夕暮れに美しい虹が出た日。
奴らは来た。
屋久島の梅雨には二つの洗礼があると言う。
曰く、カビと流し虫。
カビは分かる。湿気がこれだけあればあらゆるものが黴る。
除湿機と拭き掃除で対応するほかない。
そしてもう一つが奴らだ。
奴らはこんな梅雨の晴れ間の風の無い晩に、音もなくやってくる。
羽蟻だ。しかも白蟻の大群だ。
流し(梅雨の事)の雨が続くと、羽化した羽蟻が外に出られず、巣の中の内圧がどんどん上がる。
そして湿度の高い、ある風のない夜に、彼等は一斉に解き放たれて舞い上がる。
島の中を羽蟻の大群が渡って行く晩、人々は家の一切の灯りを消し、息を潜めて彼等が去るのを待つ。
明かりを消さないとどうなるかって?
試してみたらいい。
見た事があるかい?
羽蟻で真っ黒に埋め尽くされた窓やカーテンを。
知っているかい?
落ちた羽の積もった床を歩くときのサクサクっとした感触を。
僅か1cm足らずの虫の演出する、ちょっとしたパニック映画だ。
だからそんな夜は、明かりという明かり、電気という電気を消して、蝋燭の灯を点して静かに過ごす。
携帯の光くらい構わないだろうって?
私もそう思っていたよ。
その色の光は奴等の好物なんだ。
窓の外で一つ一つ、他の家の明かりが消えていくんだ。
こんな辺鄙な島でさえ、真の闇は貴重だ。
家族が一つの小さな火を囲んで側にいるってのは、中々悪くないものだよ。
自然がまだ圧倒的畏怖を持って敬われる世界がある。
これはとても大切な感覚だと思う。
静けさの中を気配だけを頼りに、耳を澄ましている。
小さな声で話す言葉も少なく、ただ何かが過ぎるのを待っている。
何故か彼等は必ず、夜八時くらいにやって来る。
(だから奴らは八時虫の異名を持つ)
過ぎ去るまで、時間にしてほんの数十分。
それが過ぎたら家の中を隈なくチェックする。
彼等は地球上のあらゆる生物を最後に分解する解体者だ。
森の樹々を土に還し、自然の偉大なサイクルを生み出しているのは彼等の仕事のおかげだ。
そうは言っても白蟻だ。
家に巣食われたら困る。
だから文字通り虱潰しにチェックする。
あれだけ真っ暗にして締め切っていても、奴らは入ってくる。
今夜は100匹以上の蟻を掃除機で吸い込んだ。
皆が寝静まったあと、蟻を自然に帰しにそっと外へ出た。
重く湿気を含んで、今夜の闇は一層濃いような気がした。
伸ばした手の先が見えない。
雲の隙間から星が見えていた。
もうすぐ新月らしい。
彼等のうちの幾匹かはきっと、新しい新天地を見つけることに成功したのだろうか。
隣り合う生き物たちの呼吸が、闇の先に潜んでいるような気がした。
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