Unityの意味




瞑想していたら言葉が降りて来たのでメモ。

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この世界は、繋がらないことを楽しむゲームである。

繋がっていないという前提からスタートし、どのようにすれば心から繋がることが出来るのかを体験する試みである。

だからまずは、私達が今は切り離された状態からスタートしているという前提事実を、理解して認める必要がある。

そうすることで、初めて一なるUnityだった状態(かつてそうであった場所)へと向かい始めることができる。

そういうゲームなんだと理解して認めたとき、初めてこの現実を、期待も不機嫌になることもなく、クリアに観ることができる。


自分の思いはなぜ相手に伝わらないのだろうと、思い煩う必要はない。

思いは伝わらない。
ここは個別に分離される体験を試みている場所だからだ。


だから伝える必要がある。

伝えるためには、伝えるべきものを自身が受け取り、理解し、形を切り分け、言葉にする必要がある。

自身の感覚を観察し、受け取ったものを細分化し、アウトプットしたものを分かち合う。
そこから理解と合一への統合が生まれる。

私達はつながり、それぞれ別の視点と角度から見た一なるもの、Unityの側面を分かち合い、理解する。
それが私達が、それぞれ個別の自我に入り、互いを見て関わり合う理由だ。


ただしそれは感情とは別のレイヤー(層)で生じている。
自身の感情が、このシンプルなコミュニケーションをより複雑にしている。

濁った水の中から外を見るとき、外の世界にはその色が付く。
濁りを認め、それが沈殿するまで見ていなさい。

クリアになった場所から真実を観察しなさい。
そして分かち合うべきものが、自身の内に現れたのなら、それを分かち合いなさい。

その時あなたは、目の前の誰かと自分の奥に、同じスペースが共有され、横たわっているのを見るだろう。

それが、Unityの意味だ。








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