本当にそのままでいいという事を認める




極めて核心的な部分を文章化した言葉があったので、日本の覚者 津留晃一の言葉より転載します。

実は人がこの世に生きてすべきことがあるとすれば、本当にこれだけなのだ。
自分への覚書として何度でも反芻したい。


ともすれば今ここにあるものが、魂にとって最善最高のものであるということはどうしても見失いがちだ。
それでもいつだって、最高のバランスを持ってこの世界を心から味わいながら立っていたい。

今見ている、感じているものはエゴの影絵に過ぎない。
それを忘れずに清め続けていたら、世界を見る窓の曇りガラスが、ようやく段々フラットに滑らかになってきたような気がする。
自分の在り方や見えている現実を、本当にようやく、最近認めることが出来た感じ。

それでも腹の立つことは起きるけれど。
その度に灰汁取りのようなクリーニング作業が、いつも深く気付きを与えてくれることが心地よく感じられるようになった。

でも今ここが最善て、中々言いたくないよね。
だけどそれも含めて認めると、本当にそうなる。

何処にもくっついていない、何処にも引っ張られない意識のバランスで、自分という板を使って、この現実の波の上に立ってみる。
多分その時、この世界をありのまま、心から受け入れて楽しめるようになる。

波乗りは無我を楽しむ遊びだから、地球は本当はそんな場所なのだ。
僕等はまだ、この海の楽しみ方を知らない。

海はただ在る。
浮かぶも沈むも遊び倒すも、全部自分次第。

海にもてなしてもらおうとするな。
波を乗りこなせないなら、バランスを失っているのは自分だ。
恐れも執着も、自分にくっつけている全てのものから自由になれ。

心を開いて、腹を括って。
さぁ、遊びに行こう。







〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜


解 脱

解脱は、元々我々の足下、
 今ここにありました。

求め続けた悟りなるものは
 どこにも求める必要などなかった
 ことがわかりました。

今ここが自分にとって
最善の場所であるということが
自分の信念の中心に座ったとき、

 自我は沈静化してしまうものです。

この時あなたの自我は
何も求めなくなります。

起こってくることを
楽しむようになります。

今この時よりも最良の瞬間など、
どこにもないことを確信できたとき、

あなたの心は安らぎ、
 涅槃の言葉の意味を知るでしょう。

今、癌を患っているあなたにとっても
 その事に変わりありません。

その瞬間は、あなたが求めることを
放棄した時にのみやってきます。

この歓びの時を迎えるには、

あなたのエゴのギブアップ宣言が
 どうしても必要なのです。

「求めなくて
悟れるはずなどないではないか」

そんな信念をお持ちの
 あなたにこそ申し上げたいのです。

ほんの少しの間
その信念を脇に置いて
 この先を読んでみて下さい。

求めようとする心こそが
 あなたの悟りの道への
最大の障害となっている

という仮定のもとに
 この先を読み進めてみて下さい。

私はあるとき問いかけました。

「私は地球人類のために
貢献したいと決めています。

さらに効率よく
人々に貢献するために、

今私の中のどんなところを
変えればいいでしょうか。

私はまだまだ自分が
到らない人間であることを
充分に知っています。

自分にはいくつかの欠点が
 あるのではないかと思います。

でも残念ながら私は自分の
改めるべき点に
気付いていません。

変えるべき欠点があれば
 どんなことでもお教え下さい。

ご指摘された問題点を
必ず改めたいと思います。」

というものでした。

私はその時まで、
 人は誰でも改めるべき
欠点を持っていて、

それを改めたときに
人は悟るのだと考えていました。

しかし返ってきた答えはこうでした。

「あなたに改めるべき点など
何もありません。

人に欠点というものは
存在しません。

人にはそれぞれ異なった
特質が備わっており、

その特質を役立てたとき
人々はそれを長所と言い、

特質を活かしきれなかったとき
 その現れ方を欠点と言います。

長所、短所は
一つの特質の裏表です。

ですからあなたに改めるべき
点など何もありません。」

「一つだけいうとするならば、

あなたのその
『改めなければならない
点があるという考え方』
だけです。」

と教えていただきました。

私はその言葉を
素直にそのまま受け取り、

「ああそうか、私には
変えるところなど
何もないのだ。

このままでいいのだ。

何かを変えようなどとせず、

単に人々に歓びを創造し
続ければそれでいいのだ。」

と解りました。

それから私は急激に
変わり始めました。

今、自分の目の前にある事に
夢中で係わっていると、

次々と自分の自我に
気付いてくるのです。

本当に簡単なことでした。

あんなに自分を変えようと
格闘していたことが
 まるで嘘のようでした。 

皆さんこの三次元世界は
 パラドックスの世界です。

変える必要などないのだと
解ったとき変わりはじめ、

しなければならないことなど
