とても心に響くなこれ。
ちなみに屋久島の縄文杉や屋久杉の巨木が、切り倒されずに森に残された理由は、コブが多すぎて材木として製材出来ないからだったんだって。
ぼのぼのにも、枝だらけの木の出てくる似たようなエピソードがあって大好きだったな。
以下
シャンタンさんのブログより転載します。
『生を役立たずのままで楽しむがいい。
世間をまるで自分がいないかのように動くことだ。
競争してはいけない。
osho
老子が弟子とともに旅をしていた。
彼らは、何百人もの樵(きこり)たちが木を切っている森にやってきた。
森全体が、無数の枝をつけた一本の大木を残して、ほとんど切り倒されていた。
その木は一万人が木陰に坐れるほど大きかった。
老子は弟子たちに、なぜその木は切られていないのかをたずねてくるように言った。
彼らは樵のところに行ってたずねた。
すると、彼らは言った。
「この木はまるで役に立たない。
枝という枝に節があり、これからはなにも作れない。
まっすぐな枝がひとつもない。
燃料にすることもできない。
煙が目の毒だからね。
この木はまったくの役立たずだ。
だから切らないんだよ」
弟子たちは戻って老子に伝えた。
老子は笑って言った。
「この木のようになるがいい。
お前たちが役に立ったら、切られてどこかの家の家具になってしまうだろう。
お前たちが美しかったら、市場で売られて商品になってしまうだろう。
この木のようになるがいい。
まったくの役立たずに……。
そうなったらお前たちは大きく大きく成長し、何千もの人びとがその下に木陰を見いだすだろう」
老子はあなたとはまったくちがった生をもっている。
彼は最後の者でいなさいと言う。
世間をまるで自分がいないかのように動くことだ。
競争してはいけない。
自分の価値を証明しようとしてはいけない。
その必要はない。
生を役立たずのままで楽しむがいい。』
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