成熟した人の資質とは何ですか?
成熟した人の資質はとても不思議だ。
まず、彼は人ではない。彼はもはや自己ではないのだ。彼には臨在がある、だが、人ではない。
二番目に、彼はむしろ子どもに似ている……素朴で、無垢だ。
だからこそ、成熟した人の資質はとても不思議だ、と私は言ったのだ。成熟は、あたかもその人が経験を積んだかのような、歳をとり、老いたかのような印象を与えるからだ。彼は肉体的には歳をとっているかもしれないが、精神的には無垢な子どもだ。彼の成熟は人生で得た経験だけではない。そうでなければ、彼は子どもではないだろう、そして、臨在でもないだろう。彼は経験を積んだ人だろう――知識は豊富だが、成熟してはいない。
成熟はあなたの人生経験とはどんな関係もない。それは内側に向かうあなたの旅、内面の体験となにか関係がある。
自分自身に深く入れば入るほど、彼は成熟する。自分の実存の中心そのものに届いたとき、彼は完全に成熟している。だが、その瞬間に、人は消える、臨在のみが残る。
自己は消え、沈黙だけが残る。
知識は消え、無垢だけが残る。
私にとって成熟は、成就のもうひとつ別の呼び方だ。あなたは自分の潜在能力を達成したのだ。それは現実のものとなった。種は長い旅を経て、開花した。
成熟には香りがある。それは個人に途方もない美を与える。それは知性を、可能なかぎりもっとも鋭敏な知性を与える。それは彼を愛以外のなにものでもなくする。彼の為すことは愛だ。彼の無為は愛だ。彼の生は愛、彼の死は愛。彼はまさに愛の花だ。
西洋には、成熟のひじょうに幼稚な定義がある。西洋が成熟で意味しているのは、あなたはもはや無垢ではない、あなたは人生の経験を経て円熟した、簡単には騙されない、搾取されない、自分の内側には硬い岩のようななにか――保護するもの、防御手段があるということだ。
この定義はひじょうにありふれている、とても世俗的だ。たしかに世間では、このタイプの成熟した人たちを目にする。だが、私の成熟に対する見方はまったく違う、この定義とはまさに正反対だ。成熟があなたを岩にすることはない。それはあなたをとても傷つきやすく、とてもソフトに、とてもシンプルにする。
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