滅多にないほどいい夜。美しい春の宵。
雨が上がって水気を含んだ微風と、まだ薄く光を隠したままの空。
それは世界がまだ誰にも触れられていなかった頃。
まるで誰もここにいなかった時代の気配を思わせる。
ときには自分が自分でいていい夜がある。
世界はまだ、誰の目からも隠されていて、誰も己の外側に目を向けていない。
そういう夜には、霧のように優しい混沌が満ちている。
小さな音でピアノを弾いて、密やかな歌を紡いで、誰もいない夜にただ殻を脱いでみた。
思ったよりたくさん着込んでいたらしい。
自分の溜めこんでいたものの山に軽く驚く。
何をそんなに必要としていたのか、吐気とともに吐き出してみた。
いろいろ着込んでしまうのも、きっと言うほど嫌いじゃないのだろう。
だけど人には人知れず、自分のためだけに開ける、小箱のような夜も必要だ。
書きたいときにだけ書くと決めたら、割と書きたくなった。
誰のためでもない、自分のためだけに書けばいい。
好きなことを好きなように、本当に文字通り好きなようにするとき、きっとその人の本当の質を分かち合える。
美しいこと、大切なことは、人の為にしてはいけない。
それは自ずからそう(人の為に)なってしまうものだから。
本当は生きることは、とてもエゴイスティックな行為だ。
そこに自分の喜びを見出だせないことには、本質ある価値は含まれない。
あなたが本当にそこにいて嬉しいと、心から思えるときにだけ、あなたの本質を分かち合えばいい。
こうあらねばならないが強すぎて、嘘ばかりまとって優しくあるより、きっとその方が本当に優しい。
ただそこにあるかないかだけだ。
それを真実と呼んでも、愛と呼んでもいい。
でもきっとそれは、結局言葉にはなりきれない、何か自分や宇宙や命の本質、理由みたいなもの。
魂はどこから来たのかとか、神聖ってどういうことかとか、生きる意味や死ぬ意味を問うような、同じ質の問いかけに属している。
それを持って生きていけるかだけが、きっと重要なことなのだ。
そして自分にとって何が重要で、何が大切なのかは、自分だけがはっきり知っていればいい。
残りのことは誰かが勝手に決めてくれる。
そうやって幾重にも用意された選択肢の中で、ぶれない芯(真)を紡いでいくことが、生きることの意味なんじゃないかと思う。
こんな雨上がりの静かな夜には、心を覆っていたものが静かに取れて、とても素直に対話できる。
せっかくなので今日は残しておこう。
いつも受け取ってくれてありがとう。
よい夜を。
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