初めてこの作品を観たのはかれこれ20年以上前になる。
もし誰かに自分の人生の質を決定的に方向付けたものは何かと聞かれたら、多分僕はこの作品の中に描かれた星野道夫という写真家をあげるだろう。
その頃まだ僕は10代の学生で、茫漠とした広い世界をどう生きて渡って行くべきかの足掛かりを探していた。
本当のことを欲して、人文科学や精神世界に触れ、トランスパーソナル心理や宗教教育学のゼミに入ったりしていた。
当時そのどこにも一番欲しいものは見つからなかったが、唯一、この星野道夫の眼差しと言葉の中に本当のことを見つけたように思った。
それは形にはならないものだけど、ある種の周波数の光のように、見えないけれどそこにある輝きを放っていて、その心の共鳴は、確かに自分が受け取りたい魂の本質に輪郭を与え、明確な方向を示してくれたように思う。
今日母校でその映画の上映会と、シンポジウムイベントがあった。
不思議なご縁で、会ったことはないアメリカ在住のSNSの知人が教えてくれた情報だった。
しばらくぶりで母校に戻り、初心とも言えるきっかけの作品に再び触れた。
道夫がアラスカに移り住むきっかけを与えた、エスキモーの村との出逢いはちょうど19歳の時。
僕が彼を知ったのもちょうど同じ歳。
来年僕は、ちょうど星野道夫が亡くなった年齢になる。
(彼は1996年、カムチャッカでヒグマに襲われて亡くなった)
来年ニュージーランドに移住したいという思いを持ちながら、あと一つ何か精神的なピースが足りないと感じていたものが、今日なんとなく埋まった気がした。
やはり道に迷いそうなときは、来た道の始めに戻ることだ。
自分が何処に向かおうとしていたかを思い出すために。
多分人は、何度も何度でもそこに戻らなければならない。
悲しいほど人は忘れてしまう、大切な景色を何度でも思い出すために。
大切なものは目に見えない。
だからうまく伝えることもできない。
多分それは魂の震えみたいなもので、本質に一致した時だけ共鳴して輝く座標があるのだ。
それが自分のピースのはまる宇宙の居場所。
だから人は、魂の震えに従ってあの場所を目指してしまう。
もうそれを引き留める必要はないだろう?
だから、ちゃんと受け止めて進もう。
奇しくも明日は11月11日。
1111の始まりの数霊の日。
皆で見る始まりの景色が、世界をより美しい色彩に染めますように。
0 件のコメント :
コメントを投稿