最近は朝早く起きています。
というか朝早くまで起きています。(だめじゃん)
夜の時間が心地好くて、眠るのがもったいなくて朝になってしまう。
最近のお気に入りは、ジョナ読書。
家の近くの、徒歩十分くらいのジョナ〇ンの端っこの席で、ゆっくり本を読む。
自分の部屋だと、心地好すぎて寝てしまって本が進まないので、ご近所のレストランで読んでみたら、結構快適だった。
よくファミレスで、勉強したり書き物したり読書したりしている人の気持ちが分かる。
深夜のファミレスはうるさくなくて快適なのです。
同じような人が数人いて、24時間営業している意味ってあるんだなぁとか妙に納得した。
今夜の本はジェームズ・アレンの「もしもあなたの小さなさとりが地球を救うなら」。
100年以上前の作家さんなのに、今尚心に届く言葉。
本てすごいなぁ。
時代的、文化的背景なのか、多少キリスト教的で、厳しくて、最初はどうかと思ってたけど、読みながら内省するにはとてもよい本だった。
エゴを捨てて悟ると、本当に豊かで幸せになれるよっていうお話。
13の月の暦では、5/30から水晶の月がはじまっている。
今月の問いは:How can I dedicate myself to all that lives?
(生きとし生けるすべてに自分自身をどのように捧げるのか?)
それでか今週に入ってから、特に内省的に、自分の本質や在り方について考えることが多かった。
そして今夜、いろんなものが解けた。すごいすっきりした。
本の中で、人の意識が世界の状態を創造しているから、真に改革と呼べるものは、人の心を変えるパワーを持つものだけだ、というようなくだりがあった。
それで一つ腑に落ちて、自分のしていくことがはっきり方向付いた。
そうか、私のやることは、人の心、人の意識を変容させることだ。
自分を含めて、意識を変えていくことで、この星の変化と成長に貢献すればいい。
それがはっきりした。
他にも個人的にとても豊かな気付きがたくさんあった。
深夜のファミレスは内的な思索にふけるのにはとてもいい。
店員さんに怪しまれないように、地味に瞑想したりしていたら、なんだか強烈なセルフセッションが始まって、気がついたら3時間くらい経っていた。
多分何かが変容した。いよいよ次のステージが始まるのだと思う。
あれこれしながら過ごして、読み終わったら夜が白み始めていた。
明けていく街がとても清々しかったので、そのまま河原へ行ってみた。
朝日を拝みながらゆっくり歩く。早朝の空気は本当に綺麗。
自然が呼吸しているのを、邪魔しないようにたたずむ。
夜の時間を一人過ごすのも好きなのだけど、早朝に起きる習慣をつけてみようかな。
たくさんのギフトを受け取った夜。
美しい朝日に立ち会うときには、変化のタイミングが多い気がする。
朝焼けのいい感じの写真が撮れたので載せておく。
あと本を読みながら、疑問におもったのでチャネリングしたことのメモも、以下ついでに。
ありがとう。
[メモ〕
*-*-*-*-*
りゅー>どのようにしたらエゴを手放せるのでしょうか?
愛することによって。
自分と同じように意識(意思)を持つ他者があなたの外にいて、それを愛さなければならないと考えているね。
そうではない。
愛を注ぐということは、相手に意識を向け、与え、包容することだ。
愛は向けられたものにエネルギーを注ぎ、やがて対象とあなたのエネルギーを一つにする。
それはまだ分離を知らない頃の、あなた方の世界が個に分かれる前の状態を思い出すということだ。
私たちはバラバラではない。
それは互いを慈しむための右手と左手のようなものだ。
互いに他者だと思っている相手は、源を一つとするあなた自身の別な形、別な顕れにすぎない。
抱擁することのできる全ての対象を慈しみなさい。
それはあなた自身を慈しむことだ。
あなたの意識の手は、宇宙さえ押し包める。
あなたの世界に現れたものを大切に抱きしめなさい。
石の一つ、木の葉の一片にさえ、生命の神性は現れる。
ましてあなた方の中に、それを見ないでいられようか。
愛し難いと思う気持ちがエゴなのだ。
愛する価値などない、それを見つけようとさえ思わない。
それはあなた方が、互いの神性ではなくエゴを通して見ているからだ。
守るべき何かも、愛すべき何かも、真には分ける必要がない。
宇宙のすべてにそれぞれの側面を持たせて、あなたと同じ愛から世界は創造された。
愛は物質なのだ。愛は源であり意識、愛は形ある心だ。
あなたと私は同じものの別な顕れだ。
分かれているからこそ、互いに与え、愛し、感じ合える。
木の葉のきらめきをじっと見てごらん。
水の美しさとその恵みに、心から感謝と歓びを感じてみてごらん。
空の色彩と変化の完璧さを、本当に全て知っているだろうか。
一つの石の歴史、一輪の花の匂い、誰かが自分に向けてくれた優しい想いが、どれ程の廻り合わせの奇跡であるかを、想像したことがあるだろうか。
愛するとは互いに感じあうことだ。
相手のありのままを受けとり、交わり、感じ、与え合うことだ。
あなたが対象を心から受けとるとき、あなたもまた受け止められている。
互いが互いを知り、感じ、味わうため、この世界は形を持ったのだ。
だからここにいて感じなさい。
目を逸らさずに、一瞬一瞬を味わい尽くしなさい。
そうすれば、あなたには恵みしか与えられていないことに気がつくだろう。
溢れる気持ちを感じたまま、ただそれを在らしめなさい。
何も留めることなく、ただそれらの一つ一つを受け取り、同時に手放していなさい。
何も手元に留めることなどできない。
だからその一瞬、その体験には真に価値があるのだ。
その恵みを、その瞬間に完全に受け取ったなら、それが愛であることに気が付くだろう。
一瞬一瞬を醒めて在りなさい。
今こにあるものを真に受け取るなら、あなたは自分が誰であるかを知り、世界が何であるかを理解するだろう。
特別な何か、特別な何処か、特別な誰かの中に、それを探す必要がないと知るだろう。
ありのまま受け取り、ありのまま与え、ありのまま感じなさい。
それがエゴを超えて、より大きな自己として生きるということだ。
愛であると知ることだ。
ただ無邪気に真実に醒めて、明るく開かれて在りなさい。
ありのままを楽しみ、愛し合いなさい。
愛しているよ。
*-*-*-*-*
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