久しぶりのゆったりなオフらしい一日。
ゆっくり寝て、昼くらいから動きだして、洗濯と心身のメンテしてたらもう夕方。
一日が早い。
さっきちょっと面白い体験をした。
シャワーを浴びて、セルフエネルギーワークして、筋トレ(動の瞑想)して、呆けてたら、何かのエネルギーが入ってきて活元運動(霊動法)が始まった。
活元は身体が整って気持ちいいので、しばらく任せて動くままにさせておいた。
一通り活元で身体の調律が終わるとさっぱりしたのだけど、身体を動かしていた大きな意識みたいなものとのリンクがつながったままでいるので、しばらく動きたいように身体を貸してみることにした。(似たようなことは前にもあった)
要は体の中に他の意識体が入ってきた状態。
その意識は、私の指導霊的な立場の、自分のより大きな意識の層の一側面のようだったのだけど、生まれて初めて地球に来て身体を持った宇宙人の子供みたいな反応をしていて、からだが動くということが興味深くて、面白いらしく、いろいろと不思議な動きや反応を繰り返していた。
ゆっくりと、本当にゆっくりと部屋を見回して、「見る」ということを堪能していたり(自分の部屋が初めて見るように見えた)、ぎこちなく歩き回っては、不思議な動きをしながら体の稼働域を確かめていた。
植物のエネルギー場を観察して、本当に優しく交流したり、生を持って「在る」ということを心の底から味わいつくしているようだった。
あどけない様であちこち触れて歩き回り、幼児が手の平で叩くように、ピアノの鍵盤に触れたり、また何度も鏡を覗き込んでは自分の目の奥を観察していた。
深い、いつもの自分のとは違う薄く青みがかかった光が見えていた。
その様子を私は、どこか客観的な目で内側からずっと見ているのだ。
取り戻そうと思えば身体の主権はいつでも戻せるので、(地上ではその肉体につながる自由意志の方が強い主権を持つので)その「生きる」ということに対する新鮮な反応を、一緒に味わっていた。
そうか、生きるということはこんなに新鮮な体験だったのだということを、あらためて体験させてもらった。
ひとしきり動き回って堪能すると、その意識は私の身体を洗面所へ導き、蛇口をひねって流水を頭から浴びた。
頭の芯が冷えて、冷たくて心地良かった。
こんなにも深く、水や空気を味わったことが最近あっただろうか。
何の構えもなくただ「在る」ということが、これほど深いギフトなのだったと思い知った。
濡れた髪を拭きながら鏡を覗き込むと、その意識と自分が融合しているように見えた。
洗濯物を干すのに身体の主権を返してもらっても、意識のリンクは途切れないみたいだったので、名を尋ねてみたら「エル」と返ってきた。
その明るいエネルギーから感じる所では「Yel」の方が近い言霊らしいので、表記は「ヱル」の方が正しいのだろう。
どんなときも自分自身で在り続けること。
それをより深いレベルで体験し尽くすこと。
今ここに、ただ在るということが、あらゆるギフトと救いにつながる。
それ以上のものは自分の外側にはない。
そんなことを受け取った休日の午後。
ちょっと部屋の密度が濃くなったので、外の空気を吸いに散歩に行ってきます。
ありがとう。
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