何もないと解ったとき、

 最も行動的となります。

お金など必要ないと
 わかったとき、

あなたにお金が
集まり始めます。

感情を押さえつければ
押さえるほど
人はますます激情家となり、

感情を起きるにまかせて
感じていると
 だんだん穏やかになってきます。

このことが解ると
人生は楽になります。

簡単になります。

起きてくることに
逆らわなくなります。

この時あなたは
自然界にとけ込みます。

誰からも邪魔にされず、

あなたの行う善行に対し、

誰も負担感を
抱かなくなります。

今ここが完全であることを
確信したとき、

そこにはもはや学ぶことがなくなり、

 次なるステージへと
 シフトアップします。

それが次元上昇、
アセンションのことです。

あなたが、まだダメだと思うとは、
まだそこで学べるということです。

ですからあなたは
 そこにい続けることになります。

まだそこを
楽しむことが出来るということです。

解脱したいとあなたは考えます。

しかし「したい」とは
「私はまだ今現在悟っていない」

という信念に
基づいているということです。

その信念が、

あなたが悟っていないという
現実を生み出しています。

あなたのその考え方が・・・。

今だめなモノは
永遠にだめということです。

現実は
今にしかないのですから。

「まだダメだ」とは、

 「私は今悟っていない」
という思いを いつもいつも
出し続けているということです。

今も、次の瞬間も、

そして又その次の瞬間も、永遠に。

「それは知っている。

 聞いたことがある。

私も人には
 そう言っているのだが。」

と人は言います。

「頭ではわかっているのに」

とエゴがあなたの口を動かします。

瞬間そんな思いが
 わき出してくるため、

それが自分の本性だと
勘違いしています。

そうつぶやいているのは
 あなたの本性ではありません。

単にあなたの過去の記憶に
反応しているだけです。

あなたのエゴの独り言は、

 自分の本質を知る
 チャンスを取り逃がします。

「そのことは知っている」
でもあなたはまだ悟っていない。

「そのことは知っている」と
 あなたが言うのは何故でしょうか。

そう発言することによって
 あなたに得られるモノがあります。

それは「自己満足」です、

いえ「自我満足」
というべきかもしれません。

人はちっぽけな
自己満足と引き替えに

大きな気づきの機会を
 のがします。

「認めて欲しい」、

 「馬鹿だと思われたくない」、

そんなささやかな
我欲のためにです。

そのことに気づいてしまうと、

もうあなたの自我さんは
自己主張しなくなります。

ただ気づけばエゴは沈黙します、

 「はずかしー」と。

解脱とは、

自分を知ること、

自分を発見すること、

自分に気づくこと、

自分を取り戻すこと、

本来の自分自身へと帰ることです。

そして多くの人々は、

 悟りを得た時の状態を
錯覚しています。

見えないモノが
見えるようになる
 ことであるとか、

聞こえない言葉が
聞こえるようになるとか、

なにか奇跡が
起こせるようになるとか、

そんな特殊な能力を
身につける事だと
勘違いしています。

このため人は
 そんな形を目指し求めます。

悟りの結果、あなたが至る状態とは、

 「あなたが最もあなたらしくなる」

ということです。

あなたが源から分離した瞬間の
本来のあり方に
戻るということです。

あなたが今のあなたから
 かけ離れた別の状態に
至るわけではありません。

今ソバを作っているとしたら、

 最高のソバの作り手となり、

今洋服を売っているあなたは、

 最高の洋服売りへと変わります。

地球人類の数だけ
 ユニークな状態へと至ります。

あなたの本質が自己発揮を始め、

 活力にあふれる社会となります。

今この瞬間にある源のエネルギーが
全て創造に使われるということです。

自分を責めるのに
使っていたエネルギーを、

他人を排撃するために
使っていたそのエネルギーを、

我慢に
消費していたエネルギーを、

葛藤に浪費していた
無意味なエネルギーを、

自己満足を得るために
使ったエネルギーを、

他人にどう思われるだろうかに
費やしていた余分なエネルギーを、

俺はまだだと
嘆きに使っていたエネルギーを、

家族の心配に
 すり減らしていたエネルギーを、

全て歓びと美しさの
創造へと変えるのです。

「でも、私は昨日もある人に
腹を立ててしまいました。
やはり私はまだまだです。」と

人はなかなか
自分を認めようとしません。

腹を立てて、
そのままであなたは完全です。

そのままの自分を無条件に、
 愛おしく抱きとめ愛して下さい。

自分を愛するのに
 どんな条件も不要です。

それがあなたの源の愛、
 無条件の愛のことです。

自分の全ての部分を、

そのままありのまま
愛せるようになったとき、

初めて他人のどんな欠点も
 そのまま愛せるようになってきます。

あなたを怒鳴りつける
 あなたの上司もそこに入ります。

こう言うと、又あなたの
自信をぐらつかせますね。

