3/13夜 随想






滅多にないほどいい夜。美しい春の宵。

雨が上がって水気を含んだ微風と、まだ薄く光を隠したままの空。



それは世界がまだ誰にも触れられていなかった頃。

まるで人がいなかった時代の気配を思わせる。


ときには自分が自分でいていい夜がある。

世界はまだ、誰の目からも隠されていて、誰も己の外側に目を向けていない。

そういう夜には、霧のように優しい混沌が満ちている。


小さな音でピアノを弾いて、密やかな歌を紡いで、誰もいない夜にただ殻を脱ぐ。

何をそんなに必要としていたのか。

吐気とともに吐き出してみる。


きっと言うほどそれも嫌いじゃないのだろう。

だけど人には人知れず、自分のためだけに開ける、小箱のような夜も必要だ。

誰のためでもない、自分のためだけの夜。


好きなことを好きなように、本当に文字通り好きなようにするとき、きっとその人の本当の質を分かち合える。

美しいこと、大切なことは、人の為にしてはいけない。

それは自ずからそう(人の為に)なってしまうものだから。


本当は生きることは、とてもエゴイスティックな行為だ。

そこに自分の喜びを見出だせないことには、本質ある価値は含まれない。


あなたが本当にそこにいて嬉しいと、心から思えるときにだけ、あなたの本質を分かち合えばいい。

こうあらねばならないが強すぎて、嘘ばかりまとって優しくあるより、きっとその方が本当に優しい。


ただそこにあるかないかだけだ。

それを真実と呼んでも、愛と呼んでもいい。

それは結局言葉にはなりきれない、何か宇宙や命の本質みたいなもの。


自分にとって何が重要で、何が大切なのかは、自分だけがはっきり知っていればいい。

残りのことは誰かが勝手に決めてくれる。

そうやって幾重にも用意された選択肢の中で、ぶれない芯(真)を紡いでいけたらいい。

それが生きることの意味なのではないかと思う。





こんな雨上がりの静かな夜には、心を覆っていたものが静かに取れて、とても素直に対話できる。

せっかくなので今日は書き残しておこう。











 

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