自分を生きながら調和して在る







おかげさまで、昨日は素晴らしいバースデーライブとカレーパーティーになりました。



本当に好きなことを妥協なく、力をいれて行うと必ずサポートされます。

楽しんで、採算とか考えずにやってるときほど、きちんとよい結果につながる。

本当にありがたいです。

幸ちゃんと大介くんの歌も、歌ったり踊ったりしてくれたたくさんの友達も、みんなのおかげで、温かくてとても優しい素敵な節目の日になりました。



これからの僕にできることで、受け取ったたくさんのものを、皆と宇宙に返していきたいと思います。

本当にありがとうございました。



今後のイベント企画もいくつか昨日決まってきたし、さー、誕生日越えたら本格的に忙しくなりそう。

心は亡くさないように、毎日感謝して楽しんでいこう。



今日は明け方、真っ赤な朝日と共に目が覚めて、体を動かしたり観想書いたりしていました。

朝早くから活動すると、やはり素晴らしい充実感がある。

朝一の活元運動と瞑想と書きものは習慣にしたい。

できるだけ続けていきたいです。



ありがとう。







さて以下が今日の観想(テオリア)。

今朝起きる前に鮮烈に感じていたこと。



妥協しないで生きる。

自分の中に、僅かでも不合意があれば、それはしない。

自分を生きながら、調和してあるにはどうしたらいいか。



そんなことがテーマです。





・~・~・~・~・~





(自分を生きながら、調和してあるにはどうしたらいいか。)