でも安心して下さい。

あなたが一番嫌っている
自分の欠点と考えているところを、

まるごと分離させることなく、
そのまま愛せるようになった時、

あなたを怒鳴りつける人は
消えてしまいますから・・・。

あなたを怒鳴るその人は、

あなたの中に潜んでいるあなたが
まだ認めていない部分を

 あなたに見せようとして
現れています。

「自分を否定している
何らかの考え方が隠されている」

その事の証拠として、

あなたの外に
表現されているにすぎません。

あなたがただ今のまま、
そのままの自分を認め、
 受け入れ、
無条件に愛せた時、

そこが解脱です。

そうは言っても、
 自分には混乱した気分が
 まだ残っていると感じているとしたら、

まだまだあなたが観るべき、
 認めるべきあなたの否定的な部分が
隠されているのでしょう。

そんなとき、
わいてきた否定的感情を認め、

そんな自分を許せばいいのだと、
 深く心に決心したとき、

あなたはその否定的想念に
力を与えなくなり、

あなたが力を与えない限り、

あなたの自我はどこからも
 その活動のエネルギーを受けられず、

やがて力を無くし溶けていきます。

「自分を知るだけで解脱できるなんて、
そんな馬鹿な」
という思いがわいてきたとしたら、

それが自我の
 つぶやきである事に気づいて下さい。

ただ内側を探して下さい、

丹念に自分の考え方を、

自分の信念を、

自分が反発する言葉を、

自分が正しいとする概念を、

自分がおかしいとする概念を。

全てがあなたの今という環境、
 状況の中に現れていますから。

他人の語る一言一言に
反応している自我を眺めて下さい。

「人から悪い波動を受けてしまった、
どうもあの人は苦手だ。」

とその人を避けている
自分に気づいて下さい。

あなたはその不愉快な波動を
受けた方がいいから、

その不快波動を拾っています。

「もう二度とあの人には
近づきたくない」
とあなたは思います。

でも安心して下さい、

 受ける理由は
 あなたの考え方の中にあり、

その考え方に気づきさえすれば、

それで解決してしまいます。

他人には何も問題がないのだ
 ということを
揺るがせないことです。

「このままで何も問題なし」、

 何を見てもどんな時も、
 「これで良し、何も問題なし」と

豊かなおおらかな気持ちで
眺められるようになったとき、

あらゆる問題は氷解しています。

「このままではダメだ」
と思っているかぎり、

正に、今そこがあなたのいるべき
場所であるといえるでしょう。

その思いが次々と
足らざる問題を探します。

無限に問題が現れてきます。

「何もしなくて良い」そして
「何をしても良い」と聞くと、

では人殺しをしても良いのか、

そんなことはないだろうと
反論がわいてきます。

そんないつもの自分の
反射的思考パターンを
知って下さい。

でも人に迷惑を
掛けてはいけないじゃないか、

と反射的に思考します。

そんな条件反射的思考は
何を原因として起こるのか、

 自分を眺めるチャンスです。
己の自我の発見のチャンスです。

あなたは他人に
迷惑を掛けることが
出来ると確信しています。

そしてそれを恐れています。

他人に掛ける迷惑とは
何でしょうか?

「こうしたら
 あの人はこう思うだろう」
とあなたは考えます。

それはあなたの考え方です。

多くの場合、他人は必ずしも
 あなたと同じようには考えません。

「こう思われたらどうしよう、
そう思われたくない」と、

あなたの思いがあなたの
行動にブレーキをかけています。

ほとんどの場合、あなたは
自分を満足させたいのです。

あなたを縛っているのは
 こう思われたくないという
 あなたの思いです。

あなたが、「我が・まま」をした場合、
 本当に社会は困るのでしょうか。

ここを疑ってみてはどうでしょうか。

親の意見をそのまま受け入れている
 だけではないでしょうか。

親の都合を受け入れさせられている
 だけではないでしょうか。

社会の規範をそのまま受容している
 だけではないでしょうか。

社会との摩擦を恐れるために、

あなたはどれほど多くのエネルギーを
消耗していると思いますか。

神が宇宙に遍在するとすれば、

神のいないところは
 ないという事です。

人が人を傷つけることなど
不可能なこと
 であると伝えられました。

あなたを傷つけることが
出来るのはあなただけです。

それ以外にはありません。

起きることに身をまかせ、
 逆らわず、

淡々と自分の思いを
観察し続けて下さい。

それだけでいいのです。

そんな時、自分の何かを
変えようとしないで下さい。

ましてや人を
変えようとしてはなりません。

今を生きて下さい。
イライラした時があるならば

 そのまま
 イライラの中にいて下さい。

自分を
使おうとしないことです。

 安心して何も考えず、

 何も求めず、

 逆らわず。

 流れに乗り切ったとき、

キリスト意識が

 あなたに変わって働き始めます。

 解脱の瞬間です。




0 件のコメント :

コメントを投稿