友への手紙



海外に住んでいる友人からメールが来て相談を受けた。
言いたいことを言い合える20年来の楽な友人なのだけど、返信に書いた文章が割と普遍的な内容だったので、許可を得て覚書としてこの場に残す。



相変わらず面倒くさいな。
そうしたかったらそうすればいいんだよ。
引っ越すなりなんなり方法はあるだろ。
状況だけ解決するのを待ってるから物事が進まないんだ。
外側の出来事は内側の物の見方の反映だから、受け止めて感謝できて、引き受けて行動すれば変わるよ。
自分で決めたくないからって結論を相手任せにするな。
元旦那がそう見えるなら、それはあなたがそうしているからそこが気になるんだ。

気持ちよく生きていきたいなら、自分の感情ばかり大事にしないで、自分の見方を開いて流れに任せて変化に委ねて自分が変わり続けることを厭わないことだよ。
生きることの本質は動的均衡だから、サーフィンのように波の上に止まって見える為には、変わり続ける海と波に対して変化適応し続けてはじめて、人生は安定して進むことが出来る。
形にとらわれ過ぎないで、幸せってどういうことか感じながら、そうあり続けることを選び続けることだよ。
そうしたら内側の世界も外側の世界も、やがて同じ質を映すようになる。
そうしたらきっと自分を越えた視点から世界を見ることが出来る。
世界は本当は美しい、きっとそうでないものも含めて。
それを見ることが出来れば、生きることはもっとやさしくなる。

この世界の優しさは、どんな種類の経験も選ぶことができるということだから、主体的に受け取り与えていくことをしてさえいれば、本来ちゃんと必要な体験をできるようにできている。
受動的に与えられることを待っていれば、自分の幸せに対するコントロールは他者と偶然にゆだねられる。
自ら奴隷になる者に自由の権利はない。
それはあなたが自分で選択するリスクと引き換えに喜んで差し出したものだから、結局は望み通りになっている。

それが嫌なら立ちあがり、自分の道を選び、その結果を引き受けることだ。
そうすれば、あなたは完全に自由になれる。
必要なのは今までの自分を越える勇気であって努力ではない。

それでもあなたは気付くことができたのだから、あなたは前に進んでいるよ。

健闘を祈る。」



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