おはよう。今朝は早起きだね。

朝は無限のリソースにつながる最もクリエイティブな時間だ。

ぜひ活用するといい。



この時間帯は心身のバランスを取るのに最適だ。

ヨーガや呼吸法等を用いた瞑想をお勧めするよ。

君は一度、体系だった手法をきちんと学ぶといいだろう。

自己流で行うよりももっと早く、自らの内なる気付きに至る助けになる。

呼吸法は朝日と共に行うのがいい。

新鮮なプラーナ(気)を体に取り入れ、生命の根を宇宙へ再接続し直すことができる。





さて、自分を生きながら調和してあるにはどうしたらよいかだったね。



自分の真実を生きるものは、他のあらゆる葛藤から自由になれる。

もはや生きるためのあらゆる妥協から、自分自身を解放して在ることができる。



あなたはあなたの思うように生きていい。

生きるために、自分の真実を曲げる必要はない。

それではあなたの人生の純粋性を損なう。



生命の権利として、生命はそれ自身を生きることを許されている。

ただしそれは保証されているということではない。



勘違いされがちなことだが、生命はこの世に存在する権利なのだ。

そしてそこであらゆる出来事を体験する。そこに良い悪いは存在しない。

それは価値判断であって、出来事とは無関係だ。



価値はあなた方の作り上げた枠組みの基準にすぎない。

それはその中にあって、それに従って振る舞えば、比較的安全に人生を過ごせるという目安にすぎない。



保証がないということは、是非を超えてあらゆる体験を経験する上で不可欠な要素だ。

本来それはスピリットの目的を果たす上で、重要な約束事であり、ギフトだ。

あらゆるすべてを体験することを保証する。それが宇宙の公平さであり愛だ。



だがそれは、安定と不変を望むエゴにとっては残念ながら不安材料でしかない。

だから人々は枠組みを作り上げた。

自分たちが安全に、ある程度の保証を得て人生を過ごすための枠組みだ。



生き残ることが最上の目的だった時代に比べれば現代は格段に過ごしやすい。

それは偉大な先人たちの業績だ。

あなた方はその助けの上に、現在の生の体験を積み上げることができる。

社会的、思想的インフラの力は大きい。



だがそれが目的地ではない。

それは手段だ。何の? 魂の。

この場合の魂とは、より本質的なあなたの肉体を超えた生と、自己の個性を保つ枠組みのことだ。

では魂の目的とは何か。



体験を通して味わい、生を通して交流すること。

そして自分自身が何者であるかを知り、それを宇宙へ表現すること。

そのときあなたの生命は宇宙の一部として、この宇宙の豊かさの一部となっている。

それを自分自身を通して、自覚的に味わうことこそ魂の喜びに他ならない。



自覚的に生きるということの意味を、本当にきちんと感じたことがあるだろうか。

言葉通りの意味だが、実際にそれを真に生きるものは、この惑星のこの時代ではまだ少ない。



あなた方が先駆けだ。

どの時代、どの場所にもそれらの役割を担う存在はある程度いたが、今この時代ほどそれらが求められている時はない。



誰かに役割をゆだねるのではなく、あなた方がそれぞれそうなることが必要だ。

本当に必要なのだ。



自覚とは、あなた方がより本質的に生きるということを意味している。

自分自身の本質を理解し、それを損なわず、かつ全体と調和を保ち、全体の一部としての自己の役割を担っている。

それが自覚的に生きるということの意味だ。



あなたは全体の一部であることから切り離されてはいられない。

だから、自分の本質に気が付けば、調和を損なうことは有り得ない。



ではなぜ、自分らしく生きようとすると、生きづらく感じることがあるのだろう。

まずそれは自分の本質と、自分の性質をごっちゃにしている場合に起きやすい。



自分の性質は、本質の一部ではあるがすべてではない。

虹の赤の一色が、光の本質のすべてを示すものではないように。



自分のある性質に固執し、それが自分自身そのものであると囚われ、押し通そうとする場合に調和を損なう。



どんな場合にも、あなたが自分自身の枠組みを決めている。

あなたのどの面を表現するのか、あなたは常に選ぶことができる。



過去の体験とパターンから反応していることに自覚がないと、人は自分が選択しているという自覚を失う。

すると、自己の反応パターンを自分自身だと思い込む。

たとえばそれは性格だから仕方がないだとか。

だがそれは、あなたの性質の一部でしかない。



今ここに、プレゼンスを持って生きることが重要だと言われてきたのはそのためだ。

今、ここで、感じていることをきちんと感じてみる。

判断するのではなく、ただ感じる。

そうすれば、自分が何に反応し、どういうパターンを持っているかが分かる。

それは今ここにあるものではないからだ。



さらに感じていくと、自分の本当の望みが分かる。



繰り返すが、感じるということは、頭で考えることではない。

主にはハートで感情を感じとることができるが、それもすべてではない。

細胞のひとつひとつ、肉体とエネルギー体、感情体、あなたの自己の総体、存在のすべてで、今ここを味わうことだ。



瞑想とは、今ここを100パーセント、ジャッジなく感じきろうとする試みだ。

それはとてもパワフルな覚醒をもたらし得る。

自覚的に生きようとするものには、プレゼンスを身につけるよい訓練になる。

そしてプレゼンスを持って生きることが瞑想なら、それは特別なことではなく、人生のあらゆる側面の中にある。



深く今ここにあるものを感じ、自分の本当の望みを感じとることができたら、それが少なくとも今ここにあるあなたの本質だ。

それにしたがって生きることが、自覚的に生きるということだ。



そのために行う、自分自身の率直な感覚の表現が、誰かにとって、意に沿わないものであるかもしれない。

だけどあなたは、自らの人生に妥協せず、忠実に生きるためには、時にはそこに向き合わなければならないだろう。



人は自分の見るように相手もものを見るだろうと考える。

だから、あなたが人生を生きるためには妥協や我慢が必要だと信じていれば、あなたは自分自身の本質を生きることの正当性を疑う。

そしてその負い目故に、自分の真実を曲げることも仕方ないと諦める。

事実、とても多くの人が、自分自身の真の人生を生きることを半ば諦めてきた。



だがあなたが自覚的に生きることを選べば、自分の素直で率直な感覚を、相手に伝えることに大きな躊躇いを覚えずに、真実を伝えることができるようになる。

相手もまた、そうできる可能性を持つと信じられるようになるからだ。

そしてその方が、自分たちの命とスピリットにとって、真に価値ある生き方だと本当に思えるからだ。



自分自身の真実を生きることをどうか怖れないでほしい。

生きることは、こなすべき作業ではなく、体験すべき神秘だ。

すべてを知り得ず、結末が決まっていないからこそ、挑戦し、味わう価値のある冒険なのだ。

そのシナリオは、あなたが心の真実から選択したように創造される。

それが宇宙の約束であり、ギフトだ。



この対話の最初に伝えた言葉をもう一度繰り返そうか。



自分の真実を生きるものは、他のあらゆる葛藤から自由になれる。

もはや生きるためのあらゆる妥協から、自分自身を解放して在ることができる。

あなたはあなたの思うように生きていい。

生きるために、自分の真実を曲げる必要はない。



私の伝えたことの意味を、受け取ってもらえただろうか。

あなたが真にそのようであることを、選んでくれることを信じている。





ありがとう。

愛しているよ。



















 





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