「岸を見失う勇気を持たぬ者は、大洋を渡ることは出来ない」
さっきお問い合わせに対してお返事した文章ですが、きっと他の人にも当てはまるかもしれないなと思ったので、ご相談者に許可を得てシェアします。
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様々な問題があると思いますが、そういった症状は気にしないで、とにかくするべきことを強い意志で集中してやっていくうちに、いつの間にか影響がなくなり、気が付くと乗り越えていて忘れてしまうということが多いようですね。
いかなるエネルギーも、自分が存在のどこかのレベルで許可しないものは勝手に出入りしたりは出来ません。
人間という存在は本来とても精緻で強靭なものです。
葛藤の多くは自分を守ろうとするときに起きますが、問題に対して立ち向かう意志を固めて、そこに向き合い踏み出すことで解消されることが多いです。
自分自身を変化成長させていくことに関して、勇気を持って取り組んでください。
自分が守ろうとしてきたものに執着しているうちは、人は中々変化することは出来ないし、問題の本質から無意識に目を反らそうとしがちです。
この場合の問題の本質は、自分自身に対する愛や信頼の欠乏とそれを自分自身ではなく外部の代替者によって埋めてもらいたいという、基本的なアイデンティティの形成に関わることのように思います。
霊的な危機のように思えることは起きるかもしれませんが、それも実際には本質ではありません。
自分の管理できる範囲を超えた、大きな枠組みの中で自分の責任を超えた何かに問題を預けることで、本質に直接向き合うことから避けようとしている可能性もあります。
問題をできるだけシンプルに整理してください。
今置かれている事実と、それに対する選択を自分の責任で行うことだけが選べることです。
客観的な事実と、主観的な現実は別なものです。
そして問題の多くは、事実に対する自分自身の反応という現実の中で起きています。
その反応パターンを自覚して選び直すことが出来れば、問題はなくなるか、扱いやすいものに変化します。
誰もが自分の感じる主観の世界の中で生き、それぞれが他者には共有しきれない世界を体験しています。
あまり多くの人が経験しない現実というものも確かに存在しますが、それは質の違いであって、実際のところどんなものも他者と完全には共有できません。
従ってあまり主観的な現実を、他者に説明し理解を求めることに力を注ぐことには意味がありません。
それぞれが体験したいと選んできたテーマが違えば、人生における体験の質や、主観的な現実を体験し構成するレイヤーが異なるからです。
例えば過去世は無数に存在しますし、私たちはつねにそれらの影響を引き継いで 今を生きているので、それらは消すこともコントロールすることも本来は必要ありません。
ただの今生の状況として、配られたカードの内容の一つです。
配られたカードは変更できないので、それらを使ってどう幸せな目的に達することを選べるのかというのが人生のゲームですので、私たちは与えられた 状況の中でどれだけ創造的で囚われなく自由でいられるのかが大切です。
霊的次元にまつわることは、世界の構成や構造に関する事柄で、それは興味深いテーマですが、自分の問題の枠組みを拡大しすぎると、処理しきれなくなって対処が難しくなります。
したいことが思うようにできないという葛藤があるなら、自分の体験したい感情や幸福、喜びの質を明らかにし、そこにフォーカスすることで他者や状況をコントロールしたりする必要のない、あるいはそれらの外的状況に依存しない自己の喜びを実現する現実的な方法を模索してください。
魂の喜ぶことがなんなのかということがもし感じられないとしたら、あなたは自分自身の感覚にきちんとフォーカス出来ていない可能性があります。
感覚と思考は別のものです。
たとえば自分が他者にどう思われ、どう評価されているかを気にしてしまうというのは思考です。
それらの恐れは過去の痛みや、それが引き起こすであろう未来に対する不安につながっています。
いずれも、今ここにないもので、それら思考に連なるものは常に過去か未来に属しています。
感覚とは今ここにあるものです。
今ここに属していないものは感覚ではありません。
それらはあらゆる評価やジャッジから独立しています。
ただ単に感じるということ、味わうということ、それらの感覚を体験として100%味わうということ以外に、感覚を十分に知覚し認識する方法はありません。
これらは瞑想やヨガ等、様々なメソッドで研磨継承されてきたものが無数にあるので、自分に合うものを探すとよいと思います。
するといずれは自分の問題とその境界を理解し、切り分けることができるようになると思います。
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