他人の注目はエゴの餌だ

 

他者の目を気にしていると、真に自身にはなれない。
エゴを落とすプロセスは癌を治すのに似ている。
即ち餌となるものを与えないことだ。




【グルジェフは傑出した神秘家だった】

彼の祖母が死の床についた時、
彼は尋ねた
「人生から得た経験や結論で、
僕に伝える価値があるものと
思うものがありますか?」
その時、祖母がとても奇妙なことを
彼に言った
「一つのことを生涯
注意しておくことができたら
役立つだろうね
いいかい、何事も他人のやり方で
してはいけないよ
どんな仕事も他の人がするように
やってはだめ 
いつも人とは違ったやり方を 
するようにしてごらん」

グルジェフはこの考えに基づいて
彼の哲学の全てを築き上げ創始した
常に他人とは違ったやり方をするのだ

グルジェフはこの助言を
大いに努力して、取り入れたので
彼の内部にユニークな
人物が誕生した
何事も他人のやり方でしないとなると
途方もない結果が生じるからだ

まず第一に…エゴは、
他人の言う通りに
物事を行うときだけ、
育まれるから、当然、
エゴを育むものが何もなくなる
それどころか、
人にあざ笑われることになる

グルジェフはこう語っている
「祖母は私に『死期が迫っているから
お前が私の忠告に従うか
どうかわかりゃしない
死ぬ前に一つやって見せておくれ』
と言った 
ベッドの近くにリンゴがあった
祖母がそれを私に手渡すと
人がやらないような方法で
食べてみろと言った」

このグルジェフ少年は
大変困ったに違いない
どうすればいい?
だが子供というのはとても
創意に富んでいる
もし親達がこの才能を
すっかりダメにしまわなければ
世界には多くの発明家が
生まれたはずだ
だが、創意は危険なものに見える
新しいものは何でも不安を
もたらすからだ

グルジェフはリンゴを手に取ると 
耳に近づけ、まずその声を
聞こうとした
それから目に近づけて、
それをよく見た
目を閉じて、キスをし、触り、
両手に抱きかかえたまま踊り、
飛び跳ね、走り、
それからリンゴを食べた
彼の祖母は言った
「私は満足だよ」

グルジェフは言った
「やがて、これが私の
人生の原則になった
何事も他人のやり方でせず、
私なりの独創性を持ち込むことだ」人々は彼を笑い、狂人呼ばわりした
彼らはこう言った

「なんてやつだ
一体何をやっているんだ
リンゴを耳に当てるなんて」
グルジェフは言った
「その時には気づかなかったのだが
もう一つの事が生じていた…
もう他人の事が気に
ならなくなっていたのだ
他人が私のことをどう言ってるか、
どんな意見を持ち、
どう思っているか、
そんなことはすっかり
関心がなくなっていた
私はまさに一人に…
この地上で絶対的な一人になった」 グルジェフはさらに書いている
「このせいで私は全ての人が
経験するあの苦しみを
味わわずに済んだ
私の内部に偽りの中心が
作られることはなく、
自分のエゴを破壊しようと
努力する必要もなかった
そもそも形成されなかったのだから…」

何をなすべきか?
他人のことを気にかけるのを
やめなさい
私は朝、あなた方が
瞑想しているところを観察する
あなた方は瞑想しているが、
ある考えが潜んだままだ
「誰かが私を見ているに違いない…
人は何と言うだろうか?」

つい今日のことある友人が
私の所へやってきた
彼は言った
「あなたが何と言おうと
私は一人で瞑想をやることにします
ここでこんなに多くの人の前で
やるのは…」
一人でやっても効果は
得られないだろう
効果がないというのは
瞑想の効果とは多次元だからだ
こんなに大勢の前で
狂う勇気があなたのエゴを
すっかり打ちのめす
こんなに多くの前で
子供のように振る舞うことで
あなたが突然エゴから引き離され、
中心へと投げ込まれる
一人ではこんなことは起こらない
一人の時は誰でもバスルーム歌手だ
バスルームに一人でいる時には
誰もが鏡に向かって百面相ができる
子供ばかりでなく大人だって…
幸い、鏡は誰にもこの話を
しないでくれる
しかしこのことは無価値だし、
何の助けにもならない…
全く何の助けにも!

