岐阜の知人、ひとはなさんがシェアしてくれた大切なこと。
今の自分にも響いたので覚書として。
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【さっさと、自分の事はやり終えなさい】
ずっと昔に、インドのグルが話してくれた事。インドには3度行きました。
「あなたは今、サドゥー(行者)の末席にいるのだよ。今世にあなたが行く道のスタートラインにいるのだよ。」
続けて、インドのカーストについて話してくれました。以下、要約ですが。
カーストの問題は、カーストによって差別をする事であり、カーストそのものが問題ではない。しかし。差別をされるというカーストもあるのだよ。カーストとは運命だ。まあ、聞きなさい。
人は、何度も輪廻転生を繰り返す。一番下のカーストでは、生きるか死ぬかの人生の中で生きるという事を学ぶ。人に非ずとされても、生きるという選択をする。まあ、動物と同じだ。生存本能ってやつだ。人はみな、その学びから始まる。しかし、生きながらえながら死んでいる者は、何度も何度もこれを繰り返す。
時には会社の社長や政治家、国王などをする者もおり、人を率いると言う事を学んだりする。普通のサラリーマンもして、主婦もしたりして、親にもなり。母親という多くの者がする体験でさえも、無償の愛を学ぶ。夫婦という運命は何を学ぶかわかるか? 帰依だ。相手に自らを捧げる帰依だ。それは、神に対する帰依への学びの始まりだ。なんであれ、学びきるまでは、そのカーストを何度も繰り返す。一般社会の上から下まで何度も何度も繰り返しては、その人生だからこそ学べるものを学んでいく。カーストとは本来、人の数だけあるのだよ。
それぞれのカーストに生まれるという事は、その人生の中で学ぶものを学ぶという事なんだ。自分のカースト、運命を受け入れるという事だ。たくさんの人生や社会を学んで行くと、人は流される人生から作り出す人生へと変わって行く。そうして、自分の欲しい物を手に入れるようになる。
しかし人は、欲しい物を手に入れてもどうしてだか満足がいかない。不足を感じる。そして、人生とはなんなのか? 生きるとはなんなのか?と思うようになる。物質から、非物質へと興味の範囲が変わって来る。芸術の世界とは、そういう世界だ。だから、芸術家というのは、カーストの上位に存在する。
非物質の世界に興味を持った者は、そのような事に関する知識を欲するようになる。そうして、あちらへこちらへと、知識を貯め込む旅に出る。
だが、最初の内はわかったような気になるが、知識を貯め込めば貯め込むほど、本当の事から遠ざかっていく。ヴェーダにも書かれている、知識に溺れる者は、地獄の底まで落ちて行くと。まあ、崇高ではあるが、哲学者カーストの陥る所縁だ。上位のカーストであればあるほど、落ちる時には奈落へと落ちる。
そこで気が付く者がいくのが、サドゥーのカーストだ。一通り、一般社会の上から下までをやり終えた者が行く。知識で知り得たものが真実かどうか? それを実践と体験をもって実証していくのだ。サドゥーにも種類がある。社会と離れて実践する者。社会の中にいながら実践する者。あなたは日本に生まれたので、インドとは違う。社会の中で実践する者だ。実の所、どちらも厳しい道なのだ。
人や社会をああだこうだと言ってる内は、自分の道を歩いてはいない。
自分のやりたい事や欲しいものを追い求めている内はまだまだだ。
何故だか、そうせずにはいられない。わけもわからず動かされているが、周りを見渡せば、すべてが完璧に周っている事に気づく。それがヨーギであり、サドゥーであり、実践者であり、神と共にある道だ。
あなたは、サドゥーの末席にいる。しかし、まだ片足しかスタートラインにかかっていない。何故だかわかるか?
・・・・・さっさと、自分の事はやり終えなさい。
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