なんか秋っぽい映画が観たくなって、「Sweet November」を取り寄せて観た。泣いた。
いろんなテーマが散りばめられていた。愛ってなんなのかとか、人生を生きる意味だとか、そういうことのシンプルではっきりした何かが伝わってくるいい作品だと思う。
ただ、救いのない現実に救いを与えてあげられるのがフィクションの役割だとするなら、一人の人間としての泥臭い気持ちに従って、もっと最後まで足掻いてほしいと思った。
そこから見えるものや、開かれていく別の未来、そこまで見たいと願う。
綺麗な終わり方よりも、傷ついたとしても繋がっていく未来への希望にこそ、本当の価値があるのだと私は信じていたい。
「あなたには 幸せな 私を覚えててほしいから」という言葉が印象に残る。
人の生きる意味は、ひょっとしたら自分の人生にではなく、誰かの中に残り、生き続ける事にあるのだろうか。
一生の終わりに残るものが、自分の満足だけだとしたら、多分やり残したことを思うだろう。
誰かの中に、どれだけのものを残せたかが生きた証で、そうやって与え合い、受け取りあった交流こそが、生きる意味なのだとしたら、多分それは愛と同じものだ。
そんなことを思い、深く響いた。
受け取った人に優しい気持ちを残せるのなら、それは十分価値あることだと思う。
そんな言葉や、交流や、何かの足跡を、日々自分も残せたらと思った。
ありがとう。
ただ寝るのが惜しくて、暗い部屋で祈るように瞑想していたら、
例のごとく言葉が降りてきたのでメモしておく。
・~・~・~・~・~
神様、どうしたらもっと深く愛せるようになりますか?
あなたの闇を相手に投影するのをやめて、本当の彼等自身を見てあげなさい。
あなたが真に彼等を曇りなく見るとき、そこには美しかあり得ない。
生命は等しく輝きを放ち、どれも代えがたくユニークで素晴らしい存在だ。
なぜ私はそれを忘れずに見続けていられないのでしょうか?
あなたが彼等の中に自分の見たいものを見ようとしているからだ。
彼等はあなたと同じように自由な存在なのだから、あなたの期待で相手を枠にはめて見ることを手放しなさい。
川の魚にあるべきを問わぬように、飛ぶ鳥に行方を訊かぬように。
未だ開かぬ蕾の、花の色形を指示したところで、その意図に沿わぬは花の落ち度ではない。
ありのままを見て、それをありのまま受けとめなさい。
あなたが期待を手放して見るとき、そこに現れる存在は常に新鮮で新しい。
己を枠にはめこまなければ、それを相手に求めることもない。
好みやコントロールを他の御霊(生命)に押し付けることで、不自由になるのは己自身だ。
愛であるということは、あるべきを問わないということだ。
相手の中に”べき”を問うのは、己がそこに縛られているからだ。
なにものからも自由でありなさい。
心を開いて愛するというのは、そういうことだ。
自分自身もまた、常に新しく新鮮でありなさい。
過去の経験に従うのではなく、常に今だけに立ち、
未知を友とし、幼子のように世界を味わい、遊びなさい。
そうすればあなたは世界の素晴らしさを知るだろう。
そこに映る己を知るだろう。それを愛するようになるだろう。
自分自身の制限から自由になるとき、あなたは期待や制限なく人を愛する者になる。
怖れないで開いていなさい。あなたが傷つくのは、他者によってではない。
あなた自身が、宇宙から自分を閉ざして切り離すためだ。
自分を罰することを手放しなさい。自分の価値をきちんと受け取りなさい。
何者もあなたより素晴らしい存在はない。
それを理解すれば、同等を外側に見るだろう。
内も外もなく、あなたと私の境もなくなる。それが愛だ。
相手を想うことと、自分の喜びが同じものになることだ。
生命(イノチ)の本質は歓びだ。
だから相手の歓びを感じることは、生命の本質的な交流である。
それをして人は、生を真に生きることを味わう。
それをしにきたのではなかったのか?
忘れずにいなさい。あなたは愛だ。何者にもまして価値ある存在だ。
あなたが素晴らしいのは、あなたが独特で、創造的で、自由な存在だからだ。
ありのままの自分を受容すればいい。
そうすれば、他者のありのままを見ることができる。
本当の彼等を知ることが出来さえすれば、あなたは彼等を愛さずにはいられない。
自分を愛から切り離してはいけない。世界から己を閉ざさぬように。
怖れと無知が、愛を遠ざけ、あなたを孤立させる。
受け取りなさい、宇宙があなたに与えるものを。
心を開いて、そのありのままを見なさい。
闇の中の小さな自分には価値がないと、誰が言おう。
それを言うのもあなた自身だ。
あなたが誰であろうとそれが、そのありのままがあなた自身だ。
そしてそれを受け止めたその時から、あなたは動きだす。
あなたは、あなた自身を生き始める。
愛と感謝と許しが内側から始まるとき、人は生きることの意味を真に知るだろう。
真の交流、真の人生の体験は、実際のところ、そこからしか生まれない。
もう頃合だろう?
待っているよ。
love my son.
愛する子供達へ
・~・~・~・~・~
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