他人のことを気に病むのやめること
人の意見を気にするのをやめること
人の注目をガツガツ求める
気持ちを減らしていくことだ

人の注目を求める気持ちが
エゴの餌になる

他人の注目は餌だ
これでエゴを太らせてしまう

だがあなたに注目する人が
多ければ多いほどそれは
甘美に感じられ、
あなたは何者かであるような気がする
だかもし誰もあなたに
注目しなかったら、
あなたが家にいて
誰もあなたに見向きもしなかったら…

グルジェフは弟子を使って実験した
彼は30人の弟子と
大きな家で暮らし、
弟子たちに命じた
他の29人があたかも
存在しないかのように
生活するように、と
彼らは誰とも口を聞いてはならず、
コミュニケーションになるような
合図も身振りもしてはならなかった
誰かがそばを通っても
自分は全く一人きりで、
家には誰もいないのだと
思い込まなければならなかった
故意であろうと無意識であろうと
他人の存在をほのめかすようなことは
誰もしてはならなかった
誰か他の人のつま先を踏んでも
謝ってはならなかった
そこには誰もいない
いないのだから
不注意でも燃えさしを
誰かの手に落としても
許しを求めてはならなかった
そこには誰もいないのだから
すまないと目配せをしても
いけなかった

この実験の目的は何だったのだろう?よく考えてみよう
知らん顔するとか、
謝らないというのはとても簡単だ
人を蹴飛ばしたとしてもだ!

これはたやすいことで、
まったく難しくはない
私たちはいつもこうありたいと
思っている
だがこれは重要な点ではない
ではこの実験には
どんな意味があるのだろうか?

いいかね、それには隠された
深い意味がある
グルジェフは他人が
存在しているという事実に
注意を払わないように求めたが、
その場合、他人もまた自分に
注意を払わないのだということを
よく理解しなければならない

ここに落とし穴がある
あなたは他人を無視する
あなたは一人だ 
他の人もあなたを無視する
が彼らは29人だ
あなたは29人の他人に、
3ヶ月間完全に無視されるのだ

全ての交流は相互的なもの
私はあなたに注意を向け、
あなたを私に注意を向ける
それは取引だ
私はあなたのエゴを満たしてあげ、
あなたは私のエゴを満たしてくれる
だが、この実験ではその双方の
取引を止める
27人の弟子が逃げ出した
理由は何だったのだろう?
後に彼らの多くは言った

「息が詰まって、死にそうな、
窒息しそうな気がしたんです」
実際には彼らの喉は
窒息などしていなかった
窒息していたのはエゴの喉だった
彼らはこう考えたのだ
「3ヶ月も!エゴに
餌がないんだって!
ここから出るまでには
俺は空っぽになってしまう!」
踏みとどまった3人の
勇気ある弟子たちは
3か月後に出てきた時には
全くの別人になっていた
彼らの内部で何かが
変わったのだろうか?

ウスペンスキーはその実験に
耐え抜いた3人の弟子のひとりだった
後に彼は言った
「このグルジェフという人は
驚くべき人物だ
たった3ヶ月で…
私たちはこれがエゴを殺すための
ものだったとは全く知らなかった
マインドに安らぎと沈黙を
もたらすための実験が
行われているのだろうと思っていた
エゴが殺されることになるとは
知らされてもいなかった
3ヶ月後、私たちは
存在していないかのようになった
実在だけが残っていた
私たちのどこにも『我』の
生じる気配はなかった」

内部に「我」の生じる気配が
なくなる時、その時こそ、
あなたの真の「我」が立っている
この真の「我」が魂と呼ばれる
そしてその時には
もちろん、あなたの個は
満月のように、
一点の曇りもなく
澄み渡る至福に満ち、
自ら光を放つ

光は既にそこに存在している
至福は既にそこに存在している
「我」から魂への、
小さな跳躍の問題にすぎない
曇りなく、
澄み渡ったすものは
すでにそこに存在している
それは未だ汚されたことはない

【Oshoの言葉】








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