彼誰刻の空





 

暑かったので、ベランダで星を見ながら瞑想してたら夜が明けてしまった。

明け方の街を感じに外へ出て、金色の朝の光に染まる世界の底を歩いていたら、唐突に思い出した。



あー、世界はこんなにも美しかったんだ。

この惑星が大好きで、これを感じて味わいに来て、だから守りたいんだなーと思いだした。

時々、定期的にこんなことを体験しては、自分のここにいる理由を確認する。



この殆ど誰も歩いていない時間が好きだ。

(歩いていても誰だか分からないので彼誰刻[かわたれどき]というらしい)



毎瞬変わり行く空の、どの瞬間も美しくて、目が離せなくて、見上げたまま歩く。

世界のどの一時も完璧さの顕れで、世界はその連続でできている。

自分の内側ばかりではなく、宇宙のあらゆる有り様に目を向ければ、

世界にはなんの不足もなく完全であると信じられるのに。



夏の夜が更けていく様子も、明け初めていく様も、世界に光が満ちていく瞬間も、

その境界のない溢れるような連続も、みんな目に焼き付けておきたい。

自分がどんな場所にいるのか、忘れないでいたい。

これが身体を持って生きる歓び。生きるってそういうことだ。



宮沢賢治が「あなたのすきとおったほんとうのたべもの」と呼んだ、

きれいにすきとおった風も、桃色のうつくしい朝の日光も、すべてここにある。

毎朝、与えられている。なんて恵みに満ちた世界。



ありがたくて、清々しくて、胸いっぱいに歩いていたら、お日様が昇って来た。

この金色の光が、世界を毎朝新しく染め上げて、今日が始まる。



思わず写真を撮ったら、太陽の中にまたUFOがいた。無粋な。(下写真)

でも美しいものを愛する心は、宇宙中どこでも一緒なんだと思ったら、やっぱり宇宙も美しいんだなと思えた。



大切にしよう、いろんなことを。





ありがとう。















 

0 件のコメント :

コメントを投稿