思いの一つ一つさえ、大切に受け止めていきたいと思えます。



また来年、会いに来ると小さな約束をして、いつか歩いた道を辿って帰る。



たとえ記憶の中にでも、帰れる場所があるのなら、人は日々の中にあっても、己の真実を見失わずにいられるのかもしれません。



毎年の儀式のように見上げる、この花を透かした空に、いつかの自分の

思いを重ねて、歩いてきた足跡を確かめます。

あの頃の思いに恥じぬよう、生きているだろうか、歩いて来れただろうか。



また来年、これでよかったと思えるよう、歩いていけますように。





ありがとう。








 

0 件のコメント :

コメントを